23 ナターシャとヴィッキー
アイーリズ伯爵家の処刑が行われる数日前。放課後にヴィッキーはナターシャが収容されている施設を訪問していた。伯爵である父に頼んで何とか面会を取り付けてもらったのだ。
暗がりの室内を騎士の案内で進んで行き、ナターシャの牢屋の前に立ったヴィッキーは彼女の姿に驚きで目を見張る。
いつも身に着けていた高価なドレスや宝飾品などはなく、ナターシャは質素な服を身に纏っていた。綺麗だったストロベリーブロンドの髪もボサボサでくすんで見える。
「ナターシャ、様……?」
半信半疑の気持ちでヴィッキーが声を掛けると、俯いていた彼女の首が持ち上がる。
「……、その声は……ヴィッキー様?」
掠れて聞こえる小さな声。だけど間違いなくナターシャの声だった。
「……何しに来たの」
いつも聞いていたナターシャの声からは想像がつかない程、低くて冷たい声だった。尋問や過酷な牢屋での生活で人が変わってしまったのかしら……? と、ヴィッキーは心配になった。
「友である貴女に会いに来たに決まっていますわ。ナターシャ様、どうか諦めないで下さい。反省の意思を示せば何か変わるかもしれません。エリノア様は公爵令嬢で王族への犯罪行為は極刑……ですが、最悪の事態を回避できる可能性だって──」
「必要ありませんわ」
ヴィッキーが懸命に訴え掛けている途中でナターシャが呟いた。「え?」と困惑するヴィッキーにナターシャは続ける。
「わたくしはお父様を信じて、自分の意思でエリノア様を嵌めたの。全てはアイーリズ伯爵家から王妃を排出して、王家にアイーリズ伯爵家の血筋を残すためよ。わたくしはお父様の考えに賛同して従ったの。何より王族になれば今よりもっと優雅な暮らしが出来ると思いましたの。その為に沢山努力したわ。ウィルフリッド殿下に近付いて、一緒にいるための口実を作って、そしたら徐々に殿下はわたくしと過ごす時間を増やしてくれた。……順調だと思っていましたの。………それなのに! それなのにっ!!」
ナターシャが肩を震わせて声を荒げる。
「ウィルフリッド殿下は突然わたくしとの時間をなくしたかと思えば、エリノア様のことばかり!! わたくしはずっと! エリノア様が目障りだったのよっ!! 後悔なんてありませんわ! だから反省する余地がありませんの。……ヴィッキー様もこれでお分かりかしら?」
「っ!」
ナターシャの鋭い視線が向けられて、ヴィッキーは思わず半歩後ずさった。
「で、ですが、……これから反省する姿勢を見せれば──」
「うるさいっ!!」
ナターシャがヴィッキーの言葉を遮って叫ぶ。
「貴女、目障りなのよ。いつもいつも、わたくしの後を付いて回って! 同じ伯爵家でもあなたの家は貧乏伯爵家。わたくしの家とは大違いなの。 一緒にいてわたくしまで貧乏人扱いされないか、ずっと迷惑だったのよっ!!」
「っ、ナターシャ様……」
ヴィッキーが震えた声でナターシャを呼ぶ。
「分かったなら帰って頂戴!! でないと、わたくしなんかと会っていたと分かれば貴女まで犯罪者扱いされるわよ」
その言葉を聞いてヴィッキーはハッとした。ヴィッキーに対して放たれた悪口の言葉はナターシャの本心だったのかもしれない。少なくとも直前までヴィッキーは傷付いていた。だけど、最後の一言こそがナターシャが今思っていることだとしたら話は別だ。
ナターシャ様は、わたくしをわざと突き放そうとしている……?
ヴィッキーのメテセル伯爵家はナターシャのアイーリズ伯爵家と比べると総資産でかなりの差があった。それは何もヴィッキーの父であるメテセル伯爵が無能だからではない。寧ろ領地がもたらす資産による潤いは平均的なもので、悪くない。単純にアイーリズ伯爵領の土壌が豊富な栄養を含んでおり、作物にうってつけの土地であること。そして大きな鉱山があり、そこで質の良い宝石が採れる鉱脈があることが関係していた。
決してヴィッキーは貧乏伯爵令嬢ではない。お互いに領地の話をしたことがあるため、ナターシャもそれは分かっている筈だった。
ナターシャと仲良くしていたが故にヴィッキーに火の粉がかからないようにしているのかもしれない。ナターシャがエリノアを嵌めた悪女であっても、ヴィッキーと過ごした日々は彼女にとって嘘ではなかったのだと、思わせる発言だった。
わたくしはそんなナターシャ様の思いを無駄にするの? 覆せるか分からないことにムキになって、ナターシャ様を困らせる?
