02 はじめての……②
「お邪魔します……」
そんなことを細い声で言ったかと思うと、黒宮はばたばたっと靴を脱ぎ捨てて部屋へ上がった。
「ハァ……ハァ……、白里くんのお部屋……。ああ……白里くんの匂いがする。……くんかくんか」
……家に入れなければ良かった。雨とか関係なく追い返せば良かった。なんなら傘を渡してでも追い返すべきだった。
どうしてくれよう、この変態は……。つーか、くんかくんかじゃねえよ。犬かよ。
「むむ、あれはベッドね。あそこで白里くんが寝たり弄ったり汗掻いたり弄ったりしてるのね……」
「そんな頻繁に弄ったりしてねーよ。俺は中学生か」
「私は大学生だけど、2日に一度はしないと気が狂いそうになるわ」
「知るかよ。つーかマジどうでも良いよ」
「もちろんオカズはあなたしかいないわ、安心して」
「どこにも安心できる要素がねえよ。むしろこえーよ」
そんな俺の声を話半分で聞き流し、黒宮は俺のベッドへダイブした。なんでこんな元気なの、こいつ?
「はぁはぁ……、スゴイ。あなたの匂いでいっぱいよ……。ねぇ、ここで私も弄っていい?」
そんなことを言いながら、黒宮はプリーツスカート越しに秘所に手をあてがっていた。
冗談か本気かは知らんが、やっぱりこいつ頭おかしいと思う。
「いいわけねーだろ。あと、とっとと降りろ。そこは俺のベッドだ」
「あら、ごめんなさい。そうよね、私がこんなことしたらあなたも我慢できなくなっちゃうものね。分かったわ。私は廊下からドア越しに聞き耳を立てて弄るから、あなたはベッドで存分に耽ってーー」
「しねえっつってんだろーが。いい加減シモの話から離れろ。それと俺の家での自慰は禁止だ。やったら追い出すからな」
「そんな……。この空間でそれを我慢しろっていうの!? そんなの拷問だわ! あなたの匂いでいっぱいなのに、弄ったらイケないなんて、酷すぎる……」
ちょっと迫真の演技で言うもんだから、一瞬言い過ぎちゃったかなとか考えたけど、よくよく考えれば俺、全然おかしなこと言ってないよな。懐柔されるところだった。危ねー危ねー。
「ねぇ、白里くん。お風呂借りてもいい? はしゃぎすぎて汗掻いちゃったし。上にも下にも」
「自業自得じゃねえか。それとさりげなく風呂で致そうとしてるんじゃあるまいな。大体、雨の中帰すにも忍びないから家に入れたのであって、泊まるのを了承したわけでもないんだぞ。雨が止んだら即刻帰ってもらうからな」
「そんな……。ぬか喜びさせておいてそんなの酷すぎるわ。神様、どうか雨を止ませないで……。私の下半身と同じようにいつまでも雨漏りしていて。そして、どうかこのまま同衾させて……お願いです」
そんなはしたないお祈りがあってたまるか。
しかし、そんなお願いが成就されたのかたまたまなのか、雨は一向に止む気配がなかった。
「それじゃあ、白里くん。何をしようか。それともナニをしようか……」
「ゲームだな。よし、ゲームしかないな。ゲームだ。ゲームをしよう」
「そうね……。じゃあ、王様ゲームか、ツイスターゲームか、パソコンで遊ぶ恋愛シミュレーションゲームがいいなぁ」
「見事に最悪なチョイスだな。大体、二人で王様ゲームはないだろ」
「それはそれで楽しいと思うけど。……1番は王様とチュー。1番は王様の肉奴隷。1番は王様と束縛プレイ……」
「却下だ。それとツイスターゲームなんかうちにはないぞ」
「ぬかったわ……。こんなことなら持ってくれば良かった。毎日持つにはかさばるからって……。私のバカ」
「当たり前だ。そんなもん毎日持ってるヤツはイカレてるっつーの」
「けど、安心して。ノートPCとエロゲならバッグに入ってるから」
「……しまった。そうきたか」
『ダ、ダメェ! お兄ちゃん、そこは……! やんっ……』
暗い部屋に、イヤホンから漏れる嬌声。隣にはぴたりと寄り添う黒宮。
テキストはオートモードで進んでいる。そのせいか手の空いた黒宮はやたらと俺と手を絡ませようとしてくる。
仕方ないから腕を組んで逃れると、今度はその腕に抱きついてきた。
主張こそ弱めだが、やっぱりそこは女の子。確かな感触が肘に当たっている。
どうしてこうなった。押しに弱すぎだろ俺。
「なぁ、やっぱ……」
「もう放さない。ずっと一緒……」
黒宮が熱っぽい視線で俺を見つめる。
上目遣いに見つめられると、さすがにちょっとそそるものがある。……じゃなくて。
「普通こういうのって他人と一緒に見るものじゃないだろ……」
「そうなの? けど、私は白里くんとなら、良いと思ってる」
それ、俺の意見はガン無視ってことだよね?
