少年期の終わり頃
それはライウルの祖父グランツの思いつきであった。
「流石に早い」
「本人は確かに迷宮の経営に興味を示しているけど……」
父ランサーも母フォーリアも、久し振りに魔界に戻ってきたグランツが上機嫌に持ちかけてきた、ライウルのダンジョン見学という提案に困惑していた。
「いやいや、同業者からもこういうのは早い方が良いと聞いている。民営化したとはいえ半ば公共事業のようなものだからの。後継者は可能な限り迷宮に慣れ親しんでいた方がいい。同時に、実際の迷宮を見て、『これは自分には無理だ』と思うことも必要であろう?」
「確かに、父上の後を私が継いだとして、ライウルにその気がなければ別の後継者を探さなければなりませんな」
魔界では産出されないマナ資源を齎すというその性質上、ダンジョン事業は公共性が高い。以前は国家事業として行われていたが、天界との間に結ばれた迷宮条約に基づいて民営化されたのが一〇〇年前のことだ。
ダンジョン運営者は企業などでも構わないとされているが、あまり大規模な企業はダンジョン環境を保全するという方針から参画できない。その結果、ダンジョン運営者は貴族を始めとした個人や、中小企業などが大半であった。
「ワシからすれば二人目を作って貰っても全然構わんのだかね? どうかねフォーリアさん」
「え!? あ、あははは……」
「父上!」
「なんじゃい、もっと頑張らんか。情けない奴め」
セクハラそのもののグランツの言葉はともかくとして、ダンジョン事業は切れ目のない運営が何よりも重視される。
ダンジョンそのものは五十箇所近く存在するため、一箇所が機能不全に陥っても魔界全体ではそれほど影響は出ないように思えるが、実際はそうではない。
「まあ、うちのような零細ダンジョンで、さらに前の持ち主のように後継者も決めずに冒険者に討たれるようなことがなければそれほど急くこともなかろうが、念のためという奴じゃ」
かつてマナ資源を始めとした人間界の資源を狙って攻め込んだ魔族と、人間たちがいなければ生きることができない神族が戦った結果、人間界において魔族はダンジョンとその周囲の限られた空間でしか活動できないと定められている。
実際、ダンジョン近くの街には必ず教会の施設があり、これは表向き魔族と戦う騎士や冒険者たちの支援のためとされているが、実際は教会の背後にいる神族がダンジョンを監視するための施設だった。
そうした監視の目もあり、魔族たちは人間界からの物資の搬入をダンジョンに頼っている。マナ資源以外の人間界産の様々な品も、すべてダンジョンを通して手に入れているのである。
「迷宮はなかなか見付かるものではありませんからね。特に最近は」
「だから多少無茶をしてでも手に入れたかったのじゃが、ちと無理をしすぎたかの」
「オークションにお家の資産の八割を注ぎ込みましたからね。それでも足りずに政府から借金もしましたし、これで採算が取れないとなれば一家心中です」
ランサーの恨みがましい視線にも、グランツは飄々とした態度を崩さない。
「いやなに、最悪もう一度売りに出せば借金くらいは返せるだろうさ。それに迷宮は色々手を入れてマナ産出量や冒険者からの戦利品が増えるほど儲けが大きくなる。ついでに売値も高くなる。ワシら次第で一攫千金も夢ではないぞ」
わっはっはと高笑いするグランツに対し、息子夫婦の視線はあまり暖かみのあるものではなかった。
ランサーとフォーリアの出会いが件のダンジョンであったために事業そのものは否定するつもりはないが、常に危険と隣り合わせなのは隠しようのない事実だ。
「異なる種族とはいえ、殺し殺される場所です。あの子がショックを受けなければよいのですが……」
フォーリアのパーティメンバーも、全員が全員、彼女のように第二の人生を歩んでいる訳ではない。ダンジョンでの戦いで死亡した者もいれば、魔界に連れてこられたあとに絶望のあまり命を絶った者もいる。敗北した冒険者の常として奴隷として売られたため、もしかしたらフォーリア以外の全員が命を落としている可能性もあった。
