06 潮騒にまぎれて……④
運転席についてシートベルトを装着。左右を確認し、歩行者や追い抜きなどの車がいないかを確認する。
キーを回し、エンジンを掛ける。車が息を吹き返し、早く出発しろとでも言いたげにエンジンが唸りを上げる。
急発進防止のためブレーキを踏み込みながらサイドブレーキを外し、右足をブレーキペダルからアクセルペダルへと踏み換えようとしながら、俺はいい加減にツッコむことにした。
「なんで俺の膝の上に腰掛けてるんすか、黒宮さん。しかもマウントポジションで」
「こうすればずっと貴方の顔を見ていられるでしょう?」
「見てなくていいんだよ! 恋人気取りかお前は!」
「……あら、恋人ならやっていいとでも言いたげね。白里くんって、結構バカップルの傾向があるのね」
「そういうつもりで言ったんじゃねえよ、チクショウ!」
……なんか無駄に疲れるな、コイツの相手すんの。
とにかく、黒宮を運転席から放り出し、助手席についたのを確認してから再びハンドルを手に取った。……んだが。
「オメエはなんで俺のズボンのチャックを下ろそうとしてるんだよ!!」
「なんでって……、興味津々だからに決まってるでしょう?」
「決まってねえわ! 絶対にありえねえだろ!」
「凝り固まった価値観は、退屈な発想しか生まないわ」
「発明家気取りかよ!」
「人生は発明の連続よ」
「名言っぽく言うな! 大体、お前の価値観のほうがよほど凝り固まってるだろうが! 一ミリもぶれないだろうが!」
「上手いこと言うわね。けど、それも詮ないことよ。恋は人を狂わせるものなのだから」
「お前の場合は、恋に狂うというよりは性欲に狂ってるだけだと思うけどな」
……とにかく、縋り付く黒宮を引っぺがし、シートベルトを着用させ(「あ、そんなにキツく締め付けないで……」とか吐息多めに呟いていたがシカトした)、俺は再び運転しようと正面を向いた。……瞬間。
「あ、……あふ……」
なんか妙に湿っぽい声がするが気の所為だろう。うん、きっとそうだ。
「はぁ……はぁ……、白里くん、ダメ……そんなに強く……ッ! ッあぁ……」
……もうツッコまなくて良いよね? いちいち相手しなくていいよね?
「ダメ、聴かれちゃう……。私の恥ずかしい声、白里くんに聞こえちゃうよぉ……」
聞こえないとでも思っているんでしょうか、この変態娘は。
「早く鎮めなきゃ、早く鎮めなきゃ……ッ。いけないのにぃ……ッ! 指、止まらないの……ッ!」
……違う意味でツッコみたくなるから、ホント勘弁して欲しい。クソ、遠巻きながら気づいてしまった……。そうだよ、この状況自体がアイツの望んでいた密室空間じゃねえかよ。
水着というゴールの前に、最大の問題が浮上してきやがった。遠足は帰るまでが遠足とは言うが……。
辿り着くまでが最大の問題点じゃねえか!
己の失態を、俺は悔やんだ。己の失敗を、俺は恨んだ。
だが、どうする? どうすればいい?
この悶々とした空気のまま海まで辿り着けるのか? 俺にはそれが果たせるのか?
「ねぇ、白里くん……」
ゾクリと、身体が震えた。耳がこしょばゆい。息を吹きかけるな!
クソ、心音が馬鹿みたいに早い。汗が額を濡らしてゆく。
波立つ衝動が身体の一部分を隆起させてゆく。
俺は。俺は……ッ!!
湧き上がる衝動を吐き出すかのように、俺は全力でアクセルを踏んだ。