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竜守りの妻  作者: momo
本編
11/50

波乱




 定期の物資配達が終わり、ファミアは閉じこもっていた寝室から顔をのぞかせた。今回の配達人はいつもやって来る若い竜騎士。最初以来ソウドは配達に加わらなくなったが、酒を片手に時々ふらっとやってくる。その時はファミアも隠れずソウドを出迎えた。彼の竜はソウドを下ろすとすぐに森へ消えてしまうし、見送りは風邪をひかせてしまうからという理由でナウザー一人だ。春になったらどんな理由にするのか不安なところでもある。


 寝室から顔をのぞかせたファミアだったが、ぬっと現れた大きな影によって元居た場所へ押し込められそうになった。ナウザーは時々こうやって日が高いうちから、時には朝っぱらから盛りがつくことがある。最初の頃は訳が分からずされるがままのファミアであったが、今この時間に寝台に沈められてはその後なにも出来なくなってしまうと学び、できるなら避けたかった。竜の血のおかげか回復は早いが、いたした直後は動けない。今は荷物の整理に加え主婦の仕事が沢山ある。優先すべきはそちらなのだ。


 「別に適当でいいだろ。」

 「いいえ、片付けが先です。ご飯の支度もお風呂の準備もありますし。」

 「一日くらい入らなくたって死にはしない。」

 

 問答しながらもすでに寝台はすぐそこ。相手が隻腕であっても巨体を前にファミアなど赤子同然だ。冬は陽が沈むのも早いので何とかしなければと、ファミアは寝台に押し倒されたところでナウザーの頬を両手で包み込み、髭だらけの頬にキスを落とした。

 いつも押すのはナウザーでファミアは受け入れるばかり。だからファミアの意外な行動に一瞬動きが止まる。


 「続きは夜にしましょう。ね?」

 「あ……ああ―――」

 

 にっこりと微笑んで首を傾けられて、妻の可愛らしさにナウザーは動きを完全に止めてしまった。その隙にファミアはナウザーの下からするりと抜け出し、さっさと寝室の扉まで突き進む。


 「それじゃあ、また夜に。」


 そう、こういう事は夜にするものだと、亡くなった母より植え付けられた常識を宣言して寝室を出る。そんな妻を唖然と見送ったナウザーは、そっと口づけられた頬に大きな手を当てた。掌にあるのは己の髭の感触。


 「おい、何だおい?」


 キスだ、ファミアから率先してキスをし夜に誘われた。なんて幸せなんだ。こんな幸せ二度とないかもしれないというのに―――


 「なんで髭なんて伸ばしてんだよっ!」


 自分で自分に悪態をついた。


 伸ばし続けた剛毛、顔全体を覆う真っ黒い髭。そんなものがあるせいで初めての頬へのキスを肌に直接感じることができず、ナウザーは己の不甲斐なさに嘆いて寝台に巨体を沈めてしまう。こんなことが待っていると分かっていたなら、さっさと髭など剃ってしまえばよかったと。変な意地を張らずソウドに言われたときに素直にそり落としておけば、きっと今頃あの柔らかい唇を自らの頬で感じていたに違いないというのに何たる不覚。体は何度も重ねたが、ファミアからの意思を持った接触はこれが初めてである。


 「なのに……なのに俺はなんて大馬鹿なんだっ!」


 今夜絶対に髭を剃る!

 と、ナウザーは硬く拳を握って決断を下した。


  

 一方ファミアはナウザーがそんな馬鹿げた一人問答に興じているなど露知らず、配達された食料や品物を手際よく整理していた。この時いつもナウザーは手伝わない。片付けや掃除やらを手伝ってもらうときまって余計に手がかかるのだ。ファミアはナウザーの失敗にけして文句は言わないが、手伝う度にファミアの仕事が増えるのを見てナウザーは手を出すのをやめた。


 ナウザーから逃れ片づけを始めたファミアだったが、ふいに視線を走らせた窓の外に人影を認める。一瞬竜騎士と勘違いしたが違った。平民とみられる男たちが数人、沢山の荷物を抱えてやってくる。竜騎士の配達でないとしたら婆だろうかと考えた所で、男が二人がかりで抱える輿に乗った貴婦人が目に入り、花につられる蝶の様にファミアは小屋を出てしまう。初めて目にする煌びやかな女性の姿に惹きつけられ、ナウザーに知らせる義務すら忘れ去ってしまっていた。


 輿から降りた女性は周囲を見渡しファミアに気付くと驚いたように茶色の瞳を見開いた。茶色の髪を綺麗に結い上げ濃い化粧をしている。黒い明らかに高価な外套と下には深紅のドレスをまとう貴婦人はすらりと背が高くて、なのに胸はとても大きく魅力的だ。ファミアは大きな胸を持つ貴婦人と、元夫と共にいなくなった未亡人を重ねた。村の外からやって来たからなのか、彼女もとても胸が大きかった。外から嫁いだのに夫に先立たれ、疎外感を味わっていただろう彼女は、ファミアの夫と手を取り村を去ったのだ。


