1 エリノアとウィルフリッド~初めての出会い~
リュラフス王国の王子であるウィルフリッドが7歳の誕生を迎えた数日後のこと。
王城の庭では、ウィルフリッドとカレンデム公爵家の御息女の初めての顔合わせが行われていた。
幼いうちから同じ年頃のご令嬢たちと顔を合わせて、その中からウィルフリッドと特に気の合うご令嬢との仲を深めてもらう。そうすることで、ウィルフリッドにとって未来のよき伴侶となる婚約者候補を探す。それがこの顔合わせの目的だった。
「ほら、エリノア? ウィルフリッド王子殿下にご挨拶なさい」
カレンデム公爵夫人の後ろに隠れて、恥ずかしそうに夫人のドレスを掴む少女は促されてちらりと顔を覗かせた。それでも彼女の顔の殆どが夫人のドレスに隠れたままだ。
ウィルフリッドが隣に立つ母、王妃ヘンリエッタを見上げると、にこりと微笑まれた。
母は無言であったが、ここは年上として先に挨拶するべきなのだろう、とウィルフリッドは悟る。
「始めましてエリノア嬢。私はリュラフス王国第一王子のウィルフリッド・パット・エリオットです。どうぞよろしくお願いします」
ウィルフリッドが綺麗にお辞儀をしてみせると、それまで公爵夫人の後ろに隠れていた少女が恥ずかしそうに一歩前に出た。
「カレンデム公爵家の、エリノア・フランシス・エバンスです。……よろしくお願いします」
俯きながらドレスの裾を摘み、慣れない動作でカーテシーを披露するエリノア。
そうして彼女が顔を上げた瞬間、ウィルフリッドに衝撃が走った。
初めて会うはずのエリノアの顔には見覚えがあった。半年前くらいからウィルフリッドがよく見る夢に出てくる、“瑛里”という女性に彼女はよく似ていたのだ。
髪も瞳の色も瑛里とは違う。けれど、その容姿は幼いながらにして、左目のすぐ下にあるホクロの位置までそっくりだった。きっとエリノアが成長すれば、瑛里に瓜二つだろう。
ぽかんと呆気に取られるウィルフリッドにエリノアは首を傾げる。その仕草も夢に出てくる瑛里そっくりだった。名前だって、“瑛里”と“エリノア”は響きが似ている。何と言っても、エリノアはとても可愛らしかった。
ウィルフリッドは自分の顔が段々と熱を持っていくのが分かった。嬉しいような恥ずかしいような、それでいて愛おしいのに苦しくて切ない。ウィルフリッドの胸に何とも形容し難い感情が込み上げてくる。
もしかしてあの夢は、夢じゃない……??
「……瑛里ッ!?」
思わずウィルフリッドが呼ぶとエリノアが驚いた顔をして、それからすぐムッとした表情を浮かべた。
「ウィルフリッド、初対面の相手を呼び捨てで呼んでは失礼ですよ」
ヘンリエッタがウィルフリッドを嗜める。
「あっ! も、申し訳ありません……」
思わずとは言え、やってしまった……!! と幼いながらにウィルフリッドは落ち込む。これから様々なご令嬢と会う機会が多いからと、教育係からも酸っぱく言われていたことだった。
「ヘンリエッタ王妃、構いませんわ。エリノアは少し人見知りがありますの。ですから、それくらい積極的に距離を詰めてもらえる方が早く心を開けると思いますわ」
公爵夫人であるエリノアの母、ジュリアが扇子で口元を隠しながら微笑む。公爵夫人の優しい気遣いにウィルフリッドの落ち込んだ心が軽くなった。
「では、お茶にしましょうか」
ヘンリエッタの一言でお見合いともいえる4人のお茶会がスタートした。
席に着いて向かいに座るエリノアをポーッと見つめるウィルフリッド。エリノアはそんなウィルフリッドの視線に気付いてか、顔を俯かせた。
それを目にして「あらまぁ」とヘンリエッタとジュリアが顔を見合わせる。ウィルフリッドとエリノアが主役のお茶会なのに、当の本人たちに会話が始まる様子がないからだ。
「エリノア、顔を上げなさい」
ジュリアに言われて、エリノアは少しだけ頭を持ち上げると、ちらりと母を見上げる。
人見知りで俯いていたのかと思いきや、少し膨らんだエリノアの頬。それは何か気に入らない事があったことを伺わせた。そのことにジュリアは少し驚きつつも、初対面の人を相手にそんな感情を抱くようになった娘の成長を感じる。だが、ここではそれを褒める訳にはいかない。
