百三そして七十六 捻れ輪の裏表 終わりなき始まり
義経や頼朝、政子ら、源氏一門の全員が、呪いの始まりであったと思っていた回。それが七十七回目であったと宗盛から聞いた、義経や巴にとっては真に始まりであった回。
ある程度前から続いていたと推測していた彼らにとっても、その回数は衝撃が大きい。だが彼らはそこを含めて正確に鎌倉に伝えるため、何一つ怠ることはない。
そして、その一つ前の話を、宗盛が始める。
――そしてそれこそが、呪いの真のおぞましさにして、その呪いの解き方の真なる道への、端緒ともなり得ることを、もはや運命が定まりつつある宗盛は、薄々勘づいている――
「この話は、できるだけ正確になすのがよかろう。推定される命数も含めてぞ。なぜならば、この話そのものが、この呪いを解く鍵になるやもしれんのじゃ」
梶原景季、何度も頷く。
「巴にはより一層、周囲を警戒してもらわねばなりませんね」
「然り。まずは参加者よ。役割もわかっておるでな。先に申しておくぞ。物語をしたい訳ではないゆえ、分かりやすく参る。
平重盛 贄 零 すでに贄として定まり、病が命を燃やし尽くしつつある
以仁王 人狼 零 反平氏に担ぎ上げられた哀れな御仁。参加がいささか早すぎたか、命数尽きている
伊東祐親 共者 零 坂東にて平氏の手駒。なにかと便利扱いされるも、平氏の斜陽に伴い、命数尽きる
上総広常 共者 一 割と早くから参加。院の天秤の上とはいえ、源氏としてよく立ち回るも、その殆うき言動ゆえか、命数は常に底をつきかけている
平清盛 近衛 十 自ずと勝ちを拾うておいでだったがゆえか、命数も少なからず残る。誠に守りたき嫡子を守れぬのは何の皮肉か
平宗盛 占師 二十余 近衛に守られしも、定命尽きたる父の傘がなくなると、源氏に呑まれるのはすぐであった
平知盛 民 二十余 これまで幾度となく平氏の柱石として活躍するも、この回は目立たず
木曽義仲 人狼 三十弱 源氏の先鋒として、時に自ら平氏を追い込み、時に頼朝とも争う。このころ平氏にかわり、権の絶頂にある
藤原秀衡 霊師 十余 院の薫陶のもと、源平の間を巧みに泳ぎ切り、自らも点を稼ぐ
平時忠 民 零 平家にあらざれば……などと申した粗忽者。もはや力もなく、ほど良き時に切り捨てられる
後白河法皇 民 二十余 ご多分に漏れず、駒の推移を楽しむ。命尽く者のやや多きも、さほど気にとめない
源頼朝 狂人 二 この回は、わずかながら記憶があり、平氏を院ともども、見事に追い落とす
畠山重忠 人狼 一 源氏の若武者として期待が持たれるもの、まだ若すぎて安定に欠く
北条時政 民 零 ある時期までは平氏側であったが、頼朝が長じてからは、源氏に与する。しかし味方少なく苦戦」
「むっ、兄だけでなく重忠もか。それに、北条時政? 政子義姉上や義時の父だが、今はおらんが……まさか!?」
「左様。かの者、日和見の小者と思うておったが、長ずるにあたり、その才を存分に磨き上げ、頼朝らの信を得るに当たったようじゃな。そしてその者の運命こそ、輪廻の裏表にして、呪いの悍ましさすらも表しておる」
――七十六周目――
この回は、平氏と源氏に大きな差は無かったように見えていたこれまでと大きく異なり、特に命が尽きようとしていた者が多くいた。だが、もはや手の施しようのない重盛や、容易に切り捨てられる幾人かは、まこと双六の序盤のごとく、淡々と切り捨てられていく。
占師の宗盛にあっさりと人狼を見破られ、全く整わぬ企みすらも見破られた以仁王。
坂東にて頼朝を監視する役回りであったが、頼朝と陣営を異にしたときは、真っ先に狙われてきた伊東祐親。
彼ら二人の命数すらも、さほど気に留めるものはいなかった。強いて言うなら、伊藤祐親とやや交誼のあった北条時政くらいだが、それも、彼が源氏に舵を切る、最後の後押し程度のもの。
そして今一人、運命のいたずらに翻弄される。長きに渡り、源氏の重鎮として、陽に陰に、その手を尽くしてきた上総広常。平治の乱からの古参であったため、彼もまた五十余の長きに渡り呪いに囚われていた。
「梶原殿? 佐殿!? 何故?」
それは本当に偶々、伊藤祐親と共にする役割を与えられたために起こった巻き添え。これまた矛盾なき落命を描くため、この時はまだ、呪いと関わりなき梶原景時による凶刃に倒れる。呪いは、この十五の駒の、外にまで染み出しつつあったのかもしれない。
そしてここで平清盛、長きにわたる呪いとの闘い、そして最愛の嫡子を失いし心労からか、急速に気力を失い、その命が尽きる。
「天下のことは、一切を宗盛に任せるべし。異論あるべからず。源氏、そして院にも、決して譲る能わず」
無論、その呪いの全てを見、事細かに記録してきた父清盛、最後にかけて、宗盛にその些細を伝え終えていた。
