2 公爵令嬢は未来の旦那様を探す旅に出たい
「エリノアお嬢様、本日は何時もよりお早いお帰りですがよろしいのですか?」
エリノアが乗ってきた馬車の前。そこでエバンス家が雇っている御者の質問を彼女は受けていた。先程、ウィルフリッドと話していた部屋を出て直ぐ、待機していたエリノアの従者であるトムにも聞かれたその言葉に「えぇ」と頷く。
「問題ありませんわ。早く出してちょうだい」と答えて、エリノアとトムは馬車に乗り込む。それから御者には「どなたか追いかけて来ても、カレンデム公爵邸へ着くまで馬車を停めてはなりませんよ」とエリノアは付け加えた。
案の定と言うべきか、馬車を走らせてものの数秒で「待ってくれ! エリッ! エリノアッ!!」「エリノア様ッ!」とウィルフリッドとアレックスの声が馬車の中にいるエリノアの耳に届く。
エリノアは後ろを振り向いて、走って追いかけてくる二人に優雅に手を振る。段々小さくなっていく二人の姿は暫くすると見えなくなった。そして、我が家であるカレンデム公爵邸へ帰り着いたエリノアは、この屋敷の主である父のレイモンド・グラハム・エバンスの書斎に真っ直ぐ向う。
「お嬢様。先程の件、本当に旦那様にお伝えするのですか?」
「えぇ。勿論よ。だって善は急げって言うじゃない?」
エリノアがトムの問いかけにそう答えると、王城からずっと困った顔をしていたトムが益々困ったと言いたげな表情を浮かべた。
エリノアには“もしかすると、お父様はお仕事で不在かも知れない”という心配があったが、書斎の扉をノックをすると「入りなさい」とレイモンドの声がした。
「失礼いたします」と足を踏み込めば、机に座る父の他に兄のイアン・グラハム・エバンスの姿もあった。
「やぁ。エリノア」
「お兄様、ご機嫌よう」
エリノアがイアンに挨拶するとレイモンドが不思議そうに尋ねてくる。
「どうしたエリノア? この時間はいつも王城にいる時間だろう。王太子殿下は? 王妃教育はどうした?」
「お父様。その件ですが、わたくしウィルフリッド王太子殿下と婚約破棄することになりましたの」
告げると「えっ!?」と驚くイアン。
「あぁ、そうか。だからこんなに早くに帰ってきたのか。……って!? な、何っ!? こっ、婚約破棄だと!?」
一瞬流されかけたレイモンドが“婚約破棄”の言葉に目を剥くと驚きでガタッ! と椅子から立ち上がった。
「お父様、驚き過ぎですわ」
「エリノア!! お前何を言っているのか分かっているのか!?」
「はい。分かっております」
顔を真っ赤にして怒るレイモンドにエリノアは冷静に答える。
「エリノア? 一応聞くけど、どうして婚約破棄を?」
優しい兄のイアンが苦笑いを浮かべながら、レイモンドの代わりに尋ねてくる。
「ウィルフリッド王太子殿下には想い人がいらっしゃるのです」
エリノアの言葉にイアンは瞬きを繰り返す。
「え? ……あ、……あぁ。そうだな。王太子殿下はエリノアを随分気に入って下さっているから。それは当然だろう」
「お兄様? 何を仰っていますの? 殿下の想い人はわたくしでは御座いませんよ??」
エリノアが目を丸くして答えると「そんな訳はない!!」とレイモンドがまたしても声を張り上げる。
「仮にも婚約者であるお前を差し置いて、殿下がその様なご令嬢を作ったというのなら誰なのか答えてみよ!! どこのご令嬢だ!?」
本当はナターシャの為にもまだ黙っているつもりだったエリノア。だが、こんなに怒っている父親相手では埒が明かないと感じて恐る恐る答える。
「…………ナターシャ様ですわ」
「ナターシャ? フン! アイーリズ伯爵家の娘か!!」
