人、魔族
街の中を進み、迷宮管理事務所という看板が掲げられた建物に入る。
入り口近くに郵便局と銀行が間借りしている辺り、田舎の役場のようにも見えた。
「ここがこの迷宮の事務処理を行う場所になります。坊ちゃんには少し退屈かもしれませんが、大旦那様がこちらも見せておくようにとのことでしたので……」
「そんなに気を遣わなくても大丈夫だって。こういう場所も面白いもんだよ」
入り口から入ったところに、各窓口の案内が出ている。
経理や人事などの部署の他に、本当に役場と同じ業務を行う窓口まであった。
「役場も兼ねてるの?」
「ゲートの使用にはかなりの手間とマナが必要となりますので、モンスターたちの私的使用はおおよそ一週間に一度で、一回に通過できる数も限られます。そうなると色々不便ですので役場の出張所も設けられているのです」
これが一桁台の超大型ダンジョンになると、本当に役場の支所が建設され、そこに迷宮監督官と呼ばれる官僚が常駐するようになる。彼らは迷宮が諸法に則って適正に運営されているかを監督し、場合によってはその業務を停止させる権限を有していた。
ただ、迷宮監督官はその権限の大きさ故に数が少なく、たったふたつの階層しかないダンジョンには巡回という形で訪れるのみだった。
「何かもう、本当に街だね」
「そうですな。一応ゲートの向こうの街にあるものは、こちらにもあると思って頂いて構いません。例外としては、教育機関でしょうか」
「学校はないの?」
「小学校と中学校を併設した分校はあります。ただ、高校以上になるとこの迷宮の規模では採算が取れませんので……」
「なるほどね」
働いているモンスターたちの中で、夫婦共にこちらに来ている者はそう多くない。
ただ、何らかの事情で魔界に子どもを残しておけない者もいるので、中学校以下の教育機関は設置されていた。もっとも、これは法によって定められた施設ではなく、慣例的に設置されているものだった。
「あちらの郵便局では郵便業務を、あちらの銀行では人間たちの通貨を魔界通貨に両替して口座に振り込んだり、為替証書にすることができます」
「王立銀行かぁ、こんなところにも店を出しているとは……」
魔界最大の銀行グループであり、貴族たちも使用するためライウルにも馴染みがあった。店内を覗き込むと、四名ほどの行員が忙しそうに働いている。
(というか、どうしてこうも独立性が高いのかね)
ライウルは管理事務所の中を見回しながら、そんな疑問を抱いた。
明らかにダンジョン内で総ての生活が完結するようにできている。
それほど規模が大きくないと言われるこの四十四号ダンジョンですらそうなのだから、超大型ダンジョンともなれば本当に都市ひとつを内包しているのだろう。
「ねえ、ドン」
「はい、何でしょう」
ライウルは降って湧いた疑問について、この強面だが人の良いオークに聞いてみることにした。
「いや、あのね――」
ライウルは自分が抱いた疑問を、可能な限り順序立てて説明した。
吸血族は思考の速度が人間や他の魔族よりも速く、そのせいで何を考えているのか分からないと言われることがままあった。
人間たちの間で、ヴァンパイア・ロードは狂気に冒されており、まともに会話をすることはできないと言われているのは或いはこれが原因かもしれない。
「ふむ、そういうことでしたか」
ドンはライウルの言葉に何度も頷き、やがて犬歯を剥いて笑みを浮かべた。
その様子を見ていた周囲のモンスターがぎょっとした表情を浮かべていたが、ライウルは気付かない振りをする。
「自分は噂でしか知りませんが、迷宮というのは人間界での橋頭堡のようなものなのではないかと言われることはあります」
「やっぱり天界との?」
「はい。条約によって一応平和を保ってはいますが、魔界に通じるゲートがある以上はそれなりの防備が必要になります。しかし、条約によって魔界も天界も人間界に軍事力を置くことができない」
「その代わりがダンジョンのモンスターと、冒険者?」
ライウルの言葉に、ドンは曖昧な表情を浮かべた。
誰もが似たようなことは考えるが、天界との戦争は遥か昔のことだ。
今更天界の脅威を声高に論じる者はいないし、ドンもそう思っていた。
