32 友人と婚約者の手紙とジュリアの話
その後もエリノアはカレンデム公爵領で充実した生活を送っていた。
領地の街には何度か足を運んで買い物を楽しみ、農村地帯や観光地を回ってちょっとした小旅行気分を味わった。人々の賑やそこに暮らす人たちの笑顔を目にして公爵領の豊かさを実感する。足を運んだ先の素晴らしい景色を眺めて、“いつかこの景色を殿下にも見せたい”と密かに思った。
エリノアはウィルフリッドの他にも友人であるルーシーと手紙のやり取りをしていた。
社交シーズンがオフのこの時期でも、領地でお茶会やサロンといった類の社交は行われる。だが、カウル侯爵領は王都を基準にみると、カレンデム公爵領とは正反対の位置にある。そのため、社交シーズンがオフの時期は友人との交流は手紙でのやり取りが殆だった。以前ならエリノアは王妃教育で王都へ戻っていた為、1度はカウル侯爵領での集まりに参加することもあったが、今回はそれが難しいというわけである。
エリノアはルーシーからの手紙も楽しみであったが、ウィルフリッドからの手紙も楽しみにしていた。
ウィルフリッドとの手紙のやり取りはお互いの近況から他愛のない話、それから読んだ本の感想が大半だ。それはエリノアが読んでいると手紙に書いた本のタイトルをウィルフリッドが王城の図書館で探し、同じ物を読んで感想を書いて送ったことが始まりだった。
お互いに感想を送り合って、ウィルフリッドがエリノアの感想に共感すると、エリノアは嬉しくなった。
エリノアもウィルフリッドの感想に共感した時は、その旨を手紙に書いた。そして、ふと思う。
わたくしが殿下に共感してもらえたら嬉しく感じたように、殿下もわたくしが共感したら嬉しく想ってくれているのかしら? そうだったら良いのにな……
いつの間にかエリノアはそんな風に考えるようになっていた。
♢♢♢♢♢
「エリノア、わたくしがお父様からの婚約をお受けした決め手、まだ知りたいと思っていますか?」
とある日の午後。公爵邸の庭でジュリアとお茶を嗜んでいたエリノアは唐突に問い掛けられた話題に「教えてくださるのですか?」と、驚きながらも食いつく。
「先週約束しましたでしょう。それに、今日は旦那様もイアンも暫く帰って来ないから、話すには丁度良いわ」
そう言うと、ジュリアは持っていたカップをソーサーに戻す。
「わたくしが貴女のお父様からの婚約の申し出を一度断っていることは覚えている?」
エリノアは「はい」と頷く。ジュリアは体が弱い事を理由に“次期公爵夫人は務まらない”と、レイモンドからの婚約の申し出を一度辞退していた。それは以前聞いていたものだ。
「わたくしは体が弱いから、こんなわたくしでも良いと言ってくれる人と結婚出来るなら誰でも良いと思っていたわ。だけど、流石に公爵夫人は荷が重くて断ったの。そうしたら、あの時のお父様には『こんな良縁を断る理由が何処にある!!』って怒られてしまったわ」
ふふふっ、とジュリアが思い出し笑いをする。
伯爵だったエリノアの母方の祖父は基本的に優しい人だ。エリノアは彼が怒った姿を見たことがない。だから祖父が怒っている姿は全然想像できなかった。だけど、『それはきっと、エリノアが孫だからだわ』とジュリアはよく言っていた。
「だけど、婚約のお断りの返事を出して暫くたった頃にレイモンドったら大きな花束を抱えて邸に来たのよ」
「お父様が?」
「『お断りの返事をしたはずですけど』って伝えたら、婚約を断った理由を聞かれたから、本当の事を言ったわ。そうしたら『そんな事は理由になりません。私は良い返事が聞けるまで諦めません』って。……それからあの人、ほぼ毎日のように邸を訪ねてきたの」
レイモンドはジュリアを大切にしている。それは今も昔も変わらない。だが、婚約前からだったとはと、エリノアは驚く。
「ずっとそんな日が続いて、毎日のようにレイモンドと会っていたのだけど、ある日ぱったり邸に来なくなって。これで漸く諦めてもらえたんだわ。と思ったの。安心して過ごせると思っていたわ。……でも、逆だったの」
「逆?」
エリノアが聞き返すと、「えぇ」とジュリアが頷く。
「直前まで『また来る』と言っていた人が、何の連絡もなしに来なくなった。そのことが心配になってきて、毎日訪問客が邸を訪ねてくる度に、“あの人が来たんじゃないか”って期待して、がっかりして。……わたくしは自分が思っていたより、あの人に逢えないのを寂しく感じていることに気付いたの」
「エリノア」と母がエリノアを呼ぶ。
「恋はね、気付いたときには落ちているものなのよ。最初は“そんな筈ない”って、意地になって認められない。でも、本当は薄々気付いている。それなのに自分の気持ちを認めたくないだけなのよ。きっと、それまでの自分とは変わってしまうようで怖いのね」
エリノアはそれを聞いてドキリとした。
ジュリアがエリノアの瞳を真っ直ぐ見つめる。
「貴女も心当たりがあるのでしょう? 認めたくなくて、一歩踏み出す自信がなくて怖いから、カレンデム公爵領に逃げてきたのね」
「お母様……」
「大丈夫よ。貴女はちゃんとウィルフリッド王太子殿下からお慕いされているし、貴女自身も殿下をお慕いしているわ。だって、あんなに嬉しそうな顔で殿下からのお手紙を受け取っているんだもの。間違いないわ」
「えっ!?」とエリノアは思わず頬を押さえる。
ウィルフリッドからの手紙は自室で受け取ることが大半だが、昼間に届いた時は家族がいる前で受け取ることもある。
わたくし、そんなに嬉しそうな顔をしているのかしら?
エリノアは恥ずかしくなって、ジュリアから視線を逸らす。
「いっ、今はわたくしの事より、お母様のお話ですわ」
「あら? わたくしの話はもうおしまいよ」
自身の話題から話を戻そうとしていたエリノアは再び「えっ?」と声を上げる。
「まだ途中ですわ。その後、どうなりましたの?」
「ここから先は、わたくしとお父様だけの思い出です」
にこっと微笑んだジュリアはそれ以上話す気がないらしく席を立った。
「エリノアも早く認めてしまいなさい」
その言葉を残してジュリアは室内へ戻って行った。