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竜守りの妻  作者: momo
本編
21/50

義母と元婚約者



 恥ずかしい告白をしていたのにだんだんと切羽詰まりファミアは唇を噛む。それを横目で見ていたシアルは頷き、折り曲げた膝に腕を乗せ頬杖をついた。先程までの緊張が嘘のように楽にしている。


 「どのくらい来てない?」

 「結婚する前からだから、半年くらいです。」

 「半年かぁ、結構長いね。」


 その前にも長く来ない期間があったんだよねと、シアルは独り言の様に呟き少し考える。


 「詳しく診察したわけじゃないんで絶対とは言えないけど、君は痩せすぎだ。それが一番の原因じゃないかと思う。」

 「痩せすぎは―――こちらに来てから少し解消されたように感じるんですけど。」


 摂取量は少ないが、結婚してからはいいものを食べさせてもらっているという認識はある。自ら確認するように腕を伸ばして袖をまくったファミアの細さを目にし、痩せ過ぎと口にしたばかりのシアル本人が驚いて目を見張った。


 「うわぁ、想像よりずっと細いね。間違いなく痩せ過ぎだ。」

 「彼にも言われて、お腹いっぱい食べるようにしているんですけど……」


 絶対量が限られるのでこれ以上は無理だと暗に匂わせるが、シアルはファミアを否定せずに医師らしい答えをくれた。


 「まずは月経不順にいいものから食べようか。君は兄と違って肉食じゃなさそうだから豆は好き?」

 「はい、食べられない食材に出会ったことはありません。」


 それならよかったと、シアルは食事指導を始める。豆や木の実、油にも種類があり魚やキノコは焼くよりも干したものを調理した方がいいとか、黒砂糖も適量を取るのが良いからおやつにどうかと薦めてくれる。森への食料配達は肉食で質より量のナウザーに合わせて運ばれているだろうから指導しておくよと、有難いことにシアル自ら買って出てくれた。


 「それで三か月様子を見よう。その頃にここに来て話を聞かせて。あ、でも秘密にしておきたいんだっけ?」

 「いいえ、彼にはちゃんと話すつもりです。」

 「それならよかった。兄さんも肉ばかり食べるより豆を食べたほうがいいんだよ。あ、ファミアさん見て!」


 声をあげたシアルに促され顔を向けると、湖に赤い夕陽が映り込んで赤一色に染まっていた。同様に空も美しく、薄雲が綺麗に染まっている。  


 「僕さ、子供の頃に落ち込んだ時はいつもここに来て一人で泣いていたんだ。」


 夕日に見とれるファミアの隣で、独り言のようにシアルが呟く。大きな姿がとても小さく見えた。じっと横顔を見ていると気付いたシアルが一度ファミアに顔を向けるが、瞬く間に目元を赤くして顔を背けてしまう。

 

 「女々しいよね、ごめん。」

 「そんなことないですよ。子供の頃なんて男の子より女の子の方が力もあってずっと強いし。泣いていたシアル様も今では立派なお医者様になって、悩んでいたわたしに道を開いてくれました。ありがとうございます。」


 素直に気持ちを述べると、シアルは小さく笑って下を向いてしまう。そのまま黙り込んでしまうかと思ったが、溜息を落とすと力なく口を開いた。たった今まで医者としてファミアに向かい合ってくれていた自信がすっかり失われてしまった、そんな感じのする弱い声だ。


 「僕はね、自分の髪がこんな色だって知った時からずっと卑屈になって。それから人と、特に女性と接するのが苦手になったんだ。」

 「髪の色が?」

 

 薄い茶色が今は夕日に染まっている。綺麗な色だと思うが、他人の目には羨ましく見えても本人にとってはそうでないことは多々あるが……シアルもそうなのだろうと見つめているとさらに顔を背けられた。


 「知らないんだね。竜と話す資格を持つものは必ず黒い髪と目をもって生まれるんだよ。僕は生まれた瞬間から両親や周囲の期待を裏切ったんだ。」

 「あ……」


 はっとしてファミアは胸を押さえた。竜騎士の家に生まれた限り、生まれる前からそれを期待される。確かにリュートとナウザーも同じ黒髪だしソウドもだ。義父や他の竜騎士たちもそうだったような気がする。竜騎士の事細かな判断基準などファミアは知らないが、その一つが黒い目と髪というなら、兄二人は生まれた瞬間は合格だった。けれどシアルは薄い茶色の髪で、成長を待たずとも結果は見えていたのである。

 

 「だからって差別して育てるような親ではなかったけど。でもね……子供の頃に好きになった一つ年下の女の子がいて。彼女に告白したときに言われたんだ。黒髪でもないくせに話しかけるな、勘違いでもされたら迷惑だって。」

 

 それはきついと、ファミアは自分の初恋を思い出す。村では誰もが髪や目の色は皆同じだったが、例えばお前のような顔の女は嫌いだと宣言されたらきっと大きなショックを受けただろう。自分ではどうにもならないものを否定されては自信を失って引き籠ってしまうかもしれない。少しばかり特殊だがファミアとてグルニスに去られ、自分の何かが悪いのだとずっと沈んでいた。


