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竜守りの妻  作者: momo
本編
12/50



 居並ぶ人々に黒い影が落ちた。見上げると頭上に鈍い輝きを放つ巨大な竜が一匹、二匹三匹と旋回を繰り返している。唖然として見つめる輩を威嚇するかに、烏に似た、けれど地を這うように重く鋭い声が発せられた。


 『ギャァギャァギャァ』


 威嚇の叫びに男らが悲鳴を上げた。引き攣った悲鳴を上げたのはマデリーンに唯一同行した侍女らしき中年女性。怯える男らを代表し「お嬢様」と声を震わす。人に手を貸し国を守ってくれる竜だが、禁を犯した者らに優しくはない。低い位置を旋回した竜が縦長の瞳孔で睨みつけながら声をあげ続ける。口を開き赤黒い喉奥をさらして、喰ってしまうかとでもいうかにマデリーンすれすれを巨大な塊が通り抜けた。悲鳴を上げたマデリーンは後ろに倒れ込み尻餅をつく。助けを求める視線はナウザーに固定され、ファミアは不快に唇を噛んだ。


 「早く森を出ろ。これ以上禁を犯せばお前のせいでこの国は竜を失う羽目になる。」


 それがどれ程の大事か分からないマデリーンでもなかった。高い金を払い荷物持ちとして連れてきた男らは怯えきって既に足が森の外に向いており、マデリーンに取り残された先の恐怖を抱かせた。


 「ナウザー、わたくしは貴方を愛しているのよ!」


 どうして助けてくれないのとか弱い女を演出するマデリーンに、ナウザーは頑なに手を差し出さない。ファミアを前にしているからではなく、これが竜守りとしての定めでもあるからだ。関係のない人間を森に留めおくことは許されないし、妻を愚弄されては気分を害している竜に許しを請う気も起きなかった。ナウザーの役目は一刻も早く侵入者を排除すること。その為なら彼らの命を取っても構わないというのが森の掟だ。


 「申し訳ないが、俺は今も過去にもお前を愛した記憶はない。」


 突き付けられた現実にマデリーンの瞳から芝居ではない涙が零れ落ちる。泣いて縋れば受け入れられると確信していた。それがどうしたことか、みすぼらしい女を妻になど迎えてしまったせいでこの様だ。竜の背に乗り出陣する竜騎士の姿は婚約者として誇らしさを持ったのに何たることだろう。

 地面に尻餅をついた状態でファミアを見上げると、悲しみよりも悔しさが込み上げてくる。どうしてこんな女に居場所を取られてしまったのか。ナウザーに相応しいのは自分の方なのにと、マデリーンは自分勝手な解釈でファミアを呪った。だがその呪いを弾き飛ばすかに竜の威嚇する雄叫びが轟き、命の危険に飛び上がったマデリーンは、憎しみを込めた目でファミアとナウザーの両方をきつく睨みつける。


 「いずれ解るわ、こんな女に竜騎士の子を産めるわけがない!」


 捨て台詞を吐いたマデリーンは雄たけびを上げ続ける竜に追われるようにして輿に飛び乗り、男らに担がれこの場を後にした。姿が見えなくなっても竜たちは侵入者への威嚇を続ける。離れた木陰ではパウズが唸り声をあげており、マデリーンたちの姿が見えなくなると羽をばたつかせながらこちらへと近寄ってきた。が、途中でくるりと方向転換して引き返してしまった。どうやらファミアの怒った顔に驚いて逃げたようだ。醜悪に顔を歪めているわけではないが、表情を変えずにぐっと奥歯をかみしめている。関わってとばっちりを受けると悟り退散したようだが、ファミアが抱く怒りはパウズへ向けたものではない。


 人と竜が去り静かになったその場にしばらく立ち尽くしていたファミアだったが、じっと森を見つめた後は無言で小屋の中へと入って行く。

 ナウザーは情けない顔でファミアの後を追った。婚約者であった女が十年たった今、こうして厄介事を運んでくるなんて想像していなかったのだ。いや、予測はできたはずだ、ソウドに教えられていたから。けれどファミアに詳しく説明する労を怠ったのは失敗だった。上手くいっている生活に水を差したくなかったのが理由だが、黙っていたことによってファミアを傷つけてしまい失敗だったとナウザーは項垂れる。


 「悪かったな、騒ぎ立てて。さっきの女だが―――」

 「元・婚約者の方でマデリーンさんですね。彼女はお腹に子供がいるんですか?」

 「俺の子じゃないぞ!」

 「わかりますよ、そのくらい。既成事実を作って子供ができたから責任を取れとでも言いたかったんでしょうけど、残念でしたね。ここまで来たのに追い返されて。でも正直ほっとしています。」


