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その日の仕事は何とかやり過ごしたものの、会社に戻る気になれなくて、そのまま帰ることを電話で伝えた。
携帯を切ると思わず大きなため息をつく。
今日の出先は大手スーパーの店舗で、既存の売り場での商品展開の仕方について店員と相談していた。
店舗があるのは郊外の大型ショッピングセンターである為、客層も20代~30代前半の若い男女が多く見られる。
思い思いの洋服や雑貨を二人で選んでいる様子はとても幸せそうで、輝いて見えた。
みんな華があるよ・・・ね。
いつもならやる気をもらえる場所なのに、今日はどうあっても落ち込んでしまうらしい。
気分を変えようと、お気に入りのお店でスイーツを買い、この場所から足早に立ち去ることにした。
亜矢子の住んでいる町は田舎、というまではいかないが、都会でもなく、電車やバスなどがそれほど充実しているわけではない。また周りに山がたくさんあるせいか、平坦な道が少ない。そのため車で通勤をしている。
車は薄暗くなってきた道を慣れた調子で走っていた。
慣れている道の所為なのか、運転に集中できずどうしても先ほどの出来事が頭から離れない。
「あー・・もうっ!!考えない!」
苛立ちからアクセルを踏む力が強くなる。軽やかに走る車に少しだけ気持ちがすっとしたが、何度も出来事がよみがえる。
そのことに気を取られて、前方で赤く揺れながら光るものに気が付くのが遅れた。
・・・それが誘導灯だとわかった時、亜矢子は声にならない悲鳴をあげた。
急ブレーキをかけると車は跳ねるように振動し、大きな音を立てて止まった。
もともと黄昏時だったので周りは見えにくかったが、それに増して急ブレーキをかけたことから砂埃が舞い、状況は本当によくわからない。
ほんの2.3秒のことだったのか、それ以上時間がたったのか分からないが、辺りが静まり返かるとやっと状況が見えてきた。亜矢子が前方の確認が取れるようになったとき、誘導灯を振る男性の表情がはっきり分かる程近くに、車は止まっていたのだ。
何の言葉も発することなく、二人の視線が絡み合う。
先に正気に戻ったのは亜矢子だった。慌てて車外に飛び出し相手のそばにかけ寄る。
「あの!すみませんでした!!・・・お怪我はありませんか?」
見た感じとりあえず相手に外傷はなさそうだ。そのことにホッとする。
男性はまだ何も言わなかったが、全身の雰囲気から亜矢子に対する非難の態度が見て取れた。
亜矢子はもう一度すみませんでした、と頭を下げた。
男性はやはり何も言わず、頭を下げる亜矢子をじっと見つめ、そして何かを小さくつぶやいた。
その言葉は何と言ったのか聞こえなかったが、多分自分に対する嫌味か、非難だろうと思う。これだけ近距離でぶつかりそうになったのだ。罵声を飛ばされても、ひどければ暴力があってもおかしくない。
亜矢子は次の展開に身を竦めた・・・のだが。
「・・・?」
男性は特別何か文句を言うわけでもなく、車に乗るよう指示した。
そして対岸の誘導員を確認した後、すっと道路の端によけて車を出すよう促した。その動作に無駄がなく、またとてもきれいだったので、亜矢子は反応が遅れてしまった。
慌てて車を動かし、自分が通り過ぎる瞬間一礼をした男性に、亜矢子もお辞儀を返していた。
低速で進みだした車内で、亜矢子は脱力感でいっぱいになってしまった。
しばらくは何とか走っていたが、やはり運転する手がかすかに震えている為、近くのコンビニの駐車場に車を止め、崩れるようにハンドルに凭れ掛る。
今日はなんて日だろう…。
秘かに思っていた人には気持ちがばれちゃうし、人をひきそうになるし・・・。
「何やっているんだろう・・・」
ハンドルに体を預けながら、今日何度目かの大きなため息をついた。
あの人、よく怒らなかったな・・・。
あの道は良く通るから、明日もう一度お詫びした方がいいのかなぁ・・・。
でも、もしかしたら話しかけない方がいいのかもしれないし・・・。
亜矢子は先ほどの姿勢のとても良い誘導員を思い浮かべながら、明日もう一度謝るかどうかをずっと考えていた。