第7話 厄災令嬢、授業を受けるッ!
フルール学園のほとんどの教室は、階段状に生徒の座席が連なった講堂の形をしている。
そのため、基本的には前に座った生徒のせいで黒板が見えないという事態は発生しない。だがそれは、あくまで『基本的に』の話である。
「あー、ソフィア・レムレース」
「はい、何でしょう?」
今まさに黒板の前で教鞭を執っている『基礎魔法理論A』担当教諭のサクマは、サイズの合っていない座席にちょこんと座るソフィアへと苦々しい視線を向けた。
彼女が座っているのは最前列。不運にも真後ろに座ってしまった学生は、すっぽり彼女の影に隠れてしまって黒板どころか教師の姿すら全く見えない状況になっている。
「悪いが、席を替わってもらえないか。具体的には最後列に」
「まあ……。わたくし、サクマ先生の授業に対して真剣に取り組んでいただけなのですけれど、何か粗相でもしてしまったのかしら。ルファはどう思う?」
「いいえ、ソフィア様は何も粗相しておりませんよ」
「いや、粗相じゃない、粗相じゃないんだが……」
女性の体格という迂闊に指摘しづらい部分が理由であるため、サクマはちらりとソフィアの隣に座るルファへと視線を向けた。
助け船を求められていると察したルファは、サクマのことを生意気な表情で鼻で笑い、ソフィアへと丁寧に話を切り出す。
「ソフィア様、この席は少し狭くは感じませんか? サクマ先生は、少しでも余裕を持って座れる最後列をオススメしてくださったんですよ」
「まあ、そういうことだったのね! それでは、お言葉に甘えて移動いたしますわね」
ソフィアは静かに立ち上がり、最後列の席へと向かう。彼女が退いたことによって、真後ろで居眠りをしていた小柄な男子生徒が、サクマから丸見えになった。
「シャルル! やっぱりそこでサボってたな!」
「ふがっ……!? あ、あれ、俺の居眠りバリアは?」
「お前は後で呼び出しだ! 覚悟するように!」
演劇のようにコミカルなやり取りをするサクマとシャルルに、級友たちはくすくすと笑みを零す。ソフィアも最後列の席に向かいながら、ふふっと上品に笑った。
「あらあら、いけない子がわたくしの後ろに隠れていたということね」
「そういうことだ。悪いが、ソフィア嬢は次回からも最後列で授業を受けてもらえるか?」
「ええ、そういうことなら喜んで」
春の日差しのように温かく笑みながら、ソフィアは返事をする。それを直視してしまった級友たちは、ぽっと頬を染めて彼女の神々しい微笑みに見蕩れた。
だが、ソフィアの後ろを静かについていくルファに恐ろしい顔で睨まれ、彼らは一様に目をそらす。
「……何を見ているんですか。ソフィア様に文句でも?」
「いえなんでも」
「はは、まさか」
「おほほ」
誤魔化すように口々に言う級友たちに、ルファはうんざりとした息を吐いた。
二人が最後列に着席したのを確認し、授業は再開する。
入学から一週間が経ち、周囲の学生たちからの扱いは軟化しつつあった。それはソフィアが穏やかで心優しい人柄であると周知されたせいでもあったが、彼女が鎖国状態に近い隣国のエルドラク皇国出身者だという事実も大きな理由だ。
エルドラク皇国は険しい山岳地帯に存在する、ある意味では歴史的に孤立している国家だ。
皇帝が強大な魔法を行使できるがゆえに、歴史上何度かあった世界大戦でも中立を守り切り、噂に寄れば神代の奇跡と呼ぶべき宝物や資源も眠っているらしい謎多い国。
そんな神秘的な国家の関係者となれば、興味本位で近づく者も多い上に、親兄弟からパイプを手に入れてこいとせっつかれている者もいる。
単純にソフィアの見目麗しさや心根の優しさに触れた級友たちが、恋慕の念を抱きつつあることも察しており、婚約者であるルファの内心は穏やかなものではなかった。
ルファは隣に座るソフィアにも聞こえないように、口の中で忌々しそうに呟く。
「本当に鬱陶しい……」
ソフィアに近づこうとする者全てを威嚇して遠ざけているルファは、苛立ちを募らせていた。
本当は、あんな醜い欲望まみれの人間たちをソフィア様の視界に入れることすらしたくない。純粋で汚れのないソフィア様が驚いて傷ついてしまったらどうするつもりだ。責任が取れるのか? もしそうなったら命で償わせてやる……。
ルファが仮想敵への憎しみを募らせているうちに授業は終わり、晴れ渡る青空よりも明るい声が教室に響き渡った。
「あっ、ソフィア様、ルファさーん! 一緒にお昼食べましょー!」
「まあ、アステルさん! よろこんでご一緒しますわ」
「はぁ……」
悩みの種の一つであるアステルの登場に、ルファは眉間を揉んで頭痛を堪えた。