終焉の14【魔族の目醒め】Lv.100
サンダードラゴン、エジスンの荒々しい笑い声が響きわるラウンドアバウトで事態は急速に変化しつつあった。
エジスンはマナを殺したあと十数秒程、生き残れたという確信から来る喜びで高笑いしていたが、少し落ち着きを取り戻し気配を探るとある違和感に気が付いた。
「……無い?一万人分の巨大な供物が、今殺した筈の人間の雌の魂が無い!?」
エジスンは慌てて周りを見渡し再び気配を探ると程なくしてマナの死体の側に人間の雄……大志がいる事に気が付いた。
エジスンは大志がここにいる事を知らなかった訳ではない。ただ、マナという存在に目が行き過ぎて大志を気にする余裕が無かったのだ。
だが改めて大志を注視したエジスンはマナの巨大な魂とはまた別、大志の持つ気配の異質さ或いは不気味さに気がついた。
それが何を意味するか分からない。
ただ今この状況下でマナの魂をどうこうできるのは刈り取ったエジスン自身と大志しかいない事は確かだった。
「おまえか?…お前がそうか?〜〜返せぇ!それは我々ドラゴン族の供物だぁ‼︎!」
『雷龍の上位魔法・強化龍息吹』
数本巨大な稲妻がエジスンの口内から吐き出され、目の前の大志を焼き尽くした…………かに見えた。
次の瞬間、突如としてエジスンの視界は漆黒に塗りつぶされた。
「え゛ぃい゛あぁあぅぎぃいいあああああああああ!!!??」
突如として現れた未知の黒く暗く輝く悍ましいエネルギーに、エジスンは精神的衝撃を受けて一種の恐慌状態に陥り、言葉にもならない様な悲鳴をあげてしまう。
エジスンが正気であればそのエネルギーが自らが攻撃した少年から噴き出たものだとはっきり見えただろう。
そしてその発生源たる烏丸大志の肉体にも悍ましく急激な変化が現れ始めた。
顔から口と鼻が粘土で埋め立てられた様に消えてゆき顎が丸く膨らんでいく。ワカメの様なよれよれの長髪は無数の吸盤を携えた数十本の触手へと変化した。
上半身が隆起し背中からは蝙蝠を思わせる翼が生えて来て、手が膨らみ爪が無くなると、柔らかくブニブニとした質感に全身の肌が変化する。
目の虹彩が横向きに広がり、首がミシミシと音を立てて捻れてゆき顔が完全に横向きになると首が潰れる様なグシャッっという背筋が凍る様な音と共に顔面が完全に反転する。
その頭は逆向きになってしまったと言うのに妙にしっくりと来る形をしており、海中に存在する生理的嫌悪感を沸き立たせる足が八本も生えた軟体動物、つまり“タコ”を連想させる姿をしていた。
不気味な異形となった烏丸大志はくぐもった様な声で叫び声を上げた。
「ぐぅう゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!」
__ラウンドアバウトアバウトから数キロ離れたビルの上。
サンダードラゴンの魔法は数キロ先まで届く為、強い雷光を確認すると共にフォートレスの一之隊長は班員を付近に着地させサンダードラゴンの様子を窺おうとしていたが、次の瞬間天にも届く様な巨大な黒くそして暗い不定形な黒煙の様なエネルギーが凄まじいで勢いで立ち登るのを班員は目撃してしまう。
一之は全身の汗腺から冷や汗が吹き出して、本能的に見てはならないものだと悟り目を伏せ、持参していたナイフを深々と自分の太ももに刺して必死で気を紛らわせた。
(やばいやばいやばいやばい!!!何がなんだかよく分からんがとにかくやばい!)
出どころのわからない、心の奥底に訴えかける根源的な恐怖を想起させられる。
(俺がこんな状態なんだ。他の奴らはどうなっている!?)
一之の悪い想像は最悪の形となって現実となっていた。
一之以外の班員もあの暗く立ち登るエネルギーをしっかりと見てしまっており、精神状態がまともな者は誰一人として残っていなかった。
ある者は金切声をあげて泣き叫び、ある者は自身の髪の毛をブチブチと毟りながらその毛を口に入れ続け、またある者は幼児退行して体を丸めてうずくまって母親を呼び続けた。
「くそっ!全員、正気を失っちまった。ん?おい、由紀ぃ!大丈夫か!!」
新人の由紀は表情ひとつ変えず呆然と立っていたのだ。由紀は一之の声に反応して、この場に似つかわしくない笑顔で答えた。
「あ、はい!大丈夫です♪」
「無理に明るく振る舞わなくていい!あの黒煙から目を逸らして心が落ち着くのを待て。」
「はい!分かりました♪では、行ってきますね♫」
「は?」
そういうと由紀は懐から自衛用の拳銃を取り出して、まるでピクニックにでも出掛ける様な面持ちで、自らのこめかみに銃口を当ててあっさりと引き金を引いてしまう。
頭の半分が吹き飛んだ由紀はそのまま地面に倒れて永遠に起き上がらなくなった。
「い゛っ……ぎぃぃ…」
新人の非常識で壮絶な自殺、発狂した部下達の異常行動、そしてそれらを引き起こした諸悪の根源……今もなお勢いよく立ち登る暗き黒煙。
絶え間なく降りかかる不幸、襲い来る混迷、知らなかった筈の未知の領域からの圧倒的恐怖と絶大な重圧は一之の精神を勢いよく削り取り続け、彼も再び正気を失いかけるが、先程太ももに刺したナイフを勢い良く何度も脚の同じ場所に刺し続けて気を紛らわせる。
