少年時代、或いは悪ガキ時代
「ふはははははははっ!!」
住宅地の中にある公園に集まったふたつの集団の一方から、自信に満ち溢れた哄笑が響く。
「大人たちが用意した公園から下級生を追い出して何が『力こそ正義』か! 力とは腕力に非ず、暴力に非ず! その目的のために尽くすべきあらゆる努力こそが力である!」
公園の中央付近に設置された半球状の遊具。その頂点で下界を睥睨しているのは今年八歳になったライウルだった。
仕立ての良い服から覗く白い肌は相変わらずだったが、その身体は病的なまでに線の細い吸血族としては珍しく、しっかりとした体格である。元冒険者である母方の血だろう。
子どもにしては恵まれた体格と傲然とした態度は確かに人々が想像する貴族の姿そのものであり、その場にいた子どもたちの誰もがライウルを貴族の子弟と認めていた。
だが実際の所――
(取り敢えず偉そうにしてれば貴族っぽいよな)
というライウルの努力の賜物であることに気付いた者は誰も居ない。
「お貴族様が何の用だ!? お前らの理屈なんざ知ったことか!」
「そうだそうだ!」
「貴族は引っ込んでやがれ!」
遊具を囲むようにして集まった小学校の上級生たちから罵声が飛ぶ。
ライウルの周囲を固めるようにして遊具に昇っていた下級生たちが、不安そうな眼差しで自分たちのリーダーを見上げる。
「貴族だからこそ、魔族のなんたるかを痴れ者に教えてやろうと言うのだ! 本来守るべきものを暴力で排斥し、己の欲を満たそうとするなど、力を正義とする魔族のすることか!」
ライウルの言葉通り、今回彼がこの場で声を張り上げている理由は上級生側にあった。
それを説明する前に、時間を三年ほど遡る。
彼の両親は、貴族としては珍しい部類に入っていた。
他家が少しでも自分たちの立場に相応しい教育をと我が子に家庭教師を付けたり、貴族子弟の多い私立学校に入学させようとする中で、そういった行動を一切取らなかった。
未知の相手である貴族と四六時中顔を合わせるなど御免被るというライウル自身の希望を聞いた上でのことだったが、珍しい貴族であることに変わりはない。もっとも普通の貴族は奴隷である元冒険者を妻に迎え、それ以外に一切妻を娶らないなどということはしない。せいぜい妾として扱うだけである。
そうした両親の元で育ったライウルは、小学校に入るや否や同世代の子どもたちの中核となった。
貴族というのは平民たちが大半を占める学校ではそれだけで目立つ存在であり、グループを形成するための中心人物としては都合が良かったのだ。
他の子どもたちの親も、貴族の子どもと仲良くなれば色々便利なこともあるだろうと打算を抱いており、自らの子どもに「あの子と仲良くしなさい」と言い聞かせていた。
結果、ライウルはすぐに同年代グループを率いる羽目になった。
「平凡な学生ライフをエンジョイしたかったのに……」
そんなことを呟きながら、自室でがっくり肩を落とす彼が目撃されたりもしたが、半ばやけっぱちになったライウルはいつの間にかグループを率いることに楽しみさえ見出すようになっていた。
前生でのアルバイト経験を適度に生かし、集団が崩壊しない程度にそれをコントロールした。それ以上の成果は出せなかったものの、大人たちから見ればやはり貴族の子どもはひと味違うと感心された。
そのせいでクラス委員になったり色々な面倒事も押し付けられることになるのだが、ライウルはそれさえ楽しんでいた。
一度でも大人として社会を経験すれば、大人の庇護下での学生時代がどれほど恵まれた環境であったか容易に理解できる。無論、その当時の子どもには子どもなりの考えがあり、自らの置かれた環境に対する不満もあるだろうが、それさえも有意義だと思えるときが来る。
その恵まれた環境をより一層充実したものにするため、ライウルは喜んで様々な面倒事を背負い込んだ。
「これがクラスの中心……! 隅っこで読書したり寝たふりせずに済むなんて!」
そんな微妙に悲しいことを呟いていたライウルだが、結果から言えば、彼はは大人たちにも子どもたちにも大いに受け入れられた。
イベントがあれば成功を目指して全力で取り組み、勉強では好成績を収めつつ他の子どもたちに勉強を教えるなどしてクラス全体の学力向上に寄与した。他人に教えるという行動が、自らの理解を助けるという話を信じた結果らしい。
そして貴族に対する色眼鏡を掛けていた大人たちも、自分たちの子どもが自分たちの期待以上に成長すればそれを外し、喜ぶのが当たり前だ。
二年、三年と成長していくにつれ、ライウルの立場は確固たるものになっていく。
そうしたある日、彼は他クラスの女子グループから相談を受けた。
「上級生が遊び場を占拠、ねぇ……」
「うん、あんまり広くないから女の子たちの遊び場になってたんだけど、近くの広場が工事で使えなくなっちゃって、そっちから上級生が……」
