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竜守りの妻  作者: momo
本編
23/50

腰がぬける




 絡みつく腕を抱え込み唇を寄せる。黒い体毛に覆われた腕も好きな部分の一つだが、もぞりと体を反転させ瞼を落とす夫を見上げた。漆黒の瞳は覗かないが、抱きしめられた腕の中で自由を許され、朝の微睡を楽しんでいる様子がみてとれる。ファミアはちくりとする顎に指先で触れた。


 ファルムント家の披露宴は竜騎士を有する家系として避けては通れない行事だった。夜遅くまで続いた宴はお開きになり、全ての客人を見送ってから遅い就寝につく。必然的に睡眠時間は少なくなるが、生活習慣のお蔭で日が昇る前にファミアは目を覚ました。けれど起きて移動するのは許されない。ナウザーの腕もあるが、遅くまで働いた使用人の為に館は昼から動き出す決まりになっているのだ。


 利益もあったが大変な時間だったと、ファミアは義父の竜に乗せられた瞬間からを思い返す。結果的にナウザーの家族を知る機会となってよかったのだが、貴族と平民の習慣の違いには今もまだ戸惑いが多い。ここで暮らせと言われたら心労で体を壊すのではないかと思えるほど、特に貴族女性は制約が多くて戸惑わされた。朝ですら自由に起きるのは許されないのだ。


 生きるか死ぬかの瀬戸際なら仕方なく受け入れるが、やはり慣れ親しんだ労働が恋しい。早く竜の森に帰りたいと、目を閉じたまま腕だけではなく足まで絡めてきた夫の温もりに幸せを感じた。普段の暮らしからナウザーに貴族という高貴な身分の片鱗はない。片付けができないのは育ちのせいもあるのかもしれないが、面倒がって干し肉にそのまま食らいつく様は野蛮極まりなかった。ファミアに合わせてくれているとか、気を使ってとかではないありのままの姿に、野蛮だと貴族女性が敬遠してもファミアは安心を感じるのだ。


 昼前になり使用人が洗顔用の金盥をもって部屋を訪れると起床を許される合図だ。義理の両親とナウザー、それからシアルと席を共に昼食をとる。長兄一家は昨夜のうちに自宅へと引き上げていたが、シアルはファミアを気にして残ってくれていた。月経不順や妊娠の事で医師としてナウザーに説明を補ってくれるためなのだが、一夜明けた食事の席ではファミアを前にたどたどしく、すっかり女性不信なシアルに戻ってしまっていた。それでも別れの前に食料庫から拝借してきた食材を渡してくれ、いつでも相談してくれと医師としての顔を覗かせる。義母は苦労をかけるとファミアを労いながらナウザーを睨んだが、彼女が想像するほどファミアはナウザーに困っているわけではないので苦笑いで返した。


 ファルムントの屋敷から竜が集う基地まで笛の音は届かない。大きな巨体で窮屈を嫌ったナウザーは馬車ではなく馬に直接跨っての移動を選び、ファミアはナウザーの前に座らされ人生初の乗馬体験となった。

 竜ほどではないが馬に跨ると視界が高く一気に広がる。後ろからはナウザーの腕が回され手綱をしっかりと持ってくれているので落とされる心配はないが、竜の飛行と異なり揺れが大きく臀部への負担も大きかった。


 「乗り心地は竜の方がいいんですね。」

 「訓練もしてはいるが竜は揺れの少ない飛び方をするからな。もっとゆっくりの方がいいか?」

 「いいえ。早く森へ帰りたいしお任せします。」


 森へ帰りたいとの言葉にナウザーの心は軽くなる。実家の状況を詳しく話していなかったが、豊かで楽な生活よりも、何もかもを自分でしなければならない生活を望んでくれてほっとした。綺麗な服を着て使用人たちに傅かれての生活を望まれても、竜守りであるナウザーにはどうしようもないのだ。


 空を飛べば少しの距離も、馬に揺られ数時間かけて辿り着く。広大な森と人工的に作られた広場は竜騎士団の基地として利用され、竜たちは普段森に入って隠れるように生活していた。そこで馬を預けたナウザーとファミアは、昨日祝いの席に来てくれた者らに礼を述べて笛を取り出し竜を呼ぶ。竜騎士の物ではない雌の大きな竜が笛に呼ばれ森から出てきてすぐに頭を下げた。早く森へ帰りたいという気持ちが漏れ出しており、ナウザーは労うように竜の首を撫でる。


