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河合と立ち寄った店は雰囲気の良い和風の喫茶店だった。
木材をたくさん使っており、木の良い匂いがかすかに香る。
店員も感じが良く、全体的に温かみのある空間にほっと一息をつくことができた。
「ここには良く来られるんですか?」
ウェイトレスに飲み物を注文をして、亜矢子は周りを眺めながら尋ねた。
「うん。もともとは友人から教えてもらったんだけどね。取引先からも近いから、時間が早かったときとか、商談後にちょっと休憩、というときによく使っているよ。・・・なんかここ、落ち着くんだよね」
「そうですよね。私もこれから使わせてもらいます」
「うん。そうして・・・って、ここは僕のものじゃないのにね」
いたずらっ子のように笑う河合を見て、亜矢子も少し笑った。
亜矢子の笑顔を見て、河合は優しい目をしながら水の入ったコップを手に取った。
カラン・・・。
訳もなく、河合がコップをゆらす。
普段いろいろと話題を振ってくれる河合だが、今日はあんまり話がない。
なんだか緊張している様な河合に亜矢子は少し不安になってきた。何か仕事でミスしただろうかと、あれこれ自分の行動を確認してみる。
自分では思い当たらないが、何かやってしまっただろうか?
「あの・・どうかしましたか?・・・何かミスしました・・・か・・・?」
河合ははっとしたように亜矢子を見上げた。
それから一度下を向き、小さく息を吐いた。そして亜矢子をしっかりと見つめて言った。
「ううん、大丈夫。何もしていないよ。・・・ねえ、中村さん・・・僕ね、・・・来月限りで会社を辞めるんだ」
「・・・え?」
亜矢子は一瞬何を言われているか、分からなくなってしまった。
彼は今なんと言ったのだろう・・・?辞める?会社を?・・・なぜ?
混乱する亜矢子を見て、河合は苦笑いを浮かべながら一口、水を飲んだ。
それからまた詳しく話し始めた。
「実はね、僕のことをかってくれる会社があってね。・・・そこに行こうと思うんだ」
少し困ったような、照れたような面持ちで亜矢子を見つめる河合に、小さくヘッドハンティング・・・と亜矢子がつぶやくと、河合は少し微笑んだ。
「・・・会社には・・・もう・・・?」
どう聞いてよいか分からず、戸惑いがちにに聞き返す。
丁度その時、ウェイトレスが2人の注文していたアイスティーとアイスコーヒーを運んできた為、少し話が中断した。ウエイトレスに軽く会釈をする亜矢子を見ながら、河合は明るく答えた。
「伝えてあるよ。意外にあっさりと受理されちゃったから、拍子抜け」
そう笑って、河合はアイスコーヒーを勢いよく飲んだ。
亜矢子はどんな会社なのかいろいろ聞いてみたいことがあったのだが、それらを全て言葉に表すことが出来ず、ただただ呆然とするばかりだった。
「・・・そうなんですか・・・」
そういったまま固まっている亜矢子に落ち着いてもらおうと思ったのだろうか、河合がアイスティーを勧め、亜矢子は慌ててストローの袋を破った。
アイスティーはすっきりとした味わいの美味しいものだったのだが、なぜか口に残るのは苦味だった。
「中村さんには、仕事上いろいろ迷惑がかかりそうだから、先に言っておこうと思ってさ」
「・・・はあ・・・」
その後河合が次の打ち合わせに行くまで、これからの仕事の割り振りを亜矢子と話していたが、正直内容があまり入ってこなかった。
その翌朝、朝礼で河合が退職する話が皆に知らされた。
営業のエースが退職という話は一大センセーションを巻き起こし、次の会社についてたくさんの憶測が飛んだ。
たくさんの人々が河合に今後の身の振り方について聞いてみたが、河合自身があまり語らなかった事と、パートナーの亜矢子もそれ以上の情報を持っていなかったため、だんだんと騒ぎ立てる声も収まってきた。
それに、いつまでもその話題で盛り上がる程、仕事が暇ではなかったことが一番大きいかもしれない。
亜矢子もいろいろ聞いてみたかったが、仕事の引継ぎなどで多忙を極め、質問以外、他に何も聞くこともできずに河合の最終出社日となった。
面倒見が良かった彼は年齢に関係なく頼りにされていた為、色んな部署の人々が河合に声をかけている。その声掛け一つ一つ丁寧に返す河合を遠くに見つめながら、河合に声をかけるタイミングを計っていた。
亜矢子はパートナーだったため、という理由から代表で花束を渡す役目を仰せつかった。
本来なら送別会などがあるはずなのだが、本人が辞退したため河合と会うのは今日が最後だ。
これでもう最後だから想いを伝えても良いかもしれない・・・と思ったのだが、更衣室に置いてあった花束を取りに行った時、、受付の柳井が今日食事に誘っており、告白をするという話が聞こえてきた。
亜矢子は少し目の前が暗くなったように思った。
華のある柳井を河合が気に入らないわけがない。とてもお似合いのカップルになるだろう。
そんな時に私が邪魔して良いわけがない・・・。
亜矢子はロッカーの中にある青い花束を両手でそっと包み込んだ。
この花束は亜矢子が選んだものだ。
最後だからと一層丁寧に仕事をする河合に、感謝とこれからの活躍を祈って、ブルーローズを中心とした花束を作ってもらった。
青と紫、白の花を巧みに合わせ、華美にならず、さみしくならないように加減する店員のセンスはとても良いものだった。
伝わらなくても 想いをこめてわたそう。
亜矢子は青いバラの香りに勇気をもらって、姿勢を正し河合のもとに向かった。
あと1話ぐらいでお見合い会場にたどり着く・・・はず・・・。
・・・多分・・・(汗)
いつも読んで下さる皆さんに感謝です。 ありがとう!!