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獣吼の咎者  作者: 凰太郎
~第二幕~
16/26

獣達の挽歌 Chapter.7

挿絵(By みてみん)

「ハァァァーーーーッ!」

 地表擦れ擦れの滑空に迫り来る雷鳥!

 その拳は電塊と繰り出され、野人の巨躯(きょく)へと叩き込まれる!

「カハッ!」

 腹筋を(むしば)む鈍さと、脳天までを(つらぬ)く鋭敏!

 拳の重さに乗せた雷撃の飽食が総ての感覚を殺し、白の鞭打ちを全身痛覚へと刻みつける!

 刹那の拷問を(こら)えると、トレイシーはギロリと眼下の小娘へと狙いを定めた!

 腹部へと潜り込んだラリィガは、攻撃の余韻(よいん)に埋もれたまま──まだ間合い!

 頭上に振り上げた両手を、筋肉の(つち)と組み固める!

「くたばれーーーーッ!」

 振り下ろされるハンドハンマー!

 隆々たる巨腕が生み出す破壊力は絶大!

 足下のタイル床は粉砕の隆起に石礫(いしつぶて)飛沫(しぶき)と噴き、無秩序のミニチュアへと姿を変える!

「いない?」

 瞬時に悟る違和感!

 標的(ラリィガ)の翼は、(すで)そこ(・・)にはいない!

「チィ! またか!」

 先刻から翻弄(ほんろう)(まど)わす機動力(きどうりょく)──地上に()いては〈獣精(コヨーテ)〉の俊敏さに離脱し、距離を置けば〈雷鳥(サンダーバード)〉の翼にて飛翔する。この二面性は、攻撃に転じても厄介であった。

「やりにくいんだよなぁ……」

 声の出所を追えば、雷鳥獣姫は柱の上部へと(かしこ)まっていた。

 まるで柱の側面を大地のように踏み締めていられるのは〈獣精(コヨーテ)〉の獣化によって足爪を引っ掻けているからであろうか……(ある)いは〈雷鳥(サンダーバード)〉の()せる技であろうか。

「よっ……と!」

 慣れたものとばかりに飛び降りるラリィガ。

「この部屋……だだっ広い方なんだろうけど、飛ぶ(・・)には狭すぎるんだよね」

 気負わぬ肩揉みに愚痴(グチ)る。

 先の戦闘に()ける劣勢が嘘であったかのように、ダコタの小娘からは自信しか伝わってこない。

 いや、それはその通りなのだろう。

 事実〈二重憑霊ニーシュ・マニトゥーワク〉とかいう現形態になってから、苦戦を()いられているのはトレイシーの方なのだから。

「……小娘が!」

 野人の原始が忌々(いまいま)しさに()()ける。

 その暴力的視線にも臆せず、ラリィガは涼しい態度で(たず)ねた。

「に、しても……なかなか、たいした〈変身〉だよな。アタシの現形態を相手取って無事でいられたヤツなんて、これまでいない……必ず敵を仕止める〝必殺の姿〟だ。にも(かか)わらず、雷撃も拳撃も喰らっていながら(こた)えていない。どれだけ肉体を強靭化(きょうじんか)できたんだ?」

「そうでもない……ダメージは、しっかりと喰らっている。ただ〝肉体強化〟が、並の〈怪物〉を上回っているだけだ。それも当然──この魔薬〈スティーヴンソンの涙〉は、元来『闇暦の〈怪物〉共を駆逐するべく作られた』のだからな」

「うん? じゃあ、何で〈牙爪獣群(ユニヴァルグ)〉に居座ってんだ?」

「クックックッ……作られた(・・・・)からと言って、馬鹿正直に準ずる必要もないだろう」

「ふぅん? 要するに『(ちから)に溺れた』って?」

(ちから)は使う(ため)に有る!」

「だよな」軽いストレッチに上半身をほぐす。「けど……使い方(・・・)を間違ってるよ、アンタ」

「……何?」

 そして、ラリィガは毅然(きぜん)とした瞳で正視し、迷い無く断言するのであった。

「冴子の方が、よっぽど正しい(・・・)

