終焉の1【終わり-1】Lv.--
何処かを歩いている。
凄まじく粘度の高い液体の中に浸かっているようで
、何も見えない。
そこは途轍もなく動きづらく生暖かい。粘土のように固くドロドロとしたうごめく様な感触が、顔に、胴に、脚や腕、末端である手や足の指の間、脇や股座まで、隅々を撫で回す様に纏わりつく。そんな汚泥の中を息も出来ずもがきながら、歩いている。
これは夢だとわかる。早く目覚めて仕舞えばいい、そう思っていた。
始めは身体に纏わりつくその感覚に強烈な苦悶と吐き気を覚えていたのに、今はその感覚が妙に気持ちがいい。
まるで、身体に纏わり付いているそれらが、生まれ故郷に帰還した僕を出迎える同胞達の抱擁にも思える。
あぁ、気持ちいい…
そう思った瞬間、周囲の泥の中を蠢く抵抗が一瞬でなくなり、逆に自分の腕を行く手へと導く様に粘着質で柔らかな泥の腕が巻き付き、引っ張り始めた。
導かれるままに突き進み、やがて全身を覆う液体の抵抗力が一気に消失する。
僕は血肉が地面に打ち付ける音と共に、重力に従い倒れこんだ。
顔を上げ目を開くことができる。そこには空気があった。
他には何もない、真っ暗で、真っ黒で…。
自分の姿は見えるのに、身体には影が映っている様子もなかった。
ずっと先まで闇が広がっていた。
ふと気がつく。
広がる闇の彼方、真っ黒な地平線の先に誰かがいた。
黒暗色のヘドロが足裏にへばりつく様な感覚を噛みしめながらも地平線の先にいる人物に会いに行く。
「……!」
まだ彼とはおおよそ百メートル程も離れているが大声で何かを叫んでいた。
その声はなんとなく聞いた事がある気がした。
まるでメガホンやマイクを通して聴く録音しておいた自分のような声。
これは笑い声だ。
目の前まで来た時、黒いヘドロの中心で僕が笑っていた。
「へぁあああっはははははは!ぎゃぁあああっはっはっはぁ!」
顎を外し、目を見開き、舌を突き出し、がなる様な声で乱暴に、嘆く様に、嗚咽する様に、悲鳴の様に、狂気に取り憑かれた様に、下から僕を見下げながら見上げて笑っていた。
その時ようやく僕は理解した。
「君は……《ビー!ビー!ビー!ビー!》
大きなアラームの音が頭上から響き渡り、僕の意識を現実に引きずり出した。
《ビー!ビー!ビー!ビー!ビッ…》
「悪夢だ…。」
暖かな布団の中で頭上に置かれた目覚まし時計を止めつつ、先ほどまで見ていた不気味な夢をそう評した。
いやそうでしかないだろ!
何だよ、あのドロドロな真っ暗な世界!
気持ち悪いしただただ不気味だわ。
「気持ちいい訳あるか、くそっ…。」
僕は最悪な気分で布団から起き上がると、洗面台に向かい早足で身支度を始める。顔を洗って鏡に焦点を合わせると肩に届きそうなヨレヨレの長髪で目にクマを蓄えた景気の悪い目つきの男が立っていた。
今日は僕、烏丸大志にとって人生で最も重要な日である。
世界中で最も科学の栄えた先進国である大シェオル大陸合衆帝国では、国力の増強と経済と科学の効率化の為に中学卒業を控えた進学前の学生に職業適性検査を行う。
今日は僕の職業適性が面談形式で発表され、職業適性証明カードが渡されるのである。
帝国ではこのカードの中身で自分の将来がほぼ決定してしまう。
自分の人生がかかっているのである。
僕は普段の学校の成績がすごく悪いので、緊張も他の人より一押しだ。
顔を洗い、歯を磨き、アイロンをしっかりかけた制服に袖を通す。
時間には余裕があるが、朝ごはんに赤黒く熟した林檎にかぶりつき急いで寮を後にする。
科学の発展した世界的先進国の大シェオル合衆帝国でも比較的都市部に位置するこの街、アージャ州の東に位置するアシハラ市は天をつくようなビルで敷き詰められ区画整理も行き届いた堂々たる大都市だった。
僕は都市中心のラウンドアバウトの赤信号の待ち時間を持て余しながらビルの森林の一角を見上げるのが好きだった。
「相変わらずすごい風景だなぁ。」
荘厳かつ無数の人間たちがひしめく通勤ラッシュを見ると僕の深層心理を刺激するなんとも言えない感動を感じられた。
それは現実ではうだつの上がらない僕が世界の中心にいると思わせてくれる風景でもあった。
