sideフェルマータ・カルテット視点?2 噂と奪う妹
◆sideフェルマータ・カルテット視点?2 噂と奪う妹
しかし顔合わせのお茶会が居間から庭に変わろうとも、私なりにアルト様が好みそうな話題を提供するか、もしくは流行りの観劇などの話をしたりしてなんとか場を持たせようと努力しました。
その度にアルト様は私の目はもちろん顔すら見ずに背けて、居間の彫琢やら、庭の季節の花やら、囀る鳥を探すかのように、そっぽを向き視線を浮遊させるのです。
また、アルト様の士官学校時代の話題やご友人たちのこと、伯爵家の事業のこと、父が手掛け始めた事業のこと、男性が好みそうな話題を投げかけても会話が長続きしません。
反対に私の好きな物事の話を教えても、語り返してもくれず、たまに口を開いて返事をしてくれるかと思えば、
「ああ」「へえ~」「なるほど」「ふうん」「そうかあ」などと、どれも気のない返事ばかり。
もしかして私はうるさくてかなり迷惑なおしゃべり女だと思われているのでは?
そう言えば、お母さまの催事に招待されたソプラノニア伯爵夫人に挨拶に寄った折、
「アルトは伯爵家内では、未だ跡継ぎとしては成長途中の弟のテノールに負われていてねえ。それはそれは好かれているのよねえ」と言う話を聞かせてくださったのだったわ。
だとしたら我が家でのお茶会くらいは、日々の喧騒から逃れて、静かに過ごして疲れを癒したいのでは?
ある日その考えに思い至った私は、アルト様から
「何だか静かだな……何か相談したいことはないのか?」と話しをと促されるまでは、居間では静かに私の趣味の娯楽本を読んだり刺繍や編み物をしたり、庭では花を愛でたり、小鳥のさえずりに耳を済ませたり、季節の景色を眺めたり、アルト様の時間を邪魔しないようにと努めて息を潜めて側で見守るように努めました。
しかし、そんな時が経つにつれ、私が異性であるアルト様をただの政略ではなく男性として意識し出すようになったのはいつ頃からでしょうか。
*****
ある日親戚や母たちの知り合いで、私と同じ年くらいの友人知人のご令嬢たちと集まったお茶会で、中でも隣接する領地の水色の髪と琥珀色の瞳を持つ颯爽としていつも男装姿でありながらも女性としての色気もちゃんとある麗しき友人クインティナ・デュエット子爵令嬢と私を中心に、流行りの娯楽本について意見交換した時からでしょうか。
物語の内容から次第に、同じ趣味を持つご令嬢たちの恋愛や婚約のこと。特に既に早々に結婚したご令嬢たちの赤裸々できわどい体験談など、恋バナで盛り上がったのです。
「──あら? でしたら接吻はともかく、手ぐらいは繋ぎませんこと?」
「──実はワタシ……恋人繋ぎと言うものを初めてしましたのよ」
「──きゃあ~。素敵じゃない。それでそれで、フェルマータ様も幼馴染で頼もしい年上の婚約者様とはどうなさっているの?」
「──年上なのですから、そういう点ではずっと進んでらっしゃるのでは?」
「──ああん。接吻も軽く唇だけじゃなくってもっと深いのかしら? ねえ、そこのところもっと詳しく?」
しかしこのご令嬢たちの話で私は思い知ったのです。
言われてみれば、彼とは一度も手を繋ぐどころか、触れ合うことすらしていないという事実に。
ましてや接吻なんて、とてもとても恥ずかしすぎて。もしそんなことをされたら、私は果たしてどうなってしまうのかと、ご令嬢たちの体験談から初めてあらぬ想像を、はしたなくもしてしまいました。
そんな妄想で私がアルト様といづれは……と考えていると、あまり親しくない令嬢たちがくすくすと含むような厭な笑い方で扇子で口元を隠しながら言ってきたのです。
「──あらあ? みなさん知らないの? フェルマータ嬢の方が実は積極的に誘っているのではなくて? だって侯爵令嬢という身分を笠に着てねええ? もしかしたら既にどなたかのお子をお腹に宿らせているのかもしれませんわよ?」
「──ああ……そういえば? あちこちつまみ食いしてらっしゃるそうですものねえ?」
!? ……なんで? なぜそこまで閨事も書物や友人たちからの知識からでしか知らない私が蔑まれなければいけないの?
