エジソンと神父の出会い// これは決して業界としてのTVを誹謗する物ではない
お断りは本文中にあります。
エジソンと裸足の神父
以下は、2010年の夏に、誰かの事情によって(少なくともそれは僕の都合には即していない)発明の天才と呼ばれていた6歳の児童との同棲したときの記録だ。
これを記したのは、彼との生活の中で、心に残しておくべきだと思うことがいくつかあったからだ。別にそれらは、当時の僕が将来役に立つであろうとか思ったから残すのではなく、そのとき、直感的にこれらの出来事(あるいは会話)は、記録に残る形で残さなければいけないと思ったからだ。もしかしたらこれは、卒業式の前日に、教室の窓際に落書きしていくことに似ているかもしれない。
そこに刻むことは何でもいいのだ。もしそれが風化することなく300年間あり続ければ、そのころには昔の学生の文化を知る重要文献になるかもしれない。
ワープロソフトとパソコン、暇な時間、そして書きたいという衝動があれば、それが消えてしまう前にキーボードを叩く。この僕の思考回路は決して間違った物ではないという確信は、あるわけではないが、少なくとも僕は、法律と社会一般のルールとやらが許す限り、この作業を完結に導いていこうと思う。
この記録は、とりあえず2010年の8月2日から始まる。また、一日目の記録に限っては、僕の想像といささかの修正が加えられている。それは、この記録を残そうと思い立ったのが二日目だったからだ。
いつ頃を終わりとするかは、まだ僕の中でも整理が付いていない。何かの不都合があって、一日目の記録を発表したところでこの作業を打ち切ることになるかもしれない。
そのときは、直接僕が目にすることのできないあなたの時間を徒に奪ってしまったことを、率直に謝りたい。もしあなたの過ぎ去った時間が、取り返しの付かないこと(例えばもうじき墜落する飛行機の中で、最後に心の慰めになるような文章を求めていたなど)の部類に入るようであれば、それは僕が責任をとることはできないだろうと思う。そのことをご了承の上で、なお読もうという人だけ、続きを読んでほしい。(これは形式的な物だから、全く気にしてもらう必要はない)
まずは、この文章を書くことの最初の理由となった一通の手紙を、そのまま掲載しようと思う。もちろん手紙の差出人には許可を得ている。彼女にこのことでやっとのこと連絡をつけたとき、彼女は勝手にしてくれて構わないと言った。僕も、多分反響は少ないと思うから大丈夫だと言った。
彼女は僕の従姉妹に当たる人で、僕らは子供の時から親交があり、それなりに親しかった。
「前略、匠護さん、お元気ですか。私は元気です。最近は、こうしてやりとりをすることが無かったけれど、それはお互い、自分の生活に集中していると言うことかもしれませんね。実際、失礼な言い方だとは思うけれど、私は、この手紙を書いて、あなたに頼み事をしようとするまで、あなたのことをすっかり忘れてしまっていました。多分あなたも、私のことなんて気にしていなかったんじゃないかしら?
さて、早速本題の方に入りたいのですが、頼み事というのは、息子を一週間、あなたの家で与ってほしいと言うことです。いつかの新聞で、『発明の天才』として取り上げられたこともあるうちの息子をです。あなたもこの子がまだ赤ん坊の時に、一度会いましたよね。(そしてそれ以来私たちは会っていないわけですが)その子です。
なぜいきなりそんなことを頼まなくてはいけなくなったのかというと、私と、私の夫の両方に、8月5日から一週間別々の場所へ出張に行ってくれと言う指令が下ったからです。どこにとまでは言いませんが、二人とも、あなたがすんでいる場所からは海峡を隔てたところに行きます。
もちろんその指令が下りてから、夫とどちらかが息子を連れて行くことを検討しましたが、今回の仕事の内容から考えても、それではお互いの負担が大きいし、何より息子にとって大きな負担になると思うのです。そこで、私たちと親しくて、信頼の置ける人に、期間の間だけ息子を託そうと決めたのです。息子は手間のかからない方だと思いますし。そして、私の上げられる最も有力な候補があなたでした。もしかしたらあなたは、私たちが実の息子をペットか何かのように扱っていて無責任だと思うかもしれませんが、これは私たち夫婦にとっても、苦渋の決断だったのです。まさに断腸の思いだったのです。それは現在、私たちの責任能力の及ばない次元の話になっているのです。
