旧き魔王の回顧録-1
今まで数々の困難があった。
たくさんの人々が勇者であるオレに希望を寄せていた。
俺が魔皇帝を討伐すれば、飢餓はなくなり病は消え失せ、世界中の人々が心から平和を願い戦争が無くなるからと。
「勇者様!どうか魔王を、原初…旧き混沌の支配者たる魔皇帝を打ち滅ぼし世界を救ってください!」
「勇者様!どうかこの世界に光をー!」
数々の人々の言葉が聖剣を通じ僕の心を突き動かす。
此処は最終決戦の場、魔王城の最上階。
俺達は自分を含め四人のパーティで一人もかけることなく登って来た。
だが魔皇帝を前にして俺を含めみんな満身創痍でボロボロになっていた。
流石は原初の魔王と言うべきか……これ迄魔界で出会って来たどの魔王よりも強く、漏れ出る魔力は瘴気と化して他の魔族を強靭な存在へと進化させ、扱う魔法は数知れず知識の底が知れない。
ただし俺たちもやられてばかりでは無く、二十四時間の間絶え間なく魔皇帝カラスマに大きな打撃を加え続けており、徐々に追い詰めることに成功しつつある。
数百回を超える肉体の大きな再生と自己蘇生により、この部屋に俺達が入って来たばかりの時はあった、世界を滅ぼせるほどにあった膨大な魔力は影を潜めていた。
戦局は既に最終局面を迎えようとしている。
十人の眷属は既に死に絶え塵となり魔界の瘴気に還った為、目の前の敵は魔皇帝ただ一人となっていた。
絶対に打ち倒す!
「勇者ヴィクト……。よくも我が配下達を此処まで滅ぼしてくれおったなぁ!よもや貴様の命、数百億の魂魄でもその代償とはならぬゾォ!」
無数の触手を顎に蓄えたツノの生えたタコを彷彿とする頭の魔皇帝。
配下を殺された怒りで顔面の四つの眼球からは赤黒い血液が滲み出ている。
魔皇帝は片手を俺達の方に向けてかまえた。
異形を意識させられる長すぎる指の先からは破滅をもたらす邪悪なる魔術が展開されようとしている。
込められた魔力だけでも半径数百メートルが焦土と化すエネルギーをビリビリと肌で感じさせられる。
どうやら敵は、残る全ての魔力を振り絞り一撃で俺達を打ち滅ぼすらしい。
「良いねぇ!俺もそろそろこんな戦いは終わらせようと思っていたんだ。アンジェリカ!サニー!ありったけの魔力を使って俺を強化してくれ!」
魔法使いのアンジェリカとドラゴノート教聖女のサニーに強化魔法の詠唱を頼んだ。
「っち、仕方ないわね…。負けんじゃ無いわよ!『生命の中位魔法・四重身体強化』!!!」
「勇者様に神の御加護を!『聖龍の中位魔法・強化魔法耐性の帳』!!!」
全身の筋肉と神経がドクドクと躍動し、暖かな光が全身を包み込み聖なる魔力が胸の奥底から止めどなく湧き出てくる。
準備ができたのを見計らい最後の仲間、影のない半魔族ライラが『絶対解析』の能力で解析した魔皇帝の弱点を教えてくれた。
「ビクティ君!原初の魔皇帝カラスマの弱点は人間で言うヘソに当たる場所の奥にある魔力炉です。そこが心臓の役割も担っているので、此処に聖剣を突き立てれば絶命します!」
「ありがとうライラ!」
仲間達の想いを胸に、剣を強く握り直し魔皇帝の弱点に突きつける様に構え直した。
俺の希望に満ちた目を見て魔皇帝はニヤリと異形の顔を歪めて、むせこむ様な気持ち悪い声で高笑いした。
「ゴァーハッハッハァ!全てが遅い!全てが手遅れよぉ!既に貴様は負けていたのだぁ!!終焉の業火で燃え尽きろ!『闇の上位魔法・黒炎の集束爆裂砲』!!!」
魔皇帝の指先から黒く闇よりも暗く輝く炎が巨大な球体となって打ち出された。
