純真ハーフスイング/恋心トリックプレイ
お題とジャンルを指定されて一晩で書く、という企画で書いたものです
お題は「バット」「ヘッドホン」「虫除けプレート」
ジャンル指定は「ラブコメ」
じっとりとした汗が全身に滲むのを感じる。暗い山道を懐中電灯の心許ない明かりで照らしながら歩く。
もっとも、こんな季節は何時の何処を切り取ったって暑さは金太郎飴ばりに現れるものだ。気にするようなことじゃない。
なんせ、夏休みだ。暑さも含めて楽しめないようでは若さを疑われてしまう。
実際、歩みを進める竹村真理歌の表情は、汗にまみれてはいれど楽しげだった。可愛らしく肩で息をしながら、暑さと坂道で上気した顔を綻ばせながら後ろを振り返える。
「大丈夫ー?」
「……、っ、……!」
少し間延びした真理歌の声に対して、声にならない声が雰囲気で返事する。意訳すると「もう無理暑いしんどい死ぬマジでいいから帰ろう早くマジで」くらいの感じだが、しんどすぎてすぐに言葉にならない。
「……そんなにキツイなら、ついて来なくてもよかったのに」
「……っ、だって、こんな時間に……、女の子ひとりで、さあ、……」
演技なんじゃないかってくらい息を切らして答える。真理歌の後方を、彼女とは正反対の雰囲気でついてきた高垣航だった。言ってることはわからなくもないが、なら態度も徹底してほしいもんである。ヒーコラ言いながらやっとの思いでついていくのを誰もエスコートとは思うまい。
「だいたい、なんで、こんな時間にこんなとこ、」
航が懐中電灯の光を恨めしそうに真理歌に当てるが、彼女は気にする様子もない。右を向いても左を向いても木ばかりの山道を、ビビることもバテることもなくずんずんと進んでいく。アスファルト舗装されているのがせめてもの救いだ。
「だって、クワガタ捕まえるなら夜だよ、やっぱ」
「だからなんで虫なんか捕まえる必要があるんだよ」
虫が航に「なんか」呼ばわりされる筋合いがあるかどうかはともかく、彼の主張自体はまあ、そんなに間違っちゃいない。この際年齢は差し置いたとしても「女の子が夜中に虫捕りのために山道を歩く」のはヘンと言えばヘンだ。しかし真理歌はそういう人間なのだといえばそれまででもある。
「航くん、虫苦手だもんね」
「いや、そういう問題ですらないし。女の子がひとりでこんな時間にこんなとこ来るもんじゃないでしょ……」
「へえ、だからついてきてくれたんだ。優しいね、航くん」
そう言って屈託なく笑う真理歌に「まあ……」なんて答えながらあからさまに動揺する航の心中は紙に書くよりも明らかだが、本人に限ってバレてないとかアホなことを思ってたりするから不思議なもんである。そういう輩は相手に気をとられすぎて、自分がおかしなことをやっていたとしても気がついてなかったりするから困り者だ。
「でも、わたしに合わせるの大変じゃない? ここもそうだけど、航くん、完全にインドア派だし」
「え、いや、別に、そんなことないけど」
それがインドア派という言葉に対してか大変という言葉に対してか、ともかく航は否定してみせる。実際のところは大変だし間違いなくインドア派ではあるが、そこは素直に認める奴なんていない。しかし航が認めようが認めまいが彼の言動行動雰囲気はすべてにおいて非アクティヴ感全開である。
ここに来る前も航はバッティングセンターに寄る真理歌につきあっていたのだが、面白いくらいに当たっていなかった。いや、バッティングセンターなんぞアクティヴでもなんでもない程度のもんだし、別にインドアだろうが何ドアだろうが行く奴は誰だって気軽に行くもんである。興味がなかったとしても、やってみたらそこそこ楽しめたりもする。
しかし生まれてこのかた野球なんぞに一ミリの興味も抱いたことのなかった航にはハードルが高かったらしい。とりあえずバットは振ってみるものの、ボールには当たらないし飛んでくる球はいちいち怖いし何が面白いのかサッパリだった。野球の話は全然わからない。無神経に「どこファン?」などと、世の中の人間は全てどこかの野球チームのファンである前提で話を振ってくるオヤジは滅びればいいと思っている。無論本当に「滅びよ」などとは言えず、面倒くさいので「ヤクルト」と答えることにしていた。乳酸菌飲料が好きなのだ。
そんなこんなでバットをボールに当てたことは一度もない航だが、人間の頭に当てそうになったことはあったりするから怖い。幸い、すんでのところで事態は収まったが、もしそのバットを振りぬいていたら、今こうして真理歌のクワガタ捕りにおっかなびっくりついていく航はいなかったかもしれないのだ。普段は大人しいのに、キレると何をしでかすかわからないという典型であった。「とりあえずバット振らなきゃ話にならない」とは言うが、振るべき時と場合は最低限考えましょう。そもそもバットは武器ではない。やたら武器イメージが強いのはジャイアンと不良マンガのせいだと航は思っている。なぜどいつもこいつもバットを武器にしたがるのか、考えてみれば謎だ。