「ふざけるな! あのような小娘(ごと)きが! 所詮(しょせん)は自己満足な偽善! 『正義の味方ごっこ』だ!」

「正義の味方……ねぇ?」と、軽くしらける。「アイツは、そんな上等なモンじゃないよ。いつも自分本意だし、無計画無鉄砲だし、ヘラヘラとチャラけたごまかしで心を開かないし、平気で他人を利用するし……アタシなんか何回利用されたか……ああ、もう! 思い出したら腹立ってきた!」

「何を言っている?」

「けどさ、アイツは未来(・・)(まも)ろうとしている……(まも)りたくて仕方ないんだよ、きっと」

「だから、()を言っている!」

「アイツは〈正義の味方〉なんかじゃない……どこまでいっても〝人間(・・)〟なんだよ」

「人間……だと?」要領を得ない主張に呆気(あっけ)としたものの、ややあってトレイシーは吹き笑っていた。「プッ……クックックッ……これは滑稽(こっけい)道化話(どうけばなし)だ。闇暦(あんれき)の都市伝説──冷酷非情な怪物抹殺者(モンスタースレイヤー)──その〝夜神冴子〟の着地点が、たかが〝人間〟止まりだとはな!」

「何か、おかしいか?」

「あれだけの悪名と実績……改心に望めば、受け入れる勢力(ところ)数多(あまた)あるだろうに? 例えば、この〈牙爪獣群(ユニヴァルグ)〉とかな? いや、無理か? アイツ(・・・)は〈変身(・・)〉出来んからな。そう考えれば、俺はラッキーだったよ……グフフフ」

「望まないよ、アイツは」

「社会的弱者を見捨てられない……か? 結局は〝女〟特有の浅はかな情か? 慈愛とか言う? クフフフフフ……アーハッハッハッ!」

「ま、捨てちまった(・・・・・・)アンタには分からないか」

「ッ!」


 ──この〈魔法薬〉が完成すれば、人々を救える事ができる……この〈闇暦(あんれき)〉で苦しむ人々を。


 黙れ! 愚かなる師よ!

 これだけの〈(ちから)〉を、不毛に腐らせて何とする!

 俺の生き様こそが正しい!

 俺が正しいのだ(・・・・・・・)


「少なくともアタシは信じてる……冴子の真っ直ぐさな性根も……(ひねく)れた根性も……もがき苦しむ弱さも……どうしようもないぐらいに、アイツは〝人間(・・)〟だ! (くつがえ)そうと足掻(あが)く強さもな!」

 力強(ちからづよ)い気高さを活力と変え、ラリィガは低姿勢に腰を落とした!

 脇腹へと握り固めた拳が、雷撃の種火を生み始める!

過去(・・)が見えぬか! 歴史の立証(・・・・・)を!」

 憤怒とも拒絶とも取れる気迫を(たぎ)らせる巨体野人!

強化侵食(ハイドブースト)!」

 憤怒の(ごと)き叫びを決意の宣誓として、(おの)が首筋に〈スティーブンソンの涙〉を注射する!

 二本!

「な……何ィ?」

 ラリィガの動揺も余所(よそ)に、巨躯(きょく)(さら)(ふく)れ上がる!

 隆起する筋肉は密度を軋ませ、骨はそれに抗おうと強度を増していく!

「ガァァァアアアアアッ!」

 怒髪天(どはつてん)の威嚇が、周囲一帯の気流を乱し荒らす!

 奥の手!

 禁断の秘策!

 魔薬に含まれる興奮物質と筋肉増強成分を過剰摂取し、一過的に肉体強化効果を極限まで上げた!

 体内流動に荒れ狂う衝動は、(まさ)に〝魔薬の侵食〟である!

 (いな)〝破壊衝動の侵食〟である!

