人は誰もがすれ違う
「ふぎゃああああああああ!!」
リビングに入るやいなや、赤ん坊は盛大に泣き叫んだ。
それは赤ん坊の中にいた意識とまったく同じ叫び声であり、ここに至ってようやく肉体と精神は一時的な同調を見たのである。
「――若様には、このお姿は見慣れぬものでありましたか。これは失礼なことを」
もっとも、それは叫び声の原因となり、割と本気で落ち込んでいる骸骨族の勇者にとっては何の救いにもならない。
「許せマーカスよ。さきほどドンも盛大に泣かれたところなのだ。まだ屋敷の外も見たことがない赤子のしたことでもあるし、な」
「いえランサー様、知らぬものを警戒するのはごく自然なことであります。たとえ某が血肉を持った姿であったとしても同じように怯えられたでしょう」
暗い眼窩の中に灯っていた弱々しい赤い光が、少しずつ輝きを取り戻していく。彼らには表情はないが、こうして眼窩の光によって感情を窺い知ることができた。
(びびったぁ! なに、歩く骨格標本? いや、スケルトンか)
赤ん坊はひとしきり泣いたあと、がくりと肩甲骨を落としているスケルトン・ロードの青年を眺める。
どうやら悪人ではないらしいが、第一印象というのは如何ともし難い。
(いや、こうした見た目の連中が普通にいる世界なら、多少見てくれが悪くても集団カースト最下位一直線なんてことはないのか? 何それちょっと嬉しい)
赤ん坊が世知辛いことを考えている間に、大人たちはそれぞれソファの席に座っていた。
「迷宮の方はどうだ? 父上がだいぶ張り切っていたようだから、多少は形になったと思うが」
ランサーの問いに、ドンとマーカスのふたりが頷き合う。
マーカスが足下の鞄から書類の束を取り出し、ランサーに差し出した。
「今のところ、第一層の拡張と第二層への掘削作業が進んでいます。冒険者もそれなりに姿を見せており、今月は二〇人をこちらに送り出しました」
「ふむ」
ランサーは書類を捲りながら、自分の父が官営オークションで競り落としたダンジョンの現状を確認していく。
「また、マナクリスタルの方も第一層から第二層に移動させたことで、マナ精製率が向上しています。こちらは前年同月に較べて八パーセントほど」
「なかなか良い数字じゃないか」
ランサーは満足そうな表情を浮かべ、自らの血を引く赤ん坊に目を向ける。
「歴史ばかりの貧乏貴族だが、その子には良い物を遺せそうだ」
「だう!」
(おう、貰えるモンは借金以外なら何でも貰うぞ!)
赤ん坊が何を考えているか知らずに済んだことは、ランサーにとって幸せだったかも知れない。
ランサーは我が子を妻から受け取り、膝の上に載せて書類を見せた。
「ほらライウル、貴様のお祖父さまが手に入れた迷宮だ。まだまだ小さいが、いずれ私が一廉の迷宮にして貴様にくれてやる」
「だぁう」
(おう、頑張れ親父。――でも三代目か、これフラグじゃないよな?)