「所詮は噂です。それに、魔界も天界も戦いはもう真っ平だと思っていますよ」
ドンはライウルの背を押し、事務所を後にする。
現実はどうあろうとも、彼がすべきことは変わらない。
ダンジョンの中に潜み、冒険者たちを殺し、捕らえるだけだ。
それ以上は必要ない。
「よお、ドンじゃないか。そっちの小さいのは誰かの息子か?」
管理事務所を出て表通りに戻り、しばらく進んだ辺りで、赤茶色の土塊でできたゴーレムが話し掛けて来た。
発生に合わせて目の部分にある水晶玉を点滅させているが、どこから声が出ているかはさっぱり分からない。
「マスターのお孫様だ。今日は見学にいらっしゃった」
「どうも、ライウルです」
紹介されては黙っている訳にもいかない。
ライウルは一礼し、名乗った。慌てたのはゴーレムの方だ。
「げ、そいつは失礼しました。自分はクレイゴーレムのマルコーと申します」
どすんと地面に膝を突き、可能な限りライウルと視線を合わせようとするマルコー。
しかしゴーレムは基本的に巨体であり、膝を突いたとしてもライウルよりは遥かに高い位置に顔がある。
「この者は石工班のリーダーのひとりでして、なかなか良い腕をしております。この街の建設にも関わっていたんですよ」
「へえ」
感心したようにクレイゴーレムを見上げるライウル。
「ゴーレム族は触った無機物の内部を見通すことができるので、採掘班にも何名かおります。今のところ、彼らがいない迷宮の方が少ないといった感じで」
「そりゃそうだよね。いないのはまだ開発初期だとか、巨大樹迷宮とかその一部だけでしょ」
「その通りです」
ドンが満足そうに頷く。
ガッツは黙って水晶玉を瞬かせていたが、やはりその心中を察することは難しい。
ただ、同僚の珍しい姿に驚いているのは確かだ。
冒険者たちをチーム単位で薙ぎ払う同僚が、まるで教師のように振る舞っている。
「――ふむ」
マルコーは暫く光を点滅させたあと、ドンに向き直る。
「迷宮の方の案内はまだか?」
「そうだが……」
ドンはマルコーの問い掛けに訝しげな表情を見せた。
確かに予定ではこのあと、実際の迷宮部分を見学することになっている。
魔族と冒険者が戦っている場面に出くわすかどうかは運次第だが、無理に戦いの場面を見せる必要はないというのがグランツの考えであり、ドンも同意していた。
ライウルは魔族と人間のハーフだ。
つまり、魔族と人間の争いは同族同士の争いということになる。血族を重んじる魔族の価値観に照らし合わせれば、これほど惨いことはない。
『じゃが、いつまでもそこから逃げ続けることができるものでもない』
グランツが孫をダンジョンに招いたふたつの理由のうちひとつが、この現実をライウルに教えることだった。
「じゃあ、俺が案内しよう。お前が普通に案内するよりも近くで戦いが見れるぞ」
「それは……」
ドンはすぐに答えることができなかった。
(良いのか?)
ドンが気にしているのは突き詰めれば、その一点である。
ライウルにダンジョンの、もっとも冷たく、もっとも熱い部分を見せてもいいのか。
魔族と冒険者が互いに命を燃やし、燃え尽きる様を見せても良いのか。
ドンが悩んでいると、ライウルが首を傾げてマルコーに問う。
「近くで見れるって?」
「石工班が使ってる作業通路からなら、ほとんど壁一枚挟んで戦いを見ることができますよ。安全確認用の窓なんですが、向こうからは見えません。もちろん、近くに通路があるところで戦いが起きないと駄目ですが、そこは同僚たちにちょっと頼めば誘き寄せてくれますよ」
「なるほど」
頷くライウルを一瞥したマルコーがドンに顔を向け、ぴかぴかと光を点す、それは「さあどうする?」とでも言いたげで、実際その通りの意図があった。
「――坊ちゃん、ご覧になりますか?」
「予定がないんなら、そうしたいな」
ライウルは遠足を心待ちにする子どものような――まさに子どもではあるのだが――表情を浮かべ、ドンを見上げた。
その表情を見て、心優しいオークの男は心中で溜息を吐いた。
こうしたことは早い方が良いのかもしれない。
「分かりました。行きましょう」
「うん!」
