終 呪いと祝福 人の営み
建暦三年(一二一三年)春
すっかり老けた北条政子、巴、北条義時そして三浦義村。巴がある木を指さす。
「あれは、桃でしょうか? それとも梅?」
誰も答えられず、苦笑する義時。
「そのようなことも、なかなか気に留めることができなんだような、そんな時を過ごしていたような気が致します」
「確かに色々なことがあり、頼朝様や九郎殿、頼家殿も、随分と早く先立たれました。そして、平家を倒すために戦い、この鎌倉を築き上げ、この国を立て直してきた多くの方々も、すでに来世に旅立たれておいでです」
――色々なこと、と言ってはいるが、呪いの中の全ての時間と比べたら、ほんの微々たる三十年ほどである。
ここでやや俯瞰的に見るのが三浦義村。
「ですが、まだまだ油断はならぬようですね。三代実朝様は、後鳥羽院と、武士との間で板挟みになり、なかなか苦労しておいでです」
「それも、ある程度は口を出さずに、次代へ繋げていかねばならぬのでしょう」
「む、その次代の方々が向こうでお待ちです」
少し遠くで、義時の子の北条泰時、弟の時房らが待っている。すでに実務は彼らと義村に任せて、義時や政子は、彼らが解決しがたい時のみ手を出している。
政子は『尼将軍』として、六年後に三代実朝が非業の死を遂げた後は、国の最終責任者として差配をする。その傍には常に執権である弟義時の姿があった。そのご三浦義村が、泰時や時房を支えながら、大乱や呪いが再び発生しないよう、また、自らが欲に溺れることのないよう努める。
そして巴は、和田義盛との決着前から行っていた、全国を巡って呪いの種を探し、調伏する活動を繰り返す。年々その腕に磨きがかかり、皇族や源平の配流先などには、特に重点的に巡り続ける。そして、ある時近江の地に立ち寄り、そこでしばらく穏やかに過ごしたのち、その長き生涯を閉じる。
三代実朝の死も、明らかに呪いじみた一件である。政子や義時は首の辺りがピリッとしたが、それがなぜだったかはわからない。だがこの時代、このような犯行は、必ず呪いや物怪の仕業かどうかの詮議が行われる。
下手人である頼家の子、実朝の甥である公暁は、武勇たくましく、百戦錬磨の三浦義村とて苦心する。だが最後は捕らえられたのち、こう答えたと聞く。
「呪い? 源氏の嫡孫たる私を愚弄するか義村? さにあらず。私が正当かどうかはどうでも良い。ただ鎌倉の血を引く私が、武門として、叔父とどちらが強いか、試してみたかっただけなのかもしれん。
それに、呪いがあろうがなかろうが、私がまた違う選択をするかしないかなど、論ずるに値せぬわ。
もし、もう一度この時をやり直せたとて、より良き可能性があったかどうかなど。それと同じだけ、より悪き可能性の広がりがあるに決まっておろう? ならば、万物流転、諸行無常の輪廻の流れに身を任せるのが正着ぞ!」
何も覚えてはいないはずの義村だが、何故か懐かしそうに義時に話し、義時も何故か感慨深そうに聞いていたという。
――そして、三代実朝の死から数年後、再び事件が起こる。
承久の乱、後世にそう呼ばれる大乱。それは後鳥羽上皇が、鎌倉の治政、特に北条家の専横に業を煮やし、京や地方の武士をかき集めて起こした反乱である。
乱は、北条義時の命により出陣した、息子泰時らによってわずか二ヶ月で鎮められ、上皇は泰時に捉えられる。
入る先に向かう前、上皇は泰時に語りかける。
「のう泰時、そなたこのような話を知っておるか?
『保元の乱ののち、敗れた崇徳上皇が、大いに後白河天皇を恨み、八年にわたる研鑽ののち、自らの血肉を捧げて深い呪いを成立させる。
その呪いは京の公家や武士を大いに巻き込み、中でも仇敵の後白河法皇は、半ばその身を乗っ取られるように、権勢に執着し始める。その結果、平家や源氏が次々に台頭しては、世が乱れ続け、今に至るまで皇統による親政は実現していない』」
「いえ、そのような話が……だとすると、なんとも恐ろしき話です」
「朕も眉唾だとは思っておるのだが、可能性としては捨てきれんの。朕の配流を讃岐にせなんだのは正解よ」
「よ、よもや後鳥羽院も、崇徳院の如き呪いを……」
「皇統を舐めるなよ泰時。父義時にも伝えよ。いかなるものが実の政をなし、いかなるものが権を握ろうとも、皇家が国の礎、国をまとめ上げる道標であることは揺るがぬ。
なればこそ、そなたら臣民がいかに帝や皇家をないがしろにしようとも、それ自体を理由に、その政のまことの妨げになるようなことはせん。ましてや呪いなどもってのほかよ。
むろん、民や国をもないがしろにするとあらば、容赦はせぬ。その時にそなたらを呪うのは皇家のみにあらず。武家の呪い、民の呪い、あらゆる怨嗟を受け入れるが良い」
泰時、この言を真摯に受け止めて、父義時や叔母の政子、鎌倉にいる者にしかと伝えることを決意する。
「ははあっ。これからも、あくまでも皇家やその統たる源氏より、政を預かってあるのみであることを忘れず、日々国のため、民のために精進して参ります」
そして、いざ立たんとするとき、はるか西、祇園精舎の方を眺めてこう言う。
「それにな、このうつし世に勝る呪いなど、何処にあるのかの。呪いと祝福が表裏一体なのであれば、その人の営み全てが、いずれか一方ですらなく、その二つを兼ね持つのではないかの? なれば、世の皆の思いが、呪いの側に少しでも傾かぬようするまでの事。遙か隠岐の地で、この国に対する祝福の祈りだけでも、精一杯、捧げ続けてくれようぞ」
お読みいただきありがとうございます。
これにて完結となります。