「ふふ、白里くん。顔が赤くなってる。……何を我慢してるの?」
ぐっ……! こいつ、分かったうえで訊いていやがるのか……!
黒宮の指が俺の太腿をなぜる。ぞくぞくと震えが走る。
俺の膝小僧のうえでクルクルと円を描きながら、耳元でぽしょっと囁いてきやがる。
「白里くんの考えてること、……当ててあげようか」
吐息が耳に掛かり、背筋まで震えてくる。
黒宮の細い指が、俺の腰元まで伸びる。おいおい、そこは……。
「ねぇ……、もっと自分に素直になって……」
顔が茹で上がっているのを、自覚する。
ここまで接近されて、何にも感じないのは男じゃない。
だが、ここで流されるのは良くないと、俺の中の何かが警鐘を鳴らしている。
やがて、俺の両肩を掴んだ黒宮は俺をそのまま押し倒した。
俺は一切の抵抗ができない。力が入らないのだ。
黒宮は女の子だ。組み伏されようと全力で足掻けばどうとでもなるはずだ。なのに、俺の両腕は弛緩し、押し返そうにも力が上手く入らない。
この体勢はマウントポジションだ。俺の腹に乗っかって、前傾姿勢。黒宮の白い顔がディスプレイの光に照らされて、艶やかに見える。
別にそこまで夢を見ていたわけではないけれど、女性との初めての体験はもう少しロマンチックなものだと思っていた。
こんなもんか。こんなふうに体験してゆくのか。こんなもんか、俺の人生……。
黒宮の指が俺の頬に触れる。
茹で上がった顔には気持ちいいくらいに冷たい指先だ。俺はその手に顔を委ねてしまう。
「白里くん……」
黒宮の顔がそのまま降りてきて、ボブカットの髪が俺の顔に垂れる。
黒宮の吐く息が、俺の唇に触れる。
黒宮の匂いが、俺の鼻腔を満たす。
黒宮は、そのまま――。
ピルルルル……!
携帯だ。俺は眼前の黒宮を無視して、ポケットの中に手を突っ込む。
『よぉー! 起きてるかぁー? いやぁ、雨やばいなー! いやさ、今お前んちの近くに向かってるんだけど、ちょっと泊めてくんねー? ほら、俺んち遠いからさー!』
助かった。サークル仲間の赤飼だ。
「赤飼か。分かった、うちに――」
「来なくて良い。邪魔」
黒宮がまくし立てる。ったく、こいつはホントに……。
『……ひょっとして、真っ最中か?』
「お前は何を……」
「そう、だから邪魔。来たら殺す」
『う……、そうか。……ぼそっ(カメラを持っていく。ポジションの指定があればメールくれ)。』
盗撮する気か。こいつ最低だな。あと、声を殺してても丸聞こえだ。黒宮にもガッツリ聞こえてるっての。
黒宮はチッと舌を鳴らすと、おもむろに俺の首元にキスをした。
「興が削がれた。今度はそんなんじゃ済まさないから。それじゃ、おやすみ」
ノートPCとイヤホンを引っ掴むと、黒宮はバタンと戸を閉めた。
それからパタパタと駆けるような足音と、バッと傘を開く音が聞こえた。
俺はそのまま放心したように、突っ伏していた。
そしてそのまま夜が明けた。
赤飼……? そういや、忘れてたな。まぁいいか、割とどうでも。