表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/11

責任の代償としての自由(後)


 麦茶をあおりながら、僕はテラに聞かなくてはいけないことがあるのを思い出した。どうやら、今がちょうどいいチャンスのようだった。



 「ねえ、テラ。幾つか聞きたいことがあるんだけど」


 僕がそう言うと、テラは麦茶に口を付けながら、こくり、と一度うなずいた。それは、どうぞ、という意味合いではなくて、そうだろうね、と、知れきったことを聞かれたようなうなずき方だ。


 「君は、今回のことでいったいどこまで知っているのかな」


 陽子が、身の危険を考えてテラを僕の元へ預けた件。僕が知らないことを、テラは知っている。それは明らかだ。誰がテラをねらっているのか、陽子たちがどこにいるのか、どうして僕が預け先に選ばれたのか……


 しかし、テラはそれについて、何の返答もしなかった。どうやら、答える気は微塵みじんもないらしい。あるいは、僕の質問がアバウト過ぎたのだろうか。


 「じゃあ、……昨日届いた、君のお母さんからの小包はどうやって僕の家に届けられたんだろう?」


 その質問に対しても、テラは沈黙を続けようとしていた。が、僕があきらめて次の質問をしようとしたその時、


 「あれは、僕が置いた」と言った。


 僕は、少しの間、その答えの意味が理解できなかった。僕が置いた? なぜテラが置く必要があるんだ? いったいあれはテラのどこから出てきたと言うんだ。


 だが、少しの間考えると、テラが置いたとすれば、いろんな事の辻褄つじつまがあうことに気づいた。テラが、僕と一緒に出かける前にこっそりテーブルの前に置いていったというなら、誰かが家の戸をすり抜けて小包を置いていったと考えるよりも信憑性しんぴょうせいがあるし、陽子が手紙や電話のやりとりを傍受されないように、テラに伝言を持たせて直接僕に渡そうとしたというのは十分考えられる。


 でもやはり、そこには一つの疑問が残る。なぜテラは、そんな大切なものを三日も僕に見せずに、三日目に突然その存在を知らしめたのだろうか。テラがそうすることによって、誰かが何か得をしたのか? 何も事情を知らない僕には、その問いは想像の範疇を超えていた。


 「どうして君は、あの小包をすぐ僕に見せなかったんだい? あの中に重要なものが入っているっていうのは知ってたんだろう」


 この問いには、テラは答える気配を最後まで見せなかった。やはり、彼はWhy?の質問には答えてくれない。核心はいつもぼやけたままだ。なぜ彼はいつまでも事実をミステリアスにしようとするのだろう。

 真相を謎めかすのは演出としてはまあまあだろう。でも、その当事者にとって、真相がぼかされるほどいらつかされることはない。


 あるいは、テラは僕の問いに対して答えを持っていないのかもしれない。彼にも分からないところで、現実は進行しているのかもしれない。しかし、僕はどちらが本当なのかを判断する材料は最初から持ち合わせていない。うむ、まあいいだろう。それはいつものことだ。


 「分かった。もうこの話はよそう。問題は、自由とは何かだったね」


 僕が話を断ち切ると、テラは握っていたコップから静かに手を離した。コップにはまだ麦茶が半分以上残っていた。


 「どこまで話したっけね。そうだ、また憲法十二条が登場するところからだったね。それまでは、憲法で言うところの自由が、心のままにふるまう自由ではなくて、何か責任を果たしたことへの代償のようなものだという話だったね。


 次は、その自由が一人だけでは成り立たないって話だ。これは、憲法十二条の前半に書いてあることとリンクする。もう一度、十二条を言ってもらっていい?」


 「第十二条 自由・権利の保持の責任とその濫用の禁止。この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」


 「OK、そこまででいいよ。この文章では、自由や権利がそれぞれの国民に与えられるためには、国民自身が絶えず努力しなければいけないって書いてある。と、ここで一つの疑問が生まれる。国民はいったいどんな努力をし続けなければいけないんだろうか。多分、中学校の公民ではそこまでやらないだろう。憲法についても最近はあまり触れないんじゃないかな」


