追い出された竜守り
竜の飛行訓練を終え森に舞い戻ったナウザーはハウルの様子を見に伺う。するとそこで五体の竜が六人の人間を運んできたと聞かされ慌てて小屋へと舞い戻った。
安全と思い一人ファミアを残したのが悔やまれる。パウズは人間を恐れ巣に籠っていたらしい。もし何かあるならハウルも無理を押して縄張りを出ただろうから現実には大丈夫と分かってはいたが、ファミアの姿を目にするまでは不安が渦巻いていた。
風がいっそう冷たくなる時間帯、小屋の前に座り込むファミアを目にし全速で駆けつける。目の前の大きな壁を黙って見上げる薄い空色の瞳はどことなく虚ろで、ナウザーはファミアに着衣や髪の乱れがないのを確認すると小屋の中を細部に渡り点検した。その眼差しはとても厳しく、夫婦となり慣れ親しんだファミアであっても恐れるだろう鋭利な目だ。何事もない、竜騎士たちも帰っていると確認してようやくファミアを迎えに出る。
「大丈夫か?」
何があったと腕を伸ばしたナウザーの胸を、ファミアの細い両腕が制止するように押し返す。
「大丈夫なんかじゃないわ!」
「なっ、何をされたんだ?!」
「何もされていませんっ!」
見えない敵に怒りを宿したナウザーを、ファミアは眉を吊り上げ睨みつけた。我が身に突きつけられたそのひと睨みでナウザーの怒りは狼狽に変わる。
「どういう事なのっ。こんなの、前もって話してくれなきゃ解らないじゃないですか!」
「いや、俺も解らんぞ。一体何があった?」
ファミアは無事、何もされていない。では一体何に怒っているんだと、間違いなく自分に向かっている怒りを宥める為、ナウザーはファミアから理由を聞き出そうと一時冷静になった。だがそれもほんの僅かな間だけだ。
「王太子様がいらしたのよ、結婚のお祝いにって。」
「王太子が結婚祝い?」
ナウザーは長年顔を合わせていない王太子の姿を思い浮かべながら首を傾げる。王太子から直接結婚の祝いをもらうような理由がないぞ、と。だがまぁかつての部下としては、かつて上司として君臨した王太子からの祝いを受け取ってもいいのだろうか。しかしファルムント家は王家より祝言をもらっているのだから、立て続けに王太子より祝いの言葉を賜るのは他の貴族たちからのやっかみを受けることになるだろう。王家は竜騎士を生み出す家系を特別扱いし過ぎると思われては、政治が上手く回らなくなる可能性がある。
「使いの人間ではなく王太子本人が来たのか?」
「ソウドさんが王太子様だと紹介してくれたからご本人だと思いますけど、あなたがそんな人とお知り合いだなんてわたし聞いていませんっ!」
「いや、言ってないから……」
誰と誰が知り合いかなんて顔を合わせた時点で教えればいいものだ。全く関係のない状態で、かつての知り合いやかかわり合った人物を前もって紹介しておく必要があるのだろうかと、ナウザーは不満に感じながらも女のヒステリーは恐ろしいと分かっているので反論しないで黙っておく。
「言ってないって、何なのっ!」
だがファミアは教えられなかった事実に激怒した。相手は王太子だ。こんな辺鄙な場所にわざわざやって来るような関係だというのにその言い種は何だと。ナウザーの腕を奪ったと後悔して泣きそうになっていた青年の姿がファミアの脳裏に浮かぶ。ナウザーに自分の事を聞かされていないと知り落ち込んでいた姿は、とてもただの知り合いといった感じではなかった。
「王太子様はあなたに返せない借りがあるってとても―――」
「何だとぉっ?!」
とても落ち込んでいらした―――そう言いかけたファミアを遮り、ナウザーは唾を飛ばしながら地を這うような怒声を上げた。
「あの野郎、俺に借りがあるって言いやがったのか?!」
「え、ええ、はい……」