もちろん、このお願いはあなたがNOといえば即刻取り下げます。しかし、もし引き受けてくれるなら、私たち夫婦はできる限りのサポートをする用意があります。金銭的にも時間的にも、あなたと息子には不自由させません。
本当は私たちは、あなたがYESと返事をしてくれることを心から願っています。あなたも知っていると思いますが、私たち夫婦は伝統的な『おつきあい』の習慣をあまり重んじないために、困ったときに頼れる知り合いが、親族以外には殆どいないのです。年賀状だって誰かに送った覚えがありません。ですから、できればあなたに引き受けてもらいたいのです。
最後はちょっと押しつけがましくなってしまったけれど、それだけ私たち夫婦も困っています。あなたのお返事が決まったら、私のところへ手紙を下さい。できるだけ早いほうがいいです。それでは、これで終わりにします。ごきげんよう
草々 御崎 陽子」
この手紙が、すべてのことの始まりだった。
このような内容の手紙が突然(しかもその年の最高気温を更新したようなくそ暑い日に)やってきて、僕は些かともなく驚いたが、何回か読み返してみても、この手紙の中に僕の知っている事実と矛盾していたり、妙に納得がいかないと言うことはなかった。
突然それなりに切羽詰まったことになった人が、それなりに切羽詰まりながら書いた手紙だった。
この手紙の背景を説明すると、僕の従姉妹である御崎陽子は大手の旅行代理店に勤めていて、彼女の夫は人捜しを専門とする探偵事務所の探偵だった。彼のような妻子のある探偵というのは僕にはいまいち想像ができないのだが、彼は僕が考えている探偵とはまた別の種類の探偵なのだろう。
そして彼らの息子、そう―発明の天才である―彼らの一人息子。この手紙に書いてあるように、僕は彼にはそれまで一度しか会ったことがない。それも、まだこれからどのように成長していくのか想像も付かない、未加工素材のごた混ぜ状態だった時にだ。
だから、この手紙を手にしたときの僕には、6歳になった彼の顔とか、体の大きさとか、声の質とかその他諸々のこと一切が想像できなかった。そして彼が、ローカルながら発明の天才として取り沙汰されていることもだ。
少なくても僕は、顔が想像付かない相手の全体像を想像することが酷く苦手だ。そんな場合は、なんとかがんばって相手の静止画を作り出すことができても、それを連続したコマ送り映像にすることができない。
一人の人間のイメージから顔という物が欠落してしまうと、その人の全体のイメージも寸断されて、大黒柱を失った古い家屋のように、がたがたと揺れてぺしゃんこになってしまいそうになるのだ。
と言うわけで、僕の家に同居者がやってくるかもしれないという事実は、僕を少なからず不安にさせた。けれども、それ以上に僕は、ある意味でこの知らせが朗報であるとも思った。
何故なら僕はもうすでに三十路を過ぎていて、それでいてかたくなに独身貴族(この言い方は古いかな)を守り通しているという、寂しい身だったからだ。もちろん僕も職についてはいたが、その職場も八月からは夏休みだった。後で書くけど、夏には仕事のない職種なのだ。
で、その間僕は毎年自分の部屋で独りぼっちにならなくてはいけないわけだが、人と群れるのが嫌いな僕でも、一人きりというのは辛い。
そこへ、今回の手紙が来たのだ。僕に断る理由はない。僕はすぐに、応えはYESだという趣旨の返事を送った。
そして、従姉妹夫婦が揃って出張に行くとしていた日の昼に、発明の天才はやってきた。
「こんにちは」
僕は、玄関先で郵便ポストのように真っ直ぐ、硬直して立っていた彼に声を掛けた。「はじめまして」と彼は言った。こんにちはと声をかけられて、はじめましてと返すとは、なかなか度胸のあるやつだと思った。それに、僕らは初めてではないのだ。まあ初対面と同じような物ではあるけれど。
彼―名前は汀藍。どこかの漫画と何かの単位にあったような名前だ―は、8月5日、僕の住むアパートの戸口に一人でやってきた。
従姉妹夫婦はこの日を指定していたし、僕の部屋のベランダから、子供がタクシーから降りてくるのが見えたから、僕は疑うこともなくドアをあけた。そして、さっきの些か通じ合っているとは思えない挨拶をした。
テラは、ぱっと見、はっとするぐらいの美少年だった。
幼いなりに鼻筋が通っていたし、目も大きくて、いやらしさもなかった。どこのパーツを取ってみても、従姉妹夫妻にはない正当性があった。