「殿下はわたくしが王太子妃に向かないと仰っていました。ナターシャ様もそれに同調されましたので。それは“婚約を破棄したいということでしょうか?”とお尋ねしたら、“わたくしとの婚約は破棄だ!!”と、ウィルフリッド王太子殿下がはっきり仰いました」
まぁ半分はエリノアがウィルフリッドの言葉を誘導したようなものだが、ウィルフリッドが自らの口でそう告げたのだから間違いはないとエリノアは考える。
「なんと!! 殿下自らが!? それに、その場にナターシャ嬢がいたのか!?」
「はい」
「他には誰がいた?」
「後はアレックス様だけですわ。それでお父様、わたくしお願いがございますの」
エリノアはわくわくと逸る胸を押さえて父にそう前置きした。エリノアにとってはここからが話の本番だ。
「言わずとも分かっている。ナターシャ嬢がウィルフリッド殿下に何か吹き込んで、お前を婚約破棄に追い込もうとしているのだな?」
「あ、いえ。違いますわ」
エリノアはキッパリと否定する。けれど、今のレイモンドには愛娘の返事が聞こえていないらしい。
「心配には及ばん。公の場で婚約破棄を言い渡された訳でもないし、何より国王陛下の了承もないのだ。私が話をつけてこよう」
そう言って部屋を出ようと動き出すレイモンドにエリノアは叫ぶ。
「もうっ! お父様っ!! わたくしの話をちゃんとお聞き下さいっ!!」
若干、公爵令嬢らしからぬ声を上げてしまったエリノア。だが今はそれどころではない。一向に話が噛み合わない父に向かってエリノアは一呼吸置いて宣言する。
「わたくし、これを機に旅に出たいのです」
「た、旅だと!?」
再び驚くレイモンド。
「エリノア、婚約破棄と言われて辛いのは分かるが早まるな」
エリノアの前に立って肩を掴むイアンにエリノアはこりと微笑む。
「お兄様、ご心配には及びませんわ。ただの旅では御座いませんの。未来の旦那様を探す旅ですわ」
「は?」
困惑するイアンを余所にエリノアは胸の前で手を組んで瞳を輝かせる。
「はるか遠い遠い異国の地では、各々が好いたお相手と時間を共有し、結ばれることが出来るのだとか。わたくしもそんな風にお慕いする方と結ばれたいのです!! とっても素晴らしいと思いませんか?」
「……エリノア」
イアンはエリノアの名を呟くと、悩ましげにこめかみを抑えた。
「トム! お前が付いていながら何故こんなことになっている!!」
「旦那様、申し訳ございません!」
叱責されてトムが深く頭を下げる。
「お父様、トムを責めないで。トムはあの場に居なかったのよ。悪くありませんわ」
「だとしてもだ! こんなときお前を庇い、守るために従者を付けているのだぞ!!」
その時、部屋に慌てたノックの音が響く。
はぁ~っ! と盛大なため息を吐いたレイモンドが「入れ」と入室を許可した。
「お取り込み中、失礼します。旦那様」
使用人がドアを開けてすぐ一礼すると、レイモンドに話しかける。
「こんな時になんだ!?」
「王城から使いの者がいらしています」
「ずいぶん早いな……」
確かにエリノアが王城から戻ってまだそれ程経っていない。
「それと、ウィルフリッド王太子殿下もご一緒のようです」
「なっ! 殿下が!?」
「至急、旦那様も交えてエリノアお嬢様とお話をされたいそうです」
「まぁ! では、婚約破棄に関することですわね!!」
パンッとエリノアが嬉しそうに手を叩く。
ウィルフリッド殿下はそれほどまでに早くナターシャ様と婚約されたいのだわ! と、知らせを聞いたエリノアは思った。
「一先ず、早急に話を聞こう。エリノア付いて来なさい」
呼ばれたエリノアは「はい! お父様!!」と弾むように返事をして、レイモンドの後を追って書斎を出た。