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赤の章 「一夏」 1

雨の日の週末、金曜日。


それは、憂鬱であるとともに、一種の開放感をもたらす。


買い物帰り、店を出た私はバッグからオレンジ色をした無地の折り畳み傘を取り出すと、それをばさりと広げた。



母が倒れて、仕事を辞めて実家に帰ってきた私は、こういう日を自分で作ってちょっとだけ息抜きをする。


仕事をしているわけでもないから、金曜日の週末にこうやって出かけられることに対して優越感に浸れる反面、ちょっぴり罪悪感もあるのだが。


買い物は自分の好きなものを買う。


商品を選んでいるときは、わずらわしいあれこれから自分を解放できる。


好きなものを買って、気分を一新して、また母の介護に向かうのだ。



帰り道の途中、見慣れないペットショップが目に入った。


新しく出来たのだろうか。


ちょっと寄り道をすることにした。


その前に佇み、見るともなしにガラスケースの中にいる子犬や子猫たちを見る。


よく見るとそのペットショップは少し変わっていた。


その店には売れ筋の子犬や子猫は全くといっていいほど置いていなかったのである。


その代わりに、ハスキー犬のような大型犬の子犬や、金茶色をした猫科の子供、カメレオンに蝙蝠の羽の生えたような奇妙な爬虫類などが陳列されていた。


そうだ、犬といえば、ゴールデンウィークに拾ったあの犬。


元気にしているかしら。


あの犬と過ごした5日間は、私にとってかけがえのないものとなっている。


ガラスケースの向こうにあの犬によく似た銀の子犬を見つけ、私はふっと微笑んだ。



「おねーさん、なにか飼うの?」


その声に後ろを振り向くと、高校生ぐらいの男の子が立っていた。


ビニール傘を差したその少年は塾帰りには見えなかった。


真っ赤な赤毛を逆立て、耳にはピアスを左右二つずつ開けている。


ワイシャツの裾を出し、擦り切れた鞄を持ち、チェックのズボンにローファーを履いたその少年は、本来ならばこの時間には家に帰っていてもおかしくないはずだった。


服装からするとテレビドラマの「ごくせん」に登場しそうな彼は、人懐っこそうな笑みを浮かべて私を見つめた。


よく見ると薄くそばかすの浮いた顔は目がくりくりとしていて愛嬌がある。


「君はなにか飼うの?」


私は彼に聞いた。


「うーん、俺んちはマンションだから動物飼えなくってさ。ねえ、おねーさん、こんなところで出会った俺達ってなんか運命感じない? アドレス交換しようよ」


今の若い子って軽いのねえと思いつつ、私は丁寧にお断りした。


「ごめんなさいね、私、嫉妬深い彼氏がいて、ほかの男性とアドレス交換すると焼くのよ」


嫉妬深い彼氏なんてもちろんいないけれど。


「えー、そんな奴と付き合ってんの? 別れなよー」


「優しくていい人だから、君が心配しなくっても大丈夫よ」


「そういう男は信用できないね。おねーさん、いい人そうだから騙されてるんじゃない?」


「はいはい、ご心配ありがとうね~」


「うっわ、子供扱いかよ、俺ちょっとへこむなあ」


くすくすと笑う私を見て、苦いものを口にしたような顔をする彼。


「それじゃあ、またね」


「えっ、おねーさん、もう行っちゃうの? じゃあ、せめて名前だけでも教えてよ。俺、

友人からはルウって呼ばれてる。閏に生まれたから」


焦ったようにいうその彼を見て、私はふっと笑った。


多分もう会うこともないだろうと思い、自分の名前を告げる。


「おばさん」じゃなくって、ちゃんと「おねーさん」と呼んでくれた彼にちょっとだけご褒美をあげよう。


「私は杏奈っていうの」


「杏奈さんね。わかった、ありがと。忘れない」


そういうとルウはにいっと笑ってペットショップをあとにした。



ルウという不思議な少年と出会ってから一ヶ月、母は順調に回復してきた。


私はまた買い物に出かけた。


今度は母がお見合い話を持ってきたからだ。


母には悪いけれど、私にとってはありがた迷惑だ。


正直、一人でいるほうが楽だと思っている。


誰にはばかることなくだらしない格好が出来るし、好きなときに寝て、好きなときに起き、好きなものを食べ、好きなことをする。


なんてパラダイスなんだろう。


結婚するということは相手の家との繋がり、親戚関係、ご近所付き合い、子供、ママさん友達、そういった先のことがうっすらと見えていて、一人でいるほうが気楽な私にはどうしたってしり込みしてしまう。