「光栄に思え、ダコタの小娘! 理論上は煮詰めていたが、実践(・・)は貴様が初めてだ!」

「最後の手段……って? 大丈夫か? そんな無理して?」

()が師の基礎理論は〝アドレナリンの過剰分泌こそが潜在筋力のリミッターを解除する〟というものだった。では、その〈アドレナリン〉を過剰分泌させるものは何だ? 答は〈悪徳(ヴァイス)〉だ! 欲望への従順と高揚こそが〈アドレナリン〉を過剰に分泌させる!」

「難しい事は、アタシにゃ(わか)んないよ……ただ、要は溺れた(・・・)んだろ?」

「グフフフ……クソの役にも立たぬ倫理概念など()らぬ! 委ねようぞ! 悪心に!」

「ま、どっちでもいいさ」

 深い()()けに物怖じもせず、ラリィガは自然体だ。

 そして、静かな臨戦態勢が構えあう。

 どちらともなく両者は覚悟を定めていた──|次の一撃でケリをつける《・・・・・・・・・・・》と!

アタシ達(・・・・)が見据えているのは、未来(・・)だァァァーーーーーッ!」

「ほざくなぁぁぁーーーーッ! 旧暦の亡霊がァァァーーーーッ!」

 白光の翼姿(よくし)が滑り飛ぶ!

 筋肉の巨塊が跳躍に地表を蹴り砕く!

 (よりどころ)と背負う対極が雌雄を(のぞ)む!

 そして、染める白が決着を呑んだ……。




「先生、食事を御持ちしました」

 盆膳(ぼんぜん)を運んだトレイシーが呼び掛けるも、樫戸(かしど)の向こうから反応は返ってこない。

 居ないはずがない。

 この偏執狂の化学者は、(みずか)ら屋外へ出向く事など無い。こちらが健康を気遣って引っ張り出さない限りは、部屋へ引きこもったままの研究三昧なのだから。

 だから、居る(・・)

 大方、また研究へと集中し過ぎて、周囲への視野が遮蔽されているだけだ。

 諦めの()(いき)を吐いたトレイシーは「開けますよ」と軽い断りに扉を開く。

 そこは雑多な書物が支柱と積まれる書斎であった。ただでさえ狭い個室は、文字通り足の踏み場も無い乱雑さを露呈(ろてい)している。

 それでも知識の混沌を乱さぬように気を張り詰め、嵩張(かさば)る樹林を身を(よじ)りつつ(ひら)き進んだ。

 はたして奥に据えられた机には、筆記と黙考に(いそ)しむ背中が見える。

「おそらく()は〈アドレナリン〉なんだ……それが正常な判断力を阻害して、筋力のリミッター意識を盲目にし……その分泌量……いや、(ある)いは自発的にコントロールする術か──人間の平均的筋肉量から計算するに、それを〈怪物〉の平均値と比較すれば────」

 師の背中は、脳内設計図を(くち)に出していた。

 弟子の存在には気付きもしていない。


 トレイシーの師匠〝フレデリック・スティーブンソン〟は、無名の化学者であった。

 そう、無名──。

 さりながら、非凡────。

 なればこそ、トレイシーも崇敬に従事する。

 その才は、錬金術師による勢力組織〈薔薇十字団(ローゼンクロイツ)〉から再三の勧誘があった事でも明らかだ──たかだか時代錯誤な〈錬金術師〉風情が〈近代化学者〉を呑み込もうなどとは片腹痛いが。

 奴等の目的は、どうせ現研究(・・・)だ。

 だから、流浪が始まる。

 (みずか)らの研究に没頭すべく。

 イギリス──ドイツ──ロシア──エジプト──海を渡り、アメリカ大陸まで渡った。

 うまく消息を揉み消せたのか、以後〈薔薇十字団(ローゼンクロイツ)〉からの接触は無い。

 好転だ。

 この偉業たる研究ノウハウは、何人(なんぴと)であろうとも知られたくはない。

 下手に錬金組織に取り入れられれば、目敏(めざと)く功績を横取りされていたかもしれない。

 (いな)、最悪、命すら奪われていたかもしれないだろう。

 だから、好都合だ。

 ()くして、此処カナダへと流れ着いた現状となる。

 矮小な〈怪物〉による徒党が、我が物顔で蹂躙していた。

 それが日々小競り合いに凌ぎを削る。

 どうでもいい環境騒音だ。

 研究に没頭できれば、それでいい。

 |この研究を逸早く完成させる事さえできれば《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》!