そして何より目を引いたのが、彼の髪は、雪の精が何か特別な魔法を掛けていったかのように、一点の混じりけもない白髪だった。二度と何者にも染まることがなさそうな白だった。
その純白が、彼の美しさを非現実的にしていた。こんな美しさには、とうてい巡り会うことができない。そう言う意味では、今回のことはラッキーだったのかもしれない。僕はそのとき、そう思った。
彼は、おそらく一般的な6歳児が着ているような、地味目の服を着ていたけれど、彼が着た服は何でも、“神秘の国に住む子供たちが着ている”ただの服になってしまうようだった。
テラは、僕が彼を観察し終わるよりも早く僕を観察し終わると(彼が僕を見てどう思ったかは分からない。でもそこまでいい印象は持ってくれなかっただろうとは思うが)何も言わずに、僕の家の中に入っていった。躾にはちょっと問題があるな、と僕は思った。少なくとも人にお世話になるときは、一度くらい相手の目を見て微笑んだりするべきなのだ。あるいは彼が微笑むところを見たかっただけなのかもしれないけれど、僕の心は少し苛立った。
テラは、玄関から廊下をまっすぐ行ったところの僕の部屋には入らずに、その前のダイニングで、やはり直立していた。今度は電信柱(いかにもかわいい電信柱ではあったが)のように。彼が初めて訪れた他人の家にいることに、緊張しているのかもしれないと思った僕は、成功するかは分からなかったけれど、とりあえず彼の緊張をほぐしてみることにした。
「僕の王宮へようこそ。といっても今のところ僕以外には誰も住んでいないんだけどね。どうだい?気に入りそうかな?」
僕の問いかけに対して、テラは息をするぐらいの反応しか示さなかった。まあしかたがない。確かにくだらない冗談だった。今の冗談は、「今のところ」という部分しか意味がないのだ。そして僕は次の手段に出た。
「ねぇ、そこに座ってよ。シャーベットがあるんだ。食べる? よく冷えてておいしいよ」
僕は、半ば無理矢理彼をテーブルまでエスコートすると、肩を持ってイスに座らせ(そのときの柔らかで冷ややかな感触はなかなか忘れられなかった)冷蔵庫から、この時のために取っておいたイチゴ味のシャーベットを二つ、冷蔵庫から取り出した。
大体にして子供というのはシャーベットが好きだ。特に夏には。そう僕は認識している。
しかし、テラは全く僕の予想に反して、目の前におかれたイチゴシャーベットに興味を示さなかった。これは本当に僕の予想していないことだった。
彼は、目の前におかれたシャーベットに対して、ペットボトルのキャップとか、カーテンを結ぶリボンのように接していた。あるいは接してさえいなかった。とにかく彼は、それを食用の物として扱っていなかった。
僕は、自分が取り乱しそうになっていることを何とか隠して、彼の目の前で美味しそうにイチゴシャーベットをほおばってみたが、彼の反応は変わらなかった。僕の頭が痛くなっただけだった。
テラがシャーベットに興味を示さなかった時点で、僕はもうお手上げだった。もう子供を喜ばせるようなネタは持ち合わせていなかった。いや、あるにはあったが、やる気が萎えてしまった。
僕は仕方なく、残りのシャーベットをちびちびと食べながら、テレビを見ることにした。僕の部屋に地デジ対応のテレビが入ったことで、ダイニング用に格下げされたブラウン管テレビだ。
やれやれ、僕はこんなろくに口もきけない子供と一週間過ごさなくちゃいけないのか。陽子もとんでもないものを押しつけてくれたな。
僕は、そう心の中で呟いた。
そのときテレビが放送していたのは、普段はつまらないから見ていない、お昼のワイドショーだった。ワイドショーでは、アナゴから枝分かれして進化してきたんじゃないかと思えるような顔をした芸能記者が、誰もが知っている女優とIT企業の社長との恋愛を真剣に報じていた。
司会者の鶏のような騒がしい声が耳に障って、僕はチャンネルを変えようと思ったが、やめた。どうせ夏休みのこの時間帯のテレビは、ワイドショーか年代物の時代劇しかやっていない。
僕は暫くの間、一切の思考を停止させて、無音になった脳裏に鶏司会者の声を転がした。その内司会者は僕の頭の中で本当の鶏になり、どこからかやってきた手と足の生えた大きなアナゴに食べられてしまった。やがてアナゴも僕の脳裏から姿を消し、完全な静寂が訪れた。
