34 エリノアの答え
応接室で向かい合うエリノアとウィルフリッド。だが、緊張が場を支配していて、2人は黙ったままだった。
ウィルフリッドがカレンデム公爵領に来ていると聞いて、身支度を整えている間、エリノアはある決意をしていた。
本当は王都に帰ってからお伝えするつもりだった。
だけど、わたくしは今日、殿下に想いを伝える!!
そう身構えている為、エリノアの心臓は先程から煩いぐらいに早い音を奏でていた。だけど中々言い出せずにいる。そんな中、漸くウィルフリッドが「エリノア」と彼女の名前を呼ぶ。
「ごめん。迷惑だったかな?」
「えっ?」
思いも寄らない謝罪の言葉にエリノアは戸惑う。対するウィルフリッドは手で頭を掻いていた。少し砕けた話し方をするウィルフリッドは前世の憂斗を思わせるものだった。
「さっき、“訪問するなら前もって連絡して欲しい”と、公爵に怒られたところなんだ。まぁ、御尤もな話けどね。どうも僕はエリノアの事になると、冷静な判断が鈍るみたいで。面目ないよ。……エリノアも、怒っている、よね?」
少々自嘲気味な話し方にエリノアは一瞬言葉に詰まる。
「以前のわたくしなら、そうだったと思います」
きっと、「訪問されるなら事前にご連絡を頂かないと困ります」と伝えていたことだろう。だけど、今のエリノアはそれよりも先に思ったことがある。だから思い切って本心を語ると、今度はウィルフリッドが「えっ?」と声を漏らした。
「正直、殿下がカレンデム公爵領に来ていると聞いて、驚きました。ですが、わたくしは一目殿下のお姿を見て、とても愛しいと、思い……ました」
最後の方は恥ずかしさで声が萎んでしまったエリノア。思わず視線をそらしたが、それでも顔はウィルフリッドの正面に向けたまま、言葉を紡いでいく。
「ウィルフリッド殿下と離れて、手紙でやり取りをする中で、わたくしもふとした時に殿下を思い出すことが増えていたんです。……小旅行気分で公爵領を巡って、素敵な景色を目にした時は、“いつか殿下にも見せたい”と考えたり、殿下がわたくしが書いた本の感想に共感してくださった時は嬉しくて。殿下もそうだったらいいな、と」
エリノアの瞳に映るウィルフリッドは、ほんのり頬を赤くしていた。きっと自分の頬も赤くなっているのだろうと思いながら、エリノアは勇気を振り絞る。
「今なら自信を持って言えます。わたくしは紛れもなく、目の前のウィルフリッド殿下のことが好きです!」
「……」
ウィルフリッドが口を開けてぽかんとしている。
どんな返事が返ってくるか、ドキドキしながらエリノアはその時を待った。だが、いつまで経ってもウィルフリッドからの返事はない。
「あの、……殿下??」
不安になりながら、エリノアはウィルフリッドの顔を覗き込む。
まさか、ここへ来て断られる……??
エリノアを想って、遥々王都からお忍びでカレンデム公爵領へやって来たウィルフリッド。
先程、二人は玄関ホールで抱きしめ合ったのだから、ウィルフリッドがエリノアを拒絶する訳はない。ないのだが、エリノアが不安を覚えてしまうほどには長い時間、ウィルフリッドは時を止めていた。そして、ハッと立ち上がったかと思うと、自身の頬を抓る。
「夢、……じゃない!!」
叫ぶと、今度はエリノアが座るソファーの隣にサッと移動する。そして、エリノアをガバっと抱きしめた。
「わっ! 殿下!?」
「ありがとう! エリノアッ!!」
ぎゅっと、少し苦しいくらいの包容をエリノアは受ける。
「僕は今、人生で一番幸せだよ!!」
「大袈裟ですわ」
「そんなことない。僕は前世からずっと! 君と結ばれることを待ち望んでいたんだから!!」
ウィルフリッドの喜びように、エリノアは少し申し訳ない気持ちになる。
「ずっとずっと、長い間お待たせして申し訳ありません」
エリノアはそっとウィルフリッドの背中に手を回す。
「いいんだ。これでエリノアが旅に出るなんて言わないならね」
返ってきた言葉に「えっ?」と声を漏らす。
「殿下、わたくし旅には出たいです」