その大きさは三メートル以上の巨躯である魔王より巨大で発せられる光だけで全身の皮膚がめくり上がる様な火傷を負わせられる程の熱量を持っている。
黒き終焉の火球は音よりも速く、俺達を滅ぼすべく凄まじい速度で迫って来ており俺以外の三人は反応すら出来ずにいた。
半魔族であるライラは分からないが人間であるアンジェリカとサニーは間違いなく、直撃すれば一瞬で蒸発するだろう。
俺は打ち出された火球の軌道を正確に読み、右足に力を込め打ち出された火球の上をゆく速度で駆け出した。
火球と俺自身は急速に距離を縮る。
距離がなくなった瞬間、火球は一層黒い輝きを放ち邪悪な魔力の本流が俺を骨まで焼き溶かそうと纏わり付いた。
「ヴィクト!」
「ヴィクト様!」
「ビクティ君!」
「ゴァーハッハッハァ、さらばだ!勇者ヴィクト・ブレィヴ・ダビデサン。」
皮膚が炭になり血液が沸騰で泡立つのを感じる。
全身が焼け爛れる痛みで気が遠のき朽ち果てそうになりながらも、俺は必死で意識を繋ぎ全身の魔力を巡らせる。
かけられた強化魔法をこちら側の意思で更に強化し肉体と意識を奮い立たせ、俺は黒き終焉の業火をそのままの速度で突き抜けて見せた。
「なにぃ⁉︎」
驚愕し思考を停止させる魔皇帝に、俺は手に構えていた聖剣でもって腹部の中心を貫いた。
「…………っっ!ごぼぉあっぱぁ‼︎」
魔皇帝は今までに無い苦悶の表情を晒して血反吐を吐き出した。
今までなら直ぐに再生していた筈の肉体もいつまで経っても元には戻らず、時間がそのまま流れてゆくのと同じ様に貫いた腹部と聖剣の先が出た背部からドクドクと血が流れ出ていた。
貫いた聖剣から伝わってくる魔皇帝の抵抗が急速に弱まっていくのを感じ敵がゆっくりと死んでゆくのが分かった。
勝った、勝ったんだ。
俺達は遂に邪悪の根源を滅ぼしたんだ!
「二度と蘇るな、魔皇帝オオシ・カラスマ!」
死にゆく一人の魔皇帝に全ての人類の憎しみとのぞみを全てを乗せて吐き捨てた。
「……っぐ、フフ…ハッハッハ。」
「え?」
聖剣で魔力の根源を貫かれた筈の魔皇帝は、確かにその身に宿す力を失いつつあった。
しかし、貫かれた剣にもたれかかる様に辛うじて立っている筈の奴の声は、力なくも喜色に満ちていた。
不気味さの余り聖剣を貫いたまま手を離し魔皇帝から飛び退く様に距離を取ると、これ迄とはまったくもって違う光景に言葉を失った。
「どうした?勇者ヴィクト……。」
「あ、え………な?」
「言ったろう?全てが遅いと………。こんな物はただの茶番だ。」
気づけば奴の身体は俺の半分ほどにまで縮み、しわがれているがとても高い声色に変わっており、俺の目の前には褐色の肌に白い長髪の幼女がその体には太過ぎる聖剣を腹に刺したまま直立していた。
「お前は誰だ!」
俺が質問するとギザギザの白い歯を見せながら三日月の様に口角を上げた笑顔で彼女は答えた。
「我は影……魔皇帝の影。」
「影?………魔皇帝カラスマ本人じゃないって事か⁉︎」
それが本当だとすると魔皇帝本人は何処にいるんだ?
いや、付近にいたとしたらまずい。
長期間にわたる戦闘で俺たちのパーティは四人とも傷だらけで疲労困憊の状態だ。
「我は影……魔皇帝の影。ヴァル…プル………ギス…。」
その言葉を最後に魔皇帝の影は黒い泥の様に溶けて地面に吸い込まれ、この魔皇帝の間の空間のどこかに消えていった。
俺たち全員が呆然と立ち尽くし不気味な静寂の中に囚われていた。
全員が戸惑いと怒り、何より巨大な悪への恐怖と絶望によりその場に縛り付けられていた。
だが今が恐らく最初で最後のチャンスだ。
こんな状態で戦うことなど出来るはずがない!