想像と真逆の反応にファミアは驚ききょとんと眼を丸くする。ファミアの怒りが治まるのに反し、ナウザーは鬼の形相で拳を握りしめ目を血走らせていた。
「しおらしくなったと思っていたがやっぱあれは演技だったか。ソウドがいたんなら大丈夫だとは思うがファミア、お前本当に何もされてないだろうな?!」
「何もって……とても驚きましたけど何もされてはいません。」
「何が結婚祝いだ。あの野郎俺の弱点であるお前の様子を探りに来たに違いない。すっかり下手に出られてたんで忘れていたがあいつは恐ろしく頭が切れるんだ。油断できんぞ!」
「ちょっ、ちょっと待って。何を言っているんですか?!」
怒気を露わにするナウザーを落ち着けようとファミアが腕を掴むが、非力なファミアに掴まれてもナウザーは虫が止まった程度にしか感じない。
「何って、あいつ俺に復讐しに来やがったんだよ!」
「復讐?!」
あまりにも物騒な言葉にファミアは身を縮め、王太子とナウザーのあまりの認識の違いを知り蒼白になる。
「あなた、王太子様がわざとやったって思っているの?!」
「だってそうだろ。俺は小生意気な餓鬼だったあいつの根性を叩いて叩いて叩きのめしてやったんだ。すっかり大人しくなったと思っていたが、この時を虎視眈々と狙っていやがったに違いない。」
「最低っ!」
ぱんと、髭だらけの頬が小さな掌で叩かれる。
「何しやがんだ?!」
ファミア程度の力で叩かれても痛くも痒くもない。だが何故自分が叩かれる必要があるのだと怒りを込めた目で見下ろせば、ファミアは瞳にいっぱいの涙を湛えてナウザーを睨みつけていた。
「王太子様はあなたから腕を、竜騎士としての将来を奪ってしまったってとても落ち込んでいました。ずっと合わせる顔がなくて、あなたの結婚を機にようやくここに来ることができたと。それでもあなたに合わせる顔がなくてわたしにだけお祝いの言葉をくれて。わたし―――腕の事はあなたとハウルの絆がそうさせたのだと思っていたのに。あなたは王太子様の恨みで腕を失くしたってずっとずっと思ってたのね!」
王太子の様子が全て演技だったとはとても思えない。妻としてファミアは夫であるナウザーを信頼し、彼の言葉を信じて共に王太子を恨む立場にならなければいけないのかもしれない。けれど愛する夫が、自分の腕がなくなったのは王太子のせいだと、王太子がわざとナウザーの腕を奪ったと宣言したのはとてもショックだった。何故なら初めて会った時からナウザーは腕がないことを何とも思っていなかったのだ。悔いて悲観するでもなく、ハウルを生かすことができたと誇りにすら感じている様子だった。それが全て自分の勝手な思い込みだったと知り、ファミアは深く落ち込んでいた。
「え、ちょっと待てファミア。俺は別に腕の事なんて―――」
「知りませんっ!」
ファミアはナウザーを突き飛ばし、するりと身をよじって小屋へと駆け込んだ。
「二人の間には誤解があるのよ、ちゃんとお話ししてきて。それまで家には入れませんっ!」
ばたんと扉が閉められ閂がかけられる。状況について行けずに目をぱちくりさせていたナウザーは我に返るとはっとし、ファミアを追って扉を力任せに叩いた。
「待て、誤解だっ。俺は別に王太子のせいで腕を失くしたなんて思ってない!」
「王太子様と話をして帰ってくるまで家には入れませんから!」
それにまた来ると言っていた。来てもらっても持て成す術を知らないファミアでは王太子の相手は無理だ。大雑把なナウザーが頼れない状況なら、こちらから行って処理してきてもらった方がいいに決まっている。
「おいこら、開けろ。開けないなら扉をぶっ壊すぞ!」
「そんな事したらわたしが出て行きますからっ!」
「おい……」
何がどうなった?