(非凡の才でありながらも名声を欲せず隠匿(いんとく)に徹し、ひたすらに研究へと没頭する熱意……たいした人だ)

 心底尊敬に値するストイックさであった。

(そして現研究が完成すれば、もしかしたら〈闇暦(あんれき)〉の構図すら変わるやもしれない……絶対的だったパワーバランスすら)

 本当に凄まじい偉業である。

 人類史が三度(みたび)(くつがえ)される(ほど)の偉業である。

 仕えてきた歳月が誇らしい。

(そう、この〈魔法薬〉が完成すれば……)

 (にじ)()き出る黒──。

 心中に泥濘(でいねい)し始める黒──。

 無自覚な想いに呑まれそうになり、トレイシーは自戒めいて現実へと戻った。

 乱れる心情を鎮静化させるべく、窓の外に描かれた常闇の情景へと視線を逃す。

 黒月(こくげつ)と目が合った。

 闇暦(あんれき)とかいう異常世界になって久しい。

 悪徳が正義と化す現世魔界だ。



 稲光が惨劇の事後を浮かび上がらせる!

 絶命の形相に横たわるは、(おの)が師匠フレデリック!

 その(かたわ)らに(たたず)巨躯(きょく)の野人は、件の〈魔法薬〉によって変貌した愛弟子トレイシー自身であった!

 その重暗い表情に刻まれるのは、はたして達成感か懺悔か……。


 完成した研究成果を歓喜するフレデリックは、耳を疑う発言をした。

「いいかい、トレイシー? 私は、この〈魔法薬〉を〈薔薇十字団(ローゼンクロイツ)〉などに譲渡する気は無い! 無論、その他の勢力にもね! 彼等に受け渡したところで、私欲の(ため)に量産する事は目に見えている──何たって〝不死身の軍隊〟を形成できるのだからね。私は、この〈魔法薬〉を(もっ)て〝人々の希望〟を生み出す! そう、闇暦(あんれき)の暴君と乱立した〈怪物〉達に一矢(いっし)(むく)いる戦士を! 絶望の人生へと(しいた)げられた人々にとって(あけぼの)となるような──『嗚呼、此処に正義の剣は()るのだ』と思えるような──象徴存在(シンボリック)を送り出すのさ!」

「何を言ってるんです! 先生! たった一人(ひとり)の特異存在で、この闇暦(あんれき)世界の社会構図が引っくり返せるとでも? 現実的じゃない! それを()すには()ですよ! さっさと〈薔薇十字団(ローゼンクロイツ)〉辺りに手土産(てみやげ)として増産するべきなんです! 先生の待遇だって、決して悪いものじゃないでしょう! 重鎮幹部だって夢じゃない!」

「幹部……ねぇ? 別段、興味は無いよ。それに、(きみ)の言う通りさ。たった一人で社会構図なんて引っくり返せやしない……それが現実(・・)というものだ」

「だったら!」

「花売り……」

「え?」

「全世界の人類よりも〝路傍(ろぼう)の花売り〟なんだよ……(わたし)が守りたいものは」そう告げて虚空へと投げる遠い目は、()れど理路整然を帯びた理念を(ふく)んでいた。「そして、それは伝播(でんぱ)していく……螢火(ほたるび)も積もれば輝きを増し、道標(どうひょう)を照らすだろうさ」

 愚かしい。

 実に愚かしい。

 これだけの成果を(もっ)てして『正義の味方ごっこ』か?

 幼稚!

 幼稚幼稚幼稚幼稚!

 何という幼稚な夢想!

 宝の持ち腐れだ!