今直ぐ逃げなければ。
俺が全員に退却の指示を出そうとしたときに、後ろからサニーの悲鳴が聞こえた。
「キャーーーーーーー!!!」
「サニィ!?」
サニーの腹部は自らの血であろう赤い液体に染まって倒れていた。
傍らにはサニーを貫いたであろう短剣を手にしたライラが立っていた。
「ライラ?一体どうしてっ!?」
「ヴィクト!ライラの足元を見ろ!」
「え?…………!?」
ライラの足元に影ができていた。
元々ライラとの旅の始まりは彼女に影が無い事に端を発していた。
ライラは魔族と人間の間に生まれた半魔族と呼ばれる半端な存在だった。
世の中、極端なものより半端でどっちつかずな者の方が居場所がない者で、魔族の血が入っている事で人間からは恐れられ、人間の血が入る事で一部の魔族からは餌として見られていた。
だが何より彼女を呪われた存在として両方の社会から排除せたのは彼女に影が無い事が原因だった。
この旅は彼女の影を取り戻す旅でもあったのに、何故その影が今になって急に?
「フッフッフッフッフ……鈍いなぁ、ビクティ君」
“ビクティ君”そうライラと同じ呼び方で俺を呼んだ存在は徐々に姿を変えてゆき、人間で言う中肉中背の…魔族で言えば少し背丈の小さい男がそこに立っていた。
まさか、本物の魔皇帝がライラに化けていたのか?
或いは今パーティの全員が思考停止状態で呆然としていた隙に入れ替わったのか?
「貴様!ライラを……本物のライラを何処へやった!?」
「本物ぉ?一体何を言っているんだ、ビクティ君?僕が僕こそが“ライラ・ライ・ダーク(♀)14歳”その人だ!フッハハハハハハハハハァ!」
魔皇帝の話した受け入れ難い事実に俺は立つことも出来なくなり、膝をついて項垂れてしまった。
コイツは一体何を言ってるんだ?
ライラが魔皇帝の化けた姿!?
駄目だ、何を言っているのか全くわからない……。
「ライラが……ライラはいつから、お前が化けていたんだ?」
「本当に鈍いなぁ!この勇者は…」
項垂れる目線の先にある魔皇帝の影から、先程ヴァルプルギスを名乗った“魔皇帝の影”が顔を出した。
「ライラに何故影が無かったんだい?我が魔皇帝様の元から離れていたからに他ならないよ!」
ヴァルプルギスはそう言いながら、まるで長年離れ離れになっていた父親にそうする様にその小さな体でしがみついた。
「ヴァルプルギス…|御身に対して無礼ですよ?」
上からの声で天井を見上げると、黒き聖衣を身に纏った巨大な男が気持ちの悪い笑みを浮かべながら天幕に浮かんでいた。
やがてそれらは天幕を這う様に滑り落ちながら魔皇帝の間の床へと降り立った。
「邪悪なる大教皇、プロヴィデンス!」
アンジェリカが目の前の恐ろしき魔族の名を叫んだ。
ヴァルプルギスにプロヴィデンス……いずれも魔皇帝カラスマの七人の最側近、七つの大罪の一角である。
一人一人が魔界の諸国を治める魔王より強大な力を持ち、全人類の総力でもっても一人も倒せないと言われている。
彼らがいれば魔皇帝の討伐は不可能であると判断したためわざわざ留守を狙ったと言うのに。
二人いると言うことは他にも……
「プロヴィデンスにそんなこと言う資格はナイじゃなぁい?アタシの様に常に魔皇帝様の身を案じてた訳でもないのにサ。」
「随分と居心地の良さそうな寝ぐらだね?スカディ。」
声のする方を振り返ると、刺されて動けなくなったサニーの目が白く不気味に光っている。
よく見ると小さく真っ白な体に薄暗い透明な羽を生やした妖精がサニーの左目の眼球内でそこが我が城と言わんばかりに寛いでいた。
「旧き原色の白、スカディ!」
「物知りな魔法使いちゃんだねぇ……。我々の事も知ってくれているのかな?」
「可哀想だよ?怯えさせちゃ駄目だよドージ。」
「その発言は正しくないデス。既に彼等の心は絶望に染まっている。我らが一堂に会する合理性は皆無デス。」
「っっっ!!!!!??」
魔皇の間正面の大扉から二人の魔族と巨大な一体の魔獣が次々に入ってきた。
「予言の悪鬼ドージ、破壊獣王ダンジョーに……魔導科学工廠トカセ!」
全て人間界において伝説上の化け物として二千年以上前から語られる、書物の中でしか確認されていない存在だ。
俺もアンジェリカから戦ってはならない相手として姿絵を見せてもらっていたから分かった。
そして理解した。
これは勝てない…!