 「黒髪でないくせにってのは、竜騎士の家系に生まれた男子に向けた差別用語だ。何の価値もないって意味を含んでる。」

 「そんなのっ―――シアル様はお医者様になられたじゃないですか。医者って何かわかっています? 貧しい村に生きたわたし達がどれだけ望んでいるか―――村にシアル様がいたら神様のような扱いを受けますよ。」


 村では山で採れる薬草や、行商の婆が売る薬だけが病を癒す全てだった。医者にかかりたい重病でも、お金もなかったがそもそも医者もいないのだ。遠い町に出ればいるかもしれないが、そんな場所まで病人を抱えたどり着ける訳がなかった。弱いものは死んで行く。それが常で、ファミアの両親も病で呆気なく亡くなってしまったのだ。


 「ありがとうファミアさん。僕も医者としての職業に誇りを持っているし、医者としてなら恐れずにこうして人と向き合えるんだ。」

 「わたしはシアル様の患者ですね。」

 「次の診察の予約もあるし、立派な患者だ。」


 照れた様に笑うシアルにファミアも微笑み返した。彼に酷いことを言ったのはきっとその女の子だけじゃない。口にせずとも態度がシアルをそう見ているのだと教えていたに違いないのだ。子供の頃に受けた様々な傷がシアルの人格形成に大きく影響したのだろう。けれど彼は本来の自分に戻れる、竜騎士に負けない立派な仕事を自分の手で得た。お金があっても苦労する人はいるのだと、貧しさを悲観していたわけではないが知ってよかったと思う。ナウザーの妻となって豊かさに染まり、申し訳なさから村での辛い生活を思い出すことが多かったが、シアルと話した後では楽しかった思い出も沢山蘇った。シアルにだって子供の頃の良い思い出がちゃんとあるだろう。竜騎士に選ばれなかったのは彼だけではない。長兄のリュートだって悩むことがあっただろうが、立派に家族を支える人になっているのだ。


 「そろそろ戻ろうか。きっと兄さんが心配してる。」


 返事をして立ち上がったファミアは借りていたハンカチを洗って返すと申し出たが、それはこんな時用のだからとそのまま受け取られた。高貴な生まれの男性たちもなかなか大変だと、二人は腕を組まずに横に並んで屋敷へと戻る。来る時と違って歩調はファミアに合わせてくれた。最初はシアルの動揺振りに相談を躊躇したが、今は医者としての意見をきちんとくれたお蔭で、ファミアはすっかりシアルを信用して心を開いていた。

 義父や義母もそうだが、貧しい生まれで何もできないファミアを受け入れてくれたナウザーの家族に感謝の気持ちを抱く。たとえそれが嫁の来手がなく困っていた結果だったとしても、生まれに雲泥の差がある娘を受け入れるのは勇気が必要だっただろう。ただナウザーの暮らしぶりから彼の生まれなど全く想像していなかったファミアからすると、正直驚きの連続ではあったが。


 他愛無い子供の頃の話をしながら戻ると大広間に案内された。断りを入れてから腕を絡めると、それまで普通だったシアルの体が一瞬で強張ったのが腕を通して伝わる。相手を患者と認識していても立場がエスコートするべき相手に戻れば、シアルも元に戻ってしまうのだなと、ファミアは心理の不思議に触れた気分だ。

 

 戻った二人を目ざとく見つけたテレジアが、まるで踊るように優雅に足を運ぶ。微笑む黒い瞳の奥にはそれに反する感情が宿っていた。


 「まぁシアルさん、思ったよりもずいぶんゆっくりして来れたのね。ファミアさん、有意義に過ごせたかしら?」

 「はい、ありがとうございますお義母様。」


 機会を作ってくれた義母に感謝を述べると満足そうに頷かれるが、テレジアはすぐに顔を寄せファミアに囁いた。

 

 「招待もしていないのにあの女が来ているの。客の一人にくっついてきたのだけど、流石のわたくしも神経を疑うわ。」

 

 邪魔とばかりに羽の扇で突かれたシアルが立ち位置を変えると、レースをふんだんに使い一見華やかではあるが、黒い緩やかなドレスに身を包んだ茶色の髪の女性が目に飛び込んでくる。忘れようはずがない、マデリーンだ。そして彼女が見上げる先にはファミアの夫であるナウザーがいて、ナウザーは柔和な表情でマデリーンを見下ろしている。一瞬血の気が引いたがかろうじて正気は保っていた。腕を組まれているのも忘れ、シアルが心配そうにファミアを覗き込む。どんなに華やかでも黒は喪に服する色だ。テレジアの神経を疑うとの言葉にシアルも同調し、祝いの席になんてことだと眉を寄せていた。


 「シアルさん、お義姉さまをナウザーさんに送り届けて下さるわね?」


 距離としてはさほどないが、一人で向かわせるにはあまりにもだ。テレジアも行くが、頼りなくても味方はいた方がいい。


 凍り付いた体がシアルに引かれ前に出て行く。腰にはテレジアの手の温もりが添えられていたが何も感じることができなかった。側に寄ると二人はまず背の高いシアルに気付き、次いでゆっくりと小さなファミアへと視線が降りてくる。


