貴方が好きなのは私じゃないけど、私が好きなのも貴方ではない。
幸せって、ずっとは続かない。
両親の関係が破綻した時、私は幼いながらにそれを理解した。
かつて笑顔が絶えなかった我が家はある日を境に、幸せな家庭という姿を失った。
原因は父の領地経営の失敗と母の浮気。
二人は顔を合わせれば大声で罵り合うか、まるで相手がいないかのように扱った。
心に余裕がなくなって、それまで甘やかしてくれた私を可愛がることもなくなった。
ある日、婚約者が出来た。
レアンドロ・ディ・プロースペリ。
我が家と同じ侯爵家の嫡男。
彼は私を慕ってくれていた。
何でも、私の容姿が好みだったらしい。
理由は何であれ、彼は私に優しくしてくれたし、同い年だったこともあって、私も彼に心を許していた。
けれど、期待はしない。
家族という最も身近な関係でさえ簡単に崩れ落ちた例を知っているから。
きっと彼と紡ぐ幸福もずっと続くものではないと思っていた。
そして――
「カテリーナ・ディ・ファルネティ。お前との婚約を破棄する」
成長、王立魔法学園へ通うようになった私達。
それから一年が経った頃の事だった。
レアンドロは大勢の生徒の前でそう言い放った。
「お前はヨランダが男爵家の娘だからと、彼女を陰で虐めていた。そんな女と結婚など出来る訳もない」
ああ、ついにかと思う。
年々、彼の態度が素っ気なくなっていく事には気付いていた。
当然だった。何故なら彼が好んだのは私の容姿。
いくら美しい花であっても毎日見続ければ飽きるものだ。
容姿以外の取り柄と言えば、精々、魔法の扱いに長けている程度。そしてそれは貴族令嬢としての魅力にはなり得ない。
そんな私に彼は飽きたのだろう。そう思った。
けれど、虐めについては心当たりがない。
婚約破棄を言い出したレアンドロの隣に立つヨランダ様がこちらを見て笑っているのを見る限り、彼女はレアンドロの隣を奪う為に私を嵌めたのだろう。
「そんなこと、私はしておりません」
「白を切るつもりか。素直に謝れば許してやろうと思ったのに」
否定をしても、レアンドロは聞く耳を持たない。
ならばこれ以上私が何を言っても無駄だろう。
――幸せは必ず終わる。
円満な家庭は崩れた。
執務に追われる父は私と顔を合わせなくなった。
母は甘えようとする私を拒絶した。
そして今、レアンドロも私から去ろうとしている。
これまでの経験から、私には期待しない癖が――すぐに諦める癖がついていた。
「俺はヨランダと婚約する。彼女を愛しているからだ」
「まぁ、レアンドロったら」
彼が私の主張を信じないのなら、そしてヨランダを愛しているというのなら、きっと私が何を言っても状況は変わらないのだろう。
「……婚約破棄、ですよね。――畏まりました」
私が深く頭を下げれば、レアンドロの顔が強張る。
もしかしたら、私が婚約破棄をすんなり受け入れる事を意外に思ったのかもしれない。
……まぁ、そんな事は大したことではないのだが。
***
それからというもの、私は学園で孤立する日々を過ごしていた。
私は他の生徒から距離を取られていた。
ただその理由は、ヨランダ様を虐めていたというレアンドロの話を鵜呑みにした……というわけではないらしい。
どうやら、婚約破棄などというぞんざいな扱いを受けた私にどう接すればいいのか、皆戸惑っているらしかった。
元々口数が少なく、親しい友人はいなかったので、彼等が接し方に困るのも当然の話ではあったのだろう。
私としても、自ら誰かと親しくなろうとはしなかった。
最後には孤独が待っていると、わかっていたから。
ある日の事。
魔法の実践演習の為に訪れた森の中。
私達生徒は講師の監視下のもと、班に分かれて課題を熟していた。
そんな時。
「キャアアアッ!!」
やや離れた位置から女子生徒の悲鳴が聞こえた。
「ま、魔物よ!」
次いでそんな声が聞こえ、班員たちは顔を顰める。
森の中は生徒が入る前に魔物が一掃されているはず。
にも拘らず魔物が発見されたという事故。
もしかしたら悲鳴の主の傍には講師がいないかもしれなかった。
「先生に報告を」
「え……っ、か、カテリーナ様!?」
「講師がいないのであれば生徒がどうにかするしかありません。私が行きます」
私は魔法の実技試験で首位を争う程度には実力があった。
だからこそ、この場で動かなければならない生徒がいるとすれば自分だろうと判断した。
私は声のした方へ走り出す。
その先にいたのは、魔物に襲われる女子生徒複数。
幸い、数は一体だった。
