対面しました
お読みいただき、またブックマークしていただきましてありがとうございます。
お目汚しではありますが、楽しんでいただければ幸いです。
※2015/5/7 改行を訂正しました。ご指摘ありがとうございました。
『薔薇の密約』は、貴族たちの通う学校に男爵家令嬢になった主人公が転入し、学園内で出会うイケメン達と恋愛をしていくというありがちな恋愛シミュレーションゲームだった。
私は誰か特定の好きなキャラクターがいたというわけではなく、単にデザイン担当のイラストレーターの絵が好きで購入した。
このゲームはゲームタイトルにあるとおり、攻略対象のキャラクターと主人公が薔薇園の中にあるガゼボで秘密の約束を交わす場面が必ず登場し話題をさらった。
前世を思い出す切欠になった場面もその中の一場面だった。
「スチルが好みだったのよねぇ…」
誰の耳にも届けるつもりなくこぼれた言葉は、その思いを違えず空気にとけた。
『薔薇の密約』で使用されたスチルは、繊細で細部まで書き込まれた背景も美しかったし、人物画も好きだった。
それが2次元から3次元になればそれは素晴らしい世界に感じられるかもしれないが、外見が好みであっても中身が伴わなければ意味はない。
それに、ゲームの中では描かれなかった現実との大きな違いが今まさに自分に降りかかってきていたら、現実って世知辛いわ。とため息の一つくらい吐きたくなっても仕方がないと思う。
ーーーーーイルヒナートが突きつけた婚約解消の宣言は瞬く間に学園に知れ渡った。
聖ラルース学園は、貴族の子弟が通う王立学園。10歳から14歳までを幼年学校、15歳から17歳までを高等学院で過ごし、高等学院入学と同時に社交界へデビューするのが一般的だ。
つまり、学園は単なる勉学の学び舎ではなく将来のための人脈作り、ひいては小規模な社交界といって過言ではないため、常に情報がやり取りされている。
イルヒナートが宣言を突きつけた翌日、登校するやいなやアルフレッド王子の取り巻きたちが現れ、「殿下に対し無礼過ぎる」とのことで嫌味と皮肉攻撃を受けた。
情報収集能力と、行動力に感心させていただいた。
ーーー授業中もあからさまな侮蔑の視線と嘲りの言葉をささやかれた。
悪口の語彙力に拍手を送りたくなった。
と、まぁこのような感じで半日を終えたところで応接室に呼び出され今に至るのだが、非常に厄介だと感じざるを得ない。
ゲームでは考えもしなかったのだが、王子様はやはり王子様だったというべきなのか、ーーいや、実質王子ではあるのだがーーなぜ自分が婚約破棄を突きつけられたのか理解できなくて理由を聞きたいといわれ、目の前にいらっしゃるのです。
リルシアさんと一緒に。
聖ラルース学園の応接室は、本館西側に位置する場所にいくつか併設されており、申請すれば誰もが利用できるようになっている。
内装も、さすがは王立学園と賞賛に値するもので、部屋の正面には重厚な両開きの扉、両脇には簡易の扉が設置され、すべての扉が黒檀の光沢を帯び、よく磨きこまれていることが伺える。室内は落ち着いた色味で統一され、天井に下がる魔法の灯りが室内を優しく照らしている。机とソファセットは木目の美しい黒檀の映えるもので、こちらも繊細な中に重厚さを感じさせ、室内の雰囲気をより一層引き立てていた。
両開きの扉から上座に置かれた3人がけのソファにアルフレッドとリルシアが並んですわり、その正面に並んで置かれた2脚の一人掛けのソファの片方にイルヒナートが腰掛けている。
アルフレッドは侍女を連れてきていないため、部屋付きの侍女がお茶を入れに行こうとしたところを、やんわりと断ってイルヒナート付きの侍女であるシエスタに頼んだ。
シエスタは、3人にお茶を入れるとすぐに下がり、両開きの扉の脇に控えてくれている。
シエスタが入れてくれたお茶に口をつける。
馥郁とした香りが素晴らしい紅茶は、現在イルヒナートがもっとも好んで口にしているものだった。
イルヒナートがひとしきり紅茶を楽しみ、カップをソーサーに戻すとアルフレッドはおもむろに口を開いた。
曰く、リルシアは側妃に迎えるのでイルヒナートが身を引く必要はなく、婚約の解消に応じる必要性を感じない。
そもそもリルシアは王子妃として迎えるには家格が足りないので、正妃をイルヒナートにと考えている。
8年前から決まっていた婚約を現状解消するとお互い醜聞になりかねないので、公爵家の令嬢として相応しい対応、婚約破棄の宣言の撤回を求める。
イルヒナートに求めたかったのは学園内でリルシアへの苛めを止めることのみ。
この要求の中で、アルフレッドの対応に不服があって婚約破棄を希望しているのか。そうであるなら理由を教えてほしい、とのことだった。
イルヒナートは、眩暈がした。
アスティリカ王国の貴族は一夫多妻制の権利を有している。
それは王族が例外のはずもなく、ゲームの世界では婚約破棄される予定だった悪役令嬢も、主人公のリルシアもどちらも妃に迎えることが可能。
だから、婚約者のほかに好きな女性が出来たので婚約を破棄するという考え自体が存在しないだろうとは思っていた。だってどちらも召抱えればいいのだから。
しかし、前世を思い出してしまったイルヒナートにとってそんな制度を納得できるか、認められるかは別の問題だった。
それに、昨日の態度を鑑みれば、どう考えてもアルフレッドのイルヒナートに対する心象がいいはずはない。なのに婚約を解消しないという、その考えがイルヒナートには理解が出来なかった。
大体このような話をイルヒナートにするのはともかく、なぜリルシアを同伴させたのか。