突然僕の静寂を破ったのは、今まで沈黙を守り続けていたテラだった。
「ねえ」
一度目の呼びかけは、僕の思考の中で乱反射して、僕は軽い混乱を覚えた。再びアナゴがやってきて、その混乱を全部食べてしまうと、もう一度テラは、さっきと変わらぬ大きさで、「ねえ」と言った。
「ん、どうしたんだい?」
まだ応答能力が完全に回復しないままテラのほうを向くと、テラはじっとテレビのワイドショーをにらんでいた。
「どうしてテレビでは、こんなどうでもいいことばかりに時間を費やしているの?」
テラは、視線をテレビの画面から少しも離さずに、僕に問いかけた。彼がじっとしていると、あたかも精巧な彫刻のように見えてくる。不自然なものが何もない。そこからは心臓音が感じられない。高名な雪細工職人の作品として美術館に飾られていても、僕はそれを疑わないだろうと思う。
さて、「どうしてテレビでは、こんなどうでもいいことばかりに時間を費やしているの?」か。
至極当然の疑問だ。これにも僕は同感である。どちらかというと僕は、なぜ6歳の子供がそんなことを疑問に思うのかが疑問だ。しかしまあそれはいい。もしかしたら彼は僕らとは違う世界で生まれた人間で、その世界では子供でもテレビの不埒さを気に病んでいるのかもしれない。
それに、どんなことでも疑問を持つことは、子供にとってはいいことだといつかのワイドショーで言っていた。
「うん。確かにテレビでは、どうでもよくてどうしようもないことしかやってない。お兄さんもそう思うよ」
僕は机に肘をつき、横目でテラの顔を見ながら言った。柄にもなく自分のことを「お兄さん」などといってみたりしたが、彼を前にしてだと、特に悪い気はしなかった(まだお兄さんでもいい歳だよな)。テラは、視線こそ動かさなかったが、一応僕の声は届いているようだった。
「なぜテレビがどうでもいいことばかりやっているか。それは、どうでもいいことを求めている人と、テレビでやっていることが何一つどうでもよくないと思っている人がいるからじゃないかな」
テラは特に反応を示さなかったが、僕は続けた。
「人にはそれぞれ感性というものがあるから、一概にこれは意味があって、あれには全く意味がないなんてことは言えない。例えば、お兄さんにとって誰と誰が結婚したなんてニュースは全く生活に影響を及ぼさない。でも、その結婚した人たちの家族とか、その人たちが勤めていた会社の人とかにとっては、それは重要なことだ。あるいは人生を左右することになるかもしれない。価値観の意味は分かるかい?」
「物事を評価する際に基準とする、何にどういった価値を認めるかという判断」
テラは、国語事典からそっくりそのまま引用したようなセンテンスで答えた。その口調に、僕はシニカルな可笑しさを覚えた。
「うん。完璧だ。でも、世の中にはその価値観とかとは関係なく、どうでもいいことを求めている人もいる。例えば、お昼のワイドショーを好んで見る人たちだ。ゴシップの意味は分かる?」
「個人的な事情についての、興味本位のうわさ話」
「うむ。大抵の人々は、その『個人的な事情についての、興味本位のうわさ話』をとても好む。それはなぜだか分かる?」
それについては、テラは何も答えなかった。その代わりに、彼は僕のほうに視線を向けた。ようやく僕に興味を持ってくれたみたいだ。やれやれ。少し得意げになった僕は、自ら答えを話した。
「それはね、他人が非常に困っていたり、あまりにもばかげたことをしているのを見て、自分はまだあれほど危険な立場にはいないし、社会的にマシであると思いたがるからさ。そうすることで、殆ど、いや、すべての人間は自尊心を満足させているんだ」
「匠護も?」
テラは、さっきよりも強く僕のほうを見た。炎天下、持ち合わせもないのに自販機から飲み物がはき出されることを渇望しているような目だ。彼がいきなり僕の名前を呼び捨てにしたのは少し心外ではあったが、まあそれはいい。彼にさん付けされるほど、僕は偉くないのかもしれないから。それに、彼の興味があることも分かってきた。
「うん、僕もそういうことを思う。僕はお昼のワイドショーは見ないし、他の人とも滅多に関わらないけれど、たまに近所の公園に出かけて、何時間もアリを見ている。なぜ見るのかと言えば、やっぱり日々せっせと働くアリを見て、まだ自分がこれほど差し迫って忙しくないことを意識し直してホッとしたいからだ」
