3 父の思いと王太子の決意
エリノアたちが使用人に案内された応接室に入ると、そこにはウィルフリッドとアレックスの姿があった。
「カレンデム公爵」
レイモンドの顔を見つけるなり、サッと二人が立ち上がる。
「ウィルフリッド王太子殿下、これは一体どういうことですかな?」
「公爵、誤解なのです!」
互いに挨拶もそこそこに第一声を発する。
「一先ずお掛け直し下さい」
レイモンドが冷静に声を掛けて二人が着席したのを見届けると、エリノアたちも向かいの席に着席する。
「エリノアは殿下にエリノアとは別の想い人がいて、婚約破棄を言い渡されたと言っているが、それは本当ですかな?」
鋭いレイモンドの眼差しを受けて、ウィルフリッドの顔が歪む。
「私に別の想い人はいません。それから、話の流れで婚約破棄だと言ってしまったことは事実です。ですが、本心ではありません」
「なっ……! そんな事ないはずですわ!! ウィルフリッド王太子殿下にはナターシャ様が──」
思わず声を上げてしまったエリノアにレイモンドが「エリノア!」と名を呼んで嗜める。
「っ! ……取り乱してしまいました。申し訳ございません」
エリノアが謝罪を入れると、話の続きを聞こうとレイモンドの視線がウィルフリッドに戻る。
「エリノア嬢に誤解と不安を与えてしまったこと、婚約者として謝罪致します。申し訳ありません。全ては私が至らないせいです。どうか、これからも婚約者として彼女を傍に置くことをお許し下さい」
「ふむ」とレイモンドが顎に手を当てる。
「殿下のお気持ちはよく分かりました。私はそれを聞いて安心しましたぞ」
その言葉を聞いてウィルフリッドとアレックスがホッと表情を和らげる。
どうして殿下は安心なさるの? わたくしと婚約したままでは、殿下はナターシャ様を婚約者には出来ませんのに……
レイモンドの言葉からして、婚約破棄の件が無かったことになりそうな雰囲気が応接室に漂い始めた。
リュラフス王国の為にはこれが最善だとエリノアも分かっている。王太子殿下の婚約破棄は国中に衝撃をもたらすからだ。
だけど、これでは殿下もわたくしも好いた人と一緒になれないわ。
心から想う相手と一緒になる。その為に未来の旦那様を探す旅に出たい。そんなエリノアの夢が儚く閉ざされようとしていた。
エリノアは膝の上でキュッと指先を握り締める。そんな彼女の耳にレイモンドの言葉の続きが飛び込んでくる。
「ですが娘は先ほど殿下からの婚約破棄を受けて、“旅に出たい”などと申しましてな」
エリノアはいつの間にか俯いていた顔を上げて、パッと隣の父を見る。そこには父親の顔をしたレイモンドの姿があった。
「た、旅!?」
驚くウィルフリッドの声が部屋に響く。
「何でも“未来の旦那様を探す旅”だとかで、エリノアはお慕いする方と結ばれたいそうだ」
それを聞いて、ウィルフリッドの顔付きが今まで以上に難しそうに歪められた。
「エリノア」とレイモンドが隣に座る愛娘を見る。
「お前もよく考えて発言しなさい。旅に出て結婚相手を探すということは、即ち貴族の務めを放棄してこの公爵家を出てゆくことだ。この言葉の意味がわかるな?」
エリノアはゴクリと唾を飲み込んだ。
旅に出て結婚相手を探すこと。つまりエリノアは貴族としての義務を放棄しようとしていることになる。そして、結婚したいと思った相手が貴族ではない場合、エリノアは貴族ですら無くなるのだ。
お父様はわたくしが旅に出たら、わたくしと縁を切るおつもりなんだわ。
「ごめんなさい、お父様。わたくしが軽率でしたわ」
「……お前は私の可愛い娘だ。よくよく考えて、どうかこの父を悲しませる選択をするとは言わないでくれ」
その言葉にエリノアは「はい」とも「いいえ」とも答えることが出来なかった。
♢♢♢♢♢
「ウィルフリッド王太子殿下。今回の訪問、国王陛下には何もお伝えせずにここまで入らしたのだろう? 婚約破棄の件も今回の話し合いも、全ては非公式によるもの。私は何も聞かなかったことにする。今日のことは陛下とよくお話しした上で必要があれば改めて話をしよう」