そして何の皮肉か、近衛の役として、後継息子であり占師でもある宗盛に、即座に人狼たる源氏の手が伸びる。
宗盛、知盛と次々に破れ、後白河陣営がなんとか人狼の一人である木曽義仲を罠に陥れるも、霊師の藤原秀衡も力尽き、源氏の世はすぐそこにきていた。
平家にあらざれば人にあらずなどと申し、その奢りの表れとして象徴されていた平時忠は、互いにとっていつでも切れる手駒として生かされていただけであった。皮肉にも、全てを巧みに操っていた後白河法皇と前後して倒れるも、その心持ちや業の深さは天地の差であった。
そして、最後に残った源氏の三人。
狂人、源頼朝。
民、北条時政。
人狼、畠山重忠。
頼朝は、ここで唯一見えた光明に、全てを託す。
「時政義父上、全てお頼み申し上げる。政子のこと、源氏の世の先々、呪いなき国の未来。その全てを繋ぐには、この儂を呪いに置き去るしかないようだ」
同調する畠山重忠。自らの命を断てば、時政が未来を紡ぐことを理解していた。
「鎌倉殿を置きて去るあなた様の不忠も、ここで不様に散る我が不誉も、ここから紡がれし先の世を繋ぐためとあらば、是非に及ばぬこと。全てはあなた様にかかっております」
「……承知つかまつった。しかし、これだけは人の親にして、あなたさまの舅として申し上げます。我が娘を置いて先立つ不孝、それだけはこの時政、生涯をかけて鎌倉殿をお恨み申し上げまする」
「おう! 恨め恨め! この忌まわしき呪いが解かれる、その対価とあらば安かろう」
「ではさらばでござる!」
そうして、突如として、忠臣たる畠山重忠に謀叛の疑いをかける北条時政。その理不尽を訝しむ周囲を他所に、私兵を用いて重忠を討ち果たす。なぜか重忠もろくな抵抗をしなかった、と残っている。
――――
「その後、北条時政とやらは、一人で去ったのではなく、おそらく近衛であった父上も勝ちを得たはずなのだ。二人の間でどのような会話がなされたのかは知る術もない。
父上が呪いに執着したところを、兄上などを引き合いに出して必死に説得したのか。それとも、もはや父上も呪いに疲れて、時政の肩を借りて共に去っていったか。いずれにせよ、二人には呪いの記憶などのうなったであろうから、なにもわからぬ」
「なんという最期……呪いに一から終まで囚われながら、その傍で、この国の力を増すために宋との貿易を成し遂げる。誠に当世の英雄と申すほかはございますまい」
景季も何度も頷くと、西に向かって神妙に頭を下げる。その視線の先は、福原か、はたまた、遥か西の祇園精舎か。
「そして、本題はその先よ。そなたもわかったであろう」
「まさに……この呪い、多くの困難や、誘いを乗り越えて、解き放たれるに至ってもなお、残されたものはそのまま留まり、また新たなものを呪いに誘い込んでしまう、ということなのでしょうか」
「ああ、そのようじゃ。実際、父上は程なくして病に倒れる。そして時政はどうなのじゃ? そなたもよくは知らんか?」
「左様ですね。詳しくはわかりません。巴はどうだ?」
巴も全てを知るわけではなかったが、おそらく長く生きつづけ、そして、何度かにわたり、その脈絡なき畠山重忠への凶行がなされる記録を語る。
「むう……これでは、呪いに囚われた者と、大きくは変わらぬということではないか。当人のみは天寿を全うする、というくらいの違いといえよう」
「左様ですね。強いていうならば、その先の生きざまは呪いから解き放たれてはいるのかもしれませんが。それも、この捻れた結末の先とすると、重きしがらみのなかでの選択肢となりましょう」
――実際この直後、時政はその政の才に限りがあることを政子や義時に見定められ、隠棲を余儀なくされる。ただ、その後の余生が穏やかではあったようだが――
そうすると、進むも呪い、引くも呪いとなるこの状況をどのように解き放つか、見つからぬ答えに頭を抱える。
……
…
…
そこで、黙々となにかを書き出していた景季、顔を上げる。その手元を見る宗盛と義経。
「ん? 景季が何かをしておるが……」
「まさか景季、呪いを解く算段をしておるのか」
景季の手元には、参加者の中と、数を表すいくつかの文字、そして、多くの者の行き着く先に書かれるのは『零』の字。義経が先に気づく。
「よもやこれは、多くのものが、ほぼ同時に命を尽くして敗れ去り、そしてわずかに残った民のみが、その残された命数を引っ提げて抜け出す。そこに持っていくことができれば、残ったものだけで呪いが成立しなくなるやも、ということか?」
「つまり、呪いが始まったばかりの、まだそのありようも定かならざるところまで、慎重に慎重をかさねて戻していく、という事じゃな」
景季は頷く。