 「いつから下女を雇ってよくなったの?」


 貴婦人がファミアの方に歩み寄りながら棘のある物言いで目を細める。明らかに値踏みする目でファミアの頭から体を眺めまわし、不快とでもいうかに顔を顰めた。


 「ナウザーは何処? おまえ、マデリーンが来たとナウザーを呼んできてちょうだい。」


 告げられた名にファミアははっとする。ソウドが来た時にナウザーと二人でこっそり会話している際に漏れ聞こえた女性の名だ。どういう関係だろう、姉妹がいるとは聞いていないので妹や姉でもない。兄弟の嫁、それとも―――ファミアが棒立ちのまま動けずにいると、マデリーンと名乗った貴婦人はドレスの中で癇癪でも起こすかに足を踏み鳴らした。


 「何をぼおっとしているの。婚約者のマデリーンが来たとナウザーに伝えなさい!」


 マデリーンの言葉にファミアは頭を殴られたような衝撃を受ける。婚約者とはいったいなんだと、結婚しているのは自分だと突然の出来事に反応できない。混乱するファミアの後ろで人の気配がし、振り返るとナウザーがのそりと姿を現した。マデリーンのきつく釣り上げられた視線がナウザーに向かい、咄嗟に隠したいという思いが湧き上がったが、ファミアの小さな体では熊のように大きなナウザーを背後に隠しきれるものではなかった。


 「驚いた、下男までいるのね。決まりを変えるなら十年前にやっておいて欲しかったわ。ほらおまえ、さっさとナウザーを呼んできなさい。」


 『えっ?』と思いファミアがもう一度振り返ると、ナウザーは太い指を口元へと持って行った。何も言うなという事だ。ファミアが黙って動かないでいると目の前の貴婦人はいう事を聞かない女に怒りを増幅させ、荷物持ちでついてきた男らは周囲の様子を窺いながらびくびくしている。


 「なんなのこの女、耳と口が使い物にならないのかしら。いいわ、おまえがナウザーを呼んできてちょうだい。」


 動かないファミアに痺れを切らし、マデリーンはファミアの後ろにいる大男に向かって顎で指示を出す。そこでようやくナウザーが左袖を揺らしながらファミアの前に出た。


 「森への侵入を許した覚えはないが?」

 「わたくしは竜守りの婚約者です。許しなど必要ないわ。いいからナウザーを呼びなさい!」

 

 どうやらナウザーの髭面にばかり目が行っているようで、マデリーンは揺れる左袖に気付かない。その様子を眺めながらファミアは胸をざわつかせる。彼女が十年前、森を前にしてナウザーを見捨てた婚約者なのだと分かったからだ。


 「なぁマデリーン、俺はそんなに様変わりしたか?」

 「なにを―――」


 ナウザーの言葉を受け、汚いもの見るように細められたマデリーンの瞳がみるみる見開かれた。


 「嘘っ、おまえ……貴方ナウザーなの?!」


 ナウザーの揺れる左袖と顔をマデリーンの茶色い瞳が何度も往復した。幾度も確認し、信じられないという驚きで唖然としていたが、やがてその瞳が普通の大きさに戻ると眉を寄せ、茶色の目に薄っすらと涙の幕が張る。


 「会いたかったわナウザー、ずっとあなたが恋しくて胸を痛めていたの。愚かなわたくしを許してくれるわよね?」


 いうなり両腕を広げナウザーめがけて飛び込んだ。必然的にナウザーは飛び込んできたマデリーンを受け止める羽目になるが、欲情をそそる豊満な肉体を押し付けられても漆黒の瞳は冷静だ。


 「許すも何も、俺はお前を恨んでなんかいない。あの時のお前の判断は正しいよ。」


 嘘でも嫌味でもなく本心からそう思っている。ナウザーは婚約者であるマデリーンに誠実ではなかったし、マデリーンの方もそうだ。心でつながる努力もしなかったし、互いが家の取り決めと割り切った関係だった。ただナウザーには将来妻に迎える相手だという認識しかなく、マデリーンの方も竜騎士の妻という地位を愛したに過ぎない。


 「いいえ、あの時のわたくしは正常な判断が下せなかったの。だってそうでしょ、腕を失った貴方をどう支えて行けばいいのか分からなくて。でも離れてようやく気付いたの。あなたを愛しているわ、あなた無しでは生きていけないと。」

 「マデリーン……」


 首を振りながらナウザーは片腕で抱き付くマデリーンを引き離した。


 「俺は結婚したんだ、おまえではなく妻を愛している。ソウドから聞いているぞ、お前も自分らの将来をちゃんと考えろ。」


 引き離されても執拗に腕を伸ばすマデリーンだったが、ナウザーの言葉にぐっと奥歯をかみしめる。先日ソウドがここを訪れたのにはマデリーンの近況を知らせるおせっかいも含まれていた。