だが魔物は丁度、震えたまま動けない生徒へ飛び掛かろうとしていた。
「……っ」
私は生徒を突き飛ばす。
その時だった。
私の体が大きく傾く。
どうやら、助けた女子生徒のすぐ傍に傾斜があったようだった。
何とか足を付き、体勢を立て直そうとしたのも束の間。
魔物が私へ飛び掛かった。
咄嗟に自分と魔物の間に魔法で氷の障壁を形成するも、それに魔物が体当たりした衝撃までは殺し切れず、私は今度こそ体勢を崩す。
せめて魔物を仕留めておかなければと氷の矢を発現させ、その頭を貫いたものの、私の体は斜面へと転がる。
「ッ、カテリーナ様!!」
女子生徒の声が聞こえる。
斜面は長く続いており、下がどうなっているのかはわからない。
落ちたら無事では済まないかもしれない。そんな危機感があった。
その時――
斜面へ飛び出す人影が一つあった。
黒髪の男子生徒。
彼は私を抱き留めると近くにあった木の根を掴む。
しかし、それは二人の体重を支えるにはあまりにも心許ないものだった。
「……ッ、きついか。悪い、掴まっててくれ」
そんな苦々しい声が聞こえたかと思えば、次の瞬間。
男子生徒が掴んだ根が千切れ、私達はそのまま斜面を転がり落ちてしまったのだった。
どのくらい落ちたのだろうか。
少なくとも、女子生徒達の声は聞こえない。
そのくらいの地点に至り、平らになった地面を転がり切った後、私達の体は木の幹にぶつかって止まった。
低い呻き声が耳元からする。
「……っ!」
私は慌てて男子生徒の腕の中から抜け出し、相手の様子を確認する。
「も、申し訳ございません。お怪我は……」
「ってて……あー、だいぶあちこち擦ったりぶつけたりはしたか」
横腹を押さえながら起き上がった生徒の制服は泥だらけで、あちこちが破れていた。
「そっちは? カテリーナ嬢」
「私は、大したことありません。……ジェラルド様のお陰で」
「そうか」
――ジェラルド・エゼキエーレ。
エゼキエーレ侯爵家の嫡男で、魔法実践の試験に於いてよく私と首位を争っている優等生だ。
彼は私の返答にホッとした様に息を吐く。
赤い瞳が優しく細められた。
「て、手当てを」
「ん、あー、そうだな。じゃあ頼めるか」
私は水魔法で彼の傷を洗い流し、救急用に持っていた薬と包帯で彼の傷を手当てしていく。
「……何故、危険を承知で飛び込んだのですか」
私は手当てをしながらジェラルド様に問いかけた。
「それ聞くか? 同級生の危険を目撃しながら動かないって、寝覚め悪すぎるだろ? それに、君が助けに入ったなら、俺だって助ける素振りくらい見せておかないと、後で比較されるって。試験結果みたいにさ」
試験成績の優秀者は試験ごとに順位順で名前を貼りだされる。
順位が入れ替わることはあれど、私達の順位はいつも並んでいた。
だからこそ、何かと比べられやすいという事実は、確かにあった。
「それで、ここまで危険を冒す人もそうそういないでしょう」
「そうかぁ? まあ普通に、ほっとくわけにもいかなかっただろ。君より俺の方が明らかに頑丈だしな」
剣術も学んでいるからか、彼は体格がしっかりしていた。
一方の私は、女性の中でも随分華奢な方に入る。
きっと彼が庇ってくれなければ大怪我を負っていた事だろう。
「…………ありがとう、ございます」
「いんや。こちらこそ、手当ありがとな」
彼はそう言って明るく笑った。
治療を済ませた後、私達は講師や生徒達と合流すべく辺りを探索した。
けれど、斜面は登れるような角度ではなく、また合流する為にどの方角を歩けばいいのかも定かではない。
これは下手に動かず、助けを待った方が良いだろうという話で落ち着いた。
私達は小さな洞窟を見つけ、そこで時間を潰す。
「遭難って奴か? 初めてだ」
「何故少し楽しそうなのですか」
「そりゃ、色々新鮮でさ」
そんな話をする頃には日が暮れ始めていた。
今日はもしかしたら助けは来ないかもしれない、と私は思う。
「これって今日は野営する可能性も充分あるだろ? 俺達の立場じゃ、森の中や洞窟の中で野営なんて絶対許されない。最初で最後かもしれないぞ」
「そもそも、見つけてもらえないかもしれないですよ」
「そうなったら、一緒に人里まで行く方法を考えればいいさ」
「魔物とかの危険だって……」
「俺達、魔法を学んでいる人間の方でもだいぶ上澄みだぞ? 何とかなるって」
ジェラルド様は声を弾ませ、随分と楽しそうだ。
私は彼の考えが理解できず、困惑してしまう。
「死んでしまうかも、とかは考えないのですか」
「ま、なくはないかもな。山や森って、事故は多いし。けど」