僕がそこまで言い終わると、テラは激しく僕の意見に駁した。といっても、口調が激しくなるのではない。視線が激しく僕を責めるのだ。まるで、放っておいてはいけない重大な欠陥を見つけたみたいに。(さすがにお兄さんと言い続けるのも面倒だったから、僕は一人称を元に戻した)
「違う。アリはいつも働いているんじゃない。一日の大半は働かずに、巣の周りを徘徊している。そうやって方向感覚を身につけている。だからアリも差し迫って忙しくはない」
テラの視線で圧す力の強さに一瞬僕はあっけにとられたが、それでも彼の論じようとしていることが、今回の論点とまったく無関係なことだと言うことがおかしくて、僕は口元に微笑を表した。
「うむ。確かに、アリはそれほど働いてはいないのかもしれない。でも、アリは働き者だという社会的通念が日本にはあるんだよ。社会的通念の意味は」
「社会一般に通用している常識または見解。法の解釈や裁判調停などにおいて、一つの判断基準として用いられる」
テラは早口で二つの文章を言い切った。明らかに彼はムキになってきている。
「後半部分は余分かな。とにかく、人間っていうのはね、現実はどうだっていいんだ。とにかく、その現実に付与しているイメージが、自分の心の助けになるものであれば、たとえそのイメージが事実とは異なることであっても、間違ったイメージの方を信じる。
だから僕も、たとえアリが殆ど働いていないとしても、アリは働き者なのだという社会的通念を信じる。そうすれば僕はいつでもアリとキリギリスの話のキリギリスになることができる。そしてこの場合、冬になっても僕は飢えて困ったりはしない」
そこまで話して、ふと、一体僕は6歳の子供に対して何を語っているんだろうという念に駆られた。
確かにはじめにこのことを聞いたのはテラのほうだが、僕はその問いに対して、こんなに真剣に答えるべきだったのだろうか。今僕がしゃべっているのは、明らかに人間の持つ暗い部分のことだ。6歳の子供に聞かせるのなら、適当な昔話でも作って、適当に煙に巻いてしまった方が、教育的にも良かったのではないだろうか。
それでも、僕が僕の持ち得る最良の答えを伝えようとしているのは、きっとテラがただの6歳児とは思えないからだろう。少なくとも彼は、僕が幼少期に送った6年間とは全く別の6年を送っているような気がした。そして彼は、下手なごまかしのない、真剣な答えを希求しているように見えた。
テラは、僕の意見に対して、反抗的ではなくなったようだが、消化不良の念を隠せずにいた。口をへの字に固く結び、視線は外界ではなく、自分の思考の中に向けられていた。
とはいえ、こんなことを6歳児に理解されては堪らない。僕が30年近くかかってようやく分かり掛けたことだ。それでも、テラは思考の及ぶ限り、僕の答えを理解しようとしていた。彼が求める限り、僕は最善の答えをひねり出さなければ行けないという使命感を感じた。
「どうして、人間は他よりマシだと思わないといけないの?」
「難しい質問だな。でも多分、その質問の答えは、不安になるから、なんだろう。でも、どうして人間が不安を恐れるのかということは僕にはちょっと分からない」
「匠護にも分からない」テラは、僕の言ったことを反芻した。僕にだって分からないことはたくさんある。
「そう。僕には分からない。不安になることはいやだけれど、なぜ不安になることがそれほどいやなのかは分からない。あるいはそれは人間の本能なのかもしれない。それは空腹とか眠気とか、生命活動のために体が自然と反応することなのかもしれない。君は、何かについて不安になったことはある?」
テラは、僕のその問いに、一瞬答えようとしたが、すぐに躊躇い、口を閉じ、目をつぶって考え込んでしまった。僕に話すべきことではないと瞬間的に悟ったのかもしれない。僕にそれを話すことによって、快くないことが起こるのではと不安になったのかもしれない。
「まあ、分からないなら分からないでいいし、言いたくないなら言わなくてもいいよ。とにかく、人間というのは得てして不安というものを抱え込みたくないんだ。
だから、自分が安心できるように、自分よりも下にあると思えるものを探す。必死で探す。そして、見下す標的が見つかれば、そいつを全力で見下し、あるいは露骨に攻撃してつかの間の安心を得る。その安心はつかの間のものだから、いつも誰かを見下していないと気が済まない。
だからテレビではいつも馬鹿げたことをやっていたり、困難に直面した人々のことばかり紹介しているんだ。いつでも人々が何かを見下せるように」