先ほどから一言も発していないリルシアは、アルフレッドの横に腰掛け俯いてしまっていた。そんなリルシアの様子に気がついていないのか、アルフレッドはイルヒナートにしきりに理由を求めてくるのだが、彼の挙げた理由。それだけでも十分婚約解消の理由に出来ると思うのだが、そこには思考が至らないのだろうか。
貴族の政略結婚を思えば、アルフレッドの言い分も理解できなくはない。ただ、したくないだけでーーーーー悲痛な様子で俯くリルシアに視線を送る。
膝の上に組まれた白魚のような手が、色をなくすほどに強く握りこまれていてもイルヒナートにはどうしてあげることも出来ない。
同じ女性として、彼女の天国から地獄に突き落とされるような心境を慮ることしか出来ないから。
リルシアから視線を戻し、イルヒナートは毅然とした態度で切り出すことにした。
「大変申し訳ないのですが、殿下。…私、昨夜のうちに父である公爵に殿下との婚約破棄をお願いしたいと既に申し伝えましたの。ですから、ね」
ーーー既に約定の刻印も消えておりますし、お預かりしております王家の指輪も返却する準備に入っておりますの。
それに、父と兄から聞きました。8年前の婚約時の約定内に『双方の意志に相違が起これば、約定の破棄もやむなし』の一説があると。
アスティリカ王国の貴族の婚姻には、約定の刻印と指輪が用いられる。
それは婚約を交わす際、互いの家紋の入った指輪に婚約の約定を魔力で刻み、指輪を互いに交換することで互いの右手甲、中指の付け根部分に約定の刻印が浮かぶというもの。
婚約時に取り決めた約束事を両家が了承した証に、それを刻印として当人同士に刻むことで両家の結束や絆が深いものになることを現すという風習に基づいて行われている。
またこの刻印は婚姻への試練という側面も兼ね備えている。
刻印は魔力を使って刻まれるため、魔術的な要素も多く約定に反すると自然消滅してしまうこともある。よって結婚までこの刻印を維持できなければ婚約は白紙に戻されてしまうからだ。
イルヒナートは既にそれを失った。いや、失わせたというのが正しい。
そのため、アルフレッドがなんと言おうと婚約者という立場にイルヒナートが戻ることはない。
「馬鹿な! あれは約定を違えたからとすぐに消えるようなものではないはず。それに王家の刻印が消えるなど、不義の事実でもなければ起こりえないことなのだぞ?! 君が婚約破棄を申し出て半日足らずでこのようなことが起こるなど…」
「………とは申されましても事実なのです。ですから殿下、どうぞ私のことは捨て置いてください。今後、公爵家の息女としてお目にかかることはございますが、御傍に上がるような機会はないかと。」
刻印の喪失に、動揺し思わずソファから立ち上がり声を荒げる殿下。
殿下の思惑ではイルヒナートを説得し、なおかつこの場でリルシアとイルヒナートの和解を取り持ち、イルヒナートを殿下の取り巻き達からリルシアを護る防波堤にしたかったのだろう。
公爵令嬢であるイルヒナートにさえ婚約破棄を聞きつけた女生徒の悪口雑言はひどいものだったから、男爵令嬢であるリルシアの立場では言うまでもない。
殿下の思惑もはずれ、またその考えを耳にしたリルシアの衝撃は筆舌に尽くしがたいだろう。
と、思っていたのだが、殿下の隣で柔らかなソファに沈んでいたリルシアは、その整った顔に優美な笑みを浮かべていた。
「悲しまないでください、アルフレッド様。私がいますわ。イルヒナート様のことは残念ですが、アルフレッド様には協力してくださる方々もたくさんいらっしゃいます。それに、私のことならご心配には及びません。私だってアルフレッド様に頼ってばかりでは駄目ですもの。自分のことは自分で対処できるように努力します。アルフレッド様が私のことを大事にしてくださっているのはわかっていますから、私にもアルフレッド様を護らせてください。」
立ち上がりアルフレッドの手を取ったリルシアは、宥めるように両手で包み込みアルフレッドに身を寄せる。
アルフレッドの碧眼を真っ直ぐに覗き込み、まるで小さな子どもに言い含めるかのように優しくかつしっかりと言葉にする。
その言葉に、どこか強張った顔をしていたアルフレッドが、そうだな。と同意して苦笑を返せば、リルシアはふわりとした微笑を返して首肯した。
もうそこからは、開いた口がふさがらなかった。
少しの隙間も許せないというように密着し、睦言かというような甘い言葉の応酬を繰り広げたかと思うとイルヒナートがいることが不愉快とばかりに、おざなりに別れの挨拶を切り出して応接室から退室していった。
二人の後姿が消えた扉を唖然と見守るほかなかった。
「外堀埋めたけど、まさかこうくるとは思わなかったわぁ…」
二人の気配が消えると一気に疲れが押し寄せてきた気がする。
一人掛けのソファの背に身体を預けると、自覚した疲れからかソファに沈み込んでいくような錯覚を起こす。
ふうと長く息を吐き出すと、目の前にすっとティーカップが運ばれてきた。
「お嬢様、お疲れ様でございました。」
「ありがとう、シエスタ。これも偏に貴女が昨夜公爵家へ奔ってくれたおかげよ。」
「光栄にございます。ですが、この度のことはお嬢様の人徳と、旦那様、ひいては公爵家の皆様のお嬢様への愛情故でございます。」
「ええ。私はとても恵まれていて嬉しいわ。家族にも、友人にも。もちろん侍女にもね。」
「…心得ております。」
シエスタの入れてくれた紅茶を楽しみつつ言えば、シエスタは柔らかな微笑を浮かべ深く腰を折った。
お読みいただきありがとうございます。
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