ライウルが元気よく答え、マルコーが関節の擦れる音を立てて立ち上がる。
「じゃ、こちらにどうぞ。若殿」
無機質の腕が指し示す道の先には、迷宮部分へと繋がる頑丈そうな扉が見えた。
あの先にある場所こそ、人間たちがダンジョンと呼ぶ本当の意味での魔族の領域なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
四十四号ダンジョンは、比較的新しいダンジョンだ。
グランツが二人目のオーナーであり、開発が始まってから三〇年程度しか経っていない。
「現在二層目を開発中ですが、まあ、迷宮なんてものは百年二百年掛けて作るようなものですんで、若殿の代でようやく一端の迷宮になれば十分だと思いますよ」
通路を先導しながらマルコーが言う。
薄暗い作業用通路はドンとマルコーの巨体と比較すると狭苦しく感じるが、ライウルが縦にふたり連なっても、まだ天井に手が届かない程度の高さはある。
開発のための資材を運搬するために余裕を持たせてあるらしい。
「さっき連絡がありまして、六人組の冒険者が近くまで来てるみたいです。比較的オーソドックスな構成のパーティですから、色々参考になるんじゃないですかね」
マルコーは振り向くことなく喋り続けている。
表情が変わらないため、あまり他人と顔を合わせて喋るという習慣がないのかもしれない。
「お、聞こえてきましたよ」
マルコーがそう言って歩調を緩める。
足音が隣の通路にまで響かないようにという判断だ。
ライウルとドンも同じように足音を抑えると、遠くからモンスターと人間たちの喊声が聞こえてきた。
「冒険者たちです」
背後のドンが耳元で囁く。
ライウルは頷くとそのまま静かに戦いの場へと近付いた。
「うらぁっ!!」
「ギェッ……!?」
巨漢の剣士が、分厚い大剣をゴブリンに叩き付ける。
ゴブリンは耳障りな悲鳴を上げて両断され、その場に倒れた。
「フシャーッ!!」
「があ!?」
その剣士の背を狙い、猫獣人が鋭い爪を突き立てる。
鋼鉄すら切り裂くと言われる鋭い爪がハードレザーの鎧を貫いて巨漢に呻き声を上げさせた。
「ゴル!」
「俺は良いから、フィリンを援護しろ!!」
駆け寄ろうとした若い女の治癒術士に剣士が叫ぶ。
剣士が指差した先では小柄な遊撃士が、双剣を手に複数のゴブリンと戦っている。しかしゴブリンの数が多く、劣勢に立たされていた。
「もうじきアレンたちが戻ってくる! 心配するな!」
「っ……分かった!」
治癒術士は唇を固く噛み締め、剣士の言った通りに遊撃士の元へと向かう。
それを見送った剣士は、背中にいる猫獣人を壁を使って押し潰すべく、背中を壁に向けて思い切り押し付ける。
「シャッ!」
しかし猫獣人もそれは予想していたのか、壁と剣士の間に挟まれる直前に天井付近の突起に手を掛け、振り子のように勢いを付けて剣士から距離を取り、着地した。
「クソが!」
剣士は背中に流れる血の感触を感じているのか、忌々しげに猫獣人を睨む。
猫獣人はそんな剣士を挑発するように顔を洗った。
「この……くたばれ!!」
剣士は真っ赤になった顔で剣の柄を握り直し、猫獣人に向かって突進した。
「はは……凄いね」
ライウルは引き攣った笑みを浮かべながら、長細い覗き穴の向こうで繰り広げられる戦いを見詰めていた。
その顔は薄暗い通路の明かりでも分かるほど真っ青だ。
「――――」
(血が……いや、血だけじゃない……)
ライウルの目の前で、一体のゴブリンが重戦士の戦鎚によって叩き潰される。するとゴブリンからは赤黒い血だけではなく、白い骨やその他の臓器が飛び散り、通路を汚していく。
(スプラッター映画は得意だと思ったんだけどな)
込み上げてくる嘔気を抑えるためにごくりと唾を嚥下し、さらに別の戦いへと目を向ける。
重剣士と猫獣人の戦いが続く通路からひとつ角を曲がった先で、魔術士と先ほどとは別の剣士が、二体のオークと死闘を繰り広げていた。
そのオークはドンよりも一回り身体が小さく、ロードではない普通のオークであることが分かる。オークたちは魔法で攻撃を仕掛けてくる魔術士を狙おうとしているようだが、片手剣と丸盾を装備している剣士に翻弄されており、目的を果たせないでいた。