 察したファミアの口から紡がれる言葉にどういう訳か、ナウザーは悪いことなどしていないのに肩身の狭い感覚を覚える。信じてくれたのは嬉しい、自分が妻だと公言してくれたことも。けれどどことなく棘のある物言いはナウザーの知らない新たな妻の一面だった。


 「不快にさせて悪かったな。竜たちにも謝らないと―――」


 ハウルには嫌味を言われるんだろうなと思いながら、ナウザーは逃げ出したパウズの後ろ姿を思い出す。


 「わたしがいなければ―――」

 「ん、何だ?」


 ファミアの声が聞きとれなくてナウザーが問い返す。が、ファミアは何でもないと小さな笑顔を作って首を振った。だが瞳は少しも笑っておらず、傷つけたと悟ったナウザーはファミアの小さな背中を後ろから抱き寄せる。


 「俺の妻はお前だからな。」

 「あなたはわたしの夫です。」


 回された一つきりの腕に両腕を絡める。何もわからない少女の頃とは違う。初夜で夫に逃げられた十四の頃は終始蚊帳の外だった気がするが、今のファミアは誰が何と言おうが竜守りの、ナウザーの妻なのだ。竜はファミアを威嚇したりしないし、パウズは無邪気になついてくれる。与えられた特別感がファミアに自信を持たせていた。たとえナウザーがマデリーンを選んだとしても、何も知らないままでは終わりはしない。

 

 マデリーンが戻ってくる可能性もあるし、こんなことが起きてファミアを一人にしたくはなかったが、竜守りの役目を担うナウザーは事の説明と謝罪を兼ね竜たちを訪問する義務があった。これで竜たちが臍を曲げでもすればとても厄介な事態に陥る。そうならないよう取り繕うのも竜守りの役目だ。


 心配するナウザーに森へと誘われたがファミアは家事を理由に首を振った。本当の理由はマデリーンが戻ってきて無人の小屋に土足で入り込まれるのが何よりも怖かったからだ。二人の生活する空間にナウザーを見捨て、陥れようと目論むような女を入れたくなかった。十年振りに会って相手が誰かもわからなかったくせにと、ナウザーに対する独占欲とマデリーンに対する強い怒りがファミアに渦巻いていた。


 妻を愛しているといってくれたナウザーの言葉に勇気付けられる。グルニスに恋した頃のような淡い想いなどなかったが、ナウザーの言葉にそんな物とっくに通り越してしまっていたのだと気付いた。


 「わたしは竜も認めてくれた竜守りの妻よ。」


 気付いたからこそ声に出してみる。みすぼらしいと蔑まれた我が身を抱きしめた。ナウザーはこんな自分を愛してくれているのだ。けれどグルニスはどうだったろう、優しく穏やかでとても綺麗な人だった。けして人を傷つけるような人ではなかったのに、どうしてファミアを置き去りにあのひとと逃げてしまったのか。未亡人の彼女とマデリーンの姿が重なり合い、不安に震える我が身をファミアは叱咤した。ナウザーとグルニスは全く別の人なのだと言い聞かせる。 


 不安定な心を隠して夫の帰りを待った。荷物を片付け、部屋を清潔に保ち明るく温め、美味しく香りのよい食事を作る。食事のあとは風呂で夫の髪と背中を洗い流し、夫が湯から上がるまでに夕食の後片付けを終わらせてしまう。昼間の約束もあるし、何よりも夫に触れたいとファミア自身が望んでいたので何時もより段取りよく手早い。湯上りの気配に木皿を拭きながら振り返ったファミアは、濡れた髪を拭うナウザーの姿に唖然とし大きく目を見開いた。


 「気が向いたんで剃ってみたんだが、誰だとは問うてくれるなよ。」


 照れて目を細めるナウザーの顔からは、全体を真黒に覆い尽くしていた髭が綺麗さっぱりなくなっていた。かわりに現れたのは端正な顔立ちの青年だ。目鼻立ちは整い唇の形もよく、がさつな雰囲気が一気に無くなり、口を閉じていれば品の良ささえ窺えた。だからとて弱々しさはなく、自信あふれる好青年といった感じの姿は女性にもてるだろうと容易く想像できる。


 妻の言葉を待つ夫を前に、ファミアは『何故』と声なく呟き、手にしていた木皿を床に落とす。ここでようやくナウザーはファミアの異変に気付いた。


 「まさか俺だって分からない訳じゃないよな?」


 探りを入れるナウザーをファミアは瞳を震わせながら強く睨んだ。


 「どうして……どうして髭を?」

 「いや、まぁ。あった方が好きか?」


 三十を過ぎた男が本当の理由を言えるか。髭好きとは知らなかったとわざとらしく会話をつなげるナウザーに、ファミアは勢いよく首を横に振った。


 「面倒だから剃らないのだと思ってた。ソウドさんに言われても面倒そうにしていたから、それがあなたなのだと思っていたのにっ……」


 感情を露わにしたせいで、空色の瞳からぼろりと大粒の涙が零れ落ちる。


 「マデリーンさんなんておっぱいが大きいだけじゃない!」

 「はぁ?!」


 叫ぶなり飛び出そうとしたファミアをナウザーは瞬時に捕まえた。


 「好きとか愛してるとか、男の人はどうして簡単にっ。もしかして同時に何人も愛せるの? そうね、お金持ちの人って愛人とか、沢山女の人を侍らせるって聞いたことがあるわ!」

