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プロローグ


◆プロローグ

 ──「トリオ卿……私たち……」


 中世ヨーロッパ風のムジーカ王国と呼ばれる一貴族の庭園を思わせる庭先において、春先の気の早い花々が咲き始め刈り込まれた芝生が青々と輝き、まだ少し寒さの残るカルテット侯爵家の庭園に設えてある丸テーブルをはさんで男女が座っていた。


 先ほどまでの言い合いですっかり冷めきったお茶の入ったティーカップを前に、その言葉の同意だけはさすがに女性の方でも言い淀んでいるようだ。

 

 女性……まだ10代半ばの令嬢の方は、祖母似譲りの容貌で、赤髪寄りの桃色の髪をふうわりと軽く結い、一見してきつそうに見える釣り目と冷たい色にも見える碧眼のせいで冷酷そうに見えなくもない美人の部類に入るだろう顔つき。


 令嬢を一番美しく見えるだろうドレスを侍女の手によって着せられた完璧な淑女にも見える女性だ。


 碧眼の瞳の奥が動揺で揺れながらも、それでも長年の淑女教育のなせる技で青白くした顔色をきっと真正面から見据えて、目の前の銀髪の青年に向けた。


 青年も、先程言った自分自身の言葉に、さすがに冗談だろうと苦笑した顔を、何だと不機嫌そうに令嬢の方に向け直した。


 それとも自分の失言が恥ずかしくなり、誤魔化そうとますます頑なな表情になってしまったためかもしれない。


 普通は長男が家督を継ぐものだと言われながらも、領地の経営などの勉強については出来が悪く、小さなころから身体を動かす方が好きで、騎士になると言って早々に出来のいい弟に家督を譲ると継承を放棄したくらいだ。見事に鍛え上げられた肢体を豹のようにしなやかに動かし、バカバカしいと優雅にティーカップを取ろうとした手も止めて。


 春先の日に当たって煌めく見事な銀髪と、吸い込まれそうな紫の瞳を、迷惑そうに睨みつけるかのような顔つきで。


 確かに。普通は女性の方から男性に対して先にあれこれ示唆する事を言い出すのは失礼かもしれない。


 しかし、それでも女性にとってどれほど勇気のいる言葉であろうとも、爵位が侯爵家であるという一点においてのみこちらが有利であるはずだ。


 だからこそ、その決定的な言葉を告げるのは爵位が下の伯爵家の青年よりも、令嬢である彼女から伝えるべきだと気力を振り絞って言った。


 「……正式に婚約解消いたしましょう」──












◆sideフェルマータ・カルテット視点? 婚約ですか?

 ── 私は、フェルマータ・カルテットと申します。侯爵家の長女として生まれました。1年前に15歳のデビュタントを迎え、つい先日16歳になったばかりです。






 父はセプテッド公爵家の次男として生まれ、セプテッド公爵家の長男であるスタッカート・セプテット伯父様の成人と婚姻が決まった年に、祖父が持っていたカルテット侯爵家を譲られダカーポ・カルテット侯爵となりました。


 その後若輩ながらも厳格な祖父や伯父様たちのそばで仕えていた執事の息子のセバスチャンと、なんとか領地と侯爵家の経営と商売を悪戦苦闘しながらも引き継いでそれなりの成果を上げてきた様です。


 その過程で出会ったセクステッド伯爵家の令嬢に一目惚れした父は、是非にと望み嫁ぐことになったトレモロリア・セクステッド伯爵令嬢が、トレモロリア・カルテット侯爵夫人と名を変え私を産んでくださった母親となりました。


 私は幼少時から、祖母のダルセーニャ夫人が存命中は、父の実家のセプテット公爵領と侯爵領を行き来したり、または祖母自身が訪問しては、祖母の厳格な指導の下で、14歳の頃に祖母が流行り病で亡くなるまで。


 祖母が亡くなってからは、父が選んだ家庭教師の下で。礼儀作法や、将来の侯爵家を継いで伴侶となるだろう婿に入る夫を支えるべく勉学に励みました。


 幼少時の頃はほとんど覚えておりませんが、私が生まれてから2年後に妹が生まれるまでは、貴族としては珍しく乳母の手助けを補助程度にして、母自らが私の成長の手助けと育児を率先して行っていたようでした。