 僕は、そんな大切なことを習わずに、一体何を習っているんだろうと考えてみた。僕の学生時代は、嫌と言うほど憲法の条文を読まされて、暗唱もさせられた。おかげで今でも重要なところは諳んじることができる。


 でも、確かに実際問題、いくら憲法を覚えたからと言って、その言葉のもつ意味を一つ一つ理解して、自分の解釈を得ることができなければ、全く憲法なんて役に立たない。今の学習指導要領に従ってる中学生たちが、そうした学習をズルせずこなせるかどうかは疑問だ。


 「ま、そんなことはどうでもいいとして、国民がどう努力すべきなのかという話だけど、これは同じく憲法が定めている国民の義務とリンクさせることもできる。つまり、納税、勤労、教育を受けさせる義務だね。それをきっちりと果たすことが、一人一人の自由を保持することに、遠いけれどもつながっている。


 国家において政府とは、結果的には国民の生活を守るためにある。それが国家を守ることとイコールだから。それで、国民のそうした自由や、平等や、生存なんかを守るためには、警察やら軍隊やら、病院やら学校やらを作らなくてはいけないし、経済を発展させて、国民の生活を豊かにしなければいけない。


 そのために何が必要かと言えば、まず第一にお金がいる。それがいわゆる国民の納税によって集まったお金だね。そして第二に、そのお金を上手に運用する頭が要る。そのために教育を受けさせることは必要だ。そしてその基盤となるのは、税金を納めるため、学費を納めるための労働なんだ。それに政府も労働力がなければ、お金と頭脳があっても機能しない。


 そしてその機能は国民の自由その他いろいろの権利を守るためにあるんだから、国民の義務を守ることは、それだけでそれぞれの自由を守ることになるんだ。義務を守れない奴には権利もないって言われる所以ゆえんだ」


 「義務を守ることが、自由を保持するための手段」


 「そう。なんだか矛盾しているようにも思えるけどね。僕らは自分がしたいようにするために、したくないことをしなければならない。そしてこの例は、日常生活でもたくさん見つけることができる。


 例えば、自由に知らない町を旅したいのならば、地図を買わなければいけない。地図を買うためにはお金がいる。そのお金を得るためにアルバイトをする。そうして苦労した結果としてお金がもらえて、地図を買うことができて、自由な旅ができるようになる。まあ、実際には地図以外にもたくさん必要なんだけど。


 で、ここで大切なのは、地図を売っている人も、お金を得て自由な活動をするために地図を売っているってことなんだ。そしてまたお金が何かに使われ、誰かがお金を手にしてそれをまた自由に使う……


 自由はそんなようにして、人から人へバトンタッチしていって、それが絶え間なく誰かの手元に存在しているんだ」



 それは、経済という言葉ともイコールで繋げることができるんじゃないか、とも思った。そもそも、経済というものも含めて、社会の営みはすべて、人々の幸福を目指して行われているはずだ。ならば、自由と幸福はイコールで結びつけることができるだろうか。


 いや、僕はそう考えてから、ため息を吐きたいような気持ちになった。


 「自由は人々の中で絶えず移動している」


 「少なくとも、僕はそういう風に考えてる。広い意味でとらえれば、お金を使うって事は、自由を取引しているとも言えるんじゃないかと思う。お金って言うのは、それを持つことが、自分は自由を得るための責任を果たしたんだ、っていうことの証拠になるんじゃないかな。人々は、その証拠を信頼してものを買って、日々の生活を自分の送りたいように送っている……」


 そういう風に考えることができれば、お金もなんだか信用のおける存在になりそうな気がする。お金は、人々の自由を運んでいるのだ。


 でも、それによってみんなが幸福になるとは到底思えなかった。なぜなら、そのささやかな自由の取引の中では、前へ進むこともなく、後ろへ下がることもないからだ。

 歯車は、お互いがこれでもか、というほどがっちりとみ合っている。だからこそ一つ一つの歯は同じ場所をぐるぐる回ることしかできないし、きまった相手と触れ合うことしかできない。しかし、それによって、全体の安定は保たれているのだ。


 「僕の自由についての考えを総括するとね、自由って言うのはつまり、社会から与えられた責任や規制に対して、十分に納得して満足したときの、心の安らかさを形容したものなんじゃないかっていう結論に達する」