 「ちょっ、ちょっと落ち着け。」

 「嫌っ、離してよ!」


 癇癪を起して暴れるファミアをナウザーは難なく腕に抱え込む。すると力では敵わないファミアはナウザーの胸を力任せに叩き、最後には額を寄せてわんわんと声をあげて泣き出してしまった。そんなファミアを抱きしめながらナウザーは、拗らせてしまってるんだなぁと溜息を堪え天を仰いだ。


 ファミアもナウザーの髭が今朝までに剃られていたならこんな風には思わなかっただろう。けれどファミアは綺麗に髭を剃り、素顔をさらしたナウザーの行動がマデリーンによって引き出されたものだと思い込んでいた。マデリーンは髭だらけのナウザーを彼と気付かず下男と思い込んだのだ。それに感化されての行動だと、それなら熊の様に恐ろしい外見をさらされ続ける自分はどうなのだと感じ、グルニスを奪われた過去も重なって怒りを目の前のナウザー一人にぶつけてしまう。

 グルニスを奪われたときは義父が激怒し義母は悲嘆に暮れ泣き叫んだ。両親と兄は何事もなかったかのようにファミアを迎え入れ、裏ではグルニスの不貞を愚痴り続ける。そんな中でファミアは自分の感情を吐露する場面がまるでなかったのだ。泣く前に泣かれ、怒る前に怒られ愚痴られる。最も知りたかった何故グルニスは彼女と逃げたのかという理由は誰一人として答えをくれなかった。ただ可哀想にと憐れんでくれるだけ。そして村に一人だけだった村外出身の胸の大きな未亡人はマデリーンと重なりファミアの得た幸せを奪っていく。


 「胸なんてのはどうでもいいんだがな。」


 ファミアは痩せて棒のようだがちゃんと胸はある。ただマデリーンと比べると極端に小さく見えるが、別にそれが何だというのか。ナウザーもこれまでに付き合った女性のほとんどが大きな胸をしていたが、ナウザーの住む世界では小さな胸を持った成人女性の方が少ないのでしょうがない。そう、シグ婆のいう通りファミア達は特別なのだ。けれどファミアにとってはマデリーンのような女性の方が特別で。きっと嫌な思いをしたのだろうと、それが元夫につながるのだろうとナウザーは想像した。


 「俺はお前の方が好きだぞ。お前がいい。」

 「うっ、嘘です。」


 ナウザーの正直な気持ちを鼻をすすりながら否定する。


 「嘘なもんか。」

 「わたしなんて、結婚初夜に夫に逃げられた花嫁なんて、村始まって以来の珍事だったんです。」

 「それが何だ。おかげで俺はお前を手に入れたんだ。元夫と未亡人には感謝してるよ。」


 しかも手付かずだ。恐らくそれもファミアにとっての劣等感なのだろうと思い口にはしなかったが、その未亡人とやらがどれ程魅力的な女だったとしてもナウザーには絶対にファミアを選ぶ自信があた。


 「本当にマデリーンが良ければそっちを選ぶ、竜の声を聴けるってのは結構我儘が通る立場なんだ。けどな、俺はお前にしつこく頼まれてもマデリーンなんか選ばねぇぞ。お前がいい。本当にお前を置いて出て行った男は馬鹿だよな。まぁ俺としては有難くてたまんねぇけど。悪いが、俺はお前を逃がさんぞ?」


 ナウザーは少し乱暴にファミアの後ろ髪を掴んで顔をあげさせた。薄い空色の瞳は不安と恐れを抱いている。それが自分を求めての色だと思うと顔のゆるみが止まらない。まさか嫉妬されるとは、惚れてもらえるとは思っていなかった。


 「じゃあどうして……」

 「何が?」

 「どうして、髭を?」


 無頓着が身を清めるにはそれなりの理由がある。ファミアに劣等感を抱かせた原因がこれにあるのだと思い出したナウザーだが、濡れた瞳で答えを求めるファミアを置き去りにできず、ナウザーは挙動不審に漆黒の瞳を左右へ動かした。


 「まぁ、これはだな。」

 

 答えを待つファミアに根負けしてナウザーは「がぁぁぁっ!」と声をあげた。


 「お前からのキスを直に感じたかっただけだ、文句あるかっ!」


 思わぬ怒声にきょとんとしたファミアだったが、やがて意味を理解し顔をくしゃりと歪めると、涙を流して再度ナウザーの胸に額を押し付けた。







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