sideフェルマータ・カルテット視点?4 婚約解消後……
◆sideフェルマータ・カルテット視点?4 婚約解消後……
私は、自分から気持ちを言わないのが淑女だと。令嬢教育を真面目に受け取りすぎていたために自分自身の恋する心に全く気付いていなかった。
私からなかなかこの思いを気持ちを伝えることができず、妹や母の妨害もあったせいかもしれないけど、気が付けばアルト様を好きな気持ちにふたができなくなっていた。
私は、本当は心から好きになっていて自分から言い出したくせに、アルト様が父親からの婚約解消を承諾したと聞いたショックでとうとう食事が喉を通らなくなってしまった。
私から言い出したこととはいえ、父に報告後すぐに婚約解消の書類を用意し、翌日に伯爵家が受け取ってアルト様の返事を父伝手に聞いた時に、私の心は音を立てて砕け散ってしまったから。
それから私は、アルト様に媚を売り腕に縋りついて彼の笑顔を独り占めしていた妹のことも、もともと私の前から見えなくなりアルト様との仲を邪魔し妨害し続けた母のことも、誰も信用できないし誰にも会いたくなくなった。
父の事業が忙しくなって邸を不在にしたのをいいことに、私は自分の部屋の中に引き籠り、メイドが運んでくる食事のトレイだけが外界との唯一の繋がりとなった。
だから壊れた恋心を払拭し、気分転換にと久しぶりに父についていっての、テノール様からの話しだった。
私も婚約解消したからと言って、すぐに忘れられるとか、次の婚約をとか簡単に切り替えることはできなかった。
それに、テノール様から聞かされたアルト様の話を聞いて、余計に直ぐに忘れて次の誰かのことを考えるほどの余裕などない。
私は本当にもしかして政略ではなかったのかしら? とよくよく考えて訝しく思ったから。
それからは何かに手を付けようとしても、何処かに出かけようとしても、アルト様のことばかり思い出すようになった。
小さい頃は妹と3人で野山を駆けずり回っていたな、とか。
アルト様が高い木に昇ったから、妹まで真似したがって怪我をさせて双方の両親たちから4人掛かりで叱られたな、とか。
祖父の葬儀の時は泣きわめく私に最初は黙って胸を貸してくれて、その後優しい言葉をかけてもらったな、とか。
婚約者として久しぶりに出会った時の、はにかんだり照れたり恥ずかしそうに押し黙るアルト様の不器用そうな顔。
祖母の葬儀の時は黙って見守ってるだけだったけど、さすがにその頃はお互い大人になったせいかな?
剣の稽古をしているのを伯爵邸や騎士団の訓練場で見かけた時、先輩に勝てなくて密かに男泣きしていた姿。
私の不格好で拙い刺繍がされたハンカチをおずおずと差し出すと、不機嫌そうに顔をしかめてしかし何故か大事そうに丁寧に畳んでポケットにしまうと、自分の腕とタオルで汗と涙をぬぐう姿。
後輩が怪我をした時、鬼のように怒ったけど、そのあとで薬を手渡したり、怪我をしないようにするコツを教えてる優しくて頼もしい姿。
出来なかったことがやっと上手く出来て成功した時に大喜びして快活に笑う姿。
ああ見えて実はスイーツが好きで、妹から教えられたというお菓子を料理人から手渡された差し入れをした時に、みんなの前ではいらないと言ったのに、誰もいなくなると独りで密かに大事そうに嬉しそうにスイーツを食べてた姿。あの時はおかしくて笑ってしまったわ。ごめんなさいねアルト様。
高い木の上で降りられなくなった子猫が気の毒で、私に頼まれて迷惑そうに面倒臭そうにしながらも、ちゃんと助け出してくれた姿。
1番出来の悪かった後輩が初めて先輩から1本を勝ち取った時に、一緒に嬉し泣きした後輩思いの優しい姿。
私が調子が悪くて親戚たちの付き合いの宴会で食べきれない料理を前に困っていたら、不機嫌そうに
「ここの料理人がせっかく精を出して作ってくれた料理を無碍にするつもりか?」と二人分を豪快に食べてくれた姿。
熱を出して寝込んでいても見舞いに来ないと思い込んでいたけど、寝室の花瓶に見知らぬ花が活けてあったことがあった。
あの時は、誰からだろう? ……まさかね……と思っていたけれど、きっと……
嫌いにならないといけないはずなのに、アルト様の方こそ私を嫌いなはずなのに? アルト様の思い出ばかりが次から次へと溢れてとまらない。
それで一度だけと、買い物に出かけるメイドについでにアルト様への想いを綴った手紙を伯爵家に渡してもらうように頼んだ。
期待半分。でもまた再び拒否されて捨てられたら?