「僕も、誰かを見下している?」(テラの一人称も僕であった。)
「多分ね。見下すという感情は、自分で意識をしていなくても、確実に何かに向けられている。それは人かもしれないし、物かもしれない。僕のように、地べたを這うアリみたいな小動物に対してかもしれない。とにかく、人間ならば何かを見下しているはずだ。そして君も人間だから、例外じゃない」
テラは、この上なく難しい顔をした。真っ白な髪が、かげって黒くなっていきそうなほど難しい顔だ。確かにこの話は難解だ。ぺらぺらと喋っている僕でさえ、その真理を理解しているかどうかは怪しい。門外漢は門の中から聞こえる雑音をさも正しそうに語るものだ。
「そんなに難しい顔をしなくていいよ。僕が言ったことをまとめると、テレビというのは、人が誰かを見下して安心したいという感情を達成させる商売だってことさ。たまに見下す価値のない番組もやっているけれど、とりあえずチャリティーとか真相報道とか言って、かわいそうなものたちを見下しやすいように加工しているのさ」
僕はそこまで言い終わると、テレビのリモコンで、チャンネルを適当に変えてみた。丁度三つ目ぐらいで、水戸黄門が高らかに笑い、悪代官たちをひれ伏させている場面に出会った。人々は、水戸黄門を見て何を見下しているのだろうか、と僕は思った。
毎回手を変え場所を変えて悪事を働く悪代官に対してだろうか。それとも、無くなることのない悪事に飽きることなく立ち向かう黄門様に対してだろうか。
そしてまたふと思う。僕は一体今現在何を見下したいるのだろう。それは問う必要もない問いだった。 僕が見下しているのは、紛れもない自分自身だった。
「見下すことは悪いこと?」
テラが聞いた。それも難しい質問だった。
「いや、別に僕は、人を見下すことが悪いことだとは思わない。それを悪いと言うことは、眠ったりものを食べたり、人を愛したりすることが悪いというようなことだよ。それくらい、人を見下すという行為は、人間にとって自然で、無くてはならない営みなんだ。それにね-」
言いかけて僕は、言葉を詰まらせた。はたして僕は、本当に見下すことが間違っていないと思っているのだろうか。
子供の頃、不倫をしたのがばれて夫と別れた女優が、ファンに刺殺された事件をテレビで見たときに、「かわいそうね、まだ若いのに。でもねぇ」と言った祖母の、ほくそ笑んだような顔を僕はまだ忘れていない。そのときに感じた、祖母への激しい憎悪も。
「-それに、大概の人間は、自分より立場の弱い相手じゃないと、助けてあげようとは思えない物なんだよ。誰も自分より力のある人間を助けてやろうとは思わないからね。そう言う人々は、チャリティーとか慈善とか銘打って、偽善活動をする。でも、偽善活動だって悪いことじゃない。少なくともそれが、本当に誰かのためになるのならね」
「見下すことや慈善活動は、人間には必要な行為だから、間違っていない?」
「間違っているとは言い切れない、だよ。何故ならこれは正しいとも言い切れないから。これはあえてあやふやにしておかないと、答えのでない部類のことなんだ」
「あやふやにしないと、答えが出ない……」
多分、彼にとってあやふやにすることは最も忌み嫌うべき作業なのだろう。確かに、この世のすべてはいずれ数値化することができるだろう。数値は何の種も仕掛けもなく、また、前触れのない変動もない。1+1は十進法では2だし、二進法では10だ。しかし、すべてを数値に置き換えて世界を鳥瞰することは、今のところ人間には不可能だ。
もし人間が数値の固まりであり、感情さえも綿密に計算され尽くされたとしたら、人間は生きる意味さえ失ってしまう。問い求めるべき物が無くなってしまうからだ。だから、テラは理解しなければいけない。曖昧さという概念を。そうしなければ、この先、彼は確実に絶望し、人生を軽視することになる。
どれだけ時間がかかってもいい。この一週間で、僕が彼に対してできることはすべってやりたい。
目を閉じ、静かに、そして何よりも複雑に思考を巡らす彼を見ながら、僕はそう思った。
せめて、この感情だけは見下すことから生まれたものではないことを願いながら。
「ところで、君はどこでそれだけの正確な日本語を身につけたんだろう」
僕は聞いた。
「誌永堂『高辞園』第6版改訂新版」
「やれやれ」
僕は、テラ以上に難しい顔をして見せた。