28 王妃殿下からのお誘い
その後、エリノアは本格的に学園に復帰した。とは言え、もうすぐ社交シーズンが終了する。そうなると学園は新学期まで暫く休みに入るのだ。
殆どの生徒は王都の邸ではなく、領地の邸で過ごす者が多い。エリノアは今まで王妃教育の為、領地へ帰ってもすぐに戻ってきていた。だが今年は以前考えていた“長く領地に滞在すること”を実現しようと、レイモンドやウィルフリッドに相談した。そして、その願いはレイモンドにも王家にも無事に聞き入れられた。
レイモンド曰く、国王陛下のお言葉は「アイーリズ伯爵家の件で怖い思いをし、心を痛めたのだから領地で十分に休息せよ」とのことだった。ウィルフリッドも「エリノアに逢えないのは寂しいけれど、なによりも愛しい君の願いだ。カレンデム公爵領でゆっくりしておいで」と、エリノアにとって恥ずかしい言葉を混ぜながら快く承諾した。
公爵領での長期滞在許可を得たエリノアは、今回はお母様と長く一緒に過ごせそうですわ。と、胸を踊らせる。
エリノアの母、ジュリア・フランシス・エバンスは幼い頃から体が弱かった。社交シーズンに合わせて王都と領地を行き来する事で体調を崩す事が多く、その度に神官様のお世話になっていたのだ。体が弱いのは体質によるもので、神官様のお力でもどうにも出来ない。
馬車による長距離移動は身体への負担が大きいからと、ジュリアは数年前から年間を通して公爵領で過ごしている。
エリノアが公爵領での長期滞在を獲得した一方、レイモンドはアイーリズ伯爵家の処刑後から忙しい日々を送っていた。ぽっかりと空いたアイーリズ伯爵の爵位をレイモンドが引き継いだからだ。これは、アイーリズ伯爵家に対する様々な処分と共に決定し、カレンデム公爵家に対する慰謝料的な意味合いを持っている。
こうして、カレンデム公爵とアイーリズ伯爵の2つの爵位を賜ることになったレイモンド。今は引き継いだばかりのアイーリズ伯爵領の対応に追われている。
まずは現在のアイーリズ伯爵領の実態を知ることから始まり、鉱山や農地の視察、そして前アイーリズ伯爵が関わっていた孤児院の子どもたちへの処遇改善などなど。その他にも対応が必要な項目は多岐にわたる。
レイモンドは少しでも早く愛する妻のジュリアと過ごす為に必死だった。イアンもレイモンドを手伝っていたため、二人は王都のカレンデム公爵邸を度々留守にしていた。
そして、エリノアは学園生活と王妃教育の傍らカレンデム公爵領へ向かう準備を始めていた。そんな中、エリノアの元にウィルフリッドの母である、ヘンリエッタ王妃殿下からお茶会の招待が届いた。
王妃殿下からのお誘いは久しぶりだ。エリノアが公爵領で長期滞在を決めたタイミングといい、それ以前に起きた婚約破棄騒動から始まる数々の思い当たる節に、エリノアは内心不安を抱えながら参加する旨の返事を出した。
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「王妃殿下、本日はお招き頂きありがとうございます」
エリノアは以前ウィルフリッドとお茶を共にした王城の広い庭にあるガゼボに案内されていた。
先に到着されていた王妃に優雅に挨拶する。
「エリノア、よく来てくれました。さぁさぁ、挨拶はその辺りにして寛いで頂戴」
ふふふっ、と上品な笑みを浮かべる王妃。まさに淑女の鏡だ。
エリノアは席に付くと、ちらりとテーブルを見やる。どう見てもティーカップは2つしかなく、席もエリノアと王妃の座る2席分しかない。
「今日はわたくしとエリノアの二人だけよ」
エリノアを心中を察した王妃はそう告げると、目の前の紅茶に口を付ける。
もしかして、とは思っていましたけれど……
今日の王妃主催のお茶会は招待客がエリノア一人だった。
「そう硬くならないで。リラックスよ。今日はエリノアの為に企画したんですもの。好きなものを食べて」
ウィルフリッドによく似た顔立ちの王妃がエリノアに笑いかける。
「ありがとうございます。王妃殿下」
「今日はわたくしたちだけなんだから、いつも通りヘンリエッタで構わないわ」