 「ずっと隠れてたみたいだぞ。竜騎士を乗せるにはまだ時間が必要か?」

 「そうみたいだな。悪かったよ、ほったらかしにして。」

 

 ソウドが欠伸を噛み殺しながら近づくと、ナウザーに撫でられていた竜の頭がそっぽを向いた。竜の声を聴ける人間が相手でも慣れなければ相手にもしたくないらしい。そういえば義父がやって来た時パウズはあっという間に逃げてしまったようなので、ファミアは自分の特異性を改めて実感する。竜の血を引くと言われる彼らと血を飲んだとされるファミアの状態では何に差が出るのか。パウズにとってファミアがもう一人の母親であると同時に、こんな形をしていても竜たちにはファミアの姿が竜に見えているとでもいうのだろうか。今度パウズにでも聞いてみようと、ファミアは竜との関係を気取られぬよう大きなナウザーの陰でなるべく気配を消してじっとしていた。


 労い首を撫でていると竜の機嫌が直って来る。竜騎士にとって竜は愛する家族であり命だ。そして竜守りにとってもそれは変わらず、人間の女らが嫉妬するほど彼らは竜たちに深い愛情を注ぐ。身を犠牲にしたナウザーこそがいい例で、けれどファミアにとって竜を愛しむナウザーを眺めるのはとても幸せな瞬間の一つでもあった。実感なんてないが、己の体にハウルの血が混じっていると感じる瞬間でもある。パウズとじゃれる様子などを目撃すると心が温もりに包まれるのだ。ファミアとハウル、どちらかを選べと選択を迫られナウザーがハウルを選んだとしても、ファミアはそれを許すだろう。逆に自分を取られた場合は何故と怒りに震えるかもしれない。ハウルとナウザーの間にある絆を壊したくはなかったし、壊れてほしくもなかった。


 竜の住まう森に帰ってきた二人は、ようやく普段の生活に戻ることができるとほっと胸を撫で下ろす。世話になった竜が森に帰った途端、パウズが喜び勇んで勢いよく飛び出してきて危うくファミアを踏み潰すところだった。


 それから数か月、寒い冬を森の小屋で過ごす日常が穏やかに過ぎる。十日に一度の物資配達に多少の変化があった他は大して変わりのない毎日。時折ソウドが手土産をもって訪問してくれる程度の日常に唯一変化として加わったのは、義父が訪ねてくることくらいだろうか。雌よりも小ぶりな雄の竜に乗ってやってくる義父とのやり取りにも慣れた頃、もう一月もすれば春を迎えるだろうという昼下がり。寒風の中あまった芋を蒸かして適当な厚さに切り、それを天日に干していた時だ。干すと栄養価も増すとシアルにすすめられてから芋だけではなく野菜の皮も干しておやつにしているのだが、芋は甘みが増すので好物の一つとなっており、楽しみながらもろぶたに並べた芋をひっくり返す。そこにいくつもの影が差し、見上げると五体の竜が空を舞っていた。驚いたファミアはもろぶたをそのままに小屋へと飛び込み扉にかんぬきを落とす。

 ナウザーは竜の飛行訓練に出ており森にはいない。ソウドは昨日来たばかりだし定期的な配達もなく、義父も来てそう日がたたずしばらく立ち寄らないだろうと出かけてしまっていたのだ。いつもやって来るのは一体だけなのに五体もの竜がどうして。ナウザーに用事があるのだろうが、ファミア一人で相手をするには心細過ぎた。竜に乗っているのは竜騎士に間違いなく、披露宴のお蔭で面識はあるだろう。だが今日はファミア一人だ。ここは非礼な嫁だと思ってもらうしかないと小屋に閉じこもり、閉じていた窓の隙間から外の様子をこっそりと窺っていると扉が叩かれる。ファミアは弾かれる様に窓から飛びのくと、足音に気を付ける余裕もなく寝室に籠って鍵をかけた。


 しばらくすると扉の閂が外されたのか、室内に大きな足音が響く。許しもなく立ち入った人間に迷いはなく、足音はファミアが閉じこもる寝室の前で止まった。


 「急に来て悪いんだけどよ、ちょっと顔見せてくんねぇか?」


 ソウドの声だ。どうしてとファミアは声を押し殺し頭を働かせる。もしかしてナウザーに何かあったのだろうか。元気で変わりなく出て行ったが、事故にでもあって知らせに来てくれたのかもしれない。けれどもしそうなら五体もの竜を従えやって来る理由にはならない。では何故だろう。ソウドがファミアに危害を加えたりしないと解っているが、同行している竜騎士たちは一体何なのか。昨日来たばかりのソウドがナウザーのいない不意をついてやって来るなんて狙って来たに違いない。息を押し殺していると軽く扉が叩かれる。