魔皇本人からは大した魔力を感じないが、配下である七つの大罪達からは先程まで戦っていた筈のヴァルプルギスを含めて、膨大なな魔力を有しているのを感じた。
もし彼等が感情のままに暴走すれば……まず間違いない、明日には世界が滅ぶ。
いやひょっとしたら星そのものが壊れるかもしれない。
「あら、もう全員揃っているんですか?」
その声が聞こえた瞬間、俺たちの身にのしかかるプレッシャーが倍増し、身体中が悲鳴を上げ始めた。
アンジェリカは吐き出し、気を失ったサニーは泡を吹き出した。
俺も圧倒的な絶望から来る内臓をかき回す様な恐怖で訳もわから無くなり、気がつくと口から無意識に謝罪の言葉を吐き出し続けていた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許してぇえええ!!!!!」
「うるさい……。」
「っっっっっっ!!!!」
魔皇帝が発した一言を引き金に絶望的恐怖が収まり、俺の口からも無意味な謝罪の氾濫がピタリと止んだ。
「マナ、幾ら僕と離れ離れになったからと言って彼等を威圧するのは駄目だぞ?」
魔皇帝がそう言った視線の先には、膝から下が黒い偶蹄類の様な形をしていて山羊のツノと鬼族の様な縦長の瞳孔の瞳を持つ黒髪の女がいた。
女のその姿は明らかに怖気も走る醜悪な異形のそれであり、人間が忌むべき魔族そのものである筈だった。
だが俺はその姿を見た瞬間恍惚としてしまい、自分の股間がべっとりとした液体で冷たくなるのを感じた。
「淫夢魔女帝……マナ。」
これで、七つの大罪全てが揃った事となる。
俺達は全員が留守の時を狙って魔皇帝を打ち倒そうとしたが、それは罠で丸一日かけた攻防も茶番。
更には最初のパーティのライラがそもそも魔皇帝本人で男だったのだ。
まったくもって、飛んだ喜劇だ。
自重気味に俺が小さく呟くと、七つの大罪のマナがアンジェリカの方に足を進め、目の前で止まった。
「アンジェリカ・マーリンね?此処までの一行の案内と魔皇帝陛下の護衛……大儀でしたよ。約束通り貴方の妹の病を治し、貴方達姉妹を魔族へと向かい入れて差し上げてましょう。」
「アンジェリカ!!?」
これ以上何を言うんだ?
これ以上何をぶっ込んでくれるんだ?
アンジェリカまで俺に嘘をついていたのか?
俺は同じ人間である筈のアンジェリカにまで裏切られたとゆう事実が悔しくて腹立たしくて、抑えきれない憎しみが込み上げてきてコレ迄の絶望も乗せて行き場のないその怒りを全てアンジェリカにぶつけた。
「アァアンジェリカァーーーーーーーーーー!!!お前までこの俺をぉ!俺達人類を、ぅ裏切ったのかぁぁっ!!!!!」
するとアンジェリカは気まずい表情で、節目がちにこちらを一瞥して振り絞る様に言った。
「………………得るものが無かったの。」
「……なに?」
「私があなたの旅に参加した理由は知ってるでしょ?魔皇帝討伐の報酬で私の妹の治療費を稼ぎ、世界で妹の病気を治せる医者を探す事。」
知っている。
国に残したアンジェリカの妹は生まれつき身体中の臓器が病魔に侵されており、移植や薬、治癒魔法も効果が無いと。
現在は高位の医療魔術師の手によって高額な延命治療を施していると聞いていた。
「報酬の額は未定で、旅を幾ら続けても妹の病気を治せる医者や薬の噂すら掴めない。……妹はいつ死ぬかも分からない、魔界に入る今から一年前の通信魔法では口も聞けなくなったと医者に言われた。」
言葉を紡ぐほどアンジェリカの声色は悲痛になってゆく。
誰にも助けられない、誰も助けない、協力しない。
自分には何もできないし分からない事が分かっているから。
俺も他の人間達と同じで彼女を励ましはしても何もできない事が分かっていたから……それ以上何かしようとは思わなかった。
「でもね、魔界に入る直前の船でライラが……魔皇帝陛下が言ってくださったの!『もし自分を魔界の中枢まで護衛し無事に送り届ければ、アンジェリカの忠誠と引き換えに妹に命と健康与えると約束しよう。』とね。」