面談はいつも通っている自分の中学校のアシハラ市立中学校で行われた。
廊下には1クラスに数人の男女が座って待っており、みんな緊張した面持ちで自分の順番を待っていた。
「どんな適性が出るんだろう…いっぱい出たら良いのになぁ。」
「烏丸君……烏丸大志君!」
「は、はいぃ!」
教室の前で俯きながら座り自分の適性に思いを巡らせていると教室内から名前を呼び出され僕の順番が来た。
「失礼します。」
お辞儀して教室に入り、面談相手の役所の人に促されるままに椅子に腰掛けた。
緊張と不安と期待で吐きそうになりながら、面談者である女性の目を見据えた。後ろで黒い髪を一括りにしてスーツに身を包んだ真面目そうな人だった。
「あまり緊張しないで大丈夫ですよ?この適性証明カードはあなたの人生の全てを決めるわけでは無いですから。」
「あ、はい!ありがとうございます!」
僕の緊張した顔を見て、少し優しい笑顔で言ってくれた。
でも緊張がとける訳ないよね?人生の全てじゃないにしても就職に影響するんだから間違いなく色々決まっちゃうよ。
怖いよ!
そんな僕を見てどうしようもないと悟ったのか、書類をめくって話を切り出した。
「さて、まずはこの職業適性カードについて軽く説明します。このカードはあなたの遺伝子や脳内回路の情報が組み込まれていて、あなたのその時の健康情報や学習成績、果ては生体反応の情報を参考にその時その時の職業適性を指し示してくれます。此処までは良いですか?」
「は、はい!大丈夫です!」
返事をするだけのマネキンと化した僕。
緊張に身を焦がしながらも説明の内容を脳内で組み立て頑張って理解する。
「そして表示のされ方についてですが、カードの裏面のメモの様な欄に、適性の高い順にレベルで表示されます。例えば私なんかは『公務員Lv.45、事務経理Lv.30、教員Lv18、』と言った具合に表示されます。」
「適性レベルはどれくらいあれば良いんですか?」
「あくまで目安ですが、だいたいLv.10以上有ればその職業で働くのに十分であると判断されます。30以上で優秀、60以上で天才、80以上で世界トップレベルと言う具合ですね。このレベルはその時の状況で上下するので多少の誤差については気にしないで良いですよ?」
「なるほどー。」
ちょっと難しい内容だったが、なんとか理解した。
要するにカードの裏にレベル10以上の職業があればその仕事で生きていけると言う事だ。
頑張って勉強すれば新しい適性ができたり、それまでの適性のレベルも上がる様なのでレベルが表示されて終わりではない様だ。
僕はうなずきながら少し期待を膨らませていた。
「さて、では早速カードを渡します。ですがその前に烏丸君には言っておかなければなりません。」
「……はい?」
「あまり落ち込まないでね?このカードが人生の全てではないから。」
先程と似たようなことを言われ、僕は不安を募らせながら職業適性証明カードを受け取り、裏面を覗いた。
そして後悔した。
「………あの、すいません。適性って何処に書いてあるんですか?」
「………烏丸君が今見ているところです。」
役所の女の人は躊躇いがちに答えてくれた。
僕は震えて言葉を返せなかった。
それも当然である。
僕が見た職業適性の欄は真っ白だったのだ。
それが無能の烙印と同じというのは僕にも理解できた。
「あのすみません。僕は、確かに学校の成績は全教科平均以下ですよ?これは流石にないんじゃないですか?」
「これはあくまで適性を示すものですから、成績ではなく本人の実際の実力しか反映されません。」
「体力は無いけど、身体は健康ですよ?毎日1時間は運動してますし……頭だって悪いけど、自分で自覚があるから毎日帰ってから寝るまで、遊ばないで勉強してるんですよ?」
「担任の先生からもアナタはとても真面目で頑張り屋であると聞かせてもらってます。」
体の奥から気持ちの悪い塊が喉を押し上げてくる。
目が熱くなり嫌な涙が溜まっていくのがわかった。
僕は立ち上がって叫んでいた。
自分でもこの問答が無駄なのは分かっていた。
それでも止まれなかった。
心の奥底から出てくる叫び声が、ひび割れたかべを漏れ出る様に口から飛び出した。