そうなんです。私がどうしても外せない王家主体の催事や、親戚の集り事、観劇になどに出かけたり参加するたびに、身に覚えのない誹謗中傷で叩かれるのです。
「──フェリ。あんな他人を見下して礼儀知らずで無粋な連中の言うことなんて相手にするな」
「──そうよ。本当のフェルマータ様につきあってたら、根も葉もない噂だって誰にだってわかるはずだもの」
その度に、本当に私のことを信じてくれている親友や知人が助けたり慰めてくれるし、私も侯爵令嬢としての矜持があるから平然とした表情でいますが。
「──いえ。私は大丈夫ですわ。ありがとう、みんな」
どうやら私が男漁りが好きで奔放な女だと言う噂が出回っているのです。親友や知人は参加する催事で否定してくれてるはずなのに、噂を消しても消しても別の場所から流されるのです。いつか私の冤罪が晴れる日がくるのでしょうか……
*****
だからアルト様と向かい合ってお茶を飲むだけの時は距離的にともかく、庭を二人で連れ立って散策する時でさえも。恋人繋ぎどころか、むしろ私が祖母たちから叩き込まれた、一歩下がって男性を立てろと言う教えのままにアルト様の斜め後ろからついていくのが精いっぱいで、恋人繋ぎどころか手を繋げる距離すらないことに。
そこで私は気付いてしまったのです。こんなに近くにいるはずなのに、話しかけても触れてもくれないアルト様……私はまるでいないみたいに扱われているではないか。これはあんまりじゃないか……なんだかとてもさみしいわと。
だとしたらどうすればよかったの? 何をすれば正解なの? 私に魅力が足りないのでしょうか? いっそ噂通り奔放な女になってしまえばいいのでしょうか?
そう言えば、友人のクインティナは男性の格好をしているのに、ちゃんと女性としての魅力も失っていない。
妹も私より2歳も年下とは思えないほど、つやつやする金髪をまるで妖精の様にふわふわさせて、宝石のような緑の瞳をくるくるさせながらよく感情豊かに表情を変え、とても愛くるしく可愛らしいわ。
祖母には申し訳ないけど、祖母譲りの赤いような汚い桃色の髪、それに濁った昏い色の碧眼では、到底アルト様に相応しい容姿とは思えないわよね。
せめてお父様みたいに燃えるような明るい赤毛に、お母様みたいに澄んだ湖みたいな碧眼なら、まだましだったかもしれないのに……
そういうことを意識し出してから、どうしたらもっと綺麗になれるのかしら? どうやったら可愛くなるのかしら? と私なりに変えようもない容姿を何とかして見栄えが良くなるようにと、返って反対の方向に努力しようとしたのです。
侍女たちが素敵ですわと支度を終える度にかけてくれる声も、主人である私への社交辞令だとわかっているからこそ、どうしても自信がもてなかったのです。
そんな風に私が政略なのだからと諦めようとしながらも、アルト様からの好意をなんとか得ようともやもやとする疎外感を感じ始め、アルト様とおしゃべりして笑い合いたい。見てほしい触れてほしい。頭をなでたり抱きしめてほしい。お膝に抱っこしてほしい。お茶菓子をあーんし合ったり膝枕をしたりされたい。キスもしたいしされたい。街でデートに出かけて冷やかしの買い物でも付き合ったり観劇を一緒に見たい……と言う不埒な思いを抱き焦るようになった頃から、歯車が狂って行ったのです。
違和感を覚え始めたのは、私が14歳の時に幾人もの死者を出すほどの流行り病で祖母が亡くなり、葬儀を行った時でした。
トリオ伯爵の小父様と領地を見回っていたアルト様も急遽かけつけて参加してくれましたが、その時婚約者の私ではなく、妹の近くに控え硬い表情で佇んでいてくれたのが印象的でした。
邪な考えはいけない、ちゃんと祖母をお見送りして差し上げなければと、祖母だけでなく流行り病で亡くなった方々を悼むかのように小雨がしとしとと降る中、私はスタッカート公爵の伯父様や父、ラルゴ辺境伯の叔父様と従兄のバリストンたちに囲まれながら、埋葬される祖母の棺を見続けておりました。
アルト様とトリオ伯爵の小父様、妹のレガートリータと母も伯父様たちから一歩遅れて見送っておりました。
最後にみんなで祖母の好きだった白い花を手向けると、少しだけ雨雲の間から光が差し、ああ……これで本当に祖母は天に召されたのかもしれない。この地上の何処にもいなくなってしまったのだろうなと、未だ祖母の死を完全には受け入れきれないぼんやりとした頭で思ったのです。
思えば、アルト様が私の元に訪れた時や、月に1度あるかないかの手紙にも、必ず最初に
「妹さんとそのご家族は──」と言う語り掛けから始まっておりました。
益々もやもやする何かを抱えながらも、祖母は亡くなりましたが15歳になった私のデビュタントを楽しみにしていましたから、
