護衛騎士が死ぬほど鬱陶しい
その日も僕は厄介なクラリス・ヴァロワに言い寄られていた。
「おはようございます――結婚しますか?」
しかも起きてすぐだ。
こっちは顔も洗っていないのに。
「ごめん。とりあえず顔を洗いたいんだけど……」
「かしこまりました」
ベッドから起き上がる。
こちらはまだ寝間着なのにクラリスと来たら鎧を着こんで腰に剣までつけて……挙句の果てに化粧まで完璧だ。
王の従者として相応しい姿だ。
なにせ、従者とは常に主の威光を映す鏡なのだから。
「足元にお気を付けください。段差があります故」
「絨毯と床の段差くらいしかないじゃないか」
「あなたの護衛として些細な危険も見逃すわけにはいかないのです。よろしければお手を――」
「こないだそれで僕に指輪をつけようとしてきたろ。もう引っかかるか」
気にした様子もなくクラリスは一礼する。
まったく、ずっとこの調子だ。
下級貴族の領地が没落し、その一人娘が身を寄せるために王都へ出仕して来たのがもう二年前だ。
元々、武芸を嗜んでいたとかで城の近衛兵ともやり合える程度には強く、僕の父である王は実に驚きそして一目見て彼女を気に入ってしまった。
『女性ながら見事だ』
『光栄です。陛下』
『褒美を取らせよう。何を望む?』
父は元々、気前の良い男だ。
クラリスからすればこの発言は想定内のものだったのだろう。
だからこそ彼女は着飾り、武勇を見せつけたのだ。
『私は物語に出てくるような騎士になりたいのです。王を守護するような騎士に』
端的に言っていきなり王族の護衛なんて無理だ。
しかし、父には幾人もの息子が居た。
故に半ば戯れとして継承権がほぼないような僕の護衛にクラリスを任命した。
――それが彼女の策略だったと気づかないまま。
***
「王子。朝食のミルクに砂糖を入れておきました」
「あぁ、ありがとう」
僕は甘いミルクが好きだ。
「あまり量が多いと体に毒ですから調整しております」
「すまないね。助かるよ」
「とんでもありません。王子の健康を守るのも私の務めです――ここまで気を使える女性と結婚したくありませんか?」
僕は無視する。
そしてクラリスは挫けない。
「座学の方ですが王子が苦手だと言っていた箇所をまとめておきました」
「ありがたいけれど、それいつまとめたのさ」
「昨日の晩。王子が眠った後に」
「……クラリス、ちゃんと寝ている?」
僕の心配はもっともではないだろうか。
何せ、クラリスときたら僕より早く起きているのに寝るのは僕よりもずっと遅いのだ。
何度か寝たふりをしてみたことがあるが、全部お見通しのようでクラリスは僕が起きている間は決して眠ったりはしなかった。
「王子のためです」
「君は素晴らしい護衛――いや、友人だよ」
「妻にもなれますよ」
僕の言葉に偽りはない。
クラリスは実際、素晴らしい友人だ。
ただ、死ぬほどうざいだけで。
***
訓練場で僕はクラリスに剣を打ち込む。
木剣とは言え十分に傷がつき得る凶器。
『仮にも』女性であるクラリスに全力を出すのはどうかと以前は思っていたが、今の僕はそんな遠慮をすることはなかった。
「見事です。王子」
だって、あっさりと受け流されるんだもん。
本当の実力はあの日、父に見せたものより二段くらいはレベルが上なのだ。
「君は本当に強いな」
ぜえぜえと息を切らす僕に対してクラリスは涼しい顔だ。
「王子の護衛ですから」
「僕が強くなる必要ないんじゃないか?」
「ええ。私が護衛で居る限りはそうでしょうね」
「護衛を辞める予定が?」
「はい。王子と結婚するつもりで――」
隙を見て叩きこむもあっさり止められる。
「不意をつくのはお見事」
「見事はこちらのセリフだよ。まったく……」
「こんな素晴らしい護衛が妻だったら嬉しくないですか?」
「僕より強い妻なんてお断りだ」
「あっ、急に立ち眩みが……」
「僕より弱い妻もお断りだ」
「もう少し続けますか?」
「嘘をつく女性は論外だ」
「十代後半なのでまだギリギリ少女です」
「二ヵ月後には二十代じゃないか」
「女性を傷つけてはいけませんよ。罰として結婚を――」
「もう一戦だ、クラリス」
僕の言葉にクラリスは穏やかな表情のまま木剣を構えた。
***
僕の従者にして護衛であるクラリス・ヴァロワの目的は要するに――。
「王子。私、働かないで暮らしたいんですよ」
「はいはい」
僕は相手にしないまま本を読む。
「でもですね。村娘みたいな平凡なのは嫌なんです。具体的にはそれなりに遊びたいんですよ。もっと言うと遊んで暮らしたいんですよ」
「ねえ、僕は本を読んでいるんだけど……」
「かと言って、あんまり地位や金があると今度は命狙われるじゃないですか」
「聞いてる?」
「ですので――こんな私の願いを叶えるために結婚を」
「失礼すぎだろ」
僕が笑うとクラリスもくすくす笑う。
「継承権は低いけど僕、一応王子だよ?」
「そうですね。多分、人質としての価値もないでしょうけど」
「殴るぞ」
「傷物にするってことは責任取ってくれるんですか?」
うぜえ。
僕が持つクラリス・ヴァロワの印象はこの一言に集約される。
「そもそも君は僕でいいのか? 子供だって作らなきゃいけないんだぞ?」
「何人欲しいですか? あなた」
「今のところ一人もいらない」
「愛妻家ですね」
「まだ結婚してない」
「将来的には?」
うざすぎる。
***
夜。
僕は自室でぼんやりとしたまま本を読んでいた。
こんなにのほほんと暮らしていけるのは今も辺りを警戒してくれているクラリスのお陰だ。
「王子。もう良い時間です。夜更かしは明日に差し支えますよ」
「そうだね。ありがとう」
「さぁ、ベッドへ」
「とりあえず、僕のベッドに乗るな」
「夫婦の契りを……」
「はよどけ」
肩を竦めて立ち退いたベッドの上で僕は横になる。
今日も疲れた。
――主にクラリスのせいで。
「それではおやすみなさいませ」
「おやすみのキスはいりますか?」
「いらない」
僕の言葉にクラリスは一礼をする。
「君も早く横になりな」
「ここでですか?」
「違う。自分の部屋でだ」
「王子が眠るまで待ちますよ」
「はいはい……」
僕は欠伸を一つして目を閉じる。
今日も安心して一日を終えられる。
――クラリスのおかげで。
寝息を立てる。
「王子?」
クラリスが僕を呼び、僕を覗き込み――小さく微笑む。
「おやすみなさい」
そう言って踵を返した。
彼女を騙せるようになったのは本当数日前からだ。
「まったく……」
ため息をつきながら僕は呟いた。
「どうやればアイツを動揺させることが出来ることやら……」
今の僕にはまったく思いつかなかったことは――数年後、僕からのプロポーズの言葉であっさりと達成されることになるのだがそれはまた別の話。