私の焦る気持ちに反して、拒食症というものになってしまったらしい。
何を見ても綺麗に見えない。何を食べても味がしない。食べては吐き出し、吐き出しては何とか食事を詰め込む。
やせ細り自室に引き籠った私を誰も見ないし心配する人もいない。
だって妹は私からアルト様を奪いたかったから。だって母は私が幸せになるのがきっと、たぶん許せないから。
ある日、アルト様が門前払いではあるが、隣国の蛮族が仕掛けてきた戦争のため、最前線に行くと言う報告をするためだけに訪問して来たらしい。
その姿を……たまたま妹が相手している姿を……部屋の窓から見てしまった私は、妹も母も私が遠ざけ部屋に来ないでと言ったから、彼が何のためにわざわざ訪問しにきたのか、後からメイドが扉越しに教えてくれた。
アルト様が所属する騎士団が、一番危険な戦地へ行くことを。
私は扉越しにメイドから伝えられて聞かされると、そうか彼は死ぬほど自分とよりを戻すのが嫌いだったのかと期待することは2度としないと諦め、ふらふらと浴室に向かっていた……
……気が付くと……手にかみそりを持っている?
あれ? 私何で? これをどうすればいいんだっけ?
私はやせ細って力の出ない体で水をためた浴槽に左手を入れると、朦朧として絶望と壊れた恋心で傷ついた気持ちが少しでも軽くなるようにと、無意識に手首を切り裂いていた…… ──
◆また会えたら……
── 執事のセバスチャンが、ひどく慌てた様子で主人たちを探し回っていた。
アルトの相手をした後、フェルマータの食事状態を知ったレガートリータは料理人たちと、使用人たちが使う大きなテーブルで消化のよい食材や食べやすい調理方法について相談し合っていた。
そこに血相変えたセバスチャン執事が駆け込んできた。
「ああ、ようやくレガートリータお嬢様だけでも見つかった……」
「どうしたのセバスチャン? お父様は鉄道事業のことで出かけているし、お母様は知人の公爵家の茶会で出かけていないのは知ってるわよね? ……まさかお姉様にトリオ卿のことを話してしまったの?」
「申し訳ありませんレガートリータお嬢様!
フェルマータお嬢様が、どうしても訪問の理由がお知りになりたいと仰って、うっかり……ところが扉越しでありましたが、少し様子がおかしかったもので」
レガートリータは、アルトが今日何の用事があって訪問したのか対応して知ったし、それにレガートリータが邸に戻る際に、フェルマータの部屋の窓にフェルマータが立って見ていたのに気が付いていた。
「なんだか嫌な予感がするのセバスチャン。お姉様に怒られるのはわたしでかまわないから、お姉様の部屋の鍵をこじ開けてでも部屋に入らせて!」
「急いでマスターキーをお持ちします!」
レガートリータは執事を扉の前に待たせると、フェルマータの部屋に入った。
「お姉様? 失礼しますね~」
ところが寝室にも衣裳部屋にもいない。
「……変ね? 部屋から出てないはずなのに……? 水音?」レガートリータはまさかと思いながらも、嫌な予感が外れてくれればいいと祈りつつ浴室に入った……
「! お姉様!!」
レガートリータは急いで濡れた服を着たフェルマータを渇いて清潔なバスタオルで包むと、セバスチャンを呼びつけ、やせ細って軽くなったとはいえ、レガートリータだけの力だけでも心許ないので二人係りで寝室に運んでフェルマータを寝かせた。
「まだ息があるわ! セバスチャン、急いでお医者様を呼んで!
……ああ、お願いお姉様。アルト義兄様のことをこんな姿になってしまうほど好いていたなんて知らなかったのよ……気が付かなくてごめんなさい、お姉様。
もう2度と誘惑なんてしないから、アルト義兄様が生きて帰ってくると信じて、お姉様も死なないで!」
レガートリータは急いで手首の傷に少しきつめに布を巻いてこれ以上の出血を止めた。
しかしレガートリータに何よりもショックだったのは、自殺をしたこともそうだが、やせ細って変わり果てたフェルマータの姿だった。スタイルが良くて女性としては背が高い方だが、アルトと並んで立つとまだ頭一つ分高さが違い、お似合いの二人だったのに、わたしのせいでもあるのね。と濡れた服を清潔な寝間着に着替えさせながら後悔していた。
レガートリータが気付いたおかげで、すぐにセバスチャン執事が呼び寄せた医者が駆け付けてくれ、レガートリータの応急処置と、医者の手当で一命を取り止め未遂で済んだ。
しかしアルトは侯爵邸を訪問したそのままの足で直ぐに任地へ向かったため、連絡がつかず、フェルマータの現状を知らないまま5年もの歳月が経ってしまった…… ──