8 手配されたお茶会
エリノアがウィルフリッドと学園で昼食を共にするようになってから3日が過ぎた。
今日も馬車で学園から直接王城へやってきたエリノアはいつものように王妃教育を受ける。それが一段落すると、休憩と称した講師とのお茶会の時間が待っていた。元々、このお茶会も王妃教育の一環で始まったものだったが、すっかり作法が身に付いた今はエリノアにとって美味しいお茶とお菓子を楽しむ本当の休憩時間になっていた。
「本日はお天気も良いですし、外でいただきましょう」
講師に言われるまま、エリノアはエマや王城の使用人たちを引き連れて広い庭にあるガゼボを目指す。すると、そこに先客が二人いた。それに気付いたエリノアが「あら?」と声を上げるとその内の一人がエリノア達を振り向く。
「やぁ、エリノア」
「えっ!? ウィルフリッド王太子殿下!?」
ウィルフリッドがパッと立ち上がると、エリノアたちの方に向かって来る。もう一人の先客はアレックスだった。
「な、何故こちらへ? いつもならナターシャ様とお勉強の筈では?」
「あぁ、以前ならね。でも、それもあの日からやめにしたんだ。これからはもっと君との時間を増やそうと思って」
“あの日”とは、恐らくエリノアとウィルフリッドが学園で昼食を共にするようになった日のことだと、エリノアはすぐに推測できた。
「それは急ですわね」
「そんなことはない。もっと早くこうするべきだったんだ」
そう告げたウィルフリッドがエリノアに微笑みかける。その微笑みに一瞬ドキッとして意識を持っていかれそうになったエリノアだったが、気を取り直して口を開く。
「っ、ウィルフリッド王太子殿下、わたくしとお茶をする時間があるなら公務を片付けられてはいかがですか?」
「それなら溜まっていた分も含めて、今日の分は終わったよ」
「えっ!?」
終わった……? とエリノアが呆気に取られているとウィルフリッドが言葉を続ける。
「学園に帰ってすぐに公務に取り掛かれるようになったからね。少しは自分の時間が持てるようになったんだ」
「お陰で私の仕事も早く終わるので助かります」
アレックスが付け足すとウィルフリッドが「ハハ……」と苦笑いを浮かべる。
「でっ、でしたら、ウィルフリッド王太子殿下の貴重な休息をお邪魔するわけにはいきませんわ。わたくしは失礼致します」
サッと挨拶をしてエリノアが立ち去ろうとすると、「エリノア」とその腕を掴まれる。
「先ほども言ったが、私は君との時間を増やしたくてこうしているんだ。その為に今日ここにエリノアを連れてくるように頼んだんだよ」
「っ!?」
エリノアが思わず講師を見ると軽く会釈が返ってくる。
「エリノア様、本日の講義はこれにて終了です。それでは王太子殿下、私達は失礼させて頂きます。どうぞごゆっくりお過ごし下さい」
「あぁ」
ウィルフリッドが頷いたのを確認すると、講師を含めた王城の使用人たちが庭を後にしていく。
「まっ、待って!」
エリノアの引き留めも虚しく、彼女たちの背中は遠ざかっていく。残ったのはエリノアとウィルフリッド、それからアレックスとエリノアが連れてきたトムとエマの5人だけだ。
「立ち話もなんだから座ろうか?」
ウィルフリッドは掴んでいたエリノアの腕から手をするりと滑らせると、その手を優しく握ってエスコートするようにガゼボに向かう。エリノアはそれに従うと、彼のエスコートに身を任せて用意されていた席に着いた。
き、気まずい……
席に座ってからエリノアの心中はその一言で埋め尽くされていた。アレックスやエマたちは少し離れた場所で待機している。その為、彼らが会話に参加することがなければ、エリノアたちの会話を聞かれることもない。だから、彼らに会話を振ることも出来ずにいた。気まずさのあまり、ちらりとエリノアはウィルフリッドを見る。
エリノアは婚約を破棄したいのに、一方でウィルフリッドからは『振り向かせてみせる』と何故か婚約破棄とは程遠い宣言をされてしまった。その上、『好き』とまで言われたのだ。今までとの態度の違いに何か裏があるのでは? とすら考えてしまう。
