6 ウィルフリッドから昼食のお誘い
「────様? エリノア様、エリノア様っ!」
ルーシーの呼ぶ声でエリノアはハッとする。
「ルーシー様……?」
「午前中の授業、終了しましたよ? 先ほどから何度お声がけしても微動だにされませんでしたので、心配しましたわ」
そう言って眉根を寄せるルーシーにエリノアは慌てて立ち上がる。
「ご、ごめんなさい! 少しボーッとしてしまったようですわ」
「いつもきちんと授業を受けていらっしゃるエリノア様が上の空だなんて、珍しいですわね。もしかして今朝の出来事が原因ですか?」
「え、えぇ……」
“今朝”と言われてエリノアの頭を過るのはナターシャとの会話とそれを遠巻きに眺めながら噂する生徒たち、そしてウィルフリッドとのやり取りだ。
あのあと、どうやって教室まで来たのかエリノアは覚えていない。だが気が付いたら授業は終わっていたようだ。
耳元を擽ったウィルフリッドの吐息と抱き締められた時の感触を思い出して、エリノアの頬が僅かに赤みを帯びる。
「婚約破棄の噂を耳にした時はどうなるかと思いましたが、ウィルフリッド殿下とのことでその噂は少しだけ落ち着きましたわね」
「えっ?」
「あら? ご存知ありませんか? 休憩時間の度に今朝のエリノア様とウィルフリッド殿下の仲睦まじい話題が飛び交っていましたのよ?」
「なっ!!」
仲睦まじいですって!? そんな事があるとわたくしは殿下と婚約破棄出来なくなる! つまりは、未来の旦那様を探す旅に出られなくなってしまいますわ!!
「そんな事ありませんわ!!」
慌てるエリノアはすかさず否定した。
「まぁまぁ。またまたぁ。照れなくても宜しいのですよ? ですが、そうですわね……。少なからず噂の件でエリノア様を良く思っていらっしゃらない方がいるのも事実ですものね」
「それは仕方ありませんわ。皆様それぞれ考えがありますもの」
ちらりと周囲を見ればみな思い思いに行動しているが、中にはエリノアたちを盗み見ている者もいた。うっとりとした視線を送る者もいれば、目を鋭く光らせるような視線が含まれている。その大半はカレンデム公爵家とはあまり親交のない家の令嬢や令息たちだった。だが、それを気にしていては身が持たない。
「ルーシー様、参りましょう」
「えぇ」
頷いたルーシーと共にエリノアが教室を出ると、いつも二人で昼食を共にしている中庭を目指す。
「エリノア!」
だが教室を出てすぐ耳馴染みの声に呼び止められた。
「ウ、ウィルフリッド王太子殿下!?」
笑顔でエリノアの元に真っ直ぐやって来たウィルフリッド。エリノアがお昼時にウィルフリッドに呼び止められるのは入学したばかりの頃に彼と昼食を共にして以来だ。
「ど、どうして?」
戸惑いをそのまま言葉にしたエリノアにウィルフリッドはエリノアの前まで辿り着くと口を開く。
「今日から昼食はエリノアと食べようと思ってね」
「わ、わたくしと!?」
「何も驚くことはないだろう? 僕たちは婚約者なんだから」
「そ、それはそうですが……」
昨日、婚約破棄は一旦無かったことになったとは言え、ウィルフリッドとは婚約者(仮)のような気持ちだったエリノアには予想外のことだった。おまけに今朝の出来事もある。
他の生徒たちの目がある以上、婚約破棄の件を話題にすることは出来ない。そんなことをすれば噂が真実になってしまうからだ。だけど、婚約破棄して未来の旦那様を探す旅に出たいエリノアは、ウィルフリッドの言葉に頷くことも出来ないでいた。
「ウィルフリッド王太子殿下はいつもナターシャ様と昼食をご一緒されているではありませんか。ナターシャ様はよろしいのですか?」
「あぁ。彼女にはしっかり話してきた。今日から私は婚約者であるエリノアと昼食を共にすると。エリノアが望むのであればナターシャも誘うが、今後は私が彼女と二人だけで昼食を共にすることはないよ」
チクリと一瞬エリノアの胸が痛む。
「二人だけで……ということは、ナターシャ様とのお食事を完全に止めるつもりはないのですね」
「え? いや!! も、勿論!! エリノアが望むなら複数人であってもナターシャとは二度と食事を共にしない!!」
あわあわと慌てふためくウィルフリッドにルーシーが「まぁまぁ」と微笑ましそうに口元に手を当てる。
「どうやらわたくしはお邪魔のようですわね」
「!! ルーシー様っ! 置いていかないで下さい!!」
このままではルーシーがいらぬ気を利かせて、何処かへ行ってしまうと悟ったエリノアは慌てて彼女を引き留める。
「ルーシー嬢、邪魔だなんてことは決してありません。よろしければルーシー嬢もご一緒に。友人が一緒であればエリノアもリラックス出来ると思います。それに私もアレックスを呼んであります」
「アレックス様も?」
アレックスはルーシーの婚約者だ。
婚約者が同席すると聞いて、提案を断る理由が無くなったルーシーはにこりと微笑む。
「でしたら、お言葉に甘えてご一緒させて頂きますわ」
「では行こうか」
そう言ってエリノアに手を差し伸べるウィルフリッド。だが、その手を素直に取るわけにはいかないとエリノアは足掻く。
「ウィルフリッド王太子殿下、お待ちを。わたくしは了承しておりませんわ」
途端にウィルフリッドの整った美しい顔が寂しそうに歪められる。
「エリノアは私と一緒に昼食を共にするのが嫌か?」
「ぅっ!」
ウィルフリッドの表情を目にして、顔が良いというのはなんて罪なことなのでしょう、とエリノアは思った。自分がウィルフリッドを困らせて物凄く悪いことをしている気分になる。それにエリノアは公爵令嬢で王家と遠縁の親戚とは言え、王家の嫡子である王太子殿下の頼みを断ることは出来ないに等しかった。
ひそひそと周りにいた生徒たちがエリノアたちを見て囁いている。その内容がエリノアにとって良いことなのか悪いことなのか、それともとても悪いことなのかはわからなかった。だが、このままではまた新たな噂を生んでしまうことだけは確実だった。
「……嫌では御座いませんわ。ルーシー様がご一緒なら、喜んでお誘いをお受けいたします」
渋々ではあったものの、最初からエリノアにはウィルフリッドの誘いを受け入れる他に選択肢はなかった。