「こ、こんなにがんばってるッ…んですよ!毎日必死であんなにあんなに頑張ったのに認めて貰えないんですか!?」
結論なんか分かってる。無意味なのは分かってるのに、僕は自分の将来の希望が、保証が欲しくて、ポジティブな結論を懇願したのだ。
でも…
「どんな頑張りも能力が身につかなければ同じ。事実は変わりません。今のアナタに帝国ではあらゆる職業適性を認める事は出来ません。」
僕はその場に座り込みうなだれる事しか出来なかった。
目の前に座る役所の女の人は僕を可哀想に思ってか、あれ以上何も言わなかった。
僕は絶望が拭えず、もう一度空白の職業適性欄に目を落とした。
「嘘だ、こんなの悪い夢だ…。」
少ない人でも一つか二つは職業適性があるのに、僕のそれは見事に真っ白で何もない………そのハズだった。
「あれ、なんだコレ?」
さっきまで何も書かれていなかった職業適性欄の上部にポツンと謎の文字が書かれていた。
__魔王Lv.1__
「あの、さっきまで書かれてなかった職業が書かれてあるんですけど……。」
その瞬間役所の女の人の顔がパッと明るくなり、笑顔で喜んでくれた。
「おめでとう!良かったね!きっとアナタがカードを直接持った事で今のアナタの状況を反映して職業適性が出てきたんでしょう!」
「はぁ……なる程。」
先の適性検査では出なかった結果が今カードを所有した事で出てきたのか。
カードには高度なセンサーがいくつも内蔵されてるそうでリアルタイムで職業適性を表示してくれるのだとか。
では職業適性検査では何をしたかと言うと、カードでは読み取れない前提となる情報である、遺伝子や脳内回路の情報を医学的に調査したのだと言う。
でもカードはそれ以外の本人のその時の性格や思考回路、生体反応を情報として付け加えて情報を出すのだそうだ。
それでその時には出なかったのか。
「でも……魔王ってなんですか?」
「何がですか?」
聴き慣れないワードなのか、逆に聞き返されてしまった。
「いや、このカードに書かれているんですけど…」
そう言って役所の女の人にカードの裏面を見せた。
「魔王Lv.1?魔王……マオウ?魔王って何かしら?」
それはこっちが聞きたい。
「うーん、たまに適性欄に帝国で登録されてない職業が出てくる事が有るんだけど……」
「そんな事、有るんですか!?」
「魔法が盛んだった頃の名残でね、『魔法使い』だとか『錬金術師』『剣闘士』なんて風にね、そう言った方向性に適性がある人は時々いるからね。」
大昔からこの職業適性カードが発行されていた訳では無いが百年ほど前からある制度だそうで、その頃まだあった伝統芸能的な魔法の職業にも対応できる様にこのカードは作られている。
現在は廃れた職業群だが今でも機能自体は残してあるのだとか。
「でも魔王って聞いた事ないなぁ〜。ネットで検索しても出てこないし……」
「そ、そうですか………」
カタカタと手元の携帯端末で検索してくれた様だが『魔王』というワードで検索しても何も引っ掛からず、『もしかして→帝王、明王、魔法』などと候補が表示される始末だ。
僅かな希望を抱き、それが例え聞いたこともない廃れた職業でも頑張ってみようと思ったがそうもいかない様だ。
役所の女の人は僕が再び落ち込んだのを見て慌てて慰めに駆け寄ってくれた。
「だ、大丈夫!帝国は職業の自由を憲法で認められてるし、適性が無くても雇ってくれる会社はきっとある!どうしても無理でも無適性の人には救済措置も有るから。……だから、ね?」
「……。」
役所の女の人は、懐から白いカードの様な物を両手で持って僕の目の前に差し出した。
「名刺?」
「そう、私……飯田音夢の名刺です。大志君との面談は此処までだけど、高校や大学を出て就職に困ったら相談して。きっと力になるから!」
僕は差し出された名刺を受け取り音夢さんに礼を言って、呆然と教室を立ち去ることしかできなかった。
『……まだ…………足りない。』
「え?」
喉の奥底、お腹の内側の暗い場所から声がした気がした。
何処かで聞いたことがあるような男の声。
周りを見渡してみるが教室の外の廊下は静まりかえって、人間の気配は感じれなかった。