 マデリーンは生まれた時より竜騎士の妻となるべく教育された。竜騎士という存在は時に政治の世界においても力を発揮する。その後ろ盾を得るためうまい具合にナウザーの婚約者としての立場をもぎ取ったのだ。生まれながらに竜騎士という希少価値のある夫を得るようにと躾けられたマデリーンには、自らも夫は竜騎士でなければならないと、他の男では何の意味もないのだと思うようなっていた。だからナウザーが多くの恋人を持ってもまるで気にもしなかったのだ。愛も情もない、ただ夫となる男が竜騎士であるならそれでよかったし、父親の手腕で婚約した後も、ナウザーよりも腕がたち、国王の目に適った竜騎士を得ようと率先して動いた。隣国との戦で腕を失って戻って来た時には心配よりも怒りの方が強かった。何故自ら栄誉を放棄するようなことをしでかしたのかと。竜は代えがいるが、竜騎士は年々数を少なくしているのだ。竜よりも竜騎士の方が貴重な存在となっている今、一頭の竜など死んでしまっても仕方がなかったはずなのに。馬鹿な決断をした婚約者に腹を立て失望し、けれど当時十八と結婚適齢期であったマデリーンには新たな婚約者りゅうきしを探す時間もなく。竜騎士を引退しはしたが竜守りとしての役職を得たナウザーに妥協して結婚を決意したのだが。たどり着いた場所はとても生きていけるような世界ではなく、当時のマデリーンはあっさりナウザーを見捨てた。この時はまだ竜騎士の妻になれると信じて疑わなかったのだ。


 だが蓋を開けてみればマデリーンの思惑は全て外れた。父親も躍起になってマデリーンの結婚相手を探したが、竜騎士の中で応じてくれる存在はなく、それどころか結婚さえ危ぶまれる年齢になってきたのだ。焦ったマデリーンは次々と多くの男と関係し既成事実を作っていく。だが割り切った関係と捉えられ結婚までたどり着けず、やがて奔放すぎる娘に家名を傷つけられたと立腹した父親によってマデリーンは幽閉同然の生活を送るようになった。だがマデリーンはそこで大人しくあきらめるような娘ではなく、父親の目を盗み竜騎士を誘惑して回るが、竜騎士の方もナウザーを見捨てた娘の事はよく知っていたので相手にもされず、ついにこの年にまでなってしまった。嫁にも行けず肩身の狭い思いをしているマデリーンだったが、切羽詰まった状態で悪い男に引っかかってしまったらしい。どうしようもなくなったマデリーンが最後に頼るのはナウザーだと考え、何も知らぬまま引っかかってはと心配したソウドが一足先に話を持ってきてくれたのだが。ナウザーは既に妻を迎えていた。


 「妻だなんて、まさか。貴方ともあろう人が、そのみすぼらしい女を妻だなんていうのではないでしょうね?!」


 竜騎士であった男が迎えるような女じゃないと、哀れなものを見る目でマデリーンがナウザーを見上げる。


 「ナウザー、あなたは竜と心を通わす誉ある血を引く人よ。そんなあなたに相応しい相手を選ばなければ、竜たちにも顔向けできないのではなくて?」

 「俺はもう昔の俺じゃない、生まれや育ちで妻を選んだりはしないんだ。彼女は竜も認める俺の妻だ。マデリーン、おまえは彼女と違いここへ立ち入る資格すらない。」

 「お願いよナウザー、わたくしを見捨てないで!」


 追いすがるマデリーンの腕がナウザーを必死に捉えるが、そんな二人の間に入り込む小さな存在があった。


 「見捨てたのは自分のくせに勝手を言わないで下さい!」


 薄い空色の瞳が茶色の瞳を見上げる。強い威嚇を携えて。


 「妻はわたしです、わたしが竜守りの妻です。」

 

 ファミアが間に入ったことでマデリーンの手がナウザーから離れる。容姿はともかく見るからに卑しい身分の女に触れるのすら嫌だったのだろう。高貴な人とかお金持ちとか、お腹を空かせる心配のない立場に生まれた人たちを羨ましいと思ったことはあったが、初めて村を出てその立場にある人を前にし、こんな風になるのなら寒さに震え飢えた方がましだと、ファミアは心の底からそう思った。


 「腕がなくても彼は彼よ、あなたにはナウザーに縋る権利なんてない。ここにいる権利を得たのは妻であるわたしです。帰って下さい。いったい人を何だと思っているの。帰って下さい!」

 「おまえっ、どこの誰に口をきいているか分かっているの!」

 「十年も前に彼を見捨てた元婚約者のあなたです!」

 「このっ、無礼者っ!!」


 ファミアに向かって振り上げられた手をナウザーが止める。爪の長い、労働を知らない艶やかで小さな手。けれど今のナウザーはそんなものに何一つ魅力を見出せなかった。


 「やめないかマデリーン。俺は言っただろ、全部知っていると。たとえ妻を迎えていなかったとしても、俺はお前を受け入れられない。」

 「そんな筈はないわ。あなたは竜に自分の腕を与えてしまえるような優しい人だもの。ナウザー、貴方はわたくしを見捨てたりはしない。」


 暗示をかけるように瞳を潤ませ下から見つめる。美しくて魅力的な女性だ。だがナウザーは惹かれることなく首を横に振った。


 「俺ではなく、腹の子の父親にちゃんと責任を負わせろ。」


 ナウザーの言葉にマデリーンの表情が凍り付いた。 





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