ライウルは涙目になっている他クラスの女子を慰めつつ、どこにでも似たような話はあるものだと思った。
野生動物の縄張り争いから知的生物同士の戦争まで、生活圏を賭けた諍いというのはどこにでも転がっているのである。
「上級生ってそんなにいるの?」
「八人くらいかな。でもあたしたちは女子ばっかりだし、みんな怖がっちゃってもう一緒に遊ばないって言う子も出てきて……ぐすん……」
子どもの頃というのは一年、二年の差が大きい。僅か一歳の違いが体格や精神の成熟に大きく影響する。上級生というのは子どもたちにとって物理的にも精神的にも大きな存在であり、怯える者が現れるというのも仕方のないことだ。
「ああもう、泣くなよ。ええと、ハンカチがどこかに……」
幾つものポケットに手を突っ込み、ようやく探し当てた母親が用意してくれたハンカチを取り出して女子に押し付ける。
「あ、ありがとう」
それを受け取って涙やら何やらを拭く女子を横目に、ライウルはさてどうしたものかと頭を捻った。
そして彼が選び出した作戦が、先の状況に繋がるのである。
「こっちは女子ばかりで、しかも妖精や獣人。お前らは勝てる相手にしか喧嘩を売らない臆病者揃いか!」
嘲弄するかのような表情を浮かべ、上級生を見下ろすライウル。
その言葉と表情に、様々な種族が混じった上級生グループに怒気が満ちた。
「んだとコラ!?」
「お前こそ女子に囲まれていい気になってんじゃねえぞ! お前ら下級生は俺たちの言うこと聞いてればいいんだ!」
そうだそうだと声を上げる上級生たち。
中には気が昂ぶったのか、不完全ながらも身体を戦闘状態に変化させるウェアウルフやリザードマンの姿もあった。
「ら、ライウル君、本当に大丈夫なの?」
ライウルのすぐ近くでその様子を見ていた女子のリーダーが、怯えた表情を浮かべて彼を見上げる。
全力で挑発するとは聞いていたが、ここまで相手を怒らせるとは思っていなかったようだ。
この年頃の子どもたちには一種の性質、或いは暗黙の了解のようなものがある。
それはある程度歳の近い同性の子どもたちだけで集まり、行動するというものだ。
集団で行動する場合、あまりに身体能力が劣る者が入るとその者に合わせる必要が生じ、満足感が減退するからとも、単純に似たような性格、能力の者たちが自然と集団になるからとも考えられるが、結果としては同性、同年代の集団が出来上がる。
そうした集団はまるで示し合わせたかのように接触を避け、遊びなど行動によって得られる満足感を少しでも減らさないようにするのだ。
勿論例外はあり、ライウルのように性別で相手を区別しない者もいる。だがそれはごく少数であり、例外中の例外なのは変わらない。
そして、子どもたちはそれを本能的に行っている。異なる性、異なる年代の子どもたちと接触することに嫌悪し、場合によっては恐怖さえ抱く。
ライウルの周囲にいる女子と、少数の男子は相手が上級生ということもあって大部分が恐怖を抱いていた。
「大丈夫大丈夫、さっき説明した通りにやれば勝てるから」
ライウルは自信満々に笑って見せた。
(というか、子どもの喧嘩なんだから限度ってもんがあるんだよなぁ。適度な喧嘩は褒められるけど、やり過ぎれば怒られるし)
総ての魔族家庭がそうではないが、基本的に力と力のぶつかり合いで意見を押し通すことは魔族社会では珍しくない。
成熟した大人たちの社会になればその程度は低くなっていくものの、子どもたちが策を巡らせて取っ組み合い殴り合いの喧嘩をすることは魔族の子どもとしては当たり前だと考えられていた。
すると、自然と高い能力を持つ種族が比較的弱い種族を従える形に落ち着いていく。それがもっとも安定した魔族社会の形であり、そこから生まれたのが『力こそ正義』という魔族の有り様なのだ。
「そこを動くなよ!」
「いくぞっ! あの貴族のお坊ちゃんを泣かせちまえ!!」
『おおっ!!』
雄叫びと共に上級生たちが遊具に取り付く。
その形相に遊具の上にいる下級生グループは引き攣った表情を浮かべ、ライウルの顔を見た。
「よし、今だ!」
その表情を見たからという訳ではないが、ライウルはグループ全員に指示を出す。
それを受けた下級生たちは迫り来る上級生たちの姿から目を逸らし、背後に隠してあった葉付きの木の枝を手に取った。
「思いっきり打っ叩け!!」
「そーれ!」
『そーれ!!』
女子のリーダーが両手をメガホンにして声を上げると、下級生たちはそれに合わせて振り上げた木の枝を振り下ろす。
「痛っ!?」
「な、何だこれ!?」
ばしばしと叩き付けられる木の枝に、上級生たちの動きが鈍る。
痛みはそれほど大きくないが、目に入ったらと思うと迂闊に上を向くことができない。
「どんどん叩け!」
ライウルは自身も木の枝を持ち、一番勢いがある上級生を狙っていく。
彼が連れてきた他の男子も、力の弱い女子に手を貸して木の枝を振り下ろし続ける。
