25 重なり合う二人……①
いつも通る大学通りも、今日は少しばかり賑わっているように見える。
学園祭ムードは、敷地内に入る前から前哨戦のようにじわりじわりと始まっている。
行き交う学生も多いようだし、その声もどこか浮ついているように思える。
そんなムードが伝播したのか、俺の足取りも少しばかり軽やかだ。
ようやく腹に決めた『決意』が、影響を与えている面も少しばかりはあるだろう。
時は丁度、学園祭一日目。
華やかな学園生活を始めるにあたって、これ以上ない日取りとも言える。
脳裏には黒宮の微笑を浮かべる姿が浮かぶ。
少し小柄な背格好で、だが表情は何処か不敵に凜としていて。
なのに、言うことは大抵最悪なのだ。
あの澄まし顔の変態に会いたい。
そんなふうに思える日が来るなんてな。人生面白いこともあるもんだ。
俺は意気揚々と門をくぐる。
俺たちが作った看板が早速目に入る。
俺は胸に湧いてくる感情を噛み締めるように拳を握り込んだ。
――いよいよだ。
俺の、新しい生活の始まりだ!
――
「いえ、違うの。これは違うのよ?」
慌ててルーズリーフに消しゴムを掛ける黒宮。
そのページには何というか、めくるめく薔薇色の世界が広がっていた。
「あまり詳しくないが、それでも多少は知ってるぞ。それはあれだな、BL――」
「誤解よ!」
黒宮は机に突っ伏して薔薇色の世界を隠す。
顔を羞恥に赤く染め、恥じらう姿は可愛くもあるが、やはり状況を考えると興醒めする。
この女、BLマンガを書いてやがった。しかもたぶんオカズは俺……。
「これはあなたが想像しているような下卑た産物ではないわ。気づいたら指が滑ったというか、導かれたというか、辿り着くところに行き着いたというか……。とにかく意図して作ったわけではないの。それは信じて頂戴」
それは毎度いつものように俺をオカズに妄想してフィーバーしていただけという、まぁこいつの平常運転ではあるのだが……。
いつもの妄想と比べると、リアクションが違うな? そんなにBLが恥ずかしいのか?
まぁ、確かに奇異な趣味ではあるかもしれないが、近くにはいなかっただけでそういう嗜好があることは知ってたし、あんまり気にならないんだよな。気にならない俺が特殊なだけかもしれないけど。
「別にBL趣味をとやかく言うつもりはないが、そんなに人目が気になったりするもんなのか?」
そんなふうに訊くと、黒宮は「当たり前でしょう!?」とすごい勢いで振り返った。
「他の人になら何を見られても良いけど、あなたにだけは別なのよ……」
黒宮は耳まで赤く染めて俯いてしまう。
これはこれで可愛いのだが、なんだか調子が崩されてしまう。
こういう黒宮は珍しくて、対応が分からない。
興味もあるし、もうちょっと掘り下げてみたい気もするんだが……。
「…………だって、なんだか浮気みたいじゃない……?」
思わず苦笑が浮かんでしまった。
まだ付き合ってもいないのに、そんなことが気になるのか。
というか、厳密に言うなら浮気された妄想とも言えるから、それで興奮できるなら相当特殊な性癖のような気がするな……。
俺は黒宮の座る席の隣に腰掛けて、ひとしきり笑った。
もうこのまま、話そうかな。
そしたら、このままハッピーエンドかな。
学園祭デートとか、楽しみすぎるな。
こいつがどんなふうに暴走するのか考えると、全然予想ができなくて思わずワクワクした。
とはいえ、すぐに本題に入るだけの勇気もない。
もう少しだけ場を暖めるだけの話題が欲しい。
視線を回して目に入ったのは消しゴム。
思えば、俺たちを繋いだのはこんなちっこい消しゴムからだったな。
俺はそんなふうに思って、消しゴムを手に取った。
「懐かしいな、消しゴムがなければ、黒宮とも出逢わなかったのかもな……」
少し感慨深い気持ちになる。
こんな小さなものが人と人の縁を繋ぐのかと思うと、少し不思議にも思える。
「そうね、まさかあんなおまじないを実践している人がいるだなんてね……」
黒宮は、健気にサンタを信じる子供に笑いかけるような笑みを浮かべた。
だが、俺には引っかかりを覚えてしまう。
「おまじない……? なんだそれ……?」
「な、何言ってるの?」と、黒宮は渇いた笑いをこぼした。
好きな人の名前を消しゴムに書いて、ケースを付けたまま誰にも見られないように使い切ると両思いになれる。
そんな小学生が好きそうなおまじないだ、と黒宮は説明する。
「へ、へぇ~~。そんなのあったのか……」
「……知らなかったの……?」
俺が何故だか知らないが愛想笑いを浮かべつつ頷くと、黒宮の顔が固まっていた。
困ったような微笑を貼り付けたまま、血の気が引いていくような……?