 マデリーンの魅力的な瞳が大きく見開かれ、手に持っていたグラスが滑り落ちると足元に落下した。毛深い絨毯に救われ割れなかったが、残っていた薄い黄色の液体が彼女の黒い裾に吸い込まれる。ファミアの隣ではテレジアが勝ち誇ったように鼻を鳴らし、我に返ったマデリーンは目を細め忌々しくファミアを睨みつけた。


 「ごきげんよう、元・婚約者様。」


 先に挨拶を発したのはファミアだ。無礼な物言いに無視する気でいたマデリーンは思わず反応してしまう。多くの人間が集まる公の場でこんな遠慮のない侮辱は初めてだった。ファミア自身は侮辱したつもりはないが、本当のことを口にすることが相手の怒りを買うという事くらいは知っていたし、いけない事だとも解っていた。けれど社交場ゆえのマデリーンに対するナウザーの対応が、そうだと解っていてもファミアを駆り立てる。


 「まっ、まぁ……ずいぶんな言葉使いですこと。教養のない方はこれだから困りますわね。」

 

 テレジアと違い、完全に隠し切れない焦りをマデリーンから感じ取り、ファミアは逆にゆっくりと己を取り戻していく。周囲に同意を求めるマデリーンを前にファミアは素直に頭を下げた。


 「申し訳ありません。あなたがおっしゃっるとおり、教養のない無礼者ですので。」

 「まぁまぁ、ファミアさんが教養がないとおっしゃるのなら、祝いの席に黒のお衣裳でいらした方はどうなるのかしらね。」


 自らを悪く言い価値を下げることを嫌うテレジアだが、今回はファミアの生まれ育ちと無知を理由に放っておいた。だが同意はしない。嫌味を込め黒を纏いファミアを怖気づかせようとしたのだろうが、育ちのお蔭でファミア自身は衣装に込められた嫌味に全く気付いていない様子だ。客人の装いに難癖をつけるのはルール違反だが、あえてテレジアもファミアの無教養に乗ることで嫁想いの姑を演出した。


 「幾人か父親候補がいらっしゃるようですけれど、お腹の子は順調ですの?」

 「お気遣いありがとうございます、テレジア様。実は見知らぬお方からも多くの申し出があって、正直困惑しております。」


 二十八と適齢期などとうの昔に過ぎ去っているが、子を宿しても欲しがる男はいるのだと、マデリーンは自らの魅力をひけらかす様に口にする。だが目の前では、美しく繊細な若い娘が薄い空色の瞳でマデリーンをじっと見つめていた。 


 「ではその中から相応しい相手を見繕いになるの? 未婚で出産なんて、お父上君もさぞご心配されていらっしゃるでしょうに。同じ子を持つ者として、お父上君のご苦労お察し致しますわ。」

 「そうですわね。ですが健康な子を産める体と証明されるだけでも良いと、今は孫の誕生を心待ちにしてくれています。それにわたくし、ナウザーとの縁を切ってしまいたくないのです。償いの意味でも立派な子を産めるのだと証明したくて。」


 こんな娘を持たずに済んで良かったとテレジアが暗に匂わすが、マデリーンはさらりと笑顔で返し堂々と胸を張り宣言する。身分も何もない田舎の娘にファルムント家の血を穢させてなるものかと、いかにも使命感にかられているかに己を演出して。


 「テレジア様も心の内で感じているのではありませんか。恐れ多くも先王の血を引く御身として、高貴な血脈に何処とも知れぬ血が混じるのを、ここにいる誰よりも良しとしないのでは?」

 

 茶色の目が細められ、小娘めとテレジアは頬をぴくりと引き攣らせた。マデリーンが口にした言葉はテレジアの生まれを褒めると同時に、貶したも同然であったからだ。己に正直で目的の為に手段を択ばない相手はある意味賞賛に値するが、悪意を向けられて面白いと聞き流せるほどテレジアは穏やかではない。


 「数多ある妾腹の血筋など、直系の血を辱めるものにすぎません。軽々しく口にするのは身の破滅を招きますよ。それに―――」


 テレジアは強張らせてしまった顔に血の気を戻し、穏やかに微笑みながら扇を口元に運んだ。


 「わたくしは生まれのせいで愛人とか妾腹とか、そういうものが大嫌いですの。ですのでナウザーの妻はただ一人。この美しく愛らしい義娘だけが、ナウザーの子を産む権利を有しているのです。」

 「まぁ、そんな枝のような体で強い子を産めるのでしょうか。胸の膨らみもなく子供、いいえ、まるで男のようではありませんか。」


 くすくすと馬鹿にするように笑うマデリーンをファミアはじっと見つめていた。膨らみが少ないのは気にしているが、今はそれよりもファミアと彼女らが生きる常識の違いを強く感じ、そんなマデリーンを少しばかり哀れに感じはじめていた。



 



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