27 その温もりに包まれて……(エピローグ)①
あれから一ヶ月経った。
あれからっていつのことかって?
みなまで言わすなよ。前回の話からに決まってるだろ。
とにかく、いろいろなことがあって、体感的には一年以上経ったような気もするが、実際には一ヶ月。
夏の日差しが和らいで、ほんの少しだけ秋の気配が漂っていた。
相も変わらず、俺のすぐ後ろには黒宮がいる。
振り返ると前髪と文庫本の隙間から俺の様子をうかがう視線と目が合った。
パチリと目をそらしてから、グルリと瞳が泳いで、気づくとピトリ。
俺の上着の裾を掴んでいた。
俺はひとつため息をついた。
一連の所作は、最初こそ読み取ることのできない奇行だったが、今は大体把握できている。
偶然目が合ってしまい、緊張したものの、戸惑いやら不安などの感情を嚥下して一歩。
大胆に行動を開始したということなのだろう。
彼女を理解できたという喜びと、そんな些細なことに喜んでもらえる嬉しさと、そんな大胆な行動がささやかなアクションだということも、全てが楽しい時間だ。
そして何より。
「これはなぞなぞなのだけれど。目が合うだけでびしょ濡れになっていまうものってなーんだ」
「答えたくない」
「ヒント。答えは私の下半身の一部のことよ」
「答えたくないって言ってんだろ」
黒宮は楽しそうにクスクスと笑う。
その顔だけなら可愛いのに。
どうしてこんなに頭がおかしくなってしまったのだろう。
どうしてこんなに面白い人間になっていまったのだろう。
「そういう話は、目的地に着いてからにしような」
「ええ、そうね。……久しぶりだものね」
そんなことを話しながら、俺たちはバス通りを抜けて、住宅地のド真ん中へ歩みを進めた。
昼はまだ残暑があるが、夕方になると急激に冷えてくる。
木々が赤く色づくほどの時期ではないが、まぁ数週間もするうちにこの辺りもすっかりと秋めいてくることだろう。
季節が変われば人間模様も移り変わるものだ。
あの黒宮にだって、それは起こりうる、はずだ。
そう、たとえば……。
「……そういえば、この前白鷺とテニスしたって聞いたんだけど、それってマジ?」
俺は疑い半分で訊いてみたんだが、黒宮は小さく首肯する。
「……よく知ってるわね。あのビッチを嬲った件について」
「嬲ったの?!」
「ええ、嬲り殺したわ。ぷにぷにの軟式ボールでね」
「それはただのイジメだと思う」
何やってんだ、こいつ。
楽しくテニスして仲直り、なんてあり得るわけがないとは思っていたけども。
いくらなんでも犬猿の仲すぎる。
「安心して手足や顔は狙わずに胴体だけを狙ったから、傷物にはしてないわ。夜のお仕事には支障が出るかもしれないけど、そこまでは知ったことじゃないし」
「陰湿すぎるだろ。あと、夜のお仕事とかしないだろ、あいつ。そうやってむやみやたらに噛み付くなって」
「でも……ッ!」
黒宮はそこから先を飲み込んだ。
いや、飲み込んだというよりは、趣旨を変えたというべきか。
「白里くん、いくらラノベ主人公ばりにニブチンの白里くんでも、分かってるんでしょう?」
それはまぁ、随分と核心をついた質問だった。
当時はともかく、今はもう誤魔化しもいらない。
結論を後回しにする必要もないし、恋人の手前、隠すようなものでもない。
「恋敵なんてさ、自分で言うのも憚られるくらい自意識過剰な発言だと思うんだよ」
「ねぇ、白里くん。自覚はあるの? あなたはあの腐れビッチを振ってわたしと付き合ったのよ?」
「いや、言い方よ……」
「白里くん……?」
思わず出かかった言葉を飲み込んだ。
分が悪いのはこっちかな。
「そうだよ、黒宮。俺はお前を選んだ。お前が好きだよ。……パトスが迸るくらいにな」
「ひぅ……!!!!」
相変わらず押しに弱い恋人だ。
そういうところも可愛いんだけどな。
顔を真っ赤に染めた黒宮と歩くこと数分。
沈黙したままでも、こいつとなら悪い気分じゃない。
いや、本当に感情一つで随分と感じ方も変わるもんだよな。
そうして、俺達は俺の家に着いた。
「着いたぞ、黒宮」
「ええ、そうね……」
顔を赤らめ、俯いたままの黒宮。
俺はそんな彼女を愛しく思いながら階段を登っていた。
けど、いい加減に気づくべきだった。
黒宮が俯くときは恥ずかしがっているときと、それともうひとつ。
持て余した何かを溢れさせないようにしている最中も、このようにして黙るのだ。
かくして扉は開かれた。
そこには、何をしても差し支えないような密室が、口を開けて待ち受けていたのだ。
「白里くん、文脈的に話す機会がなかったからここで語らせてもらうけれど」
唐突だな黒宮。あとがきSSも久々なんだけどな。
まぁ、丁度いい機会だ。
話したいことがあったら話してくれ。
「あのビッチとは一応の仲直りは果たしているのよ? そこだけは誤解しないでちょうだい」
ビッチ呼ばわりで仲直りとか言われても説得力はないが、必要以上に敵対はしないということか?
「あの淫乱女と仲良くなることだけは生涯ないけれど、白里くんと近づこうものなら手足を引き裂いて海に捨ててやるけれども、そうでないときは普通に接してあげることにしたの。その程度までは我慢できるわ」
むしろその程度しか我慢できないのが驚きだよ。
まぁ、これ以上はやぶ蛇だから触れないでおくけど。
ただ、一応言っておくと、俺と関わる以上、あいつは嫌でも関わることになるぞ?
あいつとは血縁的にも無関係じゃないんだからさ。
「……それはひょっとして、……け、けけ結婚とかも視野に入れての発言と取ってもいいのかしら」
……良いからほら、入れ入れ。
いつまで玄関で立ち止まってるんだよ。
「入るのはむしろあなたの方よ白里くん。さぁここに入るのよ! いや、挿れるのよ白里くん! 準備なら万端だから! ほら!!」
良いからほら、靴を脱げ。
スカートは下ろすな! バカかてめえは!!