「ではヘンリエッタ様、お言葉に甘えて頂きます」
エリノアは目の前に並ぶ菓子の中からクッキーを一つ取ると、パクッと口の中に入れる。上品な甘さがエリノアの口の中いっぱいに広がった。
「今日、エリノアを呼んだのわね、貴女の様子を知りたかったのもあるけれど、改めて伝えたかったからよ」
ヘンリエッタが話し始めたことで、エリノアはお菓子から彼女へと顔を向ける。すると、ヘンリエッタの表情が先程までとは打って変わっていた。
「ウィルはエリノアの前だと、口下手になるところがあるでしょう?」
その問い掛けに「はい」と頷くと、「でもね」とヘンリエッタが続ける。
「昔からあの子は貴女が好きで好きで堪らないのよ。幼い頃からエリノアの話をするウィルは本当に嬉しそうで。とっても幸せそうな顔をしていたわ」
ヘンリエッタは幼い頃のウィルフリッドを思い出しているのか、クスリと笑う。
「エリノアと初めて顔を合わせた日の夜、あの子ったら、わたくしと陛下の部屋まで来て、それはそれは必死だったのよ? 『ぼく! エリとけっこんしたい!!』なんて、ませちゃって。とっても可愛いかったんだから」
その言葉でエリノアはウィルフリッドに出会ったばかりの頃の彼を頭に思い浮かべた。
ヘンリエッタが言うように、小さなウィルフリッドが両親に“結婚したい相手ができた!”と報告する姿は、さぞ可愛かったのだろう。エリノアも思わず笑みを浮かべる。
「わたくしも陛下も、あの頃からエリノアの事を気に入っているのよ。わたくしたちには娘がいないから、うちに貴女がお嫁に来てくれる日を心待ちにしているの。だから、エリノアの変な噂が囁かれて貴女を心配はしたけれど、特に疑うことはなかったわ。ずっと貴女を見ていればエリノアはそんな子じゃないと分かるから」
「ヘンリエッタ様……」
それはきっと、アイーリズ伯爵夫妻やナターシャが社交界で広めたエリノアの良くない噂の件だと、直ぐに推測できた。
だからわたくしは国王陛下や王妃殿下にその事で王城に呼ばれなかったのね。
「それ程まで信頼してくださり、ありがとうございます」
「とんでもないわ。寧ろウィルを叱ったぐらいよ。“他のご令嬢に優しくしすぎるからこういう事になるのよ!”って。“それじゃあ、いつまで経ってもエリノアはウィルに振り向いてくれないわよ”ともね」
「……まぁ」
エリノアは思わず口元に手を当てる。少し肩の力が抜けたその姿に、ヘンリエッタは優しい眼差しを向けた。
「エリノアとの婚約破棄騒動が起こってからのウィルは、とても頑張っているわ。貴女に振り向いてもらおうと必死にね」
婚約破棄の件が王妃殿下の耳に入っていたことに、エリノアは思わず苦笑いを浮かべる。
「エリノアも、それで心が揺れたのでしょう?」
問い掛けられてエリノアは一瞬言葉に詰まる。
「……えっと、はい……」
認めただけで、エリノアは少しだけ頬が熱を持った気がした。
「この前に開いたお茶会で、学園にご令嬢を通わせている夫人や、キアーズ子爵家の夜会であなた達を見ていた夫人がみんな言っていたわ。ウィルとエリノアは、“以前よりも一緒にいる時間が出来て、更に仲睦まじい様子だ”って。あと、“お二人を見ていると微笑ましくなった”とも」
学園内や夜会でのわたくしとウィルフリッド王太子殿下は、そんな風に見えるのね。
エリノアは初めて知る他人から見た自分たちの姿に気恥ずかしさを覚える。
「わたくしは、この婚約があなた達二人にとって幸せな婚約になればと思っているわ。まだ時間はあるから、気負わずにあの子への気持ちをゆっくり考えて頂戴」
口振りからして、ヘンリエッタはエリノアの迷いを知っている様だった。それでもヘンリエッタは一国の王妃でありながら、エリノアとウィルフリッドの気持ちを尊重しようとしてくれている。
とてもお優しい王妃殿下だわ。ウィルフリッド王太子殿下がお優しいのは、母親譲りなのかもしれませんわね。
そんな事を思いながら「お話ししてくださり、ありがとうございます」とエリノアは感謝を伝える。
「わたくし、カレンデム公爵領でゆっくり考えてきます」
エリノアはヘンリエッタにそう伝えた。