「残す問題は〝被験者〟だな。ある程度の臨床実験は、私自身で済ませてある……が、完成薬は初めてだ。それに、いざ目的(・・)を考えると、やはり身体的に若く、尚且(なおか)つ運動能力に長けた者がいい……私のようなインドア老害よりもね」

「……私が、やります」

「トレイシー?」

「私が新薬の被験体になります」

「本気で言っているのか? いやいや、待ちたまえ? 私は別に(きみ)へと催促したワケじゃない。この新薬は未知数だ。私自身で臨床実験結果を得てはいるが、それは段階的な軽度のもの……完成薬では、その何倍もの数値データが動く。如何(いか)なる予想外(イレギュラー)が起こるか(わか)らない。とても危険な賭け(・・)ではあるんだ」

「この成果(・・)が立証されるなら、|我が身の犠牲も厭みません《・・・・・・・・・・・・》」

「し……しかし?」

「大丈夫、長年付き添った先生を信じていますよ」

「ああ、(きみ)という男は……有難う! 当然、(きみ)に実害や後遺症が及ばぬよう尽力する!」

「ええ、御願いしますよ……先生(・・)?」

 歓喜任せに両手を握り締める間、フレデリックは気付くべきであったのだ──愛弟子の瞳が深い闇に魅入られていた事に。



(ちから)は使うためにあるのだ……(おのれ)の欲求のままに」

 野人の低い吐露(とろ)

 屍は凝視に(こた)えない。

 怪力の前には(もろ)い首であった。

「そうだ〈(ちから)〉だ! (ちから)(ちから)(ちから)! (ちから)こそが、闇暦(あんれき)の絶対的正義! この魔法薬が有れば、もう〈怪物〉共に恐々とする日々は無い! (いな)(むし)支配する(・・・・)のだ! この()が! あの〈怪物(・・)〉共を! その下に組伏せられた人間共も、当然、()の奴隷だ! 嗚呼、そうだ……()支配者(・・・)だ! 支配する側(・・・・・)だ! もう〝あの日〟には戻らぬ! 家族を〈怪物〉に殺された日には! これからは、()生殺与奪(せいさつよだつ)選べる側(・・・・)なのだ! 〈怪物〉も! 〝人間(ひと)〟も! 好きに!」

 一頻(ひとしき)りの興奮を自覚に鎮めると、巨体は卓上の研究書を持ち去るべくのそりと動いた。

 軽く目を通す。

「コレさえあれば、俺でも増産は可能だな」

 伊達に〝弟子〟に従事していたワケではない。

 ふと名称に目を通した。

「フン、何が〈スティーブンソンの涙〉だ……女々しき名よ」

 何を嘆く必要があるというのだ?

 これだけの〈(ちから)〉を創造しておきながら?

「さらばだ、師よ……貴方(あなた)が心血を注いだ〈魔薬〉は、本来()るべき意義へと還る」

 (きびす)を返す岩壁の背は、これから背負う(ごう)に悲しみを噛んでいるようにも映るのであった……見送る死人の瞳孔には。

 いずれにせよ、数分後には(ほむら)(すべ)てを()()した……。


 またも流転が始まる。

 だがしかし、今度は怯え逃げ惑う日々には無い。

 思うがままに略奪し、思うがままに踏みにじり、そして殺した。

 平等だ。

 そこに〈怪物〉だの〝人間〟だのという選定は無い。

 総てが等しく〝暴力の(にえ)〟であった。

 各地の勢力に(にら)み追われれば、満足な(あざけ)りに次なる地へと逃走する。

 (ちから)は思うがままの利己を授けた。

 嗚呼、これぞ在るべき姿(・・・・・)


 やがてニューヨークは〈ブロンクス〉へと流れ着く。

 そこは〈ベート〉なる未知が、支配体制の胎動をしていた。

 その支配下に在る大獣群が、()が身の駆除討伐と押し寄せる。

 抗うも孤軍は無様に敗れた。

 さすがに死を覚悟した。

 さりながら彼の稀少性は、どうやら〈ベート〉の眼鏡に叶ったようである。

 そして〈ブロンクス領主〉として歓迎された。





 徐々に意識が戻ってきた。

「……私は……負けたのか?」

 なけなしの気力を零すトレイシー。

 大の字に床へと転がっていた。

 巨躯(きょく)()からび、憔悴(しょうすい)が活力を枯渇(こかつ)させている。

 その満身創痍(まんしんそうい)が、変身前よりもみすぼらしい印象を演出していた。

「フ……フフ……無様だな」

「でもないさ」気さくな態度のラリィガが、彼の横へと腰を下ろす。「アンタは強かった」

 間食の天日干し肉(ワカンブラピ)を分けてやった。

「……慰めはいい」

「でも、独り(・・)だった」

(ひと)り?」

「アタシには〈シュンカマニトゥ〉や〈ワキンヤン〉がいた。そして、何よりも〝冴子〟がいる」

「俺は……(ひと)り?」

 嗚呼、俺は()をしていたのだ?