「くそっ! 卑怯もの!」
「魔族なら正々堂々と戦え!!」
上級生たちは遊具から次々と転げ落ち、それでも諦めずに再び取り付いては登り始める。
彼らはライウルの行動を卑怯と蔑み、それを罵倒したが、ライウルは全く取り合わない。それどころか得意気に笑い、がんがん木の枝を振っている。
「卑怯もクソもあるか! 勝つためにやれることをやらないのは魔族じゃねえ! 持てる力を使わない奴が魔族であるもんか!」
それが正しい魔族観であるかどうかは別にして、少なくともその場には反駁できる者はいなかった。
彼らの年齢では力とは腕力であり、策を弄することは卑怯であるという考えが主流だ。成長するに従って様々な『力』を学び、そこでようやくライウルの言葉をひとつの意見として理解できるようになる。
「クソ貴族が! 俺たち下っ端はバカだって言いたいのかよ!」
理解できない言葉はとりあえず悪い方に捉える。上級生のリーダーはそうしたタイプの少年だった。彼は怒りで真っ赤になった顔で牙を剥き出し、助走を付けて遊具を駆け上がった。
「ぶっ飛ばしてやる!」
「う、うわああああっ!」
その勢いに圧倒されてしまったのか、下級生が振り下ろした木の枝には力がなかった。上級生の少年は腕を振るって木の枝を叩き落とすとさらに遊具を登り、ライウルに向かって手を伸ばした。
「きゃあああああああっ!」
だが、少し勢いが足りなかったのか、その手はライウルまで届かず、すぐ隣にいた女子リーダーの腕を掴んだ。
甲高い悲鳴が上がり、近くに居た女子たちが動揺する。
「今だ! 突っ込め!」
『うおおおおおっ!!』
その隙を突く形で、上級生たちが一気に攻勢に出る。
流石戦闘種族というべきか、こと戦いに関して魔族の本能は理詰めを上回るらしい。彼らはもっともいいタイミングで反撃に出た。
「させるか!!」
ライウルはそれを見て、すぐに上級生のリーダーに狙いを定めた。
この少年が上級生たちを鼓舞してるというならば、この少年を負かせば一気に流れは変わる。
「きゃあ! いやぁ!!」
「うるさい! 静かに――」
上級生の少年はそこで、ふと自分に影が掛かったことに気付いて顔を上げた。
「っ!?」
そこに見えたのは、靴底。
「吸血族キィック!!」
助走は僅か、しかし上方からの力が加わった前蹴りは上級生リーダーの顔面を捉え、そのまま彼の身体を押し出した。
咄嗟に防御しようとしたのか、女子のリーダーから手を離していたため、少年の身体は何の支えもなく遊具から転げ落ちていく。
途中でふたりほど上級生グループの少年たちを巻き込み、盛大に地面まで落下した。
「まだやるか!? 今度はもっと勢い付けて蹴飛ばすぞ!」
ライウルがぎろりと睨め付けると、思わず動きが止まっていた上級生たちに動揺が拡がる。
リーダーは完全に気を失ってしまっていて、彼らを纏める者がいなかった。
力ある者が集団を纏めるのは魔族の特徴だが、そのリーダーがいなくなったときには一瞬で集団としての体裁を失うことが多い。
これは彼らが理詰めで集団を形成しているのではなく、本能によって形成しているためだ。補助的なリーダーを持たず、指揮系統がある訳でもないのである。
「う」
そうなると、あとは早い。
誰かひとりがその場からの逃亡を選択すると、我先にとそこから逃げ出してしまう。
普段ならそれを咎めるリーダーの怒声があるのだが、今日はそのリーダーが気を失っていて逃亡を遮るものは何もなかった。
「うわああああああああああああああっ!?」
蜘蛛の子を散らすようにばらばらに逃げ出す上級生たち。
(うわ、本当にあっさり逃げちまう。これってヤバくね?)
そうライウルが戦慄してしまうほど、上級生たちの逃げっぷりは潰乱という言葉がこれ以上ないほど相応しい有様だった。
「わははは! 一昨日来やがれ!」
ただ、そんな内心は余所に置いて、ライウルは下級生グループが安心するように笑い声を上げる。
自分たちのリーダーが勝利を宣言したことで、下級生たちはようやく安堵することができたのだった。
なお、この騒動の結果、ライウルは母親に一時間ほど説教されることになる。
理由はグループの安全確保ができていなかったこと、要するに負けた場合の退却手順が準備されていなかったことであった。
父などは良くやったと手放しで褒めていたし、ダンジョンから戻ってきた祖父は息子を飛び越えて孫に跡を継がせようかなどと口にする始末であった。
「ライウル! 女の子を危険な目に遭わせたことは仕方がないとしても、負けたときのことを考えられないのはそれこそ魔族失格なんですよ! 天界との戦いでも何度負けても負けても食い下がったから、最後はあっちが負けたのです。勝ちばかりではなく負けない方法を考えなさい」
「はい、仰る通りです」
べたりと両手を投げ出して土下座をしながら、ライウルは次はもっと確実に勝っちゃると誓うのだった。