ジェラルド様は私を見てニッと笑う。
「仮に最悪な事態になったとして、死んでしまうとするなら……余計に今を楽しんでおかないと損だろ」
「損……?」
「あと五分で死んでしまうとして、その五分間を怖がったまま過ごすのと楽しんで過ごすとじゃあ、後者の方が良いに決まってるだろ。だからさ、楽しいこと考えておかないか」
ジェラルド様のように楽観視は出来ないけれど。
それでも彼の言わんとしている事を、私は漸く理解したのだった。
その日の夜。
私達はのんびりと星空を見上げながら過ごした。
『骨付き肉座』だとか『山盛りステーキ座』だとか、ジェラルド様がくだらない星座を得意げに作り出すのが可笑しくて、私は思わず笑ってしまうのだった。
翌日は、近くに川がないか探そうと言われ、少しだけ歩いた。
何故水魔法が使えるのに川を探すのかと聞けば、「遭難の醍醐味だから」等と訳の分からない事を言われる。
そして川を見つけると彼は靴を脱いで川の中を歩いていき、私に水をかける。
驚いていると「こっち来いよ」と誘われ、躊躇いながらも動揺に川へ入った。
するとまた水を掛けられ、ケラケラと笑う彼に私もやり返し、二人で水浸しになった。
幸い、食用として知られている果実を見つけたので食事には困らなかった。
私達は魔法を使えるので、魚も取ることが出来た。
「魔法って便利だよな。これが無けりゃ、使用人もいない中で生き残るのも難しいかもしれない」
「餓死するかもしれないですね」
質素で簡単な食事の準備さえ、私達には馴染みのない作業だ。
二人で慎重に食事の準備をした。
そして――
遭難三日目の朝。
洞窟の外から私達を探す講師の声が聞こえた。
私達は顔を見合わせて笑い合う。
「行くか」
「はい」
ジェラルド様に手を引かれ、洞窟を後にする。
私達が過ごした痕跡があるそこを最後に見た時、私はああ、また終わるのだと思った。
思い出したのだ。
幸せはいつか必ず終わると。
「……カテリーナ?」
数日の間に私の名を呼び捨てするようになっていたジェラルド様。
彼は私の顔を覗き込んで首を傾げた。
もしかしたら、思っている事が顔に出ていたのかもしれない。
「どうかしたのか?」
「…………いえ。ただ……少し楽しかったな、と」
ジェラルド様はそれを聞いて目を瞬かせる。
それから、笑みを深めると私の頭をわしわしと撫でて
「終わるのが惜しけりゃ、また始めればいいだろ」
と言った。
「始める……?」
「そ。まーもう一度遭難しに行くのは無理かもしれないけど、今回と同じくらい心躍る事とかさ、すればいいだろ」
終わるのならば、また始めればいい。
これまで思い至らなかったその発想に私は驚いていた。
「俺も楽しかったよ、君といるのさ。だから気が向いたら授業や試験以外でももっと付き合ってやってくれよ」
とくとくと、心臓がいつもより大きく動いていた。
それから私達は講師たちに保護され、学園へと戻る事になる。
健康状態の確認の為にそれぞれ別室へ通される事になるが、ジェラルド様は別れ際に「じゃ、また」と手を振った。
『また』という言葉が、少し嬉しかった。
それからというもの、ジェラルド様は私に良く話し掛けるようになった。
元々成績が同程度であった事もあり、授業関係の話が通じやすいのもあったが、森での生活の終わりを惜しんだ私を気に掛けてくれていたのもあるのだと思う。
彼は勉強関係の話以外にも、私を誘うようになった。
幸せは終わってしまうもの。
そう諦め続けてきた私の考えを変えてくれたのは彼だった。
ジェラルド様は別れ際に必ず『また』と言った。
そして翌日にはその言葉通りに話し掛けてくれる。
一度終わる楽しいひと時は、すぐに新しく始まるのだ。
幸せは終わるだけではない。
終わってしまうならまた始めればいいし、それを繰り返していけば――幸せが続いているともとれるだろう。
私は、彼と刻む幸せな時間の終わりに恐れるでも、諦めるでもなく――続く事を望むようになっていった。
そんなある日の事。
「何か言う事はないのか」
レアンドロは突然私を呼び出したかと思えばそんな事を言い出した。
「何、とは……?」
問えば、彼は顔を歪める。
「お前はまだ新たな婚約者を見つけられていないだろう。貰い手もなく途方に暮れているんじゃないのか」
「確かに、見つけられてはいませんが……それと貴方に何の関係が?」
更に問えば、レアンドロの顔が真っ赤になった。
「ッ、俺は、お前がよりを戻したいと言えば考えてやろうと思って――ッ!」
「より、を戻す……?」
想定外の言葉に私は目を剥く。