樹液たっぷりのクヌギの木に向けて二人は歩く。
真理歌の服装は肌の露出を極力少なくし動きやすい靴を履くなど、あらかじめここにくることを想定していたらしかった。完全別定義の森ガールである。森ガールが「森にいそう」なら、真理歌のは「林に分け入ることを想定した」だ。機能的過ぎ。ゴム長靴とか履いてないだけまだマシではある。
夜の山や林におなじみの、謎のガサガサ音がそこらじゅうの草むらや木の間などからしょっちゅう巻き起こる。獣の声と虫の声がひっきりなしにBGM兼SEとして機能している。端的に言って怖い。とくに航のような慣れてないヘタレからしたら帰りたくなる度急上昇だ。
無論、帰ろうと言って帰る真理歌ではない。航は気を紛らわすために、いつもしているヘッドホンを耳にかける。航の普段の生活に欠かせないものと言ってもいい。一人でいるときはおまえ碇シンジかよってくらいずっと音楽を聴いているし、そうでなくたっていつも首にヘッドホンをかけている。オシャレのつもりなわけはなく、煩いものを好きな音楽で上書きできるところが航の性に合っていた。
しかし航が黙ったのに気がついた真理歌は航の頭にさっそくヘッドホンを見つけ言う。
「え、こんなとこまできて音楽きいてるの? ヘンだよ」
「……いいだろ別に」
ヘンといえばこんなとこまでクワガタ捕りにきてる女の子であるところの真理歌もヘンなのだろうが、それは棚上げである。航は会話のために仕方なくヘッドホンを外し説明する。
「なんか変なガサガサ音とか鳴き声とかさ、あんま聞きたくないっていうか」
「えー、それがいいんだよ。大地の鼓動だよ、生命の波動だよ!」
「いや、いきなりそんなスピリチュアルなこと言われても……」
「てゆうか航くん、いっつもヘッドホンしてるよね。正直、もったいないと思うー」
「え、なんで?」
「だって本当はいろんなところから聞えてくるいろんな音、ぜんぶ遮っちゃってるんだよ。もったいないよ」
「別に聞きたい音じゃないし、うるさいのとか聞きたくないのもあるし」
「うーん、……ヘッドホンとかイヤホンってさ、聞くために逆に耳を塞ぐじゃない? なんか、ヘンだなー、って思うよ。やっぱ、もったいない」
「そうかな」
「そうだよ」
それは真理歌の考え方であって万人の意見ではない。生命の波動がどうこうとか平気で言えちゃうヘンな女の子の常識であって、むしろ世間的には非常識に近いだろう。テレビの常識非常識みたいなもんである。
しかし、航は少しだけ考えて、ヘッドホンを外した。相変わらず山特有の怪音は怖いし不快だが。
真理歌が微笑む。
下心で賛同してみせたといえばそうだろうが、誰だってそんなもんである。むしろいきなり感化されたとしたら、そっちのほうが怖いわ。
だから、ヘッドホンを外して正解だったと、航は思う。
山に限った話ではない。夏、聞えてくる不快な音筆頭は、ガサガサ音や獣の鳴き声なんかではない。
蚊の羽音である。
なんだって蚊は、こんな不快な音を出して飛んで、絶妙にムカつく痒みを与えて去っていくのだろうか。黙って吸って、痒みも与えず去ってくれればそれでいいのに。どう考えても余計なオマケをつけたせいで、本来の被害の10倍は恨まれていること間違いなしだ。ウイルス、伝染病の媒介? とりあえず今は知ったことではない。ただ痒いし不快だという理由だけで、撃滅するに足る充分な理由である。早くホイホイさんを開発してくれ、マジで。
「なんか蚊の羽音が聞えるけど……暗くてよく見えない、クソっ」
航は躍起になって手をぶるんぶるん払うが、そんなので蚊が諦めてくれたことなんて古今例が無い。気がつけば刺されており、また気がつけば別の場所を刺されており、虫「なんか」に翻弄されっぱなしである。露出している部分なんて腕と首筋くらいのものなのに、よくもまあ見事というほかない。
しかしふと真理歌を見てみると、蚊なんて何処吹く風、涼しい(暑いけど)顔である。
「え……? 蚊、刺されないの? 俺めっちゃ刺されてるんだけど、」
「心頭滅却すれば蚊もまた痒くなし、だよ」
どことなく悟ったような微笑で真理歌は言う。
「……マジで?」
「……ごめんウソ。ちょうかゆい」
そう言っていきなりすまし顔を崩した真理歌は、えへへと笑ってポリポリと首筋を掻く。
一瞬感心したのに、と思うと同時に航は真理歌のそういう部分が見られて嬉しくもあった。蚊よ、ちょっとだけ感謝!