「今日は王妃殿下のご厚意でご招待頂いたのよ。何時までも俯いていないで、公爵令嬢としてきちんとお礼を申し上げなさい」
ジュリアの言葉に少し不服そうな表情をしていたエリノアだったが、前を向き直るとその顔にふんわりと笑み乗せた。
「王妃様、お招き頂きありがとございます」
「こちらこそ、よく来てくださいました。今日はお菓子もたくさん用意しましたわ。遠慮なく食べて頂戴。エリノア嬢のお口に合えば嬉しいわ」
促されて、エリノアは沢山並んだお菓子の中からクッキーを手に取る。パクっと一口囓ると、エリノアの表情が綻ぶ。その姿を見てジュリアとヘンリエッタは微笑み、ウィルフリッドはエリノアの自然な笑顔に目を奪われていた。
そして嬉しそうにエリノアはクッキーをたま一つ手に取る。そのエリノアの笑顔はウィルフリッドの夢の中に出てきた瑛里と同じ表情だった。
間違いない。と、幼いながらにウィルフリッドは確信する。
あれは夢ではなく、前世の記憶だ。そして、エリノアは前世の瑛里だ。
大学生だった僕らは旅行を計画し、飛行機事故によって若くして苦しみながらその生涯を閉じていた。
今までは半信半疑だったが、ウィルフリッドの思考が徐々に整理されていく。夢で見た前世の記憶のおかげで同年代と比べると大人びた考えを持ち合わせていたウィルフリッドは、膝の上に置いていた手をきゅっと握る。
またエリに出会えた!!
その嬉しさや胸の高鳴りと高揚感で満たされる一方で、ウィルフリッドは決意する。
『瑛里っ! 僕が好きなのは瑛里だけだ! もし来世があるなら、僕はそこで必ず瑛里を見つけて瑛里を守る! 君を絶対に幸せにする!! だからっ! その時は僕と結婚して!!』
前世で交わした約束を今世こそは果たしてみせる……!!
♢♢♢♢♢
「────で、お茶会が終わって、エリノアを見送った後、私は母上に『あの娘がいい!』と直ぐに言ったんだ」
「あら、そうでしたの?」
ウィルフリッドと初めて出会った日のことはエリノアも覚えている。だが、初めて聞かされたお茶会後のエピソードに、テーブルの上に並べられた様々なドレスとタキシードのデザイン画からエリノアは顔を上げる。
今はエリノアとウィルフリッドの結婚式に向けて、二人が晴れの舞台で身に纏う衣装を作成すべく、王家御用達の仕立て屋と最初の打ち合わせ中だった。
テーブルには様々なデザイン画に加えて、衣装に使う生地のサンプルが何種類も並んでいる。
エリノアの隣に座るウィルフリッドが、あれもいいな、これもいいなと言っては「エリに良く似合いそうだ」と、ドレスのデザインを褒めるのでエリノアは候補を絞れないでいた。
そんな悩める花嫁の思考を解そうと、すっかり顔馴染みとなっている仕立て屋の主人がエリノアとウィルフリッドが初めて会った日のことを尋ねてきたのだ。
最初はエリノアも思い出すように王城でのお茶会の話をしていたが、いつの間にかウィルフリッドがほぼひとりで当時の気持ちと共に、あの日のことを語っていた。だからエリノアはウィルフリッドの話しに耳を傾けながら時折、相槌を打ったりして聞き役に務めていた。
「でも母上は昼間は私の言葉を本気にされていなくてね。だから父上の公務が終わる頃を見計らって、夜に国王夫妻の寝室を訪ねたんだ。それで父上に“エリと結婚したい”と必死にお願いしたんだよ」
「あ、そのお話は以前、王妃様とエマから聞いたことがあります」
エリノアはエマからウィルフリッドとの婚約はウィルフリッドが願い出たことだと聞かされたときのこと、それからヘンリエッタに二人きりのお茶会に誘われた日のことを思い出した。
『エリノアと初めて顔を合わせた日の夜、あの子ったら、わたくしと陛下の部屋まで来て、それはそれは必死だったのよ? 『ぼく! エリとけっこんしたい!!』なんて、ませちゃって。とっても可愛いかったんだから』
そう言って、クスリと笑っていたヘンリエッタはとても優しい顔をしていた。