「魔術士ならオークを一撃で倒せます。ですから、ああやって剣士が魔術士を守り、時間を稼ぐのです」
ドンが背後から説明する。ライウルはそれにカクカクと頷きながら、それでも戦いから目を離さない。
「――!!」
魔術士が何かを叫び、杖を掲げる。
するとそこに魔法陣が浮かび上がり、稲光が発せられた。
暗闇の中で発生した雷は、その場にいるモンスターの目を灼き、オークの片割れに命中した。
「ガァ……ッ」
肉が焼け焦げる匂いが漂い、痙攣したオークが白目を剥いてその場に倒れ込む。
その身体から光の粒が現れ、冒険者たちの身体に吸い込まれていった。
(何だあれ)
そう言えば先ほどゴブリンが倒れたときも、似たような光が冒険者に吸い込まれていったような気がする。ただ、オークのときに較べると弱々しい光だったため、ほとんど目に付かなかった。
「あれは?」
震える声でライウルが訊ねると、すぐにドンが答えてくれる。
「マナです。人間たちは『経験点』などと呼んでいますが」
「冒険者たちは身体のどこかにマナを貯める装飾品を付けてます。それに吸い込まれてるんですよ」
そうマルコーが付け加える。
「ああ、そうか、うん、分かった」
(身体じゃなくてアクセに取り込んでるのか……)
ライウルは何故そのようなことをするのか疑問に思ったが、それを口にするよりも前に戦況が動いた。
遊撃士の援護に向かった治癒術士が、天井から落ちてきたスライムに奇襲されたのである。
(あ、あれヤバい気がする)
ライウルの予感は的中した。
治癒術士の全身を包む込むようにして落下してきたスライムは、身体を無色透明から真紅へと変化させる。それと同時に治癒術士の身体から白煙が上がった。
「ギャアアアアアアアアアッ!!」
ライウルのいる場所までこの世の終わりを感じさせる甲高い悲鳴が聞こえてきた。
(熔けてる……?)
治癒術士はスライムを引き剥がそうと、悲鳴を上げながら両手を振り回している。
しかし相手は半液体。掴もうとしても掴むことはできない。
「ライラ! 今助けてやる!」
治癒術士の状況に気付いた遊撃士が、ウエストバッグに手を伸ばしながら慌ててそちらに駆け寄ろうとする。
しかし、すぐにゴブリンが彼に群がり、それを許さない。
「邪魔だ! どけ!!」
「ゲァッ! ゲァッ!!」
どれだけ叫ぼうとも、ゴブリンは遊撃士の言葉に耳を傾けることはない。
治癒術士の援護がなくなったことをこれ幸いと、さらに攻勢を強める。
「アアアアアアアアッ!!」
治癒術士の悲鳴が、人間の発するものから遠ざかっていく。
ライウルはそれを見詰め、震える足を両手で押さえ付けた。
(スライムはああやって戦うしかない……ちょっとした薬品で簡単に殺されちまうんだから……)
スライムは大した知能を持っていないため、一種の家畜として魔族に飼育されている。ライウルはそのスライムが、人間たちの調合した薬品で簡単に命を落とすことを知っていた。
遊撃士がウエストバッグから取り出そうとしたのも、おそらくその薬品だろう。その薬品を一滴垂らすだけで、スライムは簡単に殺せる。ただその薬品は人間にとっても猛毒であるため、簡単には壊れない金属容器に入れられている。
普段からスライム除けとして身に付けられるようなものではない。
「タズゲ……ダズゲ……テ……」
治癒術士の動きが止まり、弱々しい声だけを発する肉塊と化す。
スライムはそのまま治癒術士を溶かしきろうと身体を震わせた。
「があああああああああああああああああッ!!」
だが、それを許すまいと大剣を持った剣士が突進してきた。
自分が流した血と、猫獣人の返り血で染まった顔はモンスターよりもよほど醜悪な悪鬼の如き容貌だった。
「ライラぁあああああああッ!!」
剣士は腰から金属の細長い容器を取り出すと、その蓋を開けてスライムに投げ付ける。ほんの数滴しか入っていなかった薬品は、それでもスライムに接触するときちんと役割を果たした。
「!?」
スライムの身体が波打ち、真紅から無色透明へと変化する。
そしてそのまま粘度を失い、水のように床に広がった。
「ライラ……!」