閉ざされた扉を前にナウザーは頭を抱え、躊躇しながらも重い息を吐いてファミアの言葉に従うと決める。どうやら王太子は結婚の祝いを述べに来ただけのようだ。もしかしたら何か企んでいるのかもしれないが、ナウザーが想像した通り復讐するためならファミアを残していった理由が分からない。ナウザーの弱点は竜とファミアだ。それ以外ないのだから、十年振りにわざわざ顔を見せにやって来た王太子がその二つを無傷で残した限り、恐らくきっとナウザーの勘違いなのだろう。ナウザーは過去に王太子に行った数々の無礼を思い出しながら、やっぱり違うのかと疑念を抱きつつ、竜に跨り都を目指した。
基地に到着早々ソウドを訪ね、互いの出来事を語り合えば大声で笑い転げられる。
「竜守りが森から追い出されたって―――てめぇ阿呆か、阿呆なのか!」
笑い過ぎて息ができないと宣うソウドに、だったら窒息しろと返した。
「そもそもお前が王太子を連れてきたのが悪い。」
「ファミアには悪かったって思うけどよ。もともとはてめぇが仕出かした過去で勘違いしたのが原因だろうが。」
「借りと言われて勘違いしない方がおかしいだろ?」
「王太子だもんなぁ。御上の許可があったとしても、あれは俺もやばいと思ったぞ。半殺しにはするわ、血反吐は口を押させて無理矢理飲ませるわ、子豚の様に太り腐った十三の餓鬼に俺らと同じ訓練完璧に受けさせるわだもんなぁ。お前は容赦なかったが、殿下もよく生き残ったと思うぞ。」
「ああ、良く出来た御方だと俺も感服したがな―――」
エヴァルフィは年老いた王と王妃の間にようやく生まれた男子である。王と側室との間に幾人か男子はいたが、後継ぎ問題をうまない為にもやはり正妃腹は望まれていた。そしてようやくできた王子を妃は溺愛し、過保護すぎるほど過保護に育ててしまったのだ。王が気付いた時には既に遅く、エヴァルフィは人を人とも思わない傍若無人な子供に成長していたのである。矯正を試みるも教師らは権力を前に妥協し、王妃が後ろ盾につく小さな独裁者に誰もが手をこまねいていた。やがてこのままでは国の将来が危ういと、側妃腹の王子を王太子にと望む声が湧き上がってしまう。内の乱れは国の乱れ。国と息子の将来を危ぶんだ国王は、慣例として王太子が務めることになる竜騎士団長の地位に、十三歳になったばかりのエヴァルフィを就けた。そして竜騎士団長に相応しい人間になるための教育を強いるよう、当時の責任者をしていたランサムにエヴァルフィを託し、ランサムはエヴァルフィの教育係にナウザーを起用したのだ。ナウザーとエヴァルフィは従兄弟で血の繋がりがあり、不敬を働いてもかろうじて許される血筋だ。ナウザーは国王にエヴァルフィ矯正の手段を択ばぬ許可をもらい、腐った根性を一から叩き直したのである。
「お蔭で王妃様は俺を恨んでいらっしゃるよ。」
国王の許可を得ていても生みの母である王妃は、王太子という身分にある我が子に手を上げたナウザーをけして許しはしない。その飛び火を受けたのがテレジアだが、テレジアも王家の為と素直に恨みを受けている。
ナウザーに矯正されたエヴァルフィは今では立派な大人だ。過去の我が身を悔い、王の理解が得られていようが一歩間違えば竜騎士であるとて処刑の対象となる行為をあえて貫き通したナウザーを敬愛するようになった。十七の歳には正式に竜騎士団長として采配を振るう有能さも見せたのだが、隣国との戦いでナウザーは腕を失い竜は重傷を負う。エヴァルフィはその責任を負って王太子であるにもかかわらず自ら竜騎士団長を辞任してしまったのだ。以来竜騎士団長は一度竜騎士を引退したランサムが請け負っている。その過去があるにもかかわらず、ナウザーはエヴァルフィが過去の恨みを晴らしにやって来たと勘違いしてしまった。ファミアのいう事は最もだ。自分は最低だと、大笑いするソウドの前で頭を抱えて項垂れる。
「とにかく明日にも殿下にお目通り願う。」
「そりゃ急いだ方がいい。お前なら明日と言わず今からでも許されんじゃねぇか。」
「―――何かあるな?」
面白そうに面会を勧めるソウドにナウザーは嫌な予感がした。
「殿下は個人的にいくつか領地を持ってんだろ。その一つを結婚祝いにってお前名義に書き換えて持参したんだがな。どうやらファミアと話をして考え直したらしい。」
「いらねぇよ土地なんか。王太子からの貢物なんて厄介以外の何物でもない。」
多大な功績を上げたならわかるが、結婚した程度で次代の王から個人的に贈り物を賜るなんてやっかみを受けるだけだ。ファルムント家だけが王家より特別視されているとみられ、危険因子として貴族らの攻撃を受ける可能性もある。ファミアといったい何を話したかは知らないが、改めてもらえて良かったと胸を撫で下ろすナウザーに向かって、ソウドは嫌味たらしく口角を上げた。
「“あの様に素晴らしい妻を迎えたナウザーにこの程度では祝いにならない”っつって、予定の領地から金剛石が採れる領地に変更されるそうだ。」
「はぁっ?!」
「文書屋が大慌てだったぞ。リュート殿に説得を頼まれているようだが、急がねぇと明日にでも決済印が押されるに違いねぇ。殿下はお前相手以外には有能だからなぁ。」
ガハハと大笑いするソウドを置き去りに、ナウザーは大慌てで城へと走った。