 しかし妹が生まれてからは、生まれた時から闊達で普通の幼児よりも早くに言葉を覚え、子供らしいのか、いえ逆に子供らしくないのか。何に対しても好奇心を隠さず、次に何をしでかすかわからない妹に母も翻弄されていたようです。


 そのため、母が妹にかかりっきりになったことと、公爵家の家督をスタッカート伯父様に譲って早々に隠居生活を祖父と楽しんでいた祖母が出入りするようになると、母の手は私から離れていきました。


 詳細は今となっては推測と我が家の執事のセバスチャンからの話でしか知り得ませんが、伯爵家出身の母と、高位の公爵家出身の祖母の間には確執があったらしく、母は祖母を苦手として辟易していたようです。


 恐らく父との婚姻相手に祖母は高爵位のご令嬢をと予定していたのが、温厚で何事にも慎重なはずの父の姿からは考えられないほど、珍しく熱烈に母との婚姻を切望したため。さらに駆け落ちも辞さない脅迫じみた態度で強引に母との婚姻をもぎ取り、祖母が予定していたご令嬢との縁談が流れたためらしい。


 必然、祖母と母に挟まれた私と妹は、妹べったりな母は祖母と対立するよりも遠巻きに敬遠するようになり、私は祖母の下で育てられるという結果になったのです。


 それどころか、母への負担を少しでも減らせまいか、手伝えることはないかと幼いながらも私が下手な考えで、ある時、わんわんと泣き叫ぶ妹の周りにたまたま誰も直ぐに駆け付けることができずにいたようで、私が


 「どうちたの? らいじょうぶ?」とあやそうと妹のおもちゃを手に取り近づいた時でした。


 妹が生まれる前までは確かに母は私にとっては、至って普通の何処にでもいる母だったはずですし、優しく子守唄を歌ってあやしてくれたり、熱病で苦しんでいた時は一晩中看病してくれていた記憶もあったのです。


 しかしそのどの記憶とも違う、般若か鬼がいたらそのような顔かもしれないような形相で、母は妹のおもちゃを持って近づいた私の手を叩いておもちゃを取り上げると、


 「2度とレガートには近づかないで! 妹に母であるわたくしが奪われたから妹を殺してわたくしの愛情を取り戻そうとでも思ったのね。なんて恐ろしい子!!」 と幼心の私でも恐怖せずにいられない怒声の母に理不尽に叱られたのです。


 その時から母の周りを付いて回る妹と、妹にだけ笑顔を向ける母を遠巻きに見ることしかできなくなったのです。


 時たま母が何かにつけて私を見かける度に、悪態をつき、文句を言い、家中のモノが壊れたり汚れたりする度に、迂闊な新人メイドや幼い妹ではなく、全て最初に私のせいだと疑うのです。


 その度に少しでも私が口を開こうものなら、


 「言い訳なんてはしたない! 親であるわたくしに口答えまでするのね!!

 女だてらに出来がいいからと旦那様と事業の話で盛り上がっているようだけど? もう女主人にでもなったつもりなのかしらねえ? 生意気なのよ。妻であり母親であるわたくしを押しのけて、よく平然としてられるわねえ?」 と頬を打たれたり、


 「本当になんて手癖が悪い子なの?!」 と手を叩かれるのです。


 事実母の言った通り、祖母亡き後、私が15歳の頃には、将来を見据えて時たま父や、執事のセバスチャンを伴って共に領地経営にも少なからず携わるようにもなっていましたから。


 けれど父には有益な私でも、母が可愛がるのは妹だけ。素敵なドレスも綺麗な宝飾品も買ってもらえるのは妹だけ。


 ああ、もしかして父親であり母にとっては夫である侯爵が、小賢しくて領地経営にも話の合う私の方ばかりやたらと褒めたり話しかけるので、だからレガートリータばかり母が相手するようになったのかも? それなら代わりに自分が父を相手にしていればいいのかしら?