剣士は治癒術士の傍らに膝を突くと、同じように腰のバッグから取り出した治療薬を治癒術士の身体に掛けていく。
並の傷ならそれだけで治癒させることができる回復薬だった。
だが、全身の皮膚が爛れた状態の治癒術士には絶対量が足りない。
「くそっ、フィリン!! アレン!! ポーションを!」
彼は仲間たちが持つ回復薬を使おうと、仲間たちを振り返る。
(駄目だよ、それじゃあ……)
ライウルは沈痛な面持ちで頭を振る。
状況は決したのだ。
「……!?」
重剣士が見たのは、治癒術士が倒れたことで支援を失い、モンスターたちに追い込まれる仲間たちの姿だった。
「ゴル! お前だけでも逃げろ!!」
片手剣の剣士が通路の角に追い込まれている。
その背には魔術士を守っていたが、疲労し、虚ろな目をしている魔術士に支援は期待できそうもない。オークを一体倒したあと、新手のゴブリンたちに襲われたのだ。
多数に同時にダメージを与える術は使い手に大きな負荷を与える。次から次へと現れるゴブリンに魔術を使った結果、魔術士は魔力切れを起こしていた。
「早く!」
剣士が叫んでいる。
彼の全身にはゴブリンたちの粗末な武器で付けられた傷が刻まれていて、そう時間も掛からずに戦うことができなくなることが傍目にも分かった。
「だが……」
重剣士は悔しげに顔を歪め、段々と呼吸が弱くなっていく治癒術士と剣士を交互に見詰める。
「ぐあっ!!」
そこに、重戦士の悲鳴が聞こえてきた。重戦士はいつの間にか現れたコボルドの群れに押し潰されそうになっている。治癒術士の悲鳴に気を取られ、背後から現れたコボルドに気付かなかったのだ。
「スタンリー!!」
重剣士は悲鳴を上げ、それを援護できる位置にいる遊撃士に目を向ける。
しかしそこで彼が見たのは、ちょうどオークの刃毀れだらけの斧で片腕を落とされる遊撃士の姿だった。
「フィリン!!」
遊撃士はそのまま床に倒れ込み、ぴくりとも動かない。
生きているのか死んでいるのか分からないが、モンスターたちしかいない状況ではとても助からないだろう。
「ゴル! いけぇええええ!!」
剣士の喉が裂けるような叫び声に、重剣士はよろよろと立ち上がる。
ライウルはそれを見詰めながら、頭の片隅で冒険者たちを一網打尽にする方法を考え始めていた。
(今なら退路を絶てる)
冒険者たちは仲間との連携のため、比較的狭い範囲に集まっている。
その気になれば通路を封鎖して全滅させることもできるだろう。
「若殿、そろそろ奴が逃げます」
マルコーがどこか浮き立った声音で囁きかけてきた。
モンスターである彼にとっては、冒険者たちの悲痛な姿は最高の見世物なのかもしれない。
「逃がすの?」
ライウルはまったく感情を窺わせない声で訊いた。
マルコーはそれに気付かないまま、得意気に頷く。
「ひとり逃がせば、そいつは新しい仲間を連れて戻ってきます。で、そういうときは……」
マルコーのその言葉に、ライウルの頭の奥底が疼いた。
そして、彼はその疼きが望むままに言葉を発する。
「――できるだけ仲間を痛めつけ、それを見せた方がいい」
「っ!? え、ええ、その通りです」
ライウルの言葉に一瞬詰まったマルコーだが、すぐに頷いて見せた。
そして彼は、ライウルの背後にいるドンに顔を向ける。
(若殿は、迷宮は始めてじゃないのか)
点滅する光は、ドンにそう問い掛けているようだった。
おそらくそれは正しいだろう。
「坊ちゃん、奴が逃げます」
ドンはマルコーに答えることなく、ひとり仲間たちを置いて逃げ出した重剣士を指差した。
重剣士はそのままライウルたちがいる方へと向かってくる。
そのため、ライウルは重剣士の表情をよく見ることができた。
(憎悪、憤怒、恐怖、そして安堵……)
吸血族は他者の感情を読み取る能力がある。
もっとも、まだ幼いライウルはその力をろくに発揮することができない。
しかしその拙い能力でも、近付いてくる重剣士の感情は読むことができた。それだけ強い感情なのだ。
「畜生……! 畜生!!」
重剣士が、ライウルの目の前を通り過ぎる。
その汚泥のような感情を読み取り、ライウルは人として恐怖した。
「――――」
そして同時に、魔族として仄暗い喜びを感じるのだった。