世の母親という人達は、私からしたらすごいことをやっているんだよなあと思いながら道を歩いていると、またあのペットショップの前に来ていた。


ガラスケースを見ると、わりかし売れているようで空白が目立った。


あの銀の子犬はというと、幸か不幸かまだ売れ残っていた。


ころころとしたその子犬は、ケースのなかで丸くなって眠っている。


規則正しく上下する子犬のお腹を見ているうちに、だんだんまどろんできた。



「あれ、杏奈さんじゃない?」


その声に振り向くと、あのルウという赤毛の少年が立っていた。


「また会えてよかった」


そういうとルウはこちらにやってきた。


私の隣に立つと、ルウはガラスケースの中を覗いた。


「こいつ可愛いよね、俺もずっと飼いたいなあって思ってたんだ。でもそれって無理だからさ、こうやって毎日見に来てんの」


「そうだったの」


「……実は半分嘘で半分本当。俺さ、また杏奈さんに会えるかと思って、毎日見に来てたんだ」


「あら、そうなの」


無感情な返事で返すと、ルウは慌てたようにいった。


「うわ、杏奈さん信じてないでしょ! 俺、あれから杏奈さんのことが気になっちゃってさ、学校でも上の空で、仲間から冷やかされてんだ」


「ふーん、それは結構なことで」


私のその返事を聞いたルウはむっとした表情をした。


「杏奈さん、俺のこと馬鹿にしてる? これでも結構本気なんだけど」


「君、私のこと幾つだと思っているの? 多分君より十歳は年上よ?」


私がそういうと、ルウは剣呑な表情になった。


「そうやって大人のふりする杏奈さんは嫌いだよ」


そういうと、ルウは私をガラス窓に追いやった。


両手を私の頭の横につき、じっと私の目を見る。


身長は170ぐらいだろうか、私より10センチぐらい高い彼は私を少しだけ見下ろした。


「これでもまだ余裕持てる?」


「ここは往来だから、人が来ると思うわ」


「ふーん、じゃ、本当に人が来るかどうか、試してみようか」


そういうとルウは私の顔に自分の顔を寄せた。


こつんと額同士が当たる。


「杏奈さん、いったよね、俺本気だって」


そう間近でいうと、ルウは私に噛み付くようなキスをした。



思わず目を見開いてしまった私をみると、ルウは勝ち誇ったような顔をした。


「ごちそうさま」


そういってぺろりと自分の唇を舐めた。


「俺ね、杏奈さんが欲しいんだ」


かすれた声でそういうルウは、子供と大人の境界線上にいる危うさがあった。


「杏奈さんがどんな人でもいい、彼氏がいたって構わない。ただ、杏奈さんが好きだから」


そういって間近で囁くようにされて、初めて自分がこの少年から本当に求められているのだとわかった。


「どうして、なぜ私なの?」


思わずそう聞いてしまった。


年上との火遊び、一過性の感情、恋に恋する少年、そんな言葉が浮かんでくる。


だが、ルウの口から出てきた言葉は別のものだった。


「杏奈さん、悲しそうだったから」


「え?」


思わず聞き返す。


「杏奈さん、自分では気付いていないでしょ? このペットショップの前でさ、この子犬見て悲しそうに笑ってんだよ? 男ならそんな姿見たら誰だってほっとけないよ」


そういってルウはぎゅっと唇をかみ締めた。


「杏奈さんのこと、守りたいって思った俺は変なのかな?」


「ううん、変じゃない。ありがとうね」


そういって私はふっと微笑んだ。


私のその顔を見たルウは少しだけぽかんとしたあと、頭をガシガシとかいた。


「ったく、勘弁して欲しいよ。杏奈さんのそんな笑顔見たら、俺、後戻りできなくなっちゃうよ?」


「それでもいいんじゃない?」


私がそういうと、ルウは少し慌てたようにいった。


「あ、杏奈さんの彼氏はどうするの? 嫉妬深い奴なんでしょ?」


「ああ、それは……」


私が言葉を継ごうとすると、ルウは獰猛な表情をした。


「もし別れるってことになったときにそいつから暴力受けたら絶対俺に連絡してね。DVとか、俺マジで許せない派だからそいつとガチで喧嘩することになると思うけど、いい?」


ルウの本気の目に対し、今更嘘だとは言えない私だった。


「ええ、わかったわ、ありがとう。実はその彼氏とはもう別れているの。だから喧嘩はなしね」


「あ、もしかして、この前会った時って彼氏と別れたときだった?」


「え、ええまあ」


どうしよう、嘘の上塗りだわ。


でも、映画タイタニックでもローズがいっていたっけ、「女は、海のように深く、秘密を胸に秘めているものよ」って。


こうして、ルウと私の逢瀬が始まったのである。


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