 たった(ひと)りの愚かさを師へと説教しながら、自身の〈(ちから)〉に過信と溺れて……。

「ダコタの小娘、ひとつ教えてくれ……アイツは……夜神冴子は、何の(ため)に戦っている?」

「さあ? アタシにも判らない。根には深い(うら)(つら)みを敷いているみたいだけど、それ(・・)()なのかはアタシも知らない」

「そうか……」

「ただ、ひとつだけ確実なのは……アイツは〝目の前の人間〟を放っておけない」

「目の前の……人間?」

「言ったろ? アイツは〈正義の味方〉なんかじゃない。人類がどうたら以前に〝目の前の人間〟なんだよ、アイツは」

 師の掲げた理想が、不意に脳内でリフレインした。

(そうか……あの女は……夜神冴子は…………)

 かつて唾棄(だき)した象徴。

 蔑笑(べっしょう)に切り捨てた理想像。

 そして、師が切望していた存在。

 人生を傾けて創造しようとしていた運命の開拓者。

(同じではないか……師が思い描いた姿と)

 本来ならば、この〈魔薬〉を(もっ)てして、(おのれ)自身が歩むべきだった宿命。

 さりながら、自分が依存したのは〝悪心〟であった。

 私欲であった。

 その尊厳とは程遠い。

路傍(ろぼう)の花売り……か」

「何だ? それ?」

「いいや、何でもない」

 渇いた自嘲が(こぼ)れた。

 それが断裁となったか、(とめ)めどなく涙が(あふ)れだす。

(嗚呼、それに引き換え……俺は()をしてきた? これだけの〈(ちから)〉を得ながら、俺は()をして生きてきた? どれほどの〈悪徳(ヴァイス)〉に溺れた? どれほどの〈暴力〉に()()れた? そして……どれだけの〈()〉を奪った? 本来守るべき〝弱者の生〟を……)

 歯牙にも掛けていなかった記憶が、脳の底から克明と浮かび映る。

 老人を捻り殺した──渾身に子供を叩き棄てた──淀む欲望のままに女を襲った──果敢に刃を向ける男達は豪腕で裂き殺した────。

 返り血──鮮血──嗚咽(おえつ)──号泣────。

 彩られる黒き赤────。

 呪怨であった。

 叱責であった。

 弾劾であった。

 もう一人(ひとり)の〝自分〟からの……。

 だから、いつしかトレイシーは泣きじゃくっていた……親に叱られた子供の(ごと)く。

「オ……オイ?」

 唐突な急転に困惑するラリィガを余所に、ひたすら懺悔(ざんげ)の念が吐露(とろ)される──「ごめんなさい……先生、ごめんなさい……(ボク)が間違っていました……ごめんなさい……」と。

 〈呵責衰弱ジーキル・フィードバック〉──強烈な欲求主導に抑圧鬱積(よくあつうっせき)した〈良心〉が、反動のままに一挙表層化する〈魔薬〉の副作用症状。

 それが過剰摂取の代償として現れた。

 (むしば)む罪悪感は常人には()(がた)い黒き激流であり、身体の枯渇とばかりに生気が色褪(いろあ)せる。

 こうした事後展開を見越したからこそ、師・フレデリックは名付けたのである──〈スティーブンソンの涙〉と。

 開発者としての贖罪(しょくざい)表現(ひょうげん)であった。

 残酷な運命を()いられる被験者への……。

 そして、次第に愁訴(しゅうそ)が抑揚を鎮めていく。

 泣き疲れて眠るかのように……。

 トレイシーの心臓は、免罪に鼓動を()めた。

 亡骸(なきがら)へと淡い憐憫(れんびん)を注ぎ、ラリィガは手向(たむ)ける。

「泣く事を恐れるな。心が解き放たれ、悲しみから自由になれる──か」

 ホピ族の言葉であった。



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