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09 その冷えた指先を……①

 車から降りたときの俺の表情はどんなだっただろうか。


「じゃあね、白里くん。……また明日」


 そう言って黒宮は運転席へと戻っていった。

 俺はそれを頷くだけで返事にして、黒宮も同じように頷いてからアクセルを踏み込んだ。(そう言えば赤飼の車だったっけ。直接返しに行ったのだろうか)

 まぁ、そのときの俺には車の返却云々といった事情を考える余裕もなかったので、玄関に荷物を適当に放り投げてからベッドへダイブしただけだった。

 脳内はグルグルと回っていた。

 色々なことが思い起こされてしまう。


 たとえば、帰り際の黒宮の表情とか。

 いつも通り淡々としたふうではあったが、僅かばかり陰りがあったように思う。

 大切なものを失くした。その顔を俺は知っていた。

 だから、取り戻してやりたかった。

 俺は、そう思ったんだ。


 俺は思い出す。黒宮が車中で語った、その思い出話を。

 おそらくは、黒宮が俺のストーキングを始めるきっかけとなったであろう出来事を――。


――


 その時のことは、俺もちゃんと覚えている。

 俺が黒宮玲という同学年の生徒を初めて意識的に見たのがその日のことだったからだ。

 あの時の黒宮は、ストーカーでもなかったし、口を開けばパトスがどうのなんて言うような頭のおかしな女の子ではなくて、もっとちゃんと普通の女の子だった。 

 強いて特徴を挙げれば、おとなしくて控えめで、声も細くて儚げで、誰かと話しているのを見たことがないような、存在感の薄い女の子だったように思う。


 その日は必修科目の試験があった。

 俺と黒宮では専攻している科目が違うので必修科目以外では顔を見かけることすらなかった。

 だからこそ、話をしたことはなかったし、それほど関心もなかった。

 けれど、その日俺は彼女を見た。思わず見つけてしまったのだ。

 視界の端で転がったのは白い消しゴムだった。黒宮が机から落としてしまったらしい。

 手を伸ばしてもその距離は届かない。

 だが、その時は試験中。移動は禁止だ。カンニングの恐れがあるからな。

 だから物を落とした際は手を上げて試験官に拾ってもらわなければならないのだが……。


 黒宮は、手を挙げなかった。

 いや、挙げられなかったのだろう。

 見るからに彼女は(当時の印象としては)奥ゆかしく、引っ込み思案な人間だった。注目を受けるのが怖くて、手を挙げられないのだろう。

 俺ならもちろんどうということはないし、大抵の人間は気になんかしないだろうけど、彼女にはそれが敷居の高い行動だったらしい。

 見るからに動揺し、手を僅かに伸ばす。が、どう足掻いても床の消しゴムには届くわけがない。

 それに、思い切り伸ばせばやはり目立ってしまうからだろう、彼女は少ししか手を伸ばさなかった。

 もちろん消しゴムまでは絶望的に距離がある。

 諦めたように手を引っ込めると、黒宮は俯いてしまった。

 諦めてしまったらしい。


 そんな光景を目撃してしまっては、お節介を焼きたくなるのが人情というものだろう。

 生憎と試験官の教師は黒宮など気にも留めずに書類を捲っていた。時折目を上げて教室を見渡したりしているが、細かいところまでは目が行き届いていないに違いない。あるいはカンニングなどの不正さえ見破れれば、それだけで問題ない仕事なのかもしれない。

 ともあれ、俺は黒宮を助けようと思った。

 こういう時には何故か解決策がすらりと思いつく。テストの回答もこれくらいすぐに浮かべば良いんだが……。


 まず俺は自分の消しゴムを二つに千切った。ちなみにこれは失敗したとき用の予備である。

 そして、千切った片方に名前を書く。

 名前を書いた消しゴムは、黒宮の席がある斜め前くらいに放る。

 放った消しゴムは良い感じに目立つ場所へ落ちてくれた。

 続いて、俺が手を挙げるとしばらくして目を上げた教師が気づいて近づいてくる。


「どうした、白里?」

「すいません、消しゴムを落としました」

「……ああ、あれだな。……二つあるな。ん、黒宮? こっちはお前の名前書いてあるぞ?」


 教師は消しゴムを二つ拾って一つを俺へ、もう一つを黒宮の机に置いた。

 礼を言って、俺は一人ほくそ笑んだ。……計画通り。

 黒宮はこちらへ視線を向けてぺこりぺこりと頭を下げると、そのまま解答用紙に向き合っていた。


 俺が『黒宮』と名前の書いた消しゴムを、わざと落として先生に拾ってもらうという作戦は完璧に成功したというわけだ。


――


 そんなふうに当時の出来事を一通り語り終えると、運転席に座る黒宮は頬を赤らめていた。いや、赤くなる要素あったか?

 そんなに試験中に手を挙げられなかったことが恥ずかしいのだろうか。

 まぁ、今の黒宮からは確かに想像できないけれども。

 黒宮はウインカーを出してハンドルを切りながらぽそりと呟いた。


「あんなおまじない、未だに実行してる人がいるなんてね……」

「ん、おまじない? なんのことだ?」

「ううん、気にしないで良いから」


 黒宮はごまかすように話を終わらせる。なんだったんだ?

 しかし、確かにそれからだったか、黒宮と話をするようになったのは。

 それからは普通に知り合いとして話をしたりはあったが、特におかしくなったのはここ数週間といったところか。

 一体何が起こったのやら……。


 ――結局それが、先程までの車中での遣り取りだった。

 考えれば考えるほど黒宮の行動は不可解な点が多いのだが、まず第一のターニングポイントがあの消しゴムにあったことは間違いないだろう。

 それでも、これほどの豹変振りはありえないと思うが……。


 ともあれ、悶々と過ごしても仕方あるまい。

 アイツの大切な物を見つけられなかったのは気に掛かるが、今は考えてもしょうがない。

 もし代わりの物が手に入れられるのなら、また今回みたいに一緒に探してみても良いかもしれない。

 ……というか、大切な物が何なのか、もう少し探りを入れといたほうが良いかもしれないな。


 ……あれ? ていうか、アイツ「また明日」って言ってなかったか? 明日は大学の講義もないし、接点ないだろ。

 やっぱり相当動揺してたんだろうか。

 そんな少し無駄な思考を挟みながらも、俺はどうにか眠りに就くことに成功したのだった。

過去編その1。

出逢いのエピソードです。

ていうか大学の授業風景が想像つきません。大学通ったことないので……。

こんな高校みたいなテストってあるのかしらん?

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