1 三角関係の縺れ
「エリノア! 何故分かってくれないんだ!」
「“何故”と、申されましても困ります。ウィルフリッド王太子殿下」
室内に響いた婚約者の声にカレンデム公爵令嬢のエリノア・フランシス・エバンスは困ったと頬に手を当てる。
「毎日、ナターシャ様が何かと口実を付けては頻繁に殿下に会いに来られているのは存じ上げておりました。ですが、わたくしはそのうち殿下がナターシャ様に王城通いを止めるよう説得されると信じておりました」
綺麗な金髪碧眼にスッと通った鼻筋。整ったその顔立ちは、今まで何人のご令嬢たちを虜にさせてきたのか。
そんな見目麗しい婚約者の瞳を見て話していたエリノアはそこで視線を伏せると「ですが……」と続ける。
「一向に説得なさらないばかりか、お傍に寄り添って仲睦まじく過ごされていましたでしょう? わたくしには満更でもないご様子に見えましたわ」
「だから、彼女に勉強を教えて欲しいと頼まれて。仕方なく王城への訪問を許していると言ってるだろう?」
「だとしても、ナターシャ様と密着されていたではありませんか。わたくしは殿下の婚約者です。学園でもあの様にナターシャ様と過ごされると、わたくしの立場がありません」
そこまで言って、エリノアはふぅっと息を吐く。
「エリノア様、少し落ち着いて下さい」
傍でエリノア達の会話を聞いていた黒髪の青年、アレックスが宥めてくる。
アレックス・モルダー・ブラックウェル。ニイルド侯爵のご子息で彼のお父様はこの国の宰相だ。
「ウィルフリッド殿下はエリノア様を大切に想っておられます。親友である私が言うのですから、間違いはありません。どうか殿下を信じて下さい」
「そう言われましても……」
ウィルフリッド殿下がわたくしを大切に想っているですって?
エリノアがどれだけ記憶を掘り起こしても最近のウィルフリッドときたら、学園でも王城でもナターシャと一緒にいるところしか目にしていない。授業の移動は勿論、学食でも2人は一緒だった。
ウィルフリッドは入学したばかりの頃、3ヶ月だけエリノアと昼食を共にしていた。だが、途中からエリノアたちの間にナターシャが合流するようになり、次第にエリノアはそこから外されてしまった。それ以降エリノアがウィルフリッドと学園で学食を共にしたことはない。
元々、エリノアと王太子であるウィルフリッドの婚約は両親が決めたものだった。エリノアとウィルフリッドがお互いを想っていようがいまいが関係ない。貴族の婚約とはそんなものだ。それでも良好な関係を築いているカップルは沢山いる。
「あの様に毎日ナターシャ様とベタベタされては説得力が御座いませんわ」
エリノアが「はぁっ」と、ため息を吐いた時、バタンッ! と勢いよく部屋のドアが開かれた。
「エリノア様っ!! ウィルフリッド殿下を責めるのはお止めください!」
今現在、話題にしていたもう一人の張本人であるアイーリズ伯爵令嬢のナターシャ・ベル・ファンシーがウルウルと目元を潤ませて部屋に入ってきた。
ナターシャ様ったら入室の許可も得ずにお部屋に入って来られたわ。と、エリノアは白い目を向ける。
「殿下は悪くないのです! わたくしが勉強の呑み込みが遅いせいなのです! ですが、ウィルフリッド殿下はそんなわたくしに対して根気よく教えてくださって……! わたくしはそんな殿下にお応えしたいのです!! ですから、わたくしが殿下のお手を煩わせて、殿下の貴重なお時間を割いて頂いてしまっているだけなのです!!」
ポロポロと大粒の涙を零して泣き出すナターシャ。
なるほど。と、エリノアは納得する。
そうしてウィルフリッド殿下の貴重なお時間を割いた穴埋めとして、わたくしは度々殿下の書類仕事を任されているのですね。
「ナ、ナターシャ……大丈夫だから泣くな」
ウィルフリッドがナターシャの傍に近付いて、どうすれば泣き止んでもらえるか、と狼狽えている。
これではわたくしがナターシャ様を虐めているみたいではありませんか。
エリノアは前にも一度、この様な場面に遭遇したことがあった。
あれは去年だったかしら?