しかし、フォーリアはそれについて寂しさは感じてもそれ以上の感情は抱いていない。冒険者とは常にそうした存在であり、彼女もまたその一員だったからだ。
「異なる種族でもあるまい。フォーリアさんも今でこそ息子の眷属となって魔族の一員となったが、ライウルを産んだのはそうなる前のことであろう? アレは魔族と人間の血を引いておる。半分とは言え同族じゃよ」
「なら、尚のこともっと時間を置いてからでも……」
ランサーは息子のことを想い、父を何とか翻意させようとする。
「あやつの血は時間を置いても入れ替わったりはせんぞ。それに、こういうのは興味があるうちにやっておくのが一番じゃ。本人がつまらぬものと思っているものを教えたとて身にはならん。それに、あやつにくれてやりたいものもあるしな」
「くれてやりたいもの、ですか?」
「そうとも、フォーリアさん。ひょっとしたら我らの迷宮でもっとも価値のある宝かもしれんものだ」
「それほどのものなら、政府に届け出なければならないのでは?」
ランサーは政府との契約を思い出しながら、父に問うた。
ダンジョンの中には、古代の遺跡なども含まれることがある。すると、そこから非常に貴重な品が発見されたりもする。そうした出土品の権利は運営者に属するが、場合によっては政府が買い上げることもあった。無論、本来の価値からすれば二束三文で。
「なんじゃランサー、随分物わかりが良くなってしまったな」
「政府に睨まれては迷宮業などやっていられませんよ」
「まあ、モノ自体はそれほど珍しいものではない。政府の監査でも適当に誤魔化せるだろうよ」
「――私は何も聞いていなかったということにしておきます」
「はっはっは、それも良かろうて。では、そのうちライウルを借りに来るでな」
やって来たときと同じように上機嫌に帰って行ったグランツを、ランサーとフォーリアは呆れそのものの表情で見送った。
それから一週間後、学校の長期休暇が始まると同時にライウルは祖父のいるダンジョンに赴くことになった。
両親も時折手伝いに来ていることは知っていたが、実際にダンジョンに足を踏み入れるのはこのときが始めてだった。
「はっはっは、ライウルよ。よう来たな」
「爺ちゃん、予定はもうちょっと前から教えてくれない? 友達との約束幾つかキャンセルする羽目になったんだけど」
転送ゲートを潜ってすぐに自分を出迎えた祖父に対し、ライウルの表情と言葉は冷たかった。
背中に背負ったリュックサックには小学校最終学年の夏休みの宿題が詰め込まれており、その姿だけを見れば夏休みに祖父の家を訪れた小学生そのものである。
ただ、ライウルの纏う気配はそんな枠組みには収まりそうもない。
グランツは孫の成長に頬を緩めながら、しかしそれを隠すように口髭を弄る。
「それは悪いことをしたな。なら、なるべく早くこちらでの用事を済ませて戻ると良い。埋め合わせではないが、友人たちへの土産くらいは用意しよう」
「あんまりお高いのはやめてね。喜ぶ人は喜ぶだろうけど、貴族趣味押し付けるとか大体嫌われるから」
「分かっておるとも。さて、ドン!」
「はい。大旦那様」
グランツが声を上げると、ゲートの脇に待機していたオークのドンが一歩進み出る。仕事用の姿なのか、上半身を晒し、下半身は動物の皮を腰に巻いているだけというスタイルだった。
「孫を適当に案内してやってくれ。戦えないこともないだろうが、出来れば避けて欲しい」
「はい」
ドンはしっかりと頷くと、ライウルを連れてゲートのある部屋から出る。
それなりに大きな音を出す転送ゲートを守る重々しい扉が閉じると、ふたりがいる通路は途端に静かになった。
ゲートは彼らにとって生命線である。その防御はこのダンジョンの中でも最も堅固で、音などが漏れることもない。
「坊ちゃん、お疲れではないですか?」
「いいや、全然まったくこれっぽっちも疲れてない。少なくとも肉体的には」
精神的には一緒に遊びに行く予定だった友人にキャンセルを伝えた際、彼らが浮かべた落胆の表情によって受けたダメージがしっかりと残っている。
