12 夜会に向けた仕立てとナターシャの相談
ウィルフリッドは王城で王妃教育を受けるエリノアの元を訪れることを毎日欠かさずに行っていた。
「エリノア!」
「ウィルフリッド王太子殿下、ご公務は?」
王妃教育が一段落したばかりのエリノアの部屋に入ってきたウィルフリッドにエリノアは尋ねる。
「終わったよ。……じゃなくて、いつになったらまた“ウィル”と呼んでくれるのかな?」
頑なに“ウィル”と呼ばないエリノアにウィルフリッドが尋ねる。
「このままずっとお呼びしないという選択はどうでしょう?」
「うっ! それは凄く辛い。……エリノア、頼むからそんなこと言わないでくれ」
整ったウィルフリッドの顔が悲痛に歪むのを目にした途端、エリノアは罪悪感に襲われる。
「じょ、冗談ですわ……」
「冗談でも傷付く」
お互いお茶の席につくと、さっさと話題を変えようとエリノアは気を取り直して話しかける。
「それで? 本日はお部屋を訪ねてこられた際、いつもより嬉しそうでしたが、何か良いことでもございましたか?」
「あぁ。エリノアに今度の夜会に着ていくドレスを贈ろうと思ってね」
「はい?」
予想外の言葉に紅茶を一口飲み込んだエリノアの口から間抜けな声が漏れる。
今度の夜会といえば、キアーズ子爵家の夜会だ。それまであと3週間と迫っている。今回の夜会は舞踏会と聞いていた。エリノアもパメラから話を聞いた時点でドレスを手配していたが、今からとなると人気の仕立て屋は注文も多いから夜会には間に合わない可能性が高い。
ウィルフリッドが扉の前に控えていたメイドに目配せをした。それを合図にメイドが部屋の扉を開けると、エリノアも何度もお世話になっている王家御用達の仕立て屋が姿を表した。
「私もエリノアのドレスに合うように仕立ててもらうつもりだ。さぁ、エリノアは何色が良いだろうか? 生地は? 好きな物を選んでくれ!」
「まっ、待って下さい! 本当にウィルフリッド殿下も今度の夜会に出席されるおつもりですの!?」
優雅なお茶会はこうして夜会に着ていくドレスの生地選びへと変わった。
♢♢♢♢♢
キアーズ子爵家の夜会まで2週間と迫ったある日。2時限目の授業終わりに、エリノアとルーシーが教室を移動しようとに立ち上がると、久しぶりに聞く声が「エリノア様」と呼び止めて来た。
「エリノア様にご相談したいことがあるのです」
「ナターシャ様がわたくしに相談ですか?」
「はい」
「……ええと、何故わたくしに? 仲の良いご令嬢に頼まれては如何です? きっとわたくしよりもナターシャ様をご存知ですから、良いアドバイスを得られると思いますわ」
エリノアとナターシャはただでさえウィルフリッドを巡って噂の的になっている。これ以上、面倒なことが起きるのを避けたいエリノアは、あくまでも他に適任者がいることを理由に断りを入れた。
「相談とはウィルフリッド殿下のことなのです」
「っ!」
神妙な面持ちで告げられた言葉にエリノアは身構える。まさか、仮にも婚約者であるエリノアにウィルフリッドの相談を持ち掛けてくるとは思わなかったからだ。
何も考えていないのかしら? と一瞬思ったエリノアだったが、いいえ。と考えを改める。
考えているからこそ、彼女は話しかけてきたのだ。
態とならナターシャ様は実に肝が座っていますわ。
「お願い致します! エリノア様っ!! この通りですわ!!」
ガバッと勢い良く頭を下げてきたナターシャにエリノアとその隣にいたルーシーはギョッとする。まだ教室には生徒が沢山残っているのだ。
「ちょっ! ナターシャ様、顔を上げて下さい!!」
即座に伝えたエリノア。ルーシーも「ナターシャ様」と呼びかけたが、「聞いて頂けるまで、顔を上げる訳には参りませんわ!」と頭を下げたまま告げられる。周囲はザワザワとしており、生徒たちはチラチラとエリノア達を見ている。
こんな場面、またあらぬ誤解を生みかねませんわ!
「分かりましたわ。ご相談の件お伺いしますから、どうか顔を上げて下さい」
了承するとようやくナターシャが顔を上げた。
「エリノア様っ! ありがとうございます!! 約束ですわよ!?」
「え、えぇ……」
戸惑うエリノアに嬉しそうなナターシャがひっそりと囁く。
「では、放課後に校舎の裏門でお待ちしていますわ」
「えぇ。ですが、わたくし王城で王妃教育がありますから、手短にお願いしますわね」
「はいっ! お時間は対して取らせませんわ」
にこっと笑うと、ナターシャは「それではまた後ほど」と軽く挨拶をしてその場を去る。
「エリノア様、宜しかったんですの?」
ルーシーの問い掛けにエリノアは「えぇ」と頷く。
「仕方ありませんわ。了承するまでナターシャ様は梃子でも動かなかったでしょうし」
「それはそうですが、……ナターシャ様はウィルフリッド殿下のことを諦めていらっしゃらないように見受けられますわ。エリノア様も気づいていますでしょう? 学食を頂いている時、わたくしたちの席を伺うナターシャ様の視線」
ルーシーがナターシャの視線に気付いていたことに申し訳ない気持ちになりながら、エリノアは「えぇ」と頷く。
「このようなことは考えたくありませんが、何か企んでいらっしゃるのかも。以前、エリノア様と殿下の婚約破棄の噂を広めたのはナターシャ様のようでしたし」
「噂の件、ルーシー様もお気付きでしたのね」
「勿論ですわ。社交界の噂はあっという間に広がると言えど、不自然な程に広まるのが早かったですもの」
ルーシーには何でもお見通しのようだった。エリノアと一緒にいることでルーシーを面倒事に巻き込んでいないかと、申し訳なく思う一方、彼女がエリノアを心配する気持ちがヒシヒシと伝わってくる。だからこそあまり心配はかけられないとエリノアは考えていた。
「ルーシー様、ご心配頂きありがとうございます。ですが問題ありませんわ。今日の放課後はナターシャ様のお悩みを聞くだけですもの」
安心させるようにエリノアは微笑んだ。
「忘れないうちに、トムとエマに遅くなると伝えてきますわね」
エリノアはルーシーに断りを入れると、従者とメイドの元へ早足で向かった。
だがその日の放課後、エリノアが約束通り校舎の裏門で待ってもナターシャは現れなかった。
王城での王妃教育を控えていたエリノアは仕方なく30分ほどで切り上げると、代わりにエマを約束の場所に残した。だがその日、ナターシャが裏門に現れることはなかった。