――ちなみにこの男、話せぬ訳ではなく、雲の上である身分の二人や、武名高き女傑を相手にして、ひたすら恐れ多いと考えているだけである――
「だとすると、この先しばらくの間、参加者全ての点を、可能な限りおおく削り切って行かねばならんな」
「それはこれまでと全く逆の行いです。であれば、説き伏せきるのは至難であるかもしれません」
「であろうの。算長けて、実直なこやつや、武名高く声望厚き巴殿といえど、難しくはないかの?」
「然り。そもそもこの九郎義経も、戦の駆け引きこそ磨かれたものがあるとはいえど、屋根の下ではとんと疎く」
宗盛を除く三人、不安しか残らない面々。そこで、正面から馬が駆け寄る。
「あれは……北条義時と、和田義盛か?」
「九郎様! お迎えにあがりました。とはいえ、大井の渡しまででございますが……」
そう、北条義時と、和田義盛。その実、義経を迎えに上がったというよりも、むしろ過去の大井の水難の記憶が残る頼朝と政子が、彼の渡川を阻んでいるのだ。
いずれにせよ、義盛はともかく、政への才を磨き始めている義時に、やや安堵する九郎義経。
「巴殿もおいでか。ここは一手御指南いただきたく!」ドスッ
すかさず巴に蹴飛ばされる義盛。しかしそのままその場を離れつつ、二人で周囲を見張に行く。巴は義時の姿に安堵しつつ、淡々と役目を果たすのみ。義盛はかつて蹴散らされた巴の印象が強く残り、会うたびに挑んでは軽くあしらわれる日々。
「さて小四郎。まずはこの景季の書留を読んでみてくれ。宗盛殿や儂もすこし足を休めたい」
義経は義時に、これまで淡々と景季がまとめていた書き留めを渡す。それに対して義時も、やや長めにまとめられたものをわたし返す。
「承知しました。こちらから些細をお伝えせんと用意しておりましたが、不要でしたか」
「念のためそれは受け取って、読んでおく。宗盛殿もにも目を通していただくぞ。もはやこの方の定めは変わらぬゆえ、問題あるまい」
「御意」
そして、互いに用意した書き留めを、それぞれ読み進めていく。義経や宗盛は、ある程度分かっていたことの確認程度であった。
それに対し、景季がまとめた宗盛と義経の語らいを読み進める義時の表情には、徐々に驚愕が色濃くなる。
「こ、これは……これがまことだとすれば、我ら源氏は、もののみごとに院の罠にはまっているということではありませぬか」
「その通りだ。そして、兄上や政子義姉上、三浦あたりは半ば捉えられかけておいでやもしれん」
「鎌倉殿や三浦はおそらくそうでしょう。ただ姉上はある程度保ちつつありますゆえ、これ以上点を伸ばさず保てば、その策の柱を受け持つのは間違いなく姉上かと」
「そうか。では策を任せて良いのだな」
「無論、九郎様や巴殿、そして景季こそがその立ち回りの要諦。宗盛殿はこれから何度かに渡り、命を落とす苦を背負わせることとなりますが、この道中をうまく使いつつ、法皇を一つずつ追い詰めましょうぞ」
「なに、流石にもう慣れたわ。奢れるものは久しからず、とはいえこれほど少しずつ、少しずつ蝕まれるようになるとは、その業の深さたるや。
それに、それそのものも、たやすきことではない。特に後白河院は、その命数が十を下回ると、あれやこれやと手を尽くし始めるのじゃ。そしてそれはもうそろそろではないかと見ておる」
宗盛も、見る影もない過去の栄華を振り返りつつ、院への警戒を改めて口にする。そして、義経は改めて義時に問いかける。
「では小四郎、改めて我らの勝利条件は何ぞ?」
「実はすでに、呪いそのものが、これまでの力を少しずつ損ねつつあると目算しております。前回、木曽義仲殿、藤原泰衡殿がその名数を使い果たしましたが、代わりに入ったのは、源氏の臣である比企能員殿、そして工藤祐経殿。
嫡子頼家様の傅役である比企殿はともかく、工藤殿はさほど力のある者ではありません」
「呪いの力、それすなわち院やその他の皆の命数が関わっておるかも知れんな」
「となれば、皆の命数を削り切ることは十分に可能でしょう。特に、院に余計なことをさせぬこと、やや過剰な命をもつ鎌倉殿を、不忠ながら削り続けることを優先しながら、確実にその他の面々を削り続けます。
調整を要するときは、姉上と巴殿、そして和田殿を当てます」
「義姉上と巴はわかった。だがなぜ和田を?」
「三浦はやや賢しさにすぎます故、かえって呪いに囚われやすい危惧がございます。私は姉上に近すぎますゆえ」
「そうか。となれば、この先は源氏も平氏もない。みなでこの呪いを解くため、一致して事にあたるぞ」
「よかろう」
「御意」
そして、後白河法皇、そして血と輪廻の呪いに相対する、長き戦いが幕を開ける。
――百三回――
勝者 民 源義経 北条政子
お読みいただきありがとうございます。