36 この世界でアナタと
「お母様、わたくし変じゃないかしら? なんだかドレスに着られているような気がしているのだけど……」
式場に設けられた花嫁の控室。そこで純白のドレスに身を包んだエリノアは、鏡の前で不安そうな表情を浮かべる。
月日はあっという間に流れ、学園を卒業したエリノアとウィルフリッドは待ちに待った結婚式の日を迎えていた。
体が弱いジュリアもこの日のために、今年は社交シーズンに合わせてレイモンドたちと王都のカレンデム公爵邸に移っていたのだ。
「大丈夫よ。とっても似合っているわ」
「本当ですか?」
「えぇ。それに、このドレスはエリノアと王太子殿下で決めたのでしょう?」
ジュリアの問い掛けにエリノアは「はい」と頷く。
お馴染みの王家御用達の仕立て屋に、デザインから頼んで仕立ててもらった一点モノのウェディングドレスだ。一生に一度の式のために、何度も試着や調整を行い、時間をかけて漸く完成したドレスだった。
「ウィルがとっても気に入って、褒めてくださいました。ですが、見れば見る程、わたくしには勿体ないような気がしてきて……」
「あら? エリノアは気に入っていないの?」
「いいえ! むしろとっても素敵で気に入っていますわ!! でも、だからこそなのです! 殿下に恥をかかせるわけにはいきませんもの」
シュンとエリノアの肩が下がる。
国中、いや。近隣諸国からも賓客が集まる王太子の婚儀だ。注目されているが故の緊張とプレッシャーで、エリノアは晴れ舞台を前に自信を失くしていた。
「全く、感情の忙しい子ね」
呆れたように笑うジュリア。だけど、その表情は娘の晴れ姿を前にして嬉しそうだった。
「エリノアと王太子殿下の二人で選んだドレスなのだから自信を持ちなさい」
ジュリアはエリノアの手を取ると優しく包み込む。
「今日のエリノアは世界一綺麗よ」
にこりと微笑むジュリア。母の優しさにエリノアは胸が熱くなる。
「お母様。ありがとうございます。本当に本当に、……お母様とお父様には感謝でいっぱいです。ここまで育ててもらったこともそうですが、わたくしがウィルフリッド王太子殿下と結婚出来るのは、お二人が背中を押してくれたお陰です」
エリノアは精一杯の気持ちを母に伝えた。するとジュリアは嬉しそうに笑って、エリノアの頭を髪型が崩れない程度にそっと撫でた。
「旦那様? 今のエリノアの言葉、聞きました?」
尋ねながらジュリアが後ろを振り返る。だが、そこに堂々としたレイモンドはいない。代わりに部屋の隅でメソメソとハンカチで目元を拭うレイモンドの姿があった。
「もう、いつまで泣いていらっしゃるの??」
「エリがっ! ……私の娘が! もう嫁にいくのだと思うと涙が止まらないのだ!!」
「それは随分前から分かっていたことでしょう?」
「そうだ。あの時は漸くだと思っていた。だが、エリノアが家を出ていくと思うと寂しくてな。ジュリアも普段は領地にいるから、王都の広い邸がすっからかんだ」
「父上、王都の邸には私もおりますが……」
イアンが複雑そうな表情で口を挟む。
「お前は男だろう! 我が家から“華”がなくなるという話をしているのだ!!」
意外なレイモンドの一面にジュリアとエリノアは苦笑いを浮かべる。まさか、レイモンドがエリノアが嫁ぐことをこれ程寂しがるとは思っていなかったのだ。
その時、コンコンと控えめなノックが室内に響いた。式の開始が近付いてきた為、案内役が花嫁を呼びに来たようだった。
「そろそろ時間みたいね」
ジュリアが呟いたことでエリノアは更に緊張が増した。
♢♢♢♢♢
家族と別れたエリノアが式場の扉の前に着くと、そこには既にウィルフリッドの姿があった。
「エリ」
エリノアの姿を目にしたウィルフリッドが一瞬目を見開いて、それから惚けた眼差しでエリノアを見つめる。
「凄く綺麗だ。とっても似合っているよ」
ウィルフリッドは試着で何度もウェディングドレスを着たエリノアを目にしている。だが、呟かれたのは思わず溢れたような、新鮮な感想だった。
きっと、今日がわたくし達にとって特別な日だからですわね。と、エリノアは考える。そんなエリノアもウィルフリッドの白のタキシード姿に目を奪われていた。
「ウィルも、とても素敵です。よく似合っています」
お互いに褒め合って、それから微笑み合う。
エリノアたちの前にある、正面の大きな扉。その扉を開けば、そこには二人を祝福するために参列した家族や友人、それから国内外の賓客が今か今かと主役たちの登場を待っていることだろう。エリノアはルーシーはもちろんのこと、パメラやヴィッキーも友人として式に招待していた。