「お祖母様のためにもデビュタントはした方がいいよ。むしろ手向けになるのではないのかな?」 というスタッカート公爵の伯父様の薦めで、私はデビュタントのために王城で開催された建国式典会場に行くことになりました。
しかしこの時のエスコートパートナーは父だったのです。
内心では不安な気持ちを押しやり、仮にアルト様に直接お聞きしたとしても……もしも断られたら? それだけは厭だと思う私の我が儘で煩わせるのだけは納得できない。と結局アルト様に面と向かって物申すことができませんでした。
それでさりげなく父に、
「お父様……その……アルト様はエスコートをしてくださるかしら?」 と伺うと、
「ああ、そのことだがね……伯爵領内での流行り病の事後対応や、さらに最近の大雨により領民が困っているためにその対応でトリオ伯爵とともに救援の為に手が離せなくなったようだ。
フェリには申し訳ないが今回はどうしても駆け付けることができないと言伝を頼まれたのだよ」と。
「……そう……領民を救うのは領主の役目ですものね。
アルト様たちが無事にお仕事を成し遂げられますよう、次回教会を尋ねたらお祈りを捧げることにいたしますわ」
「……お姉様……残念でしたわね」とそんな時に限ってタイミングがいいのか悪いのか、妹のレガートリータが複雑な表情で私を見送りにきてくれたのです。
私自身も本当に残念だと思いながらも、芯まで淑女として祖母に鍛え上げられたため、できるだけ平静を装って
「そうね。せめてレガートリータのデビュタントは、好いた方にエスコートしてもらえるといいわね」と妹が心配しないように笑顔を向けて、父と共に馬車に乗り込みました。
私の晴れのデビュタントであり、今日の時の為にと祖母がなくなる寸前まで私の為にとデザインを共に考え、亡くなった後は贔屓の商人にオーダーしていた白い絹とレースを使ったドレスや、祖母の形見の宝飾品たちを身に付けた私の姿を、アルト様に見てもらえない泣きたい気持ちを押し殺してのデビュタントでした。
けれど、私とアルト様との時間はそれからも掛け違い続けました。
一番の理由は、デビュタントしてからの私にひっきりなしにお茶会や催事のお誘いや招待状が届けられるようになり、新たな貴族との交流が増えたためでしょうか。
もちろん、全てのお誘いや招待に応じるわけにはいかなくて、侯爵家に利益があるかないか、クインティナやアルト様に共通の友人知人として、将来的にも付き合い続けられる関係を保てるかどうか吟味した上でのお付き合いです。
それと、祖母が亡くなってから、ましてや私を嫌う母が私を社交場に連れて行くことはなく、例の私に関する噂のせいで社交場に出ることがかなり減ったにも関わらず、邪な考えやあわよくば私と一夜をすごしたいと不埒な考えの男性のいないお誘いや招待をしぼるためにも厳選しなければなりませんでした。
さらにそういう場所へ来ていくためのドレスや宝飾品を妹が、
「このドレスわたしも着たいなあ」とか
「この宝飾品、素敵ね」とか言って強請ってくるので、妹を蔑ろにすれば侯爵夫人にあとで文句を言われるので、妹に奪われるまま成すがままにしたせいで、着ていくドレスや身に着ける宝飾品が気が付くとかなり減ってしまい余計に社交場に出れなくなったということも理由の1つです。
今までも隣接する領地の同じ年くらいの知人とそれなりの交流はありましたし、祖母が開くお茶会や催事、祖母亡き後では執事のセバスチャンに連れられての領地めぐり。それらのおかげで紹介されたり出会った貴族たちとの交流だけは増えました。
年齢的に既婚者やご老人などが多かったのですが、友人のクインティナが誘ってくれた催事や、大掛かりになりがちでしたが市井での買い物や観劇に付き合った際に知り合った方々との交流は、かなり益のある関係になりました。
私はそのような新たな知人たちとの交流で、またアルト様ご自身もトリオ伯爵や最近では父との男同士の付き合いでお互いの時間がなくなっていきました。
さらに私を疎んでいた母が、私が知人たちとの交流でいない時に限って少ない時間を割いて訪ねてきたアルト様を、何ももてなさずに帰らせるのもどうかしらと、せめて私の代わりにと妹に相手をさせ始めたのです。
いえ、もしかしたら私よりも、溺愛している妹とアルト様との再婚約をと望んでさえいたのかもしれません。
もちろん私自身がアルト様の訪問時にいる時でも、妹が
「お義兄様、ようこそいらっしゃいました。将来の義兄妹同士になるのですもの、わたしも参加させていただいてよろしいでしょう?」と、アルト様との静かな時間に割って入るようになったのです。