 それでも最初は母とどうにかして折り合いをつけたい、何とか気に入られたい、愛情を向けてほしいとまでは言わないが、仲良くなって一緒に買い物につきあってほしい、誤解を解きたいと無駄な努力をし続けていました。


 がそれも次第に莫迦らしくなっていき、いつしか母のことは私の中ではいない者として扱うようになり、歩み寄ることを放棄し、どうしても家族4人での食事や親戚での招待や付き合い以外での接触を諦めることにしたのです。






     *****






 そんな私が、まだ祖母が健在でそれから2年後に亡くなるなど露知らぬ12歳になった時に、ある日執務室に呼びつけた父から告げられました。


 「喜べフェリ。お前の婚約者が決まったぞ」と婚約の打診があったと告げられた相手が、当時は遅い17歳のデビュタントを終えたばかりのアルト・トリオ伯爵令息でした。


 基本、何事もなければ我が国の貴族のデビュタントは平均して15歳でしたから。17歳と言う2年も遅れてのデビュタントは確かに少し何かしらの問題があるのかと疑われても致し方ないことでしょう。


 そのような相手に、父親としては最初に生まれた娘を、入り婿とは言え娶る相手に複雑な心境でもあったのでしょうか? 妻であり母であるトレモロリアと二人っきりの前でしか崩さない、普段は厳格な表情を更に渋面にして、しかし淡々として告げました。


 貴族では生まれる前から予約婚約とか、平均して10歳前後には婚約者が決まると言う話はよくあることです。


 最も、アルト様の母親であるソプラノニア伯爵夫人が、私の母のトレモロリアと親友であったため、お互いの子供が異性として生まれたら、お嫁に出そうか貰おうか、婿に出そうか貰おうかと、口約束であったがずっと以前から交わし合っていたという理由もあるようです。


 また、領地も邸も近かったおかげか、幼馴染みとして幼少のころからたまに母親のソプラノニア伯爵夫人に連れられたアルト様と、そういう時に限って私と妹を連れた母とが、お互いの家を行き来したので、全く見知らぬ相手よりも、気心も知れた間柄だったというのも大きかったのでしょうか。


 さらに……と私には思い当たることがありました。


 ここ最近、父が着手し始めた鉄道事業の資金援助を、名前だけでなく信用も置ける商会や貴族に持ち掛けていたことに思い至りました。


 伯爵位とはいえ鉱山資源を持ち富豪なのでかなりの資金援助を見込めるだろう点と、資金提供の為にもトリオ伯爵家とは様々な思惑で縁を繋いでおきたいだろうことは、誰にでも考えに至るであろうことかとも。


 「なるほど……承りました。政略結婚ですね」


 と。だから私は長年培われてきた淑女の仮面をできるだけ崩さないように表情を変えないようにと努め、父であるダカーポ侯爵に対して身体の隅々まで行き渡ったお辞儀を返すと、兎にも角にも今回の婚約打診に対して「是」の返答をしたのです。


 「う……うむ。まあ、あながち間違いではないが……しかしフェリはそれでよいのか?」


 しかし私は、この時の父の心情を読み違えていたことに全く気付いてさえいたら、この後の私の愚かな行いと失敗を防げたのかもしれないと、この時は露ほども思い至らなかったのです。


 12歳になったばかりの小娘の浅はかな知恵程度で奢り高ぶり曇った眼鏡を掛けていたがために。何を再確認する必要があるのかしら、としか。


 ……ああ。もしかしてこの厳格な父でもそれなりに娘である私に対して、政略だけで婚約者を決めてしまった事に罪悪感なり、愛情のない婚姻をすることへの心配を。父親なりの愛情があったのかなどとは露ほども疑うことをしなかったのかを。


 ですから私は、全く見当違いの返答を、しかし貴族令嬢らしい模範的な返答をしたのです。


 「御心配には及びませんわ、お父様。

 曲がりなりにもカルテット侯爵家の娘として生まれたからには、侯爵家を盛り立て、その一員として使命を果たすべきものと、幼少の頃より祖母や家庭教師たちからよくよく骨の髄まで刷りこまれておりますから」 