同性の友人はまだ良かったのだが、異性の中には悲しげに笑ったり、涙目になっている者たちもいて、ライウルの心に痛烈なダメージを残していった。
「何で女子ってあの歳でも女っぽい顔するのかな」
「おや? 誰か仲の良いお嬢さんがおられるので?」
「ないない。男友達はそうでもないんだけど、女子はね、何でか知らないけど妙に距離がある気がする」
「はあ、そうですか」
(それこそ、それなり以上に仲の良い証拠ではないかと思うんだが。まぁ、坊ちゃんの年頃だと分からないのは仕方がないか……)
年頃ではなく、環境がそうさせたのだとはドンもまったく考えない。
子どもはある一定の年齢まで同性とばかり関わり、思春期になると異性との距離が微妙に近くなる。ただ、異性を意識するより前に異性と関わることが多いと、それが当たり前になってしまう者がいる。
最初から異性を異性として認識し、それなりに気を使っていたライウルの場合、思春期特有の男女の遣り取りはまったく理解の外にある事象だった。
何より――
「俺みたいなのを好む物好きはそうそういないって、あっちに行って喧嘩、こっちに行って殴り合い、向こうに行って悪口雑言だぜ? 行動力がある奴はモテるけど、それにしたって限度があるんだよ、畜生め」
「はっはっは、それは頼もしい限り。何、もう少し大きくなれば美女を選り取り見取りできますとも」
「冒険者の?」
「冒険者も、です」
ドンは腹を揺らしながら笑う。
「旦那様は迷宮で出会った奥様に一目惚れという形でしたが、大旦那様やそれ以前の御当主はお見合いが大半です。奥方はお家のためにしっかりとした人物を選び、恋愛云々は愛妾様たちと、というのが一般的ですね」
「そういう貴族趣味はよく分からん。何が楽しくて女を侍らせるのか」
「坊ちゃんは戦いの方が好みですか?」
「そっちも好きじゃない。ただ、誰かを負かすのは面白い」
(それも大概貴族趣味だと思うが。それもあまり良いとは言えない部類の貴族趣味だ)
ドンは吸血族についてそれほど多くを知っているわけではないが、それでも一般人よりは幾らか吸血族に詳しい。
そんな彼が知る吸血族とは、他の有力魔族と同じように勝利を好みはするものの、そこに至る過程で『相手の敗北』を望む傾向がある。
相手が負ければ自ずと勝利を手にすることができるのだから、戦い方としては間違っていない。しかし他の魔族、巨人族や獣人族、幽鬼族などと較べると些か陰湿だ。
彼らは他者を眷属とするが、それも相手を屈服させるためのひとつの手段と看做している傾向がある。
長い時間の間でその傾向も薄れて来ていると言われているが、その本質は今だ変わっていないのかもしれない。
「マスターとしては結構なことでございます。我々を勝利へと導いて頂ければ幸いです」
「まあ、俺が継ぐかどうかはまだ分からないけどね。負けるのは好きじゃないからやれるだけのことはやるよ」
ふん、と鼻息荒く返事をするライウルの様子に、ドンは吸血族の本質ではなく、この年頃の子どもに良くある負けん気を見た。
(まぁ、そもそも子どもの言っていることだし、それほど気にする必要もないか)
ドンはそう自分を納得させた。
どんな形にせよ、気骨があるのは悪いことばかりではない。
少なくとも自分たちのような荒くれ者を纏め上げるのならば、少しくらい鼻っ柱が強い方が良いのである。
「さあ、そろそろ居住区に出ますよ」
そう言ってドンが指し示した先には、ゲートの部屋とはまた違ったデザインの重厚な扉があった。
「お、ダンジョンの中ってどんな感じなのかな」
「あまり期待されても困りますが、魔界よりは色々面白いものもあるかと思います」
「おお」
わくわくという内心が表情に出ているライウルを横目で見ながら、ドンは片手で扉を押し開けた。人間ならば十人がかりで開けるような扉も、彼に掛かれば住宅の扉と大差ない。
「ようこそ、第四十四号ダンジョンへ」
ドンは少しだけ胸を張り、居住区の光に目を細めるライウルにそう言った。