「虫除けスプレーとかしてくるの忘れたねー」
「つか、こんなとこ来ることになるとも思ってなかったけど」
「そういえば航くん、むかし、わたしのつくった虫寄せ用の仕掛けの隣に、虫コナーズ吊るしたことあったよね」
「だって羽虫とかが大量に、」
「ひどい話だよ」
しかし真理歌の顔は怒っている様子はなく、むしろ懐かしむような表情だ。
むかし、真理歌が酒だのバナナだの蜂蜜だのを煮込んでつくった、人に食わせる料理より金のかかった虫寄せの仕掛けを家の庭に吊るしたとき、半端ではない数の羽虫類が昼真っから集まりだしたことがあった。せめて夜にやれよって話である。あともっと林の近くでやれよって話である。このままでは自分のところまで被害が及ぶ。虫が大嫌いだった隣の家の子供は事態を重くみて、虫除けプレートをエサの隣に吊るしたのだ。
結果、虫にとって「近寄りたいけど近寄れない」という焦らしプレイのような悪魔の仕掛けが偶発的に生まれ、虫たちによるドーナツ化現象が発生。それはそれで壮観な光景ではあった。ついでに言えばそれが航と真理歌の出会いでもある。
真理歌が懐中電灯の照らす手元を飛ぶ蚊を払う。山の蚊はデカい。なんだか白黒の縞模様がある特徴的なやつだ。気のせいか痒さも強い気がする。
「今日は虫コナーズ持ってないの?」
「持ってるわけねえじゃん!」
「でも航くんも虫コナーズみたいだよね」
「どういう意味だよ!」
「え? うーん、なんて言ったらいいかなー……」
そのまま真理歌が言葉をさがしているうちに、目的のクヌギはすぐそこだった。舗装された道を外れて林に少し入る。足が草に引っかかり、蜘蛛の巣が顔に被さる。真理歌はぱっぱと先に進んで、もう例のクヌギの樹液が出ている部分を懐中電灯で照らしている。
樹液レストランから、特有の発酵した酸っぱそうな、それでいてちょっとだけ甘そうな香りがする。夏の匂いだ。
「いるか?」
「……カナブンと……ヨツボシケシキスイに、……うーん」
ヨツボシケシキスイとかサラっと名前出てくる女の子ってどうなのだろう。
「いない系?」
「航くん、虫コナーズ吊るした?」
「だから吊るしてねぇって!」
「でも航くんも虫コナーズみたいだよね」
「だからそれどういう意味だよ!」
「むかし、お父さんが言ってたよ。わたしに悪い虫がつかないようにー、とか、なんか、」
「――っ」
航は頭を抱えて赤面し、何か言おうとしたが何も言葉にならず、結局溜息だけを漏らす。なにを言ってるんだ真理歌父は。そして真理歌自身はどういうふうに自分を見ているのか。
「え、えと……俺は、」
「虫コナーズ」
「む、」
思わず力が抜ける。もうちょっとなんかないのか、いい例えは?
