13 エリノアとナターシャの約束をめぐる揉め事
翌日、エリノアはまたしても学園で朝から好奇の視線に晒されていた。エリノアをちらちら見ながらヒソヒソと囁かれる言葉にエリノアはため息が出そうになる。
一体、今度は何ですの……?
「エリノア様!」
苛立ちの籠もった声と共にエリノアの前に一人のご令嬢が立ち塞がる。
「昨日、どうしてナターシャ様との約束をすっぽかされたのですか!! ナターシャ様はずっとエリノア様を待っていらっしゃいましたのに!!」
怒りを露わにして問いただしてきたのはナターシャがよく一緒に過ごしている伯爵家のご令嬢、ヴィッキーだった。騒ぎを目の当たりにして通りすがりの生徒たちまでもが足を止めてエリノアたちを見る。
「ヴィッキー様、お言葉ですが約束をすっぽかされたのはナターシャ様ですわ」
「なっ! よくそんな嘘を!! 昨日、ナターシャ様は遅くまでエリノア様を待っていらっしゃいましたのよ!!」
「そんな筈ありませんわ。わたくしは王城へ向かわなければいけない直前までお待ちしていましたが、ナターシャ様はいらっしゃいませんでした。仕方なく、代わりにわたくしのメイドを待ち合わせの裏門に待機させました。ですが、彼女もナターシャ様にお会いすることなく公爵家へ戻りましたわ」
エリノアが告げるとヴィッキーが眉を顰める。
「今、裏門とおっしゃいましたね? ナターシャ様が約束された場所は裏庭ですわよ!!」
どういう事かしら? とエリノアは首を傾げる。
「変ですわね。わたくしは確かに校舎の裏門とお聞きしましたわ」
どうして場所を指定してきたナターシャ様は裏門ではなく裏庭へ? それともわたくしが聞き間違えたのかしら? いいえ、そんな筈ありませんわ。わたくしはしっかり“裏門”と聞いていましたもの。
「ということは、エリノア様の聞き間違いですの?」
ヴィッキー様のお顔がそれまでの怒りに満ちた表情から少し困惑の表情へと変化する。
これだけ注目を浴び、好奇の視線を送られることになったエリノアにとって、ここで聞き間違いだと認めることは少々癪だった。だが、これ以上話をややこしくしても良いことなんて一つもない。
「そうかも知れませんわね」
ここは穏便に済まそうとエリノアが曖昧な返答をした時、ヴィッキーの後ろから涙で顔を濡らしたナターシャが現れる。
「ヴィッキー様、もう良いのです。わたくしがいけなかったのよ。きっと、わたくしがエリノア様に間違った場所を教えてしまったのですわ」
「ナターシャ様! またそんな風にエリノア様を庇うなんて!!」
「良いのよ。エリノア様は公爵令嬢、対してわたくしは伯爵令嬢。どちらの言い分が通るかなんて、明白ですわ」
はらりとナターシャの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。その様子を見ていた周りの生徒たち、特に令息たちが憐れみの視線をナターシャに向けた。
「ナターシャ様はなんて他人思いなんだ」
「今までエリノア様に虐められてきたというのに、彼女を庇うなんて優しすぎる」
「……」
わたくしったら、いい言われようですわね。わたくしがいつナターシャ様を虐めたのかしら? とエリノアは今度こそため息を吐く。
まぁ、この学園でわたくしは大半の方に悪役令嬢扱いされていますものね。それにしても、爵位を持ち出してくるだなんて。益々わたくしが傲慢な公爵令嬢みたいではありませんこと?
ふつふつと湧き上がってくる不満を呑み込んでエリノアは口を開く。
「……ナターシャ様、お家の爵位でどちらかの言い分が通るか決まることなどありませんわ。単純にわたくしかナターシャ様のどちらかが勘違いしていたのでしょう。ですが、そのことに関して議論を重ねても答えは出ません。ですから、この件はお互い水に流して、改めてお話しする時間を設けませんこと? 本日の放課後でよろしければ、ご相談に乗りますわ。場所は裏庭が宜しいんですの?」
少しの苛立ちを抱えながらエリノアはにこりと微笑んだ。
「いえ、もう良いのです。エリノア様に相談事など、わたくしの身には余る願いだったとよくわかりましたから」
白い手で涙を拭いながらナターシャは答えた。
「お気持ちだけ受け取りますわ。この度はお手数をおかけして申し訳ありませんでした。失礼致しますわ」
ふわりと制服のスカートの裾を持ち上げて、カーテシーをするナターシャ。
「そうですか。ではご機嫌よう」
エリノアもそれにカーテシーで答えると、その場を通り過ぎる。その際、ヴィッキーがエリノアを睨んでいたがエリノアは気に留めることなく歩む。野次馬だった生徒たちはエリノアを避けるように道を開けた。
「流石エリノア様。毅然としていらっしゃいますわ」と褒める声がする一方で「何かしら、あの態度。ナターシャ様がお可哀想ですわ」とナターシャを憐れむ声が大半を占めていた。
エリノアは誰かに同情してほしい訳でも味方になって欲しい訳でもなかった。だが、この場にいたギャラリーの声は噂によって出来たエリノアの偶像を集めたものであって、どれも本来のエリノアを知る声ではなかった。