 「そのう、何って言うか。ファミアに会いたいって人が来てんだ。ちょっとだけでいいんで顔みせてくんねぇかな。」


 ナウザーとは大声を張り上げ会話するソウドが、申し訳なさそうに声を和らげ懇願する。扉の向こうはソウド一人らしく、他の人間の足音はしなかった。見知らぬ相手ではないし世話にもなっている。ファミアは意を決し、ほんの少し扉を開いた。


 「おっ、悪ぃな。」


 顔を覗かせたファミアにソウドはほっとして胸を撫で下ろした。


 「誰ですか、わたしに会いたいっていうのは。」

 

 不安に感じながらソウドを見上げると、それがなぁと口籠り誤魔化す様に頭を掻く。それから一度外へと視線を投げてから身を屈め声を潜めた。


 「エヴァルフィ王太子殿下をお連れした。」


 エヴァルフィ王太子殿下と、ファミアは首をかしげながら知らない名だと自分に確認する。


 「面識はなかったと思いますが。」

 「だろうよ。」

 「何をしに来られたんでしょうか。」


 できれば会うのは避けたいと要件を問うファミアに、ソウドは迷いながらさらに顔を寄せ声を小さくした。

 

 「まぁ、結婚祝いみてぇなもんだ。」

 「でしたらナウザーがいる時においで下さいと伝えてくれませんか?」


 面識がないとはいえ、祝いに訪ねてくれた人を挨拶もなしで追い返すなんて非礼もいいところだ。無作法極まりない。帰ってくれと告げたファミアにソウドは目を丸くし心底驚いていた。ソウドが驚くのも無理はない。けれどファミアは解っていてもそうしなければならなかった。外には五体もの竜がいるし、その竜に乗ってきた竜騎士までいるのだ。秘密の露見は絶対に避けたい。

 

 「本気かよ……」


 唖然と呟くソウドにファミアは眉を寄せる。ナウザーの親友なだけあってソウドもかなりの大雑把だ。人見知りで通しているファミアに渋りながらも同意してくれてもいいようなものなのに、どういう訳か今日は心底驚いている様子。


 「あの、今日は主もいませんし……わたしおかしいでしょうか?」

 「いやぁ、まぁよ。こっちも非礼と言えば非礼なんだが。相手は王太子だぞ?」

 「ですから知らない方です。」

 「知らねぇっても、王太子殿下だぞ?」

 

 だから何だとファミアは眉を寄せる。


 「王太子殿下って、何なんですか?」

 「何なんだってそりゃ―――」


 言いかけてソウドははっと気づいた。じっとファミアを見て、ファミアは同じようにソウドを見ている。薄い空色の瞳は偽りない疑問に満ちており、じっと見つめられると思わず引き込まれそうになって頭を振った。ソウドは雪原で共に遊んだ天使の様に可愛らしい子供たちと、ファミアの兄や義姉の姿、そして閉ざされた村を思い出す。


 「王様って何かわかるか?」

 「国で一番偉い方ですよね?」


 何を質問されているのか意味が分からず答えるが、ソウドは真剣に正解だと頷いた。


 「その王様が死んだら次に王様になる奴って誰かわかるか?」

 「王子様、ですよね?」

 「ああ、その次の王様になる王子様を王太子殿下って呼ぶのが俺らの常識だ。」

 「!!!」


 驚いたファミアは衝撃のあまりばたんと扉を閉めてしまう。運悪く指を挟まれたソウドの呻く声が響いたがファミアの耳には入らず、ファミアは扉を背にずるずると腰が抜けてその場に座り込んだ。挟まれた指の痛みが落ち着いたソウドが扉を押すと、ファミアはその扉に押されて座り込んだまま床を移動する。


 「まぁ、その。会ってくれねぇかな?」


 寝室に踏み込むのを遠慮したソウドは体を半分侵入させ、扉の裏側にいるファミアを覗き込んだ。涙目になったファミアがソウドを仰ぎ見る。


 「こっ……腰が、抜けちゃって……」


 酷く可愛らしい様にぐらっと来たのは、親友と妻には絶対に内緒だ。



 




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