君の色、君の香り
放課後の校舎内は一際静まり返っていた。差し込む夕日で廊下は赤く染まり、なんとも幻想的な雰囲気を醸し出している。
ぼくは学ランのポケットから手紙を取り出し、内容を再度確認した。
『今日の放課後、3−Cの教室に来てください』
やや丸みを帯びた可愛らしい女の子の字で書かれたこの手紙は、あろうことかぼくの下駄箱の中に、真っ白な封筒に収められて入っていた。差出人の名前はどこにもなかった。
ぼくには一切心当たりはないが、おそらくこれはラブレターというやつなのだろう。まさかこんなものが実在するとは思いもしなかった。それも、下駄箱というベタな展開など誰が予想しただろうか。
今、ぼくの目の前には入り慣れた3−Cの教室がある。自分のクラスなのだから当然だ。しかし、この自分のクラスの扉が今までにないほど遠く、大きなものに感じられた。初めてクラスに入ったときでさえ、こんなにも緊張はしなかった。
少しの間、この何とも言えない緊張感にメンチを切りながら、ぼくはついに決心をした。
そっと手をかけた取っ手、力を加える右手、そして左にスライドさせる扉。全ての動作が重い。あまりに重く、扉がなかなか開かなかった。
ガラガラガラッ――。
ようやく開ききった扉の向こうに見えたのは、大きくはためいたベージュのカーテンのみであった。呼び出した当人は見当たらない。
ハメられたのだろうか。仄かな期待は一瞬にして不安へと変わった。
その時、ぶわっと突風が教室内に吹き込み、カーテンが翻った。そして、その裏側から女の子が現れた。
両肩に垂らした黒く艶やかなその二つ括りの髪は、風に靡いている。
大人し気な雰囲気を醸す彼女は、あたふたしながらカーテンの裾を掴み、また身を隠しながら顔だけひょっこりと覗かせている。
「えっと、ぼくを呼んだのって吉野さん?」
「……そう、私」
彼女は顔を真っ赤にしながら答えた。
「あの、何か用?」
おおよそ察しはついているが、これは聞くしかない。
「筒井君! あのっ、あの、その、わたし……」
どうやら随分とテンパっているようで、その大きな目を忙しなく瞬かせている。まぁ、無理もないだろう。
彼女はそこまで言うと下を向いて黙り込んでしまった。が、その沈黙は再びの突風に後押しされ、そう長くは続かなかった。
ぶわっと吹き付けたその風は、教室で栽培されているシクラメンの芳香を部屋いっぱいに運んだ。それはまるで、彼女を応援しているようにも思えた。
「筒井君! 私、あなたのことが好きです! 付き合ってくださいっ!」
力強い真っ直ぐな瞳を向けてくる彼女への答えは決まっていた。
「実はぼくも、吉野さんのことが好きだったんだ。付き合おう!」
彼女は夕日に勝るほど真っ赤に頬を染め、零れてしまいそうなくらいの笑顔をはにかみながら見せた。
まだ仄かに漂うシクラメンの香りが、淑やかではにかみ屋の彼女によく合っていた。
「吉野さん、顔真っ赤だよ」と微笑み掛けると、「筒井君だって真っ赤だよ」と笑顔で返されてしまった。
「そうかな」と照れながらぼくは彼女に手を差し出し、「一緒に帰ろう」と誘った。
「うん」と遠慮がちに触れ合った手の感触にくすぐったさを覚えながら、ぼくたちは教室を出た。
山田先生の執る国語の教鞭に、欠伸をする人も出ているこの4時間目の授業中のこと。私のそんな想いも露知らず、隣の席の彼、筒井雅広は立てた教科書に顔を埋めながら、早弁をしていた。頬に米粒を付けているところがまた彼らしい。
彼はとても気さくで、あまり人付き合いの得意でない私にもよく話かけてくれる。たまたま机が隣だっただけで、きっと他の女の子にもそうなのだろうけど、それでも私は、そんな彼のことが好きになってしまった。もう、これ以上この想いを心の中に仕舞っておくことはできそうになかった。
机の中に密かに用意した、真っ白な封筒をそっと握りながら私は心に誓った。
今日、私、吉野香織はこの想いを彼に伝えます。
(完)
この度は、本作品を閲覧くださいましてありがとうございます。
就活のエントリーシートを投げ出して、この三題噺を今までにない速さで書き上げました。
久々にこうして小説を書けて思ったことは、執筆って楽しいなぁということです。
エントリーシートばかり書くのはもう懲り懲りです。
これから、もっともっと書いていくと思いますので、また何らかのご縁の元お会いできましたら、ご高覧いただけますと幸いです。
毛利鈴蘭