 言いながら僕は、自由について、一つの光景を想像していた。


僕が自由と聞いていつも思い浮かぶ光景は、夏の昼下がり、涼しい風の流れるベランダだ。そこに僕と、あと一人、気が置けない誰かが、ウッドチェアーに腰掛けている。二人はたいがい高地集落の民族衣装みたいなのを着ていて、ことあるごとに目をあわせ、それから沈みゆく夕日を眺めている。


 テラは、僕の出した結論に対して、肯定もせず、否定もしようとはしなかった。ただ、僕の言葉を何度もしっかりと噛みしめているようだった。


 僕は彼の納得のいく結論を、彼に与えることができたんだろうか。少なくても僕はこれまで、自由とは何だろうと考えたときには、それはただの形容詞でしかないという結論を出し続けてきた。

 今のところ、それを超えて僕を納得させる意見は出てきていない。そして、ぼくはそれを今、率直にテラにぶつけた。もしかしたら僕は、テラにこの考えを超える自由論を求めているのかもしれない、と思った。


 テラは今のところ、僕にとって最高の生徒だ。しかし、最後まで最高の生徒であるためには、自分のものとした知識や考えを総合し、体系化した上で自らの仮説を打ち立て、既存の説を覆すという作業ができなくてはいけない。僕は、そんな生徒に今まで出会ったことがない。


 が、僕がそれをテラに求めている事に対して、僕は自分自身をどうかしていると思わずにはいられなかった。一体、いつからテラは僕の生徒になったというんだろう。あくまでも彼は、自分の知識を満たすために僕に問いを投げかけ、その答えを新たな知識として蓄えてるに過ぎないのだ。


 僕は最初、彼の質問に全力で答えることで、彼に何かを与え、自分も何かを得ることを目的としていたはずなのに。いつから僕はテラ以上の存在になったんだ? ましてや僕は自分の考えを、絶対的に正しいこととして教えることができるのか?


 答えはどちらもNOだった。僕はテラと、なに隔たり無く、対等な立場で接するべきなのだ。



 「僕は、今自由だといえるの?」


 テラは、僕の目を見つめて聞いた。


 「僕の考える基準で言うなら、僕は君が今自由なのかどうかは知ることができないな。でも、君が自分で確かめることはできるだろう? 自分に向かって“今の自分に納得してるかい?”って聞いてみるんだ」


 テラは、静かに目を閉じた。自分と対話するためには、きっとそうすることが必要なんだろう。


テラの唇が、二、三度音を立てずかすかに揺れた。………長い沈黙。


 僕も同じように、自分に対して問いかけた。“僕は今の自分に納得しているかい?”



 暫く時間が経った後、テラは眠りから覚めるかのように、ゆっくりと目蓋を持ち上げた。そして、首を小さく横に一往復させた。


 僕にはそれが、「納得できるはずがない」を表しているのか、それとも「分からない」を表しているのかは判断できなかった。もしかしたら、僕の答えと同じものかもしれないし、違うかもしれない。



 「テラ……大切なことは、必ずしも自由である必要はないし、必ずしも自由が幸福なものではないってことだよ」


 それは、テラを慰めるために出た言葉ではなかった。それは本当のことなのだ。


 僕が考えるとおり、自由が心の安らぎだとするならばそれは、ただ単にこころが盲目であるだけに過ぎないのだし、憲法が定めているものが本当の自由だとするならば、そこからは平凡な個々の生存しか生み出されない。たとえ心のままに振る舞える自由が手に入ったとして、それは何か、大きくて大切なものを捨てることに他ならない。


 もしそれが本当ならば、朗らかな朝に軽快な哲学レッスンをするぐらいの自由が一番手頃で気楽なんじゃないだろうか。それによって僕らが求めているものが手に入らないとしても、それはきっと手に入れるべきではないものなんだ。そう考えればいい。少なくともそれで心は満たされる。



 「ねえ、テラ。そろそろご飯にしないかい? もうおなかがぺこぺこだよ。メニューはいつものでいい?」


 テラは、穏やかにうなずいた。そう、どうしようもならないことには、あれこれ文句を言うより、満足しようと努力することが大切なのだ。


 「だし巻き卵はなしでいいかい?」


 「いい」


 「よかった。」





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