「当たり前だけど、虫除けプレートって人間には無害なんだよ。でも、悪い虫はつかないようにする、っていう」
相当、キツいなそれ。ちょっと泣きそう。
いま自分がどういう表情をしているかわからない。無表情のつもりだけど、そうなっている自信が無い。
真理歌は航に目を合わせ、少しだけ首を振るような素振りをみせる。
「……前にさ、わたしが「悪い虫」に絡まれてたとき、航くん、バットなんか振り回して追い払ってくれたよね」
「――――、」
「ありがと」
航はなにも返せない。なんで今その話なんだよ。なんで今更礼言ってるんだよ。
だって、あのとき――――
「……帰ろっか。クワガタ見つからなくて残念だけど。ノコかヒラタ捕まえたかったなぁ」
「あ、あぁ」
何事もなかったかのように、いつもどおりの調子で真理歌は言う。真理歌はそういう女の子だ。
そして航はそれに素直に従う。苦手なことでも真理歌の望むようにするし、いざとなったら虫除けもする。
だけど心はいつも穏やかなわけじゃない。だって航も男の子だ。
草むらからガサガサ音がして、木の間から獣の鳴き声がする山道を、二人は並んで歩く。
真理歌が何か話しても、航はどことなく生返事で返してしまう。弱まり始めた懐中電灯の光の先をぼーっと見つめ、だけどなんだか落ち着かない。
やっぱり今日は家までヘッドホンをしといたほうが心の平穏を保てるかもしれない。
もったいないと真理歌は言うが、ナチュラルに耳に入ってくる音の何に心動かせというのか。猥雑な環境音にも他人のお喋りにも、さして興味は惹かれないのだけど。そしてなにより、聞きたくないものまで聞えてしまうことだって、あるかもしれないのだから。
「なんか、元気ないね? どうしたの」
自覚無しかよ。もういいやと空元気で冗談交じりに返す。
「そりゃ虫コナーズ扱いされたら凹むよ」
「む。じゃあナイト気取りかー? それで」
「それで、ってオイ……」
「ナイトはバットで戦いません」
「もうバットの話はいいだろ」
「そう? じゃあ、ちょっとだけ。……わたし、あのとき航くんがバット振り下ろさなくてよかった、って思ってたよ。もし振り下ろしてたら……大変だもんね」
「……」
「――って、思ってたつもりだったんだけど、」
「え?」
「ほんとはね、心のどっかで、ちょっとだけ、振り下ろしてくれたらいいなー、って、思ってたと思う」
真理歌が自分の顔をうかがうように見る。いつもの能天気な調子ではなく、少し自嘲するように目を逸らして言う。
「相手が凄く憎かったとか、そういうんじゃないんだよ? ただね、」
そこで真里菜は言葉に詰まる。言葉をさがしているのか、それともただ、言うことを躊躇っているのか。沈黙は随分と長い。
航は言葉の続きをひたすら待つ。
何度か開きかけた真理歌の小さな唇がようやく開いて、言葉を紡いだ。
「……ただ、もし今度ああいう事があったら、――あ、もちろん無いほうがいいけど――バット振りぬいちゃってもいいんじゃないかな……なんてね」
そう言うと真理歌は航に再び目を合わせ、悪戯っぽく微笑んだ。今の顔は文句無しに可愛い。つられて航もつい笑みを浮かべてしまう。
「あ、でもやっぱり、航くんは虫コナーズじゃないかも」
「じゃあ、なにさ」
まさかもうナイトって線はあるまい。そんな評価はすっぱり諦めた。
「悪い虫がつかないように、なんて言うけど、航くん」
「だから、なにさ?」
「そういう役目の人が、実は一番おっきな「虫」だったりすることってあるよねー」
ドキっ、としたのが航の正直なところだった。それが、冗談か本気かはともかく。
「……そっかあ。クヌギの木にはいなかったけど、ここにいたんだねー、おっきな虫」
などとあんまり巧くもなければ笑えない冗談を真理歌が飛ばす。にやりとした表情で航の顔を覗き込む。航はコロコロ変わる真理歌の様子と言動に完全に翻弄され、動揺している。気取られまいと調子よく返す。
「だから、人を虫扱いすんな! 虫コナーズから虫じゃ、格上げか格下げかわからないって」
「でもナイトよりは似合ってると思うな。航くんも、わたしにも。わたしもやっぱり、あのときつくった仕掛けみたいなものだもん」
真理歌があの、羽虫ばっかり集まった。高いもんを混ぜ合わせた、でも人が食えそうにない匂いを放ってた、あの仕掛け?
「そりゃ凄い例えだ」
「わたしのつくった、あの仕掛けにかかった一番の大物って、なんだと思う?」
「大物? クワガタなんか来てなかったし、途中から虫除けがあったし……わかんないな」
真理歌は急にずいっと航に距離を詰める。楽しそうに、航と向かい合って後ろ向きに歩きながら、ふいに航の耳元に唇を寄せる。汗の匂いが鼻腔を掠める。航は身動きもできない。真理歌がほんの小さく唇を動かす。航は急のことに情けない声をだすのがやっとで、
「ち、ちょ、」
「――――――。」
「へ?」
情け無い声はまだ漏らしたまま、しかし確かに耳が拾ったはずのその言葉を反芻しようとして、でもうまくいかない。
真理歌は小走りで航の前方に離れ、いつもの能天気で屈託の無い笑顔が力無く握った懐中電灯に照らされる。やべぇ可愛い。
そして言うのだ。
「ヘッドホンしてなくて、よかったでしょ」