今回と似たような話題をエリノアが学園でウィルフリッドにぶつけたところ、ウィルフリッドの隣に座っていたナターシャが泣き出した。それも沢山の生徒たちの往来がある前で泣かれたものだから、“エリノア様がナターシャ様を泣かせた”と、暫く噂の的になってしまった。
エリノアの兄の計らいで徐々に誤解は解けた。だがお陰でエリノアは一時期、学園の生徒たちに白い目で見られてしまったのだ。
「まぁ、ウィルフリッド殿下は何とお優しいのでしょう!」
「そんな事はないよ。同じ学園の生徒として心配するのは当然のことだ」
「……」
わたくしは何を見させられているのかしら?
エリノアの婚約者である筈のウィルフリッドと同級生のナターシャが気遣い合ってお互いを見つめている。その姿はエリノアよりもナターシャの方がウィルフリッドの婚約者のように見える。
「わたくし、もしかしてお邪魔かしら?」
少し低い声で呟くと「エリノア?」と、ウィルフリッドがやっとエリノアの方を見た。
「お二人は随分とお心を通わされているようですわね。婚約者であるわたくしよりも、よっぽどお二人の方が婚約者同士に見えますわ」
「……エリノア、何を言っているんだ?」
「“何を”と言われましても、わたくしは見たままをお伝えしているだけですわ。殿下もわたくしに遠慮などせず、そんなにナターシャ様の方がよろしいのであれば、早くそう仰って下さい。そうすれば、わたくしは王城を訪ねても殿下の元へはお訪ねしませんので」
「エリノア様っ! その発言はあんまりですわ!! ウィルフリッド殿下はエリノア様にお会いする為、いつも時間を作ろうと頑張っていらっしゃいますのに!!」
殿下がわたくしに会うための時間はナターシャ様が潰されているのでは? という言葉をエリノアは呑み込む。
「私と君は婚約者だ。私たちが会うのは国のためでもある。エリノアはその務めを放棄するというのか?」
王太子であるウィルフリッドは次の国王陛下。そして、その婚約者であるエリノアは時期王太子妃にして、次の王妃ということになる。
「お務めを放棄するなど、その様なつもりはありませんでしたが殿下にとってわたくしと会う時間は婚約者の務め以外の何物でもないのでしょう? でしたら、一緒に居たいと心から想う相手と過ごされる方がよっぽど有意義な時間になると思いますわ」
そう、かつてわたくしが生きていた世界のように。
エリノアはこのリュラフス王国に生まれる前、日本という国に住んでいた。エリノアが7歳のとある日に思い出した前世の記憶は曖昧だったが、彼女は知っている。好きな相手と時間を共有し、結ばれることの素晴らしさと喜びを。
今のエリノアとウィルフリッドの間にはないものだ。だから、エリノアは好いた相手と一緒になる方がお互いのためになると思っていた。
「なっ! エリノア!! 君はこの婚約を何だと思っているんだ!? 君がそんな無責任な女性だったなんて! 失望したぞ!! 未来の王太子妃がこれでは国民に申し訳ない!!」
「それでは、殿下はわたくしが王太子妃に向かないと仰るのですか?」
「そうだ! そのような考えでは王太子妃になど、なれるわけがない!!」
「そっ! そうですわ!! エリノア様に王太子妃は無理ですっ!!」
これをチャンスと捉えたのか、何故かナターシャがウィルフリッドに同調してエリノアを責めた。だけど、今のエリノアにはそんな事はどうでも良かった。
「ウィルフリッド王太子殿下、それはわたくしとの婚約を破棄したいということでしょうか?」
「あぁそうだ! 君との婚約は破棄だ!!」
ウィルフリッドが大きな声で宣言した。
エリノアはこの言葉をずっと待っていた。
もう少しすればナターシャ様の事で悩む必要のない日々が手に入りますのね。
そう思うとエリノアの心は躍った。けれどその直後、今まで大人しく口を噤んでいたアレックスが真っ青な顔になる。
「っ!? ウ、ウィルフリッド!? 待て! 待て!!」
それまでエリノアたちの言い合いを我慢して聞いていたアレックスが慌てて止めに入る。
「なんだアレックス!! ……っ!?」
アレックスの静止に自分の発言を思い返したウィルフリッドがハッとした顔になる。
「ウィルフリッド王太子殿下。わたくし、エリノア・フランシス・エバンスは貴方との婚約破棄を謹んでお受けいたします」
エリノアはドレスを軽くつまむと、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の膝を軽く曲げて背筋を伸ばしたままウィルフリッドを見た。
「は?」とフリーズしたままのウィルフリッドにエリノアはにこりと微笑む。
「それでは皆さま、ご機嫌よう」
エリノアは優雅に挨拶をして部屋を後にした。
読んでくださりありがとうございます!
初めて書くジャンルのため、至らぬ点もあるかと思います。
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