先程からウィルフリッドは黙ったままだ。しかもその表情はとても固く、何か悩んでいるようにすら見える。このお茶会はウィルフリッドが手配したと聞いた為、彼から話を振ってくると思っていたエリノアだったが、一向にその気配がない。
比べて、ナターシャといる時のウィルフリッドは口数も多く、エリノアが端から見ていても今より楽しげだった。
国王陛下に何か言われたのかしら? ……そうですわよね。婚約破棄の話をしたあの日、公爵邸でお父様が殿下に仰ったんだもの。
『婚約破棄の件も今回の話し合いも、全ては非公式によるもの。私は何も聞かなかったことにする。今日のこと陛下とよくお話された上で、必要があれば改めて話をしよう』
きっと、ウィルフリッド王太子殿下は国王陛下とお話しされた筈だわ。それに、もしも国王陛下がウィルフリッド王太子殿下とナターシャ様が仲睦まじいという噂話を耳にされたとすると、陛下はわたくしとの婚約を心配なさるでしょう。例えば、ナターシャ様ではなく、婚約者のわたくしと仲良くするよう口にされたとしてもおかしくありませんわ。
社交界の噂話はあっという間に広がる。学園でエリノアとウィルフリッドの婚約破棄が噂されてからまだ3日しか経っていないが、たかが3日されど3日だ。この間にも、どこかの邸ではご婦人やご令嬢たちが昼間にお茶会を行い、夜には夜会という名のパーティが行われる。
ルーシー様はわたくしと殿下の仲睦まじい噂が流れていると言っていたけれど、それと同じぐらい、いいえ。それ以上にわたくしと殿下の婚約破棄の噂も社交界で流れているに違いありませんわ。
噂好きのご婦人やご令嬢たちにとって、スキャンダルほど面白い話はない。いつだってスキャンダルの方があっという間に噂は広がるのだ。
エリノアが考え事をしている間もウィルフリッドは中々話しを切り出そうとはしない。沈黙に耐えきれなくなったエリノアは紅茶の入ったティーカップに口を付ける。そうして一口飲んで、カップをソーサーに戻すとため息をついた。
「国王陛下に何か言われましたか?」
エリノアの放った一言に漸くウィルフリッドが「え?」と言葉を発する。
「ウィルフリッド王太子殿下がわたくしとの時間を増やすのは、それなりの理由があるからですわよね? でなければ、わざわざわたくしとの時間を取ったにもかかわらず、これ程までに黙りだなんて変ですもの。ウィルフリッド王太子殿下はナターシャ様とご一緒にお話しされている時の方がもっと生き生きしていらっしゃいますわ」
「っ! それは違う! それに、断じて父上に言われたからではない!!」
ガタッと立ち上がったウィルフリッドにエリノアはビクリと肩を跳ねさせた。ウィルフリッドがこんなに取り乱すとは思っていなかったのだ。
我に返ったウィルフリッドは「驚かせて済まない」と謝ると、その場に座り直った。
「……いえ」
取り乱す程、ナターシャ様のことを想っているのかしら? だとしたら、どうしてわたくしに好きだなんて仰ったの?
チクリとエリノアの胸に小さな痛みが広がる。
「今朝も言ったように、私が好きなのはエリノアだよ。ナターシャ嬢ではない」
「…………そんなお言葉、信じられませんわ」
エリノアがと呟くとウィルフリッドが目を見開いて、それから眉を歪めると視線を落とした。
「君にそう思われても無理はない。私はエリノアを前にすると、緊張して上手く話せなくなるからな」
「ウィルフリッド王太子殿下ともあろうお方が? ……御冗談を」
ウィルフリッドは社交性が高く、学園でも男女問わず生徒たちから人気がある。それに王太子として人前に出る時だって、いつも堂々としていた。夜会でもそうだ。いつも沢山のご令嬢たちと楽しそうに踊っている。それなのに、エリノアとのダンスの時は何故か表情も動きも固かった。それが、エリノアがウィルフリッドが自分を好きだと言っていることが信じられない理由の一つだった。