何故突然そんな話をしだすのか、私は純粋にわかっていなかった。
「お気遣いありがとうございます。けれど必要はありません」
「な……ッ!」
「だって、貴方が好きなのは私ではないのでしょう?」
レアンドロが鋭く息を呑み、目を見開いた。
「婚約に色恋を絡めるべきではない、と私個人は思いますが。それを理由に別れを切り出す程、恋心を大切にされていた方です。そんな方をわざわざ束縛したいなど思いません。それに――」
恋心。
その言葉を出した時に過った一人の姿。
彼にはつい先程もくだらない話で笑わされたばかりだった。
そんな事を思い浮かべれば、自然と笑みが溢れる。
「――私が好きなのも、貴方ではありませんから」
「ッ、カテ――」
「カテリーナ」
レアンドロが私を呼ぶ声は別の声に遮られた。
声のした方を向く。
ジェラルド様がそこには立っていた。
彼は私の手を取ると自分の方へと抱き寄せる。
「二人で話をしたいんだが、彼女を借りてもいいか? レアンドロ。ああ、勿論、君が離れるでも構わないが。俺は君と違って――彼女を愛していてね」
「な……ッ」
予想だにしなかった彼の言葉に私は頭が真っ白になる。
レアンドロは驚きの声と共に私を見た。
――恐らく、私の顔は真っ赤になっていただろう。
それを見た彼は、何故か瞳を大きく揺らし、何かを耐えるように唇を強く噛む。
そして私達から背を向けると、無言でその場から走り去っていったのだった。
「捻くれた性格というのは考え物だな。あれはきっと君の事を好い……」
私の手を握ったまま何かを言いかけた彼は、はたと私達の状況に気付く。
「あ、悪い」
「い、いえ」
彼は私から手を離し、一歩後ろへと下がった。
私達は暫く無言でお互いを見つめ合っていた。
心なしか、ジェラルド様の頬には赤みがさしているように見えた。
「あー……本当はもう少し時期を見極めてから言おうと思っていたんだが」
ジェラルド様は困ったように頬を掻いた。
それから、改めて私の前に手を差し出す。
少し身を屈めてこちらを見る彼はさながら、御伽噺に出て来る王子様のようだった。
「好きだ、カテリーナ。俺と婚約して欲しい」
ぶわっと、私の胸は瞬く間に幸福で満たされていく。
「これからも傍に居てくれないか。……ずっと」
――幸福にはいつか終わりが来る。
少し前の私なら、この、制御できない程の大きな幸せに恐怖を覚えたのだろう。
けれど今は……ただただ、嬉しかった。
「……ええ、喜んで」
目が潤む。
溢れそうな涙を何とか堪えながら、私はジェラルド様の手を取る。
「ずっとずっと、幸せでいさせてください――貴方の傍で」
「……当たり前だ」
ジェラルド様は笑みを深めると、私を抱き寄せた。
私達は頬を染め、照れ臭くなって笑った後、どちらからともなく唇を重ね合わせたのだった。
***
後から知った事だが、どうやらレアンドロはヨランダ様とはお付き合いをしなかったようだ。
ヨランダ様は交際や婚約を求めたけれど、それを彼が断わったらしい。
ならばあの婚約破棄の流れは何だったのか、と首を傾げる私を見たジェラルド様には呆れたように「君は本当に鈍感だな。もう一生そのままでいてくれ」と言われてしまった。
まるで私が阿呆だとでも言うようなその言葉はいただけないけれど、レアンドロの話については大して掘り下げる事でもない。
何故かヨランダ様が私に冤罪を着せようとした事実が明らかとなり、ヨランダ様も、彼女の肩を持ったレアンドロも社交界から孤立し、学園や夜会で姿を見る事もなくなったのだ。
彼と顔を合わせる事はもうないだろう。
私とジェラルド様は街のデート中に立ち寄ったカフェでお茶をしながら最近の出来事を語った。
ふと、屋外テラスから見える青い空を私は見上げる。
暖かな日差しに、優しい風が吹く、テラス席。
正面には愛する人が目元を和らげながら私を見ていた。
「……幸せね」
ぽつり。
私は笑いながら呟いた。
私は、あの日から一度も途切れていない幸せを静かに噛み締めるのだった。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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リアクション、ブックマーク、評価、などなど頂けますと、大変励みになります!
また他にもたくさん短編をアップしているので、気に入って頂けた方は是非マイページまでお越しください!
それでは、またご縁がありましたらどこかで!