 ダカーポ侯爵である父は一瞬驚いたかのように顔を崩したように見えましたが、ふうーっと息を吐き出すと、またすぐにいつもの真顔に戻りました。


 「そうか……フェリがそのように理解しておるのならもうよい。ではこの婚約の話は、トリオ伯爵家の方にも快諾との返事をしておくが、本当にこのまま進めてもよいのだな?」


 「お父様がお決めになった事に、何の不満がございましょうか。

 ましてやデビュタントを済ませた相手に対して、まだまだ我が家の経営に関しては若輩で未熟者の私が。元よりお断りする理由もございませんでしょう?」






     *****






 アルト様は幼少時から


 「あー …… 俺は考えるより、身体を動かす方が好きなんだよな」と仰っていたように、貴族や富豪の庶民の子息なら12歳から誰でも入れる士官学校に、アルト様も12歳になったのを期に通い始めたそうです。


 しかし才能があったのか、18歳までの6年通うところを飛び級でたった4年の16歳で早期卒業したそうです。15歳のデビュタントを逃しても飛び級試験と早期卒業の為に集中していたためだと知りました。

 

 それから卒業後から今日までの1年間は、将来有望な騎士見習いとして拾い上げてくれた先輩方に鍛えられているそうです。 


 そのせいで幼馴染としての足が遠のき、久方ぶりに会うのが婚約者としての顔合わせだとしても、あからさまに政略結婚だからと私はそのように接するように努めました。


 婚姻するとしたら侯爵家の入り婿になりますが、優秀な執事や家令や管財人もおりますので私が女主人としても、旦那さまが騎士として働いていくには困らないでしょうし。


 ただアルト様に対し、そのような態度と扱いをしてしまったことが、2つ目の間違いだったと言うことに当時の私は気付こうともしませんでした。


 こうして第一回目の、侯爵家の居間から始まったお茶会が設けられたのです。


 「久しぶりだなあ、フェリ。侯爵の爺様の葬儀以来だからもう5年も経つのか。妹さんや他のご家族は元気か?」


 それでも5年ぶりに会うアルト様は、少年らしさの面影は最早すっかりなりを潜めて背も高くなり、お父君のバス・トリオ伯爵閣下似の、精悍で大人の男性に片足を入れかけた好青年として成長していました。しかも大きな花束を携えて。


 ただ相変わらず眩しくて明るい笑顔は記憶にある面影をちゃんと残していましたが。


 この時はまだ、政略なのだからと。私なりに侯爵令嬢より下位とはいえ、伯爵位の子息。ましてや優秀な弟に家督を譲るために我が家に入り婿となってくれる予定のアルト様に対して誠実に接しよう。愛情や恋慕など後からいつでも育めるはずだと高を括っていました。


 「お久しぶりでございます、トリオ卿。ようこそ我がカルテット家へご足労頂き、ありがとう存じます。

 父からよくよく言い含められておりますわ。とりあえず腰掛けてから話しませんこと?」


 お互いに我が家の居間のソファーに向かい合って座ると、拙いながらも私手ずからお茶をそれぞれのカップに注ぎ、メイドで茶髪茶目が愛くるしく私より3歳年上のリリコが運び入れてくれた茶菓子を勧めました。


 「……あ……ああ、そうだな……ありがとう……それより、その呼び名だが……以前とは立場が変わって婚約者になったとはいえ、アルトと呼んでくれないか」


 気まずそうに俯いたアルト様の様子で私は初っ端から失敗したことに気付きました。


 「まあ……私ったら……愚鈍で気付かず申し訳ございません。

 伯爵様も弟君のテノール様も同じトリオ卿ですのに……そうですわよね。

 確かにお互い以前と違う立場と関係になるとはいえ、区別するためにもアルト様とお呼びさせていただきますわね」


 私は慌てて謝罪したのですが、アルト様は初めの言葉には顔をパっと上げて期待するように私を見ておりましたが、後半の言葉でますます眉間にしわを寄せると口元に手をあて、そっぽを向いたのです。


 その様子で私は余計に彼を不快にさせてしまったのだと、表情は淑女教育の成果でできるだけ平静を保ちましたが、内心では意気消沈し落ち込みました。


 こんな風に出足からつまづいた私でしたが、私なりに歩み寄り、入り婿とは言え将来の伴侶となるアルト様を立てよう。少しでも不快にさせまいと努力したつもりでした。


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