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29 その温もりに包まれて……(エピローグ)③

 改まって話そうとすると、思考は逃げ道を探し出す。

 話さなくて良い理由を探すため、思考は巡り右往左往する。

 話すべきだと、ケリをつけるべきだと、頭では分かっているはずなのに、どこかでブレーキを踏みたがっている。

 何も話さずに何もかも伝えられるようなテレパシー染みた能力があれば良いのに、なんてふうに。

 そうやって何度か二の足を踏むようにもたもたと、腕を組んだり頬杖をつこうとしたり、手をこまねいて時間を稼ぐ。

 そんな自分に若干イラつきながら、それでもアクセルが踏めない。

 縋るものが欲しくて、視線を動かすが、拠り所なんてあるわけもない。

 一対一の状況で、味方なんていない。

 ここは一人で立ち向かうべきなんだ。


 そう思って逸らしていた視線を上げる。

 目に入るのは当然相手の顔だけだ。

 そろそろ見慣れてきた黒宮の顔が、心配そうにこちらを見つめている。

 ……味方はいない? よくも言えたな、そんなこと。

 誰よりも心強い味方が、目の前にいるというのに、俺というやつは。

 俺はテーブルの上で拳を握り込んだ。

 その手を、黒宮が包み込む。


 相も変わらず、言葉はない。

 言葉なんて、いらない。

 その温もりが、いつだって俺に勇気をくれる。

 ひとりじゃないんだって、教えてくれる。

 俺はそっと肺の中の空気を吐き出した。

 深く深く息を吐いて、もう一度息を吸い込んだ。

 深呼吸で脳に酸素を送る。

 それで驚くほど思考が巡るわけじゃないが、踏ん切りはついた。


「俺にはトラウマがふたつあった」


 そう、それはまた面倒な話だった。

 とはいえ、長い人生だ。

 思い出したくないことのひとつやふたつ、あったっておかしくはないだろう。

 面倒なやつだと笑われてもこればっかりは仕方がないと思う。

 俺はそのまま言葉を紡いだ。


「俺は宝物が作れなかった。昔、母さんを独占したくて母さんが大切にしていた婚約指輪をゴミ箱に捨てたんだ。その日から体調を崩した母さんを見て、俺は血の気が引いた。あまりにもバカで稚拙な愚行だったと今なら分かる。だけど、俺はいまだに母さんに、それを謝れていない」


 さすがに二回目だし、相手は当事者でもない。

 だから一気に吐き出して、再び大きく息を吸う。

 唇が震える。

 指先の感覚がない。

 頭が真っ白になる。

 思ったより、動揺しているらしい。

 そりゃそうか。そんな簡単に乗り越えられたらトラウマなんて呼ばないか。


 ぎゅっ、と。

 黒宮の握ってくれる手が強くなって、俺は少しだけ落ち着きを取り戻した。

 まだだ。

 まだ話すべきことがある。

 俺はもう一度正面を見据えた。

 黒宮が目で頷いていた。

 まるでだいじょうぶだと、励ましてくれているかのように。


「次のトラウマは、恋ができなくなった……ことだった」


 とはいえ、こっちは払拭された。

 俺はもう一度恋ができた。

 性欲まみれのおかしな女の子に恋をしてしまった。

 おかしいな、こんなはずじゃなかったのに。


「白鷺との関係性に気がついて、俺は恋ができなくなった。いや、恋をしてはならないと思ったんだろうな」


 この関係性の正しい呼び名は知らない。

 名字が違う両親に、親父にとってのもうひとりの娘。

 知らぬ間に出逢っていた姉と弟。

 半分だけの家族。

 そんな存在の呼称を、俺は正しく理解していない。


 恋をしてはならない。

 その責任を、俺には取れない。

 俺は恋を理解できない。

 俺は誰かを好きになれない。


 そんな俺の十字架は、いつのまにか消失していて、残されたのは存外に居心地の良い関係性だった。

 これを恋と呼んでも良いだろう。

 そう解釈していいはずだ。

 俺はそのために一歩を踏み出した。

 いや、これから踏み出すんだ。


 そこまで考えてようやく、胸に溜まった諸々の感情を飲み下した俺は、ようやく黒宮の眼を改めて見ることができた。


 黒曜石の瞳が、まっすぐに俺を射抜いている。

 細く形の良い唇をうっすらと細めて、黒宮は微笑んだ。

 可愛らしい、可憐な笑みだ。

 だというのに、こいつはいつもロクなことを言わない。

 今日だってそうだ。


「ねぇ白里くん、私はもうこれ以上自制は効かないわよ」


 舌舐めずりすんな。怖えよ。あと怖い。

それにしても両親の話は複雑すぎて、どうにも話すに話しづらいんだよな。


「そんなことでどうするの? 近いうちに挨拶に行くのに、そんなことじゃ困るわ。まいっちんぐ!」


まいっちんぐなんて口に出してるやつ初めて見たかもしれないな。

とはいえ、普通に考えてイレギュラーすぎるだろ、籍入れてないし、異母姉弟いるし。


「そんな環境でも逃げずに働いたから今の白里くんがいるんでしょう? だったら、感謝こそすれど、恨み言なんて筋違いじゃないかしら?」


そうは言っても子供としては複雑なんだよ。

今でこそ飲み込めてるけど、昔はよく分からなかったし、隠し事だってされてたわけだからな。それに当然ご近所さんや親戚だって知ってるわけだし、謂れのないことを言われたりだってするんだよ。


「まぁ、確かに白里くんには文句を言う権利はあるわね。それはもちろんあの女にだって。けれど、私個人の感情としてはあまり悪い気持ちではないのよね。だってそうして生まれて育ったからこそ、今の白里くんに逢えたのだから」


まぁ、そうかもな。普通に生まれて普通に暮らしてたら、もっと性格も変わってたかもしれないし、そうなったら黒宮とこうして付き合うなんてなかったかもしれない。

……って別に、親父に感謝してないわけじゃないんだよ。

家庭ふたつ分稼ぐなんて、尋常じゃないしさ。ましてそれでふたりとも大学にまで入れてくれて、感謝はしてるんだよ。

素直に凄いな、とも思うんだよ。

だけど、それだけじゃないっていうかさ。


「じゃあ、その辺りのゴタゴタはこれからの親戚づきあいの中で一緒に解決していきましょうね、白里くん。……あ、それとも」


振り返ると黒宮はこう言った。


「光路くん?」


……さすがにそれは勘弁してくれ。

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