そんな親しい人たちに見守られる式が終われば、会場から回り道をしながら王城へ向かうパレードが待っている。
王太子殿下の婚姻により、今日は国中がお祝いムードに包まれた、特別な日なのだ。
「緊張しているかい?」
ウィルフリッドの問い掛けにエリノアは「それはもう、もの凄く」と返す。すると「僕もだ同じだ」と返ってきて、また二人で笑いあった。
「ですが、ウィルと一緒なら大丈夫ですわ」
エリノアがそう続けると、一瞬驚いた表情を見せたウィルフリッドが微笑む。
「それじゃあ、行こうか」
「えぇ」
ウィルフリッドの声に頷いたエリノアは、ウィルフリッドから差し出された手を取る。それを合図に、静かに目の前の扉が開かれて、二人の結婚式が始まった。
ウィルフリッドのエスコートを受けながら、神父様の前まで向かったエリノアは、ウィルフリッドとの未来を誓い合う。
「──それでは誓いのキスを」
そんな神父様の言葉でウィルフリッドとエリノアは向かい合った。
沢山の視線が二人に集まっていて、緊張で固くなっていたエリノア。きっと、ウィルフリッドも同じように緊張しているだろうと思っていたエリノアだが、意外にも彼は落ち着いていた。
「エリ。この世界で僕と巡り合ってくれて、ありがとう」
「っ!!」
幸せそうに細められたウィルフリッドの眼差しが、エリノアだけをその瞳に映す。添えられた不意打ちの言葉にエリノアは胸の奥が熱くなった。
そうして、ウィルフリッドとエリノアは誓いのキスをする。まだ数える程度しかキスをしていない二人だったが、二人にとって今までの人生で一番緊張したキスだった。
その後のパレードでは、沢山の国民が馬車が通る大通りに集まり、二人を祝福した。
「王太子殿下!!」
「王太子妃殿下!!」
「おめでとうございます!!」
そんな声が沿道のあちこちから聞こえてくる。その声に応えるように、エリノアは集まってくれた人々に馬車の中から手を振った。
これが、エリノアの王太子妃として初めての役目だ。誰も彼もが笑顔でエリノアとウィルフリッドに声援を送ってくれる。エリノアはその光景に胸がいっぱいになった。
エリノアは人々の声援に応えながら「ウィル」と、隣のウィルフリッドに話しかける。
「エリどうかした?」
「わたくし、とても嬉しいです。こんなに沢山の方々にわたくしたちのことを祝福してもらえて」
「それは私もだ」
「それと、先程の結婚式での続きですけれど──」
そう前置きして、エリノアは言葉を続ける。
「わたくしを……私を、この世界で見付けてくれてありがとう」
エリノアと瑛里としての気持ちを告げて、エリノアはウィルフリッドを見る。
「わたくしとっても幸せです。ウィルは?」
「勿論、幸せだ!!」
「ふふっ。では、これで二人で幸せになれましたわね!!」
にこっと微笑んで、エリノアは素早くウィルフリッドに顔を寄せると、その頬にキスをする。
それを目の当たりにした国民たちから「わぁっ!」と、歓声が上がった。当のウィルフリッドはというと、不意をつかれて驚いた表情を見せていた。だけど、直ぐにフッと笑ってエリノアの唇を奪う。
「っ!?」
今度はエリノアが驚く番だった。見ていた国民たちから先程よりも大きな歓声が上がる。
「まだまだだよ。エリのこと、もっと幸せにする。そして、二人でこの国を今より豊かで幸せな国にしよう。これは新しい約束だ」
赤くなった顔でエリノアはコクコクと頷く。
ウィルフリッドとエリノアの王族としての日々と、夫婦としての生活がここから始まろうとしていた。
「では、約束を果たすためにも長生きしてください。そして、わたくしがおばあちゃんになっても、ずっと傍にいてくださいね?」
「エリノアの方こそ、私がしわしわのおじいさんになっても、傍にいてくれ」
「勿論ですわ」
前世では一緒になる前に若くしてその生涯を閉じた二人。
今度こそは天寿を全うする。その時まで離れない、離さない。そんな想いが込められた約束だった。
ふふふっ、と二人は幸せそうに笑い合う。
この日、リュラフス王国には幸せの笑顔が咲き乱れていた。
─おわり─
最後までお読み頂きありがとうございます。
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これにて本編完結です!
時間を置いてから、番外編を幾つか書きたいと考えています。
候補は幾つか考えていますが、読んでみたいエピソードなどありましたら、採用するしないは別として、参考にしたいのでお聞かせください。