……いいえ、むしろアルト様は私よりも明らかにほっとした様子で、妹のレガートリータのことを好ましく思っているようで、私と二人きりでいる時の妙な緊張感と固い顔と違い、くつろいだ様子で優しく微笑みかけてさえいたのです。
それからも、
「たまには観劇や、孤児院への訪問を一緒に行こうか?」 と珍しくアルト様からの誘いがあり、その日を指折り数えて楽しみしていた日に限って、母から適当な急用を押し付けられてしまい、その結果
『アルトさん。代わりに妹のレガートを連れて行ってくれないかしら』 と勧める将来の義母になる予定であり、母親のソプラノニア様の友人だからと無碍にもできなかったらしく、人のいいアルト様は苦笑しながらも妹を伴って出かけたそうです。とメイドのリリコが後で申し訳なさそうに教えてくれた。
それに
『年下で、弟妹たちの世話はテナーやファルセットで慣れているからね』と仰ったそうで。アルト様にその度に申し訳ない気持ちにさせられるのです。
また、やっと用事が済んで可能な限り急いで戻っても、アルト様の隣で明るく笑う妹と、妹と和やかに微笑むアルト様の姿を見せつけられただけでした。
それでも、せめて会えない時間を埋めるつもりで手紙を週に一度送ってみても、アルト様からは梨のつぶて。たまに返信があっても、そっけない定型文だけ。
催促するのもはしたないし図々しいので、ソプラノニア小母様やテノール様にそれとなく打診してみれば、
「領民のことや、侯爵家に婿入りするために夫や侯爵閣下たちとの付き合いで本当に多忙みたいなのよねえ」
「ですから申し訳ありません義姉上。
義姉上にこれほど心配かけさせるなんて、本当にどうしようもないなあ兄上は」 と返されたら文句の言いようもありません。
そう言う事なら返事を書く時間も惜しむくらい疲れ果てているのだろうと諦めるしかありませんものね。
それで手紙も無駄な努力だと知り、あるかないかの数か月に1度の手紙が来た時にだけ私も手紙を出すだけに変えたのです。
さらに不思議に思うことがありました。アルト様が訪問時には必ず大小の花束を携えてくるのですが、ある時の会話の中で、アルト様が訪問できない時に購入しているはずの贈り物が、一度として私の手許に届いていなかったのかと妹伝手に教えられたのです。
「お姉様の代わりに市井にアルト義兄さんと買い物に出かけた際に、確かにアルト義兄さんとわたしが選んで購入した物があったはずなのに……」
と。妹が私のために贈り物を? 妹とは母との確執のせいでそう言えば直に話し合う機会がなかったし、母と一緒でてっきり嫌われてるかもと思ったのだけど。アルト様の贈り物の件よりも、妹の気持ちを逆に知らなさ過ぎて驚きました。
そんなことがあってある日、壊されたオルゴールや破かれた本やハンカチや手袋など、庭に半分埋められていた贈り物の包装と中身を庭師のオクテットが発見して教えてくれたり、髪飾りやブローチなどはなぜか妹が身に着けていたのです。
このような行為をするなんて……はたと考えると、誰の仕業か追及したくとも真実を知るのが怖くて推測しかしませんでしたが、私は恐らく母の仕業かもしれないと疑ったのです。同時に、そこまで母に憎まれていたのかしらとも。
否。もしかしてアルト様自身かも? ここ最近は訪問してもお母様の邪魔で居留守か邸にいないことに事にされてるし。嫌われたと思い込んだアルト様が怒って贈り物を壊したり破いたのかも?
妹も、実は母からの贈り物だと渡されたのを信じたそうで、アルト様が自分が贈った物だと気付かれても、今さら誤解を解くのも失礼ですし、妹が私に
「お姉様……知らなかったこととはいえ勝手に使ってしまいごめんなさい……お姉様に返しましょうか?……」
と言ってきても、母に妹の物をとりあげるのね、もしくは、わたくしがあげた物を盗んだのかしら? とまた嫌味を言われるに違いないと思いましたし、事実妹にこそとてもよく似合っていたので、
「……せっかくの贈り物でしたが……可愛い妹に似合うから渡してしまったの。いけなかったかしら……」とアルト様に言い訳じみましたが説明しました。
「そうか……妹君のことを本当に大事にしているんだな」と優しくしかし残念そうに苦笑されたのです。
ただ、そのようなことが多くなると、まるで私がアルト様のことを嫌がっているか避けていて、さらに贈り物まで蔑ろにしているように思われているのでは?
……いえ……私は政略だからとは言え形だけでも好かれてすらなく、むしろ疎まれているのでは? と答えの出ない考えに苛まれ、悲しくなりました。
妹との仲睦まじい姿を見せつけられるたびに、アルト様は私との婚約を心から望んではいなかったのでは? とも。伯爵家だから高位の侯爵家からの打診を断りようがなかったのでは?