「――え……?」
絞り出すような疑問符。
俺には返す言葉もない。
「――え……?」
二人して同じような声を発し、和やかなムードが一瞬で何処かに消え去っていた。
「………………じゃあ、……私は、勘違い……だったの…………?」
震える喉で、渇いた瞳で、黒宮は何を呟いたんだ?
俺は何を言ったんだ?
これは一体、何なんだ――?!
ガタン!!
椅子を倒して、黒宮が立ち上がった。
一瞬見えた横顔には、目にはうっすらと涙を浮かべて。
そしてそのまま止める間もなく走り出す黒宮。
俺は呆気に取られて、立ち尽くすしかない。
何だ……?
何だってんだ……?!
「いよいよ最終回だそうよ」
ここはあまり雑談に切り返しにくいけど、一応訊いておくか。
お前のBL趣味について。
「あえてそこを聞くわけね……。知られてしまったからには白状するしかないわね。白里くんを性的に攻めるにあたって、どんなシチュエーションがいちばん興奮するか。……という永遠のテーマがあるわけだけど」
なんかもう聞きたくなくなってきたな。
「今更止められるとは思わないことね。……いちばん最初に想像したのは赤飼に攻められている白里くんだったわ。けれど、これは最悪だったわ……」
……そういうもんなのか?
「ええ、そうよ。だって嫉妬で狂いそうになってしまったんだもの。それ以来、私はあの男を敵だと認識しているわ」
BLのおかずにされた挙げ句、敵扱いとは……。あいつも浮かばれないな。
……いや、まぁどうでも良い奴なんだけどさ。
「けれど、もし私にナニがついていたなら、攻め方にも振り幅ができて、いろいろな白里くんを見られたのにと思うと、少しだけ残念に思うわ」
俺はそんなお前の思考回路を残念に思うよ。
「そういえば、ひとつ気になっていたことがあったのだけど」
……あんまり聞きたくないけど、訊かないわけにもいかないのかな。一応訊いておくぞ。どうした?
「『攻める』と『責める』という言葉の選択で、いつも頭を悩ませるのだけれど、やはり物理的な手段で相手を弄るときには『攻める』。言葉で相手を弄るときには『責める』というふうに使い分けるのがベターなのかしら」
心底どうでも良いし、使い分ける必要性を感じないな。
「いえ、とても気に掛かるわ。漢字ひとつでニュアンスは変わるし、受け取り方も変わってしまうわ。私の胸の裡を正しく言語化するうえでは非常に重要なことよ。そんな蔑ろにしていいことではないわ」
また変なスイッチが入ってしまったか……。
「変なスイッチ……? 性感帯ということ……?」
だからそういうのを小首を傾げて言わなくていいの!
「白里くんの変なスイッチは、耳にあるのよね?」
知らないな。
「じゃあ、試してみましょうか。……ふ~~~~~~」
おおぅッ?!
「ふふっ……、もっと変なスイッチをいっぱい見つけたいわ。ねぇ白里くん、ちょっとそこでじっとしていて。動かないで。良い子だから。ねぇ、ちょっと! ……そんなに逃げなくても良いじゃない。軽い冗談なのに。………………半分くらいは」