或いはそれすら恐怖に囚われた一之の狂気かも知れない。
「ふぅ゛ー!ふぅ゛ー!ふぅ゛ー!ふぅ゛ー!」
目に涙が滲み、ナイフが骨にまで達しても遅い来る恐怖が一之を蝕んで正気を奪い続けるが、一之は隊長としての意地と信念で恐怖に耐え続ける。
「報告…ぐぅ、するんだ……。アレが何か分からないが報告しなければ…、この国…っい゛、だけじゃ、無い!人類そのものの、存亡に関わるっ!」
一之のその直感に明確な根拠はなかった。だが彼の本能が暗き黒煙に対して激しく警鐘を鳴らし続けていた。
__アージャ州アシハラ市の北に位置するエゾ市郊外にて。
田畑が広がり民家がポツリポツリと点在する田舎の風景の中、丈の長い外套を揺らしながらプロヴィデンスは買い物袋をぶら下げながらゆらゆらと歩いていた。
帰路につく真っ最中で小さな地面の揺れを感じたプロヴィデンスは振り返ると地平線の向こう側の空から噴き出てくる暗く輝くエネルギーを目にした。
ドラゴンが恐怖し歴戦の兵士が発狂する光を目にしたプロヴィデンスは、その暗く立ち登るエネルギーの発生源を察したのか、その表情に一切の陰りを見せず高笑いする。
「ハァーハハハハ!世界よ、空を見よ!今宵は偉大なる御方が目醒めし時ぞ。人々の希望は消え失せ、龍は長の地位を明け渡し、神々は恐怖を知るだろう!来たれり…来たれりぃ…。地に満ちて、海を犯し、空が堕ちる。我らの恐怖が来たれり!我らの狂気が来たれり!我らの魔王が目醒めたりぃ!」
手に持っていた買い物袋が転がり落ち、中身が溢れようがどうでも良い。
プロヴィデンスは喜んでいた。人生で最も喜ばしい日に、待ち望んでいた時代の到来に立ち会えた事に歓喜しいていたのだ。
__エジスンは獣龍の姿で悲鳴を上げた後、凄まじい恐怖に身を焦がしながらも異形の姿に変身した大志を見つめていた。
「き、貴様は何者だ!人間……ではないな?ここは我ら誉高き栄光ある上位種族、ドラゴン族の狩場だぞ!それを敷いての狼藉かぁ!」
エジスンはストレスや恐怖を怒りに変える事で徐々に冷静さを取り戻しつつあった。
ただし大志は未だ不気味なオーラを放ち続けており、そのオーラが自身のの精神を削っていることをエジスンは実感していた。
エジスンはまず消極的手段で、自らが偉大な存在だと示す事で大志から降伏の意思を引き出そうと考えた。
しかし大志はそんな言葉など意に解す様子もなく肉体から発せられたエネルギーを数本の巨大な触手へと変えてマナのぼろぼろな死体をその触手で丁寧に掴み持ち上げた。
「貴様ぁ!それは我らドラゴン族の供物であるとさっき言ったばかりだろぉが!貴様が冒涜して良い物ではない‼︎!」
『雷龍の中位魔法・爆発大砲』
エジスンの口から放たれた火花を伴った光球は凄まじいスピードで大志に直撃しバチバチと無数の火花を散らしながら爆発した。
爆風…或いは電撃の反動か大志は遥か後方へ吹き飛ばされ街路樹に激突し、街路樹は粉々に吹き飛んでしまった。
「ハ…ハハハハハ、なんだ見掛け倒しじゃないか!我らドラゴン族におそれる者など存在しなかったのだぁ!」
エジスンがそう言うと、大志はぼろぼろの大怪我を負いながらも体を起こして再びマナを掴んでいた触手を動こかした。
「な…生きて?」
実際には大志はエジスンの一撃で既に満身創痍だったのだが、未だその場の空間に満ちた大志が放つオーラの様なモヤがエジスンに対して恐怖を与えて、エジスンの思考力を奪っていた。
エジスンが怯んでいる隙に大志の触手はマナの死体に巻き付いてゆき、ある触手は口から、ある触手は傷口から、またある触手はマナの肢体を弄り、ある触手はマナの下部から侵入していった。
エジスンは自らの獲物の状況が深刻な状況にある事に気づいて我に帰り、今度は大志がマナを掴む触手に攻撃を仕掛けた。
「いい加減に我らの所有物を犯し冒涜する愚行をやめろぉ!」
『雷龍中位魔法・三連強化斬刃』
エジスンがその身を翻すと、エジスンの尻尾からゴロゴロと音を立てて三つの雷の斬撃が飛び出してきた。
斬撃は大志の触手を正確に捉えていたが、直前の間際に別の触手六本が素早く伸びて身代わりになった。
「っく!」
更にその六本の触手はすぐに再生してマナに巻き付く触手に加わった。
するとマナの肉体は回転を始め大志の触手達を巻き取っていく。
徐々に巻き取るスピードは速くなり、やがて駒の様にマナと触手の姿がぼやける程の回転速度となる。
その間、エジスンは触手やマナがいるであろう回転の中心に電撃を加え続けるが、回転や触手のスピードが早すぎるためか、効果的な影響を与える前に弾かれてしまっていた。
『雷龍の下位魔法・十連弾槍』
『雷龍の中位魔法・強化収束化穿孔』
『雷龍の上位魔法・強化龍息吹』
次々と強力な魔法を繰り出すエジスンに疲労が見え始めた頃、大志から伸び続けていた触手が根本から切れてしまい、全てマナに巻き取られて高速で回転しながら地面に落下した。
地面に落下してもその重量とスピードで暫く地面に沈みながら回転していたが、摩擦で煙を上げながらもゆっくりと回転が止まった。
回転を止めたマナは触手が巻きついた様なおどろおどろしい縞模様がついた人一人が入れる程度の大きさの楕円の球体に……いや、一つの巨大な卵へと変化していた。