7 追いつかない気持ち
「エリノアお嬢様、お迎えに参りました」
「あぁ、……トム。それからエマ……いつもありがとう」
出迎えてくれた従者とメイドに少し引き攣った表情で答えると、エリノアはトムのエスコートを受けながら馬車に乗り込む。
「お嬢様、随分お疲れのようですね。学園で何かありましたか?」
「何か、ね……。そうね、今日は色々あったわ」
動き出した馬車の中、エリノアは今日の出来事を頭の中で振り返った。
まず、朝からウィルフリッドとの婚約破棄の件が噂になっていたこと。その件でナターシャに話しかけられ、頭を下げられたこと。そして、ウィルフリッドへの謝罪まで要求されたこと。
それから、ウィルフリッドに言われたあの言葉…………
『もう遠慮はしない。絶対に君を振り向かせてみせる』
思い出しただけでエリノアの耳元に擽ったさまで蘇ってくる。何より、ウィルフリッドに“好きだ”とまで言われたのだ。
何故ですの? ウィルフリッド王太子殿下はナターシャ様をお慕いしているのではありませんの?
それなのに、わたくしを好き??
考えれば考えるほど、エリノアの頭は混乱していく。
『遠慮はしない』と言っていた言葉の通り、エリノアは今日からウィルフリッドと昼食を共にすることになり、彼は事あるごとにエリノアを見つめたり、話しかけたりしてきた。
まるで人が変わったようだった。それ程、今までになくウィルフリッドはエリノアに近寄ってくるのだ。
今までは遠慮していたとでも仰るの?
「ウィルフリッド王太子殿下はどうされたのかしら……」
エリノアがポツリと呟いた言葉にエマが首を傾げる。
「ウィルフリッド王太子殿下がどうかなさいましたか?」
「それが、殿下はわたくしのことが好きだと言われて……あれほどナターシャ様とご一緒だったのに。急にわたくしと昼食を共にするとまで仰ったの。殿下はナターシャ様をお慕いしている筈ですのに……」
エリノアがそこまで言うとエマとトムが顔を見合わせる。それから二人はクスクスと笑った。
「なっ、何がそんなに可笑しいんですの?」
「エリノアお嬢様、王太子殿下に関してお嬢様が気を揉む様な事は何もございませんよ」
トムが言うとエマが嬉しそうに手を叩く。
「そうですよ。それに、ウィルフリッド王太子殿下がナターシャ様と距離を取られるようになったのであれば、良いことではございませんか!」
「え? え、えぇ。……そうですわね。……いや、そうなのだけど」
ウィルフリッドがナターシャを好いていれば、婚約破棄する理由の一つになると考えていたエリノアは言い淀む。
これでは婚約破棄が遠のく一方ですわ。
「ご心配なさらずともウィルフリッド王太子殿下は昔からエリノアお嬢様一筋です。今回のことも漸くお嬢様を幸せにするために決意を固められたのですよ、きっと。ですからご安心下さい」
ニコッと微笑むエマにエリノアは「え?」と固まる。
「エマ、……わたくしの聞き間違いですわよね? ウィルフリッド王太子殿下が何ですって?」
「え? お嬢様を幸せにするために決意を固められたと……」
「違うわ! その前よ!」
「えっと、……ウィルフリッド王太子殿下は昔からエリノアお嬢様一筋です」
嘘……。あの殿下がわたくし一筋!?
「そんな筈ありませんわ! 殿下はわたくしに興味なんて! ちっともないはずですわ!!」
「そんなことはありませんよ。エリノアお嬢様との婚約だって、ウィルフリッド王太子殿下とお嬢様が6歳の時、初めてお会いしたその日に殿下の方から国王陛下にお願いされたのですから」
「な!? 何ですって?? ……わたくしたちの婚約は王家とわたくしのお父様とお母様が決めてきたのではありませんの??」
エリノアは顔を引き攣らせる。
「双方のご両親が殿下の申し出をそれは大層お喜びになられて、あっと言う間に殿下とお嬢様の婚約が決まりましたから、当時のエリノアお嬢様がそう思われても仕方ありません」
ニコニコとエマが嬉しそうに話す。
「ウィルフリッド王太子殿下は、あの頃からずっとエリノアお嬢様をお慕いしておられましたよ。お嬢様に会うとお顔を真っ赤にされて、緊張して話せなくなるほどにはお嬢様を好いておられました。あの頃の殿下はとても可愛らしかったです」
キャッと頬に両手を当てて顔を赤くするエマ。エリノアは初めて知った事実に更に困惑していた。
幼い頃、ウィルフリッドと会う度に会話が途切れてしまうのは、ずっとウィルフリッドがエリノアに全く興味が無いからだと思っていた。
それが、違っていたというの? ウィルフリッド王太子殿下が本当にわたくしを好き?? ……そんなこと、急に言われても困りますわ。
何しろエリノアはウィルフリッドと婚約破棄をして未来の旦那様を探す旅がしたいと、ずっと思っていたのだ。辛く過酷な王妃教育を乗り越えられたのもその目標があったからだった。それが急に好きだと言われても、今まで学園や王城で散々ナターシャとの仲を見せつけられてきたエリノアには、受け入れられなかった。
「そんな話、信じられませんわ」
「お嬢様……」
トムとエマが心配そうな表情でエリノアを見る。
「今までわたくしがどんな思いでここまでやって来たと思っていますの? わたくし、やっぱり未来の旦那様を探す旅に出るわ。婚約も結婚もわたくしが心からお慕いする方とじゃなきゃ、嫌よ」
それがどれ程大変なことか、エリノアはつい昨日思い知ったばかりだ。公爵令嬢という貴族の肩書を捨てる覚悟で挑まなければいけない。
「お嬢様、まだそのこと諦めていなかったのですね」
エマが眉を歪めて呟く。
「エリノアお嬢様、どうかお考え直し下さい。お嬢様が思っている以上に、殿下はお嬢様を大切に想われています」
「そんなの知らないわ。少なくともわたくしはウィルフリッド王太子殿下に大切にされていると思ったことなんて、一度もありませんもの……」
婚約者としてぞんざいに扱われたか? と問われるとエリノアはよく分からない。あまり深く考えてこなかったからだ。だけど、少なくともナターシャがいる時はいつもウィルフリッドはエリノアよりナターシャと一緒にいることを優先していた。
それは最早ぞんざいに扱われていることと等しいのだが、エリノアと関わる時、ウィルフリッドはいつも優しい。いや、誰に対しても優しいのだ。だから婚約者であるエリノアに対して特別優しいなどということはない。
寧ろナターシャを優先するのだから、ナターシャがウィルフリッドの想い人なのだとエリノアが思うのは自然だった。
それをウィルフリッドはエリノアのことが好きで、エリノアを大切に想っていると言われても、ピンと来るわけがなかった。