その一言に「えぇっ!?」とウィルフリッドがエリノアの顔を見る。
「なっ! なななっ、何故なんだい!? 未来の旦那様は、その………私、なのだから! 必要ないだろう!?」
動揺しまくっているウィルフリッドに、一瞬呆気に取られたエリノア。だが、直ぐにクスクスと肩を震わせる。
「えぇ。未来の旦那様を探す必要はありません。ですから、普通に旅行がしたいです」
「へ?」
「先程、小旅行気分でカレンデム公爵領を回った時に見た素晴らしい景色を殿下にも見せたいと言いましたよね?」
「あ、あぁ……そういう事か」
恥ずかしそうにウィルフリッドが笑う。
「それから、お父様とお兄様が楽しそうに語られていたので、アイーリズ伯爵領にも行ってみたいですわ」
そこまで話して、ふと気が付く。
「もしかして、殿下は旅行がお嫌いですか?」
前世では、旅行へ行く途中で飛行機事故に遭った。ウィルフリッドが旅行を嫌いになる理由としては十分に思えた。
「嫌いじゃない。寧ろ好きだよ。それに、君と一緒に行けるのなら、もっと好きになりそうだ」
「それなら良かったです!」
真っ直ぐに向けられたウィルフリッドの視線に、エリノアは一安心して笑顔になる。
「エリノア……」
そっとウィルフリッドがエリノアの手を取ると、優しく掬い上げて手の甲にキスを落とす。それからエリノアの顔を覗き込んだ。その真剣な眼差しに、エリノアはウィルフリッドから目が離せなくなる。
「学園を卒業したら、私と結婚してくれますか?」
その言葉にエリノアは顔に熱が集まっていく。
「そ、それはつまり……?」
「ははっ。勿論、プロポーズのつもりさ」
照れ臭そうに笑うウィルフリッド。初めてのプロポーズにエリノアはキュンと胸が高鳴った。
前世では果たせなかった二人の幸せ。だけど、前世で交わした“二人で幸せになる”という約束に一歩近付こうとしている。
「っ、はいっ! 勿論です!」
答えたエリノアもそれを受けたウィルフリッドも、この上ない喜びと幸せを感じていた。暫く二人でその余韻に浸ったあと、ウィルフリッドが遠い目をして話し始める。
「王城に帰ったら、父上と母上にエリノアにプロポーズしたことを報告しなくてはいけないな。それから、早めに婚姻の日取りを決めないと!」
「えっ?」
何だか話の早い展開にエリノアは思わず目を見開く。
「殿下? それはまだ早いのでは? わたくしたちは学生ですし、婚姻は学園を卒業するまで出来ないですよね?」
「だからこそ、だ。卒業したらすぐにでもエリノアと式を上げたいからね! その為には今から動かないと!」
エリノアとウィルフリッドの卒業まで、まだ一年以上はある。確かにウィルフリッドは王太子なので、早めに準備に掛かる必要があるだろう。だけど卒業後、直ぐに婚姻とはエリノアは考えてもいなかった。
「今から楽しみだ!」
心底嬉しそうな顔のウィルフリッド。
「気が早いですわ」
「エリノアは嫌かい?」
「いいえ。というか、そういう問題ではありません」
「では、どういう問題なのかな?」
「えっ? それは……こっ、心の準備がっ!」
「まだ十分時間はあるから大丈夫さ!!」
「もう……っ」
今は何を言っても無駄なようだ、とエリノアは諦める。
「所でエリノア」
「はい。何でしょう?」
一変して改まった口調のウィルフリッドにエリノアも切り替えて返事をする。
「ここまで来たんだ。もう私の事を“ウィル”と呼んでくれるよね?」
「っ!?」
エリノアにウィルフリッドの期待の籠もった眼差しが向けられる。
「最近、エリからは“殿下”と呼ばれるだけだから、寂しいんだ」
駄目押しにそんな一言が添えられる。「ほら」と急かすようにウィルフリッドはエリノアに顔を近づけた。
「……っ、ウ……」
「ウ?」
「………………、ウィル……」
ただ愛称で呼ぶだけなのに、エリノアはとても恥ずかしさを覚える。
小さく呟いたエリノアだったが、目の前のウィルフリッドがクシャッと笑う。あまりに嬉しそうな笑顔を見て、悪くないとエリノアは感じたのだった。