神妙な顔で書類に手を伸ばす我が子をランサーは頼もしげに見守る。そんなふたりを見たフォーリアが、笑いを堪えながら、ドンとマーカスに話し掛ける。
「ふたりから見て、迷宮はどうかしら? わたしが捕まった頃よりは広くなったと思うんだけど」
「はい。奥様が迷宮にいらっしゃった頃はまだ第二層がなく第一層のみでしたが、一層の面積も十倍近くに拡がっています」
ドンがにこやかな笑みを浮かべながら答えるが、端から見れば獰猛な笑みを浮かべたようにしか見えない。ただ、フォーリアはドンとの付き合いが二年程度になるため、それが親愛の笑みだということは理解できていた。
「あの頃のお前は随分と反抗的であったな。牢に繋がれて武器も鎧もないのに、随分と手を焼かせてくれた。だから気に入ったのだが……」
「あなた!」
ランサーが遠くを眺めながら呟くと、頬を染めたフォーリアがそれを窘める。
「お客様と子どもの前でするような話ではありません! あんまり言葉が過ぎると一緒に寝てあげませんよ」
「む、それは困る」
フォーリアの言葉にランサーはあっさりと言葉を引っ込める。
ふたりは自分たちの子どもが父の膝の上で微妙な表情を浮かべていることに気付かず、同時にオークとスケルトンが顔を見合わせて困惑していることにも気付いていないようだった。
(そら困るよね。多分分からないだろうけど、代わりに謝っておくよ)
「だうだう」
ライウルはぺしぺしと書類を叩き、ドンとマーカスに顔を向ける。
ふたりは赤ん坊が自分たちをじっと見詰めていることに気付くと、それぞれ可能な限り柔和な笑みを浮かべた。
スケルトンは眼窩の光を瞬かせ、オークは目を細めている。
「お坊ちゃまは迷宮の方の話が気になりますか」
「ははは、将来有望で結構なことではないか。マーカスもまた仕事探しはしたくないだろう?」
「まぁ、な。斡旋所通いはもうこりごりだ」
(世知辛いな!? 何この世界、スケルトンが職探しするの!?)
ライウルは戦慄した。実に恐ろしい世界に来てしまった。
「だぁうぅ」
「おや、心配して下さるか」
(そら心配するよ! あれか、中小企業の次期経営者みたいなものか)
ライウルは自分の立場をようやく理解し始めた。
ちょっとした名家に生まれ、その家はダンジョンを経営している。そしてそのダンジョンで働いているのはそれぞれに自分たちの生活を持った人々であり、自分はそれらの人々をいずれ率いなければならないらしい。
「あう」
(やべぇ)
ライウルは父の膝の上でじんわりと嫌な汗を浮かべた。
オークやスケルトンといったファンタジー的な外見に騙され、こちらの世界はあくまで自分の知る世界とは全く別のものだと思っていた。
だが、よく考えてみればファンタジーの世界でもそれぞれに社会があり、俗にモンスターなどと呼ばれる生き物にそれがないとは言い切れないのだ。
「あら? ライウルの顔色が……」
「む? 疲れてしまったか。フォーリア、この子を連れて奥に戻ると良い」
自分の置かれた状況に戦々恐々とするライウルの肌は、父親譲りの青白さを通り越して白石のようになっていた。
両親はそれを不慣れな環境に置かれた疲れからだと考えたらしく、ライウルはフォーリアに抱え上げられた。
「おふたりとも、ゆっくりしていって下さい」
「はい、お気遣いありがたく」
「お大事になさって下さい」
ドンとマーカスが立ち上がり、フォーリアとその胸に抱えられたライウルを見送る。
(って、意識どっか行ってた間に俺退場か、跡取りだって言うなら挨拶ぐらいせんとな)
ライウルはそう思い立ち、母親の腕の中から身を乗り出して手を振る。
ドンとマーカスはその姿に一瞬驚いたあと、揃って手をふり返した。
そのまま赤ん坊の姿が消えると、彼らはランサーに向き直る。
「お坊ちゃまは、随分と聡明でいらっしゃるのですね……」
マーカスが言葉を選びながら感想を口にすると、同意するようにドンが何度も頷いた。
「流石吸血族、赤子の頃から魔族随一と言われる知性を発揮されている」
「う、うむ。我が子ながらなかなかの者だと思っているが、はて、私が同じ年頃の頃はどうだったか?」
我が子を褒められて悪い気はしないが、聡明であるとしても少し度が過ぎてはいないだろうか。
(まあ、我が一族ならばそういったこともあるかもしれん。子どもの頃の成長は個人差が大きいとフォーリアも言っていたしな)
あまり他の子どもと比較しないようにという妻の厳命を思い出し、ランサーは我が子に関する思考を打ち切った。
子育てに関しては妻に任せきりである彼が、我が子の姿に異常を感じることができなかったとしても何ら不思議ではない。
彼の唯一の誤算は、その妻も人間の赤ん坊は知っていても、魔族の赤ん坊については我が子しか知らなかったという点だろう。
両親のそうしたちょっとした認識の相違から、ライウルはその異常性に気付かれることなく成長していくのだった。