ヴィッキーはすぐに答えを出せなかった。いいや、出したくなかった。だけど伯爵令嬢に出来ることなど何もない。
「分かりましたわ。ナターシャ様」
ヴィッキーは決断する。
「貴女はとんでもない悪女だったのね。そんな貴女とずっと楽しく過ごしていたわたくしは本当にバカでしたわ。……目が覚めてスッキリいたしました。せいぜい残りの数日、後悔なさいませんようにお過ごしください。……わたくし、貴女という人を決して忘れませんわ。今までどうもありがとう。……それでは、永遠にごきげんよう。ナターシャ様」
ナターシャを悪女と呼んでも尚、ヴィッキーはナターシャのことを様付けで呼び、“ナターシャ”と呼び捨てにすることはなかった。端からすれば軽蔑した別れの挨拶にも聞こえるが、二人にとってはどこか優しい別れだった。
凛と歩きながらもヴィッキーの瞳は今にもこぼれ落ちそうな涙で溢れている。一方のナターシャもヴィッキーが去っていく足音を聴きながら瞳を潤ませていた。
こんなわたくしを心配してくれる人が、まだいただなんてね……
父であるアイーリズ伯爵の指示にしたがったナターシャ。ナターシャは父の言う通りにしていれば何もかも上手くいくと信じて疑わなかった。だから、婚約者がいると分かっていながらウィルフリッドに近付いた。
上手くいけば王太子妃になれる。人生勝ち組だわ。なんて浮かれていたことが遠い日のことのようだ。
最初はただアイーリズ伯爵家の為、将来の自分が楽をする為にと、必死にウィルフリッドと接点を持った。勉強会の時はわざと彼に密着するようなこともした。だが、そんなことをしているうちに、ウィルフリッドに心を惹かれている自分がいることにナターシャは気付いてしまった。
ウィルフリッドに振り向いて欲しい。そんな想いを抱えながらナターシャは時を過ごした。
だけど現実は甘くない。ナターシャがどれだけ必死にアプローチしてもウィルフリッドは愛想笑いを浮かべるだけ。拒否もしないが、受け入れてもくれなかった。そればかりか、話の流れでエリノアの話題になるとウィルフリッドはとても愛おしそうな眼差しになった。エリノアのことを話すウィルフリッドは優しい声色で、心から彼女が好きなんだとナターシャに現実を突きつけた。
そんな彼を見てナターシャは思った。普通にアプローチするだけでは、ウィルフリッドの想いをエリノアから自分に変えられないのだと。
今までナターシャが望めば父が何でも与えてくれた。何もかもナターシャの思い通りになった。だから今回も父の言うことを聞けばウィルフリッドの心が手に入ると思っていた。
だけど違った。
そんな苦い思いが、ナターシャに今回の事件を起こさせた要因のひとつだった。
「わたくしはただ、殿下に振り向いて欲しかった。わたくしを見て欲しかった。…………愛されたかっただけなの」
ナターシャの小さな呟きは誰の耳にも届くことはなかった。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
「悪役令嬢にされてしまった公爵令嬢は未来の旦那様を探す旅に出たい〜それなのに、婚約破棄だと言ってきた王太子殿下が止めてきます〜」略して「あくたび」は、読者の皆様のいいね、ブクマ、評価に励まされながらここまで書くことが出来ました。
誤字報告をしてくださった方もありがとうございます!
これからもどうぞ、応援よろしくお願いします!!
そしてお知らせです!
昨日、活動報告でもお知らせしましたが、この度「あくたび」の番外編として短編を書きました!!
「悪女だって愛されたい〜処刑された筈の伯爵令嬢は現代日本に異世界転移する~」
ナターシャが主人公のお話しです。
よろしければ、こちらのお話もお楽しみ下さい!