「その為に人類を犠牲にするというのか?守られる保証も無い荒唐無稽な話に乗せられたっていうのか!?」
「妹には明日の保障もないんだよ!それに魔皇帝陛下の人類支配は既に一万年以上が経過している。直接支配による圧政でもない……だとしたら今の人類の苦しい状況の責任は人類側の問題でしょ?陛下が居なくなっても何も変わらないよ!」
アンジェリカのその台詞を聞いた魔皇帝は、満足げな笑顔を浮かべており、ゆっくりと拍手をしながら俺とアンジェリカの間に立ち入って来た。
「素晴らしい!忠誠心に溢れる好意的な意見をありがとうアンジェリカ……。誠意を見せてくれた君に僕も応えねばなるまい。」
魔皇帝が指を鳴らすと魔皇の間の床に無数の魔法文字と読み解くのも困難な複雑な幾何学模様……魔法陣が展開される。
怪しげな魔法陣の光が一層強くなり、眩しさで一瞬視界が無くなった次の瞬間、無数のチューブに繋がれて治癒魔法と思しき魔法文字を書き連なれるベットに横たわる10歳前後の少女が現れた。
「シンディ!」
アンジェリカが名前を叫んだところを見ると件の妹の様だ。
シンディはというと、息も絶え絶えという様子で生命力を感じる事もできない。
俺は医者じゃないが他人の生命エネルギーを読み取る事でその者の健康状態や寿命を大まかに感じ取る事が出来る。
アンジェリカが先程、明日の保障はないと評したのは大袈裟ではないのだろう。
確かに痩せこけた体や青白い生気のない顔色は延命の為の治癒術を止めれば、今にも死んでしまいそうな危うさを俺たちに感じさせた。
「シンディ……彼女は肉体の作りそのものが弱い。病を治すには肉体そのものを作り替える必要がある。」
魔皇帝はシンディの体に手をかざし自らの肉体の内側にある邪悪なる根源を分け与えた。
それは仄暗い闇を連想させるもやの様な瘴気が魔皇帝の手を伝いシンディの体を包み込み、ゆっくり吸収されていった。
普通の人間は瘴気に身を晒されると、その毒素で身体と精神に様々な変調をきたし、煩い、苦しみ、肉体が溶け崩れ、最後には絶命する。
しかし逆に適合してしまうと魔族へと身を落とす。
今回目の前で行われているのは魔素と呼ばれる魂の器をわけ与え体を作り替え瘴気で補強すると言う、まさに御伽噺に聞く世にも恐ろしき魔皇帝直々の魔族化の儀式である。
目の前のおぞましい光景に目が離せずにいると、シンディの肉体に徐々に変化が生じ始めた。
ドクドクと体全体が小さく脈動し徐々に爪が伸び黒かった髪の毛が銀白色に変わっていく。額には人間にはない筈の浅黒く小さな角が一本額の横に生えてきて、病床に臥していた先程では感じられなかった力強くもおぞましい生命力がほとばしるのを感じさせた。
「目覚めるといい…シンディ・マーリン。今日お前は魔族へと生まれ変わり、僕の新たな子供になったのだ。」
「シンディ!」
「ん…おねぇちゃん?」
寝台から起き上がったシンディにアンジェリカが嬉し涙を流しながら抱きついた。
シンディは何が起きたか分からない様子で戸惑っていたが愛する姉がそばにいる事を喜んでいる様だった。
「おめでとうシンディ……おめでとうアンジェリカ。」
「おめでとう」
「おめでとう」
「オメ!」
「おめでとうございます」
「御目出度う」
「めでたいめでたい」
「オメデトウ」
魔皇帝、並びに七つの大罪達が次々に拍手しアンジェリカ達を祝福した。
「ありがとうございます!……ありがとうございます!」
何なんだこの光景は?
魑魅魍魎の王達が裏切り者を祝福している。
人類の未来を背負っていた筈の俺たちが地に伏し、邪で悪逆なる者どもが笑っているだと?
「…とんだ、茶番じゃ……ないか。」
絶望的な光景に対する嫌悪感と全てを失った事による喪失感に苛まれ、俺の脳は自分の意識を保つことを放棄して気絶した。