レイモンドは最後にそう言って、ウィルフリッドたちを見送った。
王城に戻る馬車の中、ウィルフリッドは先程までの話し合いを思い返しながら盛大なため息を零す。
「なぁ、アレックス……私はどうしたら良いと思う?」
「それはまず、ナターシャ様と距離を取って、エリノア様に誠心誠意謝って誤解を解くしかないだろう」
幼なじみであるウィルフリッドとアレックスは親友として砕けた口調で言葉を交わす。
「まさか、エリノア様がお前を意識するどころか何とも思っていなかったとはな」
アレックスのその一言に、ウィルフリッドは心にグサリと刃物で突き刺した様な鋭い痛みを覚える。
「ま、それも無理はないか。お前がエリノア様を前にすると緊張で気の利いた言葉の一つも掛けることが出来ないんだもんなー」
グサリと、また一つウィルフリッドの心に刃が突き刺さる様な痛みが走った。
「エリノア様を一番大切にしたいのに、彼女の前では緊張で上手く出来ない。そのくせ、誠実でいい男であることを彼女に見せたいお前は困ってる者が放って置けない上に、面倒見が良くてお人好しときた」
「もうその辺りでよしてくれ……」
アレックスの言葉による攻撃でメンタルのHPが削られまくったウィルフリッドは、この上なく落ち込んでいた。その様子を見てふっと笑うアレックスは「まるで天邪鬼だな」と呟く。
「兎に角だ。ナターシャ様に勉強を教えるためとは言え、あれだけ学園でも王城でも彼女と一緒にいたらエリノア様が勘違いするのも無理はない。明日からはナターシャ様との距離感を考えて行動しろ」
「分かっている……」
呟いたウィルフリッドは顔を上げて馬車の外を眺める。
ウィルフリッドは初めてエリノアに会った日からずっと、……いや、それよりも遠い昔からエリノアのことが好きだった。
この世界でエリノアと初めて会った日、ウィルフリッドは以前夢で見た出来事が夢ではなく、自身の前世であることを理解した。
前世で内気で気弱で引き籠もりがちだったウィルフリッドは中学で唯一話しかけてくれた彼女と仲良くなり、高校生で付き合う間柄になった。そして大学に入ったばかりの初めての夏に事故に遭った。
前世ではお互い黒髪だったけれど、今の彼女はホワイトブロンドの髪で瞳の色も綺麗なエメラルドグリーンの翠眼だ。今とはまるで違う。けれど、前世と似た美しい容姿に彼女の左目のすぐ下にある涙ボクロ、それから笑った時の表情や何気ない仕草が今世でも相変わらずだったのだ。
そして、かく言う自分の容姿も前世とそっくりだった。だが前世で内気で気弱だった性格は王子という立場に生まれたからなのか元々持ち合わせていなかったらしく、現在のところはエリノアの前でのみ発動していた。
お陰でエリノアを前にするとウィルフリッドは緊張してしまう、というわけである。
漸く巡り会えたというのに…………
ウィルフリッドはエリノアを大切に想うあまり、どう接すれば良いか分からなくなっていた。対してエリノアはウィルフリッドを覚えていないどころか、ウィルフリッドに興味すら示していない。
「お慕いする方と結ばれたい、か……」
ウィルフリッドがポツリと呟く。
今世で君にとっての私は、その相手ではないのか?
そう思えば思うほど、長年エリノアに恋い焦がれていたウィルフリッドの胸は切なく締め付けられる。
ウィルフリッドはエリノアを前にすると前世を思い出して、あの頃の性格が邪魔をして緊張してしまう。だからエリノアの前で緊張しないように練習として他のご令嬢にも接してみたが、彼女たちの前では問題なく振る舞えるのだから不思議なものだ。
だが、悠長なことは言っていられない。エリノアを振り向かせるためにウィルフリッドは前世の性格を封印する必要がある。
馬車の中、ウィルフリッドは決意を固めるのだった。