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竜守りの妻  作者: momo
本編
14/50

金と碧の天使たち



 竜の黒く太い鱗に覆われた足が真っ白の雪原に沈む。今年も雪が深いと周囲を見渡していると、固定されていた鞍から外されナウザーの手で竜から滑り降ろされた。膝まで足が雪に沈む。除雪されていない雪の上は歩き難いが、村の真ん中に竜を下ろすわけにもいかず少し離れた場所に着陸した。雪原に降りた二頭の竜は首を伸ばして真っ白な世界をぐるりと見渡している。


 「うっわ、こりゃ冬は何処にも行けねぇな。」


 ソウドが感嘆の声をあげた。本来なら人がやってきそうな場所からはすぐに飛び立つ竜も、冷たい雪に足を埋めたままじっと動かない。三人が竜を残して集落の方へと足を進めると、かんじきを付けた村人がこちらに向かってやって来るのが見えたが、遠目に顔を合わせると踵を返して一目散に走り去る。足場の悪い雪の上では追う事も出来ず、まぁ村は逃げないと三人はゆっくり歩みを進めた。


 ようやく雪を固めて作られた道に辿り着く。外界との交流が全くなくなる冬場、ぽつぽつと並ぶあばら家からは、ほんの少しだけ開いた窓の隙間から様子を窺う村人の姿がちらほらとみられた。


 「珍獣扱いされてねぇか?」

 「ごめんなさい。婆以外の人が訪ねてくるのはとても珍しいので。」


 しかも竜に乗った大男二人。何も知らなければファミアも同じように家の中から様子を窺っていただろう。そんな中でも一人だけ、踏み固めた雪の道を小走りにやって来る影がある。迷いなく進む姿に遠目でもそれが誰だかわかってファミアは駆け出した。慣れない道に大男二人はファミアを追えず、ゆっくりした足取りで後を追う。


 「ファミア、どうして!」

 「兄さん!」


 走り寄った兄妹は互いに手を取り合う。泣き笑いのような表情のファミアに対し、兄のアトスは心配顔だ。遠くに嫁に行った妹がこんなに早く、しかも雪深い時期に戻ってくるなど誰が想像しただろうか。失敗して離縁されたのかと、妹に付き纏う不幸を案じ、ファミアと同じ空色の瞳がどうしたのかと理由を問う。


 「話したいことがあって。それと、夫が兄さんに挨拶したいって。」


 ファミアが後ろを振り返りながらようやく追いついてきたナウザーを指し示すと、アトスの不安そうな視線が大きな男に移された。黒い外套と帽子、ブーツに身を包んだ黒髪黒目の大男二人。威圧されながらアトスが軽く二人に頭を下げると、二人の男は言葉を失いぽかんと口を開く。


 薄汚れてはいるがファミアと同じ金色の髪に空を連想させる薄い碧の瞳。慌てて飛び出してきたのか薄着のままで外套も身に着けておらず、細い体の線が浮き彫りだ。だが驚いたのはそれではない。婆から聞いていて知ってはいたがこれほどとは正直思っておらず、何も知らないソウドに至っては『女?』と首をかしげていた。


 確かに、ファミアを基準に考えればおかしくない話だ。だが目の前にいるのは本当に男かと問いたくなるほど細く繊細そうな、ナウザーらとは全く違う人種の人間。背の高さはマデリーンやソウドの妻であるクレアよりも低く、はっきり言って美人だ。男のくせに金色の睫がこれでもかと長い。表現するなら雪の精霊と、図体に似合わぬ表現が二人の男らに浮かんだ。これなら婆がわざわざ足を運び独占したのも頷ける。そしてナウザーが想像した髭はなかった。


 「妹がお世話になっています、兄のアトスです。」

 「あ、いえ、こちらこそ。ああ、失礼。初めまして義兄上。大切なお嬢さんを嫁にもらっておきながらご挨拶が遅れ大変申し訳ない。ナウザー=ファルムントです。」


 呆気に取られていたせいでたどたどしい挨拶になってしまったが、ナウザーはようやく正気を取り戻し右腕を差し出した。ここでようやく相手が隻腕と気付いたアトスは、だが不快感を抱かれぬようナウザーから視線をそらさず手を差し出して握手を受ける。ナウザーと比べてはるかに小さいが、ごつごつした働き者の手だ。


 「こちらは私の友人でソウド=ウレツク。竜騎士として国に仕えていますが、今日は付き添いとして同行してくれました。」

 「初めまして義兄上殿。突然の訪問、ご無礼をお許しください。」

 「こちらこそ、ファミアの兄アトスです。このような辺鄙な場所へおいでいただき感謝いたします。」


 突然現れた大男二人に不審そうにしながらも、アトスは彼らに僅かな笑顔を見せ家へと案内する。ファミアが生まれ育ったのは天井の低い小さなあばら家だ。竜守りの住まう小屋と比べても半分の大きさもなく、毎日屋根の雪を下ろさなければ潰れてしまうような粗末な作りをしている。けれど村中がそうでけしてこの家だけが特別ではなかった。想像以上の状態にさすがのナウザーも眉を顰め、ソウドも難しそうにあたりを見渡す。だがあばら家の前で彼らを迎えたアトスの妻と子供たちを一目見て、二人の男は乾いた笑いを漏らした。ファミアとは血の繋がりがない義姉までが何処からどう見ても美人だったのだ。今にも折れそうな形をしているのに片腕には子供を抱き、もう片方の腕で縋り付く子供を支えている。誰も彼もが金髪に碧い瞳で黒い二人を見上げ、ファミアの甥と姪は三歳と二歳なのだがまるで天使の様に可愛らしい。可愛すぎる。きっと都の有閑マダムらが一目見て欲しがるだろうと予想された。


 「ファミア、嫌じゃなければ村を案内してくれないか?」

 「あ、でも。ソウドさんもかまいませんよ。」

 

 小さな家だ、大きな男が二人も入ってしまうと身動きが取れないだろうと案じるソウドの申し出に、しかしながらファミアは、初めての場所で置き去りにされる不安を知っており申し出に躊躇を示した。だがナウザーはあえてその後押しをする。


 「俺は義兄上と話がしたいからソウドを頼む。」

 「雪は珍しいからな、雪だるまでもつくるか?」


 なんとなく追い出されているような気分になるが勘違いだろう。雪遊びをしようとソウドが子供らに声をかけるが、姪のライズは母親の胸にぎゅっとしがみ付き、甥のサイラスは逃げるようにして家の中へと駆け込んでしまった。大きな男が現れて怯えているのだ。村人とあまりの違いに当然だとソウドは頭をかき、ナウザーは容姿の判別もつかないほど伸ばし放題だった髭を剃っていてよかったと胸を撫で下ろした。あのままだったら泣かれていたに違いない。


 「じゃ、嫁さん借りるぞ。義兄上殿、また後程。」


 ナウザーとアトスに軽く挨拶すると、ソウドはファミアの背を押してあばら家を離れた。それを見送ったナウザーは招かれるまま小さな家の中へと足を踏み入れる。突然の訪問にも関わらず狭いながらも部屋の中はきちんと整頓されており、竜守りの妻となるためにやって来たファミアはあの小屋の惨状にさぞ驚いただろうと、ほんの少し前までの我が家の状況を改めて思い返した。

 

 部屋の中には粗末なテーブルと椅子が置いてある。すぐ側には釜戸があり、それが暖炉の役割も果たしているようだが、今の時間に火は入れられていない。屋内なのに分厚い飛行用の外套を脱ぐと寒さを感じたが、線の細い家族らは薄着でも平気な様子だ。


 「まずはファミアを嫁に出すにあたり、数々の心尽くしを頂いたお礼を述べなければいけません。ご覧のとおり貧しい村ですが、おかげで皆が冬を越せると感謝しています。」


 深々と頭を下げるアトスを前にナウザーは動揺しながらとんでもないと首を振った。結納金や品物を用意したのは自分ではないし、している事すら知らなかった。それに金を出したのは父親だ。だがお宅の妹を嫁に貰うつもりなどなかったとは口が裂けても言えない。返せと怒られても返せる状態にないのだ。とんでもないと言いながら、懐にしまった金袋に触れる。貧困の村だ、背に腹は代えられまいと土産代わりに金銭を用意したが、失礼にあたると出すのをやめた。金は腐らないが、ここで渡してもこの雪では街へ買い出しに行けるわけでもない。雪解けを待つより何か品物を送りなおす方がいいだろうと、慣れない気遣いに頭を悩ませる。最初からファミアに相談するべきだった。


 「竜守りという特殊な環境へ嫁に出すのにも躊躇されたでしょう。だというのに挨拶が遅れて本当に申し訳なく思っています。」

 「いいえ、このように挨拶を受けるとは思っていませんでした。見ての通りの生活です。一度村を出れば生死も分からなくなってしまう。生き別れを覚悟していました。だというのにあなたは妹を連れてきてくれ、感謝の言葉もありません。」


 頭を下げ合う二人に、木椀に入った水が出される。客人に対して無礼だろうと声を上げる輩もいるだろうが、これがこの村の精一杯なのだと悟り有難くいただいた。水を出してくれたファミアの義姉は、会話の邪魔にならないようにと二人の子供を連れて外に出てしまう。外套も羽織らずにと心配するナウザーだったが、扉が閉じられるなり元気な子供の声が届いたので気にしないことにした。


 「実は正直に申しますと、彼女が生まれ育った村を見てみたいと思い至っての訪問なのです。それに気になることも―――」

 「気になること―――妹が何か仕出かしましたか?」

 

 シグ婆のいっていた宝も気になるが、一番気になるのはファミアの事だ。そのファミアが何か仕出かし離縁されるのではと案じる義兄にナウザーは首を振った。


 「いいえ、彼女は私には勿体ないほどできた妻です。手放すなど考えられない。ただ―――」


 流石に綺麗すぎる男を前にしているせいでいつもの調子が出ない。美人に弱いのは男としてあるだろうが、綺麗な男に弱いとは何事だろう。言い淀んだナウザーにアトスの表情が曇る。


 「生娘と思っていましたが、まさか違いましたか?」


 不安そうに瞳を揺らすアトスを前にナウザーは慌てて否定した。これは初夜に夫に逃げられたファミアの信用にもかかわる事態だ。


 「そうではなく、ただ何故あのようにできた娘が男に逃げられたのだろうかと、それが不思議で。」


 別にそれを聞きたいがためにわざわざこんな場所までやって来たわけではないが、ずっと疑問に感じていたのも確かだ。だがファミアの家族を見て分かった。ファミアだけが特別なのではない。きっとその未亡人とやらも素晴らしい女性だったのではないかと、ナウザーは自分で思う以上に混乱していた。だが前に座る義兄は顔色を悪くして項垂れる。


 「あれは―――そうですね。夫であるあなたは気になるでしょう。」

 「彼女も心の内では納得できていないのではないでしょうか。」


 マデリーンの出現によって感情を曝け出した記憶は新しい。ナウザーの問いにアトスは深い溜息を吐くと沈痛そうに顔を歪めた。


 「妹の前夫はグルニスといいます。お聞きでしょうか?」


 頷くナウザーにアトスは話を続けた。


 「グルニスと妹は村でも評判の美男美女で、私にとっても自慢の妹であり、彼は仲の良い友人でした。」


 相手の男も美男なのか。それも村でも評判……そういえばシグ婆が手に入れられなくて悔しがっていたのを思い出す。いったいどれだけだと興味が沸いたがナウザーはあえて口を噤んだ。

  

 「相手の女は村の外からやってきた娘で、村の男と所帯を持ったのですが夫に早死にされ。この村で未亡人となった女が一人生きていくのはとても難しい。しかも村出身ではないので、私たちは彼女が村から去るのを願い救いの手を差し伸べなかった。」

 「だからグルニスを誑かしたと?」


 村の男を誑かし、慣れ親しんだ街に戻ったのだろうか。そう考えるナウザーを前にアトスはゆっくりと首を振った。


 「最初に手を出したのは村の男で……グルニスの父親です。彼女はそうやって生きる術を得て、村の男らはそれに気付きましたが見て見ぬふりを続けました。それからしばらくしてグルニスと妹が結婚することになり、グルニスの父親は息子が初夜で恥をかかないようにと。彼女に面倒を見させたのが失敗だったんです。」

 「ああ、成程な。」


 察しの良いナウザーは肩を竦める義兄を前に頭をかいて扉へと視線を移した。妻がいる場所では話してくれなかっただろう。出て行ってくれていて好都合だったと村の事情を知る。


 この村では娘が初潮を迎えると同時に結婚させる習わしだ。娘らが純潔のまま夫に嫁ぐとなると、必然的に男らも婚姻前に女を知らぬまま初夜を迎えることとなる。そこで息子を案じて生活の援助をする女に相手をさせたのが事の発端だ。村の出身でない女は夫を亡くしてからも村に馴染めずにいたに違いない。馴染んでいたなら村人は手を貸してくれたはずだ。こんな辺鄙な村に嫁ぐ位だから夫を愛していただろうに、食べる糧を得る代わりに体を強要され、その息子の面倒まで見させられては恨みも募るだろう。純朴な青年は女の企みに見事引っかかったという訳か。


 「グルニスに逃げられてから妹は辛い思いばかりしてきました。居場所を得るために男以上に働き、与えられた食事も妻に遠慮して子供たちに分け与えて。必死で笑顔を作る妹が哀れで、なのに最後には娘の為に娼婦になるとまで言い出して。父としても兄としても情けない話です。」


 綺麗な形をしてはいても家を守る男としての立場も誇りもあるだろう。それが全うできないとなり葛藤があったに違いない。生まれのおかげでナウザーは貧困も飢えも知らないが、この村では死が隣り合わせの生活なのだ。

 肩を震わせていたアトスの瞳からぽろぽろと涙が零れ、それが一瞬ファミアと重なりナウザーは手を出しそうになった自分自身にぎょっとした。

 

 「竜守りの妻になると知って今度は孤独に耐え続けるのかと、妹に強いる未来に私は自分を責めましたが、結局は頼るほかなく。だから相手があなたのような方でほっとして―――妹をよろしくお願いします。」


 深々と頭を下げる義兄に応えるようにナウザーも頭を下げる。ファミアに知られるのは憚られる内容なのでここだけの秘密にする約束をした。


 「ところで義兄上、行商のシグ婆について聞きたいことがあるのですが。」

 「行商の婆ですか?」


 薄い空色の瞳がじっとナウザーを見つめる。やり難いと、ナウザーはファミアと同じ瞳を持つ綺麗な男を前にすっかり負けてしまっていた。







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[一言] 村人どもがくそでクソで糞で屎な報いを主人公さん一人が背負うのは胸糞でありますな。村人ども特に元婚約者さんの親父はこの世の地獄をたっぷり味わうべきではあるまいか。 苦楚をね、味わうといい、クソ…
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