「わたくしはずっと殿下との婚約は王家とわたくしの両親が決めたのだと思っていました」
「む。そうだったのか。……なるほど。ずっとエリノアには、私の気持ちが届いていなかったんだね」
しょんぼりと眉を下げるウィルフリッド。
その姿を見て、エリノアは元気を取り戻してもらおうと言葉を付け足す。
「ですが、今は殿下のお気持ちはわたくしにちゃんと届いていますよ」
にこりと微笑んでみせると、ウィルフリッドの表情も和らいだ。そんな和やかな二人の様子に、部屋の隅に控えているメイドや仕立て屋の従業員たちの顔も綻ぶ。
「ウィルフリッド王太子殿下とエリノア様は本当に仲睦まじいですね」
ニコニコ笑顔の仕立て屋の主人にエリノアは恥ずかしくなる。何度も顔を合わせているので、知らぬ仲ではない。だからこその気恥ずかしさが込み上げていた。
「つい話し込んでしまいましたわね! 早く候補を絞らなくては、いつまで経ってもドレスの形も生地も決まりませんわ」
赤くなっているであろう顔を誤魔化すように、エリノアは早口に言うと、再びデザイン画に視線を落とす。
「エリ」
だけど、優しい声で呼ばれてエリノアは直ぐに顔を上げて隣を見る。
「は、はい。殿下」
少し慌てて返事をしたにも関わらず、「エリ」とウィルフリッドが再び呼んでくる。
「……殿下?」
エリノアはただ名前を呼ばれるだけの状況を不思議に思って首をかしげる。するとウィルフリッドは、ふっと息を吐いた。
「殿下じゃなくて、ウィルと呼んでくれる約束の筈だよ」
「っ! えっ!? い、今、ここでですか!?」
親しく呼び会うのは二人きりのプライベートな空間でだと思っていたエリノアは驚く。ちらりと視線を動かせば、仕立て屋の皆さんは相変わらずニコニコと微笑ましそうな視線をエリノアたちに向けていた。
「何か問題でも?」
コテンと首をかしげるウィルフリッド。彼の容姿も相まって、その姿は絵になりそうな程に美しい。お陰でエリノアは照れてしまい、益々恥ずかしくなる。
「その、……ええと、皆様の前ですし……」
「公の場以外ではウィルと呼んで欲しいし、早くウィルと呼ぶのに慣れて欲しいんだ」
口ごもるエリノアに対してウィルフリッドは即座に素直な気持ちを言葉にする。
そして、ウィルフリッドの期待の籠った眼差しがエリノアに注がれた。それを目にして「うぅっ」とエリノアは小さく唸る。
「ず、ズルいです。殿下……」
誤魔化すことが難しいこの状況では、最早逃げ場はない。エリノアが恥ずかしがれば恥ずかしがるほど、メイドや仕立て屋の従業員たちに“幸せいっぱいのお二人だ”と言いたげな表情で微笑ましそうに眺められるだけである。
「エリ」
催促するようにウィルフリッドがエリノアを愛称で呼ぶ。エリノアは一度キュッと目を瞑ると覚悟を決めた。
「……ウ、ウィル」
最後の方は声が小さくなって尻すぼみになってしまったが、エリノアは人前でなんとかウィルフリッドの要望に答えた。だけど、肝心のウィルフリッドが何も言ってこない。
「……っ、ウィル? ……あの、これで満足ですか?」
尋ねながら隣に座るウィルフリッドの顔を覗き込む。そこには赤い顔で口元を押さえるウィルフリッドの姿があった。
「ウィル?」
「……ダメだ」
「え?」
ダメ? 何がダメなの? わたくし何かウィルの気に障ることでも言ってしまったかしら?
そうやってエリノアが不安になっていると、ウィルフリッドが赤い顔のまま呟く。
「私の婚約者が可愛すぎる……!!」
「!!」
か、可愛い!? わたくしが!?
エリノアは顔中が熱くなるのを感じた。
「っ! でっ、殿下!! は、早くドレスとタキシードを決めますわよっ!!」
「エリノア、また殿下呼びに戻っているよ。ほらもう一度、ウィルと呼んで?」
「きっ、今日はもう呼びませんわっ!!」
婚姻の日取りが決まった一国の王太子と公爵令嬢。そんな二人の仲睦まじくも初心な反応に、その場にいた者たちまで幸せな気分に包まれた。
今回の番外編、過去エピソードのあとの現在の描